10000字ロングインタビュー
飛び込んだ芸能界は、父の偉大さを思い知らされる厳しい世界だった。
現実に打ちのめされ、メンバーのやさしさが余計に胸を締めつけた。
仲間とともに、父の背中は、これからも追い続ける。
10000字ロングインタビュー
『僕がJr.だったころ』
Hey! Say! JUMP編
第7回
岡本圭人
- おかもと・けいと
-
1993年4月1日生まれ。東京都出身。O型。身長174cm。
2006年8月14日、ジャニーズ事務所入所。
2007年11月14日、Hey! Say! JUMPとしてCDデビュー。
※このインタビューは、MYOJO2014年6月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。
2007年、先輩グループを差し置いて、華々しくデビューしたHey! Say! JUMP。
Jr.歴の浅いメンバーの抜擢は、周囲の反発を招くと同時に、
本人にとっても大きなプレッシャーとなっていた。
JUMP編の第7章は、岡本圭人が、その苦しみもよろこびもすべて語る。
お母さんに泣いて、“髪切りたい”とお願い
- ──自分のこと、積極的にしゃべらない印象があるよね?
- 「あんま自分のこと話すの好きな人じゃないんで。でも、このインタビューは、いい機会かなって」
- ──じゃあ、昔のことから聞いてこうと思うけど、いちばん古い記憶って?
- 「なんだろうな。正確にはわかんないけど2、3才くらいに家族でハワイに行ったらしいんです。なんか一瞬だけおぼえてるんですけど、プールに飛び込んだのが、いちばん古い記憶で」
- ──そんな小さいのに飛び込んだの?
- 「そのときの写真、今も家に飾ってあって。ニルヴァーナの『Nevermind』ってアルバムのジャケット知ってます?」
- ──赤ちゃんが、水中を泳いでるやつだよね。
- 「そうです。ここ4、5年なんですけど、ニルヴァーナを聞くようになって、親父に、“飾ってある写真、ニルヴァーナのジャケットに似てない?”って聞いたら、“それっぽく撮ったんだよね”って」
- ──そういうことだったんだ。
- 「はい。けっこう何回も撮り直したんで、何度もプールに飛び込んだらしくて。だから、なんで記憶があんのかなって考えたら、そーとービックリしたんだろうなって(笑)」
- ──ハハハハハ。じゃあ、小学生くらいのころって、どんなコだった?
- 「どうだったんだろうなあ。うーん。家にいるのが嫌いで、外で遊んだり、ヤンチャしたりって感じだったんで、明るかったのかな」
- ──ガキ大将的な感じ?
- 「あ、思い出した。俺、全然明るくなかったわ(笑)。誕生日が4月1日で、クラスでいちばん生まれが遅いから、ずーっと背も、みんなよりちっちゃかったし、成績もフツー、運動神経もフツー。特に目立つことってなくて。どっちかといえば静かだった。あんま自分から話しかける人じゃなかったし、ケンカもしなかったし」
- ──そうだったんだ。
- 「平和の人っていうか。俺、お母さんっコで、母さんのこと大好きで。“自分がされてイヤなことは人にしちゃダメ”って、ずーっと言われて育ったのが関係してるかもしれないです」
- ──目立つコじゃなかったんだね。
- 「あ、でも見た目は目立ってました(笑)。小学生のとき、すげー髪が長かったんですよね。フツーに肩とか胸ぐらいまであって」
- ──へえー。
- 「完全に父親の趣味で。小学生くらいって、人とちがうのってイヤじゃないですか。なのに、なかなか切らせてくれなくて。母さんに泣いて、“髪切りたい、髪切りたい”ってお願いして、やっと切ってもらったのをおぼえてます。今考えると、オシャレだったんですけどね」
- ──じゃあ、お父さんが芸能人だって認識したのって、いつくらい?
- 「いつなんすかねえ。わかんないな。なんかでも、俺にとって、それが当たり前だったんで。ただ、この世界に入ってからのほうが、父親が芸能人なんだってことを強く実感しましたね」
“あ、着いた、ここどこだろう?”
- ──じゃあ、小学4年生でイギリスに行った経緯って?
- 「それも親が決めましたね。9才で“イギリス行きてー!!”とか、カッコいいこと言える子どもじゃなかったんで(笑)」
- ──渡英の理由って何だったの?
- 「あとになってお父さんに聞いたら、日本だといい大学入るために、小学生のころから、夜の10時とかまで塾で勉強させたりするじゃないですか。ランドセルを背負った子どもが夜、歩いてたり。そういうのが好きじゃなかったらしくて。それで海外に」
- ──教育方針だったんだ。
- 「はい。事前にイギリスにサマースクールで一度行って。帰国して、英語の家庭教師を1カ月とかつけてもらって。でも、そんくらいで話せるようになるわけないじゃないですか。アルファベットすらわかんないんだから」
- ──そうだね。
- 「で、9月くらいに空港に突然連れてかれて。出国ゲートのとこで、振り返ったら親父は笑って手を振ってて、母さんはすげー泣いてて。“なんで泣いてんだろうな?”って、意味わかんないまま飛行機に乗って。“あ、着いた、ここどこだろう?”って状態で。そしたら、“OKAMOTO KEITO”って書いた紙を持った人が待ってて」
- ──ひとりで行ったんだ。
- 「いっしょに来てくれたらいいのにね。だって、9才だよ(笑)」
- ──すごい経験だよね。
- 「すごいですよね。なんか、人ごとっぽいんですけど、当時のことあんまりおぼえてないんですよ。だって、今考えたらムリですもん。まわりに日本語しゃべれる人、ひとりもいないのに、“どうやって生き抜いたの?”って」
- ──ハハハハハ。
- 「よくわかんないまま、学校みたいなとこに連れて行かれて。小4だったんですけど、あまりにもしゃべれないから、2年生のクラスに入らせてもらって。次の年と、その次の年に飛び級して、追いついて」
- ──ホームシックにならなかった?
- 「初日は、やっぱ泣いてたらしいです。でも、1週間後に父さんが電話したら、なじんでたらしい(笑)。後ろで友だちの笑い声が聞こえたらしくて。俺は全然、おぼえてないですけど」
- ──すごいね。
- 「でも、なんだろうな。つらいっていうより、楽しかったんですよ。みんな、すごくやさしくて」
- ──最初はホームステイだったんだよね?
- 「はい。しかも、なぜかロシア人の家庭だったんです。もう家庭内は全部ロシア語で。“ちょっと待って、英語もしゃべれないのにロシア語?”みたいな(笑)。でも楽しかったイメージがあります。で、次の年に寮に入って」
- ──寮生活って、どんな感じ?
- 「大部屋で7人とかの部屋。向こうって、基本的に幼稚園から高校まで一貫なんですよ。俺もそのまま、そこの中学に行くと思ってたら、なんか通ってた学校が倒産しちゃって、ちがう学校に行くことになって」
- ──波瀾万丈すぎるでしょ。
- 「ですね(笑)。移ったその学校、すごく広くて。敷地内にテニスコートが10面、ラグビーグラウンドが2面とかあって。なんか、馬で通ってる同級生がいたり」
- ──馬!?
- 「向こうの学校、マジすごいんですよ」
- ──日本では経験しないこと、ほかにもあった?
- 「その学校は、課外活動で陸軍か海軍か空軍か選べみたいなのがあって。海軍はカヤックで川を下ったり、空軍はヘリコプターを操縦するみたいな。俺が選んだのは陸軍だったんですけど、テントとか食料、銃、全部持って、3日間かけて45km歩く訓練があって」
- ──何それ?
- 「もう草木をかきわけ、道なき道を進んでくんですよ。いきなり、“敵が来た! ほふく前進!”みたいな指令が出たり。脱落者も出るくらい、めちゃめちゃハードで。夜は自分たちでテントを建ててメシも作って」
- ──“なんでイギリスに!”って思ったことなかったの?
- 「ないですね。ホント、親父に感謝っていうか。行ってよかった。英語はおぼえたし、ひとりで生きてけるって自信もついたし」
初めて言えた、“俺もやってみたい”
- ──留学中、日本にはどのくらいの頻度で帰って来てたの?
- 「夏休みと冬休みに帰って来てました」
- ──向こうにいるとき、日本の芸能界の情報ってあった?
- 「まったくなかったですね」
- ──じゃあ、ジャニーズに入ろうと思ったのは?
- 「ずーっと、父さんの舞台は必ず見てて。ライブハウスにも、よく行ったりしてて。2006年の春、日本に帰って来たとき、父さんが、“1回、俺の舞台じゃなくて、ちがう舞台も見てみたら? ちょうど『滝沢演舞城』やってるよ”って。俺、タッキー(滝沢秀明)の存在は知ってて、大好きだったんです」
- ──観劇して、どうだった?
- 「なんて言うんだろう、すごくいい舞台で。Jr.もいっぱい出てるじゃないですか。たぶん、薮(宏太)くん、(八乙女)光くんも出てたのかな。同い年や年下のコも、ステージで歌ったり踊ったり、すごく輝いてて。Jr.って存在はくわしく知らなかったんですけど、なんか、すごく後悔して」
- ──後悔?
- 「なんて言うんだろう。子どもんときからずっと、父さんの活動を見てるわけで。“俺もいつかこういうふうになるのかな”って、期待みたいなのがすごくあって」
- ──そうだったんだ。
- 「ホントのこと言うと、俺もやりたかったんです。だけど、自分から“やりたい”って言えなくて。父さんに、“ギターとかやれよ”って言われても、本当は興味があるのに、恥ずかしくて、“やんないよ”とか言ってたし。事務所にしても、本当はずーっと昔から、入りたいなって思ってて。かといって、“やりたい”とは言えなくて。気づいたらイギリス行ってたし」
- ──同世代のコががんばってる姿を見て、気持ちを偽れなくなったんだ。
- 「はい。だから悔やんだっていうか。なんでもっと早く、言い出さなかったんだろうって。舞台を見終わって、父さんに、初めて“俺もやってみたい”って伝えて」
- ──何て言われた?
- 「“じゃあ、社長に聞いてみるよ”って。それで入らせてもらえることになって」
- ──そしてJr.の活動が始まったんだ。
- 「『ジャニーズJr.の大冒険!』の前日かな。初めてジャニーさんに会ったんです。そしたら、“YOU、明日出ちゃいなよ”って。もう、わけわかんないじゃないですか。そしたら、英語で自己紹介してって言われて」
- ──そんなに急に決まったんだ。
- 「そう。MCのとき、(中島)裕翔が俺を紹介してくれて。で、バーっとステージに出て英語でしゃべって。曲がかかってみんなが踊り出したら、俺は踊れないから急いでハケて。もう、お客さんどころか、Jr.も、“誰だ?”って感じで。それが初めてのステージかな」
- ──緊張した?
- 「緊張はしたけど、やっぱりファンの人たちが楽しんでるのをステージ上から一瞬だけど見られて、改めて、この世界に飛び込んでよかったなっていうのと、もっと早くやりたいって言っておけばよかったって思って」
- ──最初は帰国中だけの活動だったんだよね?
- 「そうですね。コンサートが終わってすぐイギリスに帰って、ふだん通り学校に通って。次は冬休みに帰って来て。そこで初めて知念(侑李)と会ったんです。武道館でJr.のコンサートをやってて。MCのときに呼ばれて、ちょっとステージに立って。また客席に戻って。またイギリスに帰って」
YOUを入れようと思ってるけど、どうする?
- ──直後、Hey! Say! JUMPの一員としてデビューしてるよね。
- 「夏休みに帰って来て、今度は『滝沢演舞城』に出させてもらって。大冒険にも呼んでいただいて。そのとき初めてフルでダンスをおぼえて。それが、Hey! Say! 7の『Hey! Say!』で。で、親父の曲とかひとりで歌わせてもらったりもして。大冒険が終わって、イギリスに帰る2日前くらいに、話があるってジャニーさんに呼ばれたんです」
- ──それが、Hey! Say! JUMPの話だった?
- 「はい。社長にHey! Say! 7のメンバーに薮ちゃんや光くんを入れて、Hey! Say! JUMPってグループを作ろうと思ってるって言われて。“そこに、YOUを入れようと思ってるけど、どうする? もしイギリスに帰るなら、YOUじゃなくてちがう人を入れるけど”って」
- ──何て答えたの?
- 「すごく考えて。俺は踊れるわけでも、歌えるわけでもない。まして5年もイギリスにいたから満足に日本語すらしゃべれない。そんな俺が、“やります”って言っていいのかなって。自分より、歌もダンスもうまくて、長年、ずーっとやってる人たちもいる。その人たちよりも早く、こんな俺がメンバーに入っていいのかなって」
- ──戸惑ったんだ。
- 「でも、こんな機会、二度とないかもしれないって。ここで“いいです”って断ったら、絶対に後悔するだろうなって。Jr.に入るのが遅くなったこと、すごく後悔したから、もう後悔したくないって。夢もあったし、俺も少しは親父に近づけるのかなって想いもあって。離れて暮らしてる母さんにも、がんばってる姿、見せたいってのも。社長がこんな俺を選んでくれるのは、俺に何かあるって思ってくれたのかもしれないって思って。だから、“俺、やりたいです”って言って。安易な決断じゃ決してないですけど、“やりたいです”って」
そのやさしさが余計につらくて
- ──そして、晴れてJUMPの一員になったんだ。
- 「こっからがね……」
- ──Jr.の経験も少ない。相当、努力も苦労もしたんじゃない?
- 「何もできなかったから。ダンスも歌も。トークどころか、日本語も満足に話せない。でも、イギリス行ってたんでなんて言い訳したとこで、“それが何?”って感じじゃないですか。しゃべれないってマイナスでしかないんで、日本語を勉強し直して」
- ──頼れる人はいた?
- 「誰にも頼れなかったですね。友だちもイギリスにしかいなくて。ひとりっコだったし。小さいころ、母さんがすごくやさしくて。その影響か、心配かけたくないってのがすごく強くて、親にも相談できる性格じゃなかったし」
- ──つらかったね。
- 「でも、自分のつらさなんかより、メンバーに対して、すごく申し訳なくて」
- ──どうして?
- 「すごく迷惑かけたから。『Ultra Music Power』の振りつけのとき、明らかに俺ひとりだけ劣るわけです。ほかのメンバーと比べて。そこで、自分でも気づくんです」
- ──どんなことに?
- 「みんなが俺のレベルに合わせてくれてるんだって。振りつけ、ホントなら、もっとカッコいいのあったんだろうけど、俺のせいでできないんだろうなって。俺がみんなに合わせられないから、みんなが俺のレベルに合わせてくれてる……。振りつけの時点でわかったんです。わかったから俺、振りつけのとき、泣いちゃって。俺は、とんでもない決断をしちゃったんじゃないかって」
- ──そんなこと考えたんだ。
- 「JUMPに入りたいって決断したときは、俺の夢なんだって思った。けど、その夢のせいでメンバーが犠牲になってる。あの日の決断をすっごい後悔して。あそこで、“Yes”って言わなかったら、みんな、もっと楽しんでやってたのかなって……。やっぱいるんで、できる人は、いくらでも。俺じゃなきゃ、ちがったんだろうなって……」
- ──悔やんだんだ。
- 「遊びじゃない。ファンの前に立つってことは。逆の立場だったら、“なんだコイツ!”ってなりますよね。どんなやさしい人でも、絶対。なのに振りつけ中、泣いてるとメンバーは“どうしたの? 大丈夫?”って声をかけてくれて。でも、“俺のせいでごめん”なんて言えるわけもなくて。そんなこと。だから、バレバレですけど、“頭痛い”とか変な理由つけて」
- ──メンバー、やさしかったんだ。
- 「メンバーは……。思い出すと泣いちゃうわ、これ……」
- ──いいよ、ゆっくりで。
- 「……みんな、ホントにやさしいんですよ。俺ひとりだけができない中、見捨ててもいいはずなのに……。裕翔、ホントにすごくやさしい言葉かけながらダンス教えてくれて。知念はプライベートでもよくいっしょにいてくれて。いっつも“大丈夫だよ”って励ましてくれた。山ちゃん(山田涼介)は山ちゃんで、“そこはこういうふうにしたほうがいいよ”とか“こうやったほうがカッコいいよ”って具体的にアドバイスしてくれて。……うん。薮くんや光くんとかも、まちがえたら必ず指摘してくれたり、本気で怒ってくれて。俺、全員にずっと助けてもらってばっかで……」
- ──支えてもらったんだね。
- 「そういうこと、みんなしてくれたんすよ。でも、ありがたいけど、ありがたいんですけど、そのやさしさが余計につらくて。そんなことしなくていいよって……」
- ──やさしくされるほどつらいよね。
- 「ずーっとマイナスな存在だってこと、自分でわかってた。ファンの人たちも当然思うじゃないですか。“なんで、あいついるの?”って。Jr.の中にも、俺が選ばれて腑に落ちない人も絶対いて。そういうの耳に入ってきたりもしたし。それでもメンバーは、みんなやさしく接してくれて。だから、なんだろうな、俺ががんばれた理由は、これ以上メンバーに迷惑かけたくないって想いがあったからで。いつかグループにとってプラスの存在になりたいって想いだけでがんばって。ダンスとか、ずーっとひとりで練習したりとかして。それがなんか、今でもがんばってる理由ですね。絶対、すっごい迷惑かけたもん」
- ──髙木くん、“海外のときとか、圭人が英語、すげーしゃべってくれてありがたい”って言ってたよ。
- 「そうなのかな。そういうの言われると、すごくうれしいっすね……。少しでもためになれてるのかなと思うと」
- ──今は、バンド組としてだってプラスになってる。
- 「……ギターを始めたのも、初めてのコンサートのとき、裕翔がドラム叩いてるのを見たからで。少しでもなんか特技だったり、JUMPにとってプラスになること、コンサートで披露できたりするものがほしいと思ったから。裕翔がドラムをやってるの見て、“じゃあ俺はギターをやろう”って。今まで恥ずかしくて言えなかったんですけど、近くに先生いるやって。初めて父さんに、“ギター教えて”って言えて」
- ──グループのためになろうと始めたことだったんだ。
- 「どこかで、俺はひとりでも生きてけるって思ってたのかもしれない。ずーっとひとりでがんばって生きてたんで。だけど、ひとりじゃ、どうにもならない、ひとりじゃがんばれない状況に初めて陥って。メンバーがいたから、俺はここにいられるから」
- ──そんな状況、仕事に行くのがつらくなかった?
- 「仕事は大好きだった。全部好きだった。全部、ありがたかったし。何より、そこには、いつもメンバーがいたから」
- ──このメンバーで本当によかったね。
- 「イギリスに行ったから、今でもつながってる小学校時代の友だちっていないし、兄弟いたら、ちょっとちがったかもしれないんですけど。いきなり日本に帰って来て、メンバーと出会って。7年いっしょにいる。もちろん、少しずつだけど関係を築いていって、自分の居場所ができて。アウェーが今はホームになって。なんだろう、人とつき合うって、こういうことなんだなって、メンバーが教えてくれたっていうか」
- ──そう思うと、出会えたのは運命なのかもしれないね。
- 「今まで俺、自分の心の中のこと、誰かに話したこともなかったし、友だちはいても、そんな深い話をふだんするわけじゃないし。相談とかも、これまでの人生で一度もしたことなくて。でもメンバーと出会って、初めて自分の心の中をさらけ出せる人たちに出会えたんだなって。メンバーは、友だち以上の存在。……うん、家族みたいっていうか」
- ──メンバーとの忘れられないエピソードってある?
- 「いくらでもあるけど、なんか、いちばんおぼえてるのが、大ちゃん(有岡大貴)との話なんですけど……。電話で大ちゃんに相談したことがあって。俺、話してるうちに、すごく泣いちゃって。そしたら、電話越しに大ちゃんも泣いてくれて。今まで、そんな人いなかったんで。俺は初めて、言葉では表せない存在を、仲間を持ったんだなって」
俺がやってきたこと、まちがいじゃなかったなって
- ──辞めようと思ったこともある?
- 「何回もありますね。“本当に俺は必要なのかな”って、すごく考えちゃうときとかあって。逆になんか、俺だけがみんなの枷になってるなら、俺がいないほうがもっとよくなんのかなって思ったりして。俺、ここにいていいのかな、いらないんじゃないのって、何回も思ったこともあって。でも、ここであきらめたら、後悔すんだろうなって」
- ──そんなとき、メンバー以外に何か支えになったことってある?
- 「やっぱりファンの人たちの存在は大きくて。雑誌の取材だったり、テレビの収録をしてても、不安になるんですよ。誌面やテレビの向こうに、“俺を見てくれてる人っているのかな?”って。直接触れ合う機会って、なかなかないじゃないですか」
- ──そうだね。
- 「だから、直接顔が見えるコンサートがすごく好きで。みんな、笑ってくれたり、楽しんでくれる。見に来てくれる。俺のほうが、すごいエネルギーもらってる。やっぱり、そのとき、すごい楽しいなって実感できて。すべて忘れるってわけじゃないけど、悩みだったり、不安だったりも、その瞬間だけは、すべて吹き飛ぶっていうか。“本当にこの道に進んでよかった”って、心から思えるのが、ファンの方に直接会えるコンサートなんですよね」
- ──ファンが笑ってくれるのが支えだったんだ。
- 「俺は、ここにいてもよかったんだなって思えるっていうか。『ジャニーズ・ワールド』をやらせてもらったとき、ファンの人たちと触れ合えるタイミングがあって。“あそこよかったよ。でも、あそこ、ちょっとコケたでしょ”とか、“1幕と2幕で髪型ちがってたね”とか、ホント友だちみたいに、いろいろ話してくれて。そんなとこまで見てくれてるんだなって。俺がやってきたこと、まちがいじゃなかったなって」
いつか、いつか、親父を越えたい
- ──最初に、「この世界に入ってからのほうが、父親が芸能人なんだってことを実感した」って言ってたよね?
- 「今でもなんですけど、親父の存在ってのは、やっぱりプレッシャーなんですよね。だって、俺と同じ年のときに、親父は輝いてたし、カッコよかったし、ドラマもいっぱい出て活躍してた。俺、何してるんだろうって思うこと、今もたくさんあって。でも、まわりの人はムリだって思うかもしんないですけど、同じ世界に入ったからには、いつか、いつか、親父を越えたいって気持ちもすごくあるんで。そんな日が来るって信じてるんで」
- ──その日が来ること信じられる?
- 「はい。言葉にしたくないんですけど、この世界に入ったからには、やっぱりいちばん上になりたい。だから今は、なんでも挑戦したい」
- ──なんでも?
- 「特に演技は絶対やりたくて。『3年B組金八先生』をやらせていただいたとき、すっごいうれしくて。でもオンエアーを見ると、すっごいボロボロで。自分の力のなさに気づけて。もし次にチャンスをいただけることがあるなら、それまでにうまくなっていたい。だから今、舞台だったり、演技だったり、映画だったりすごい見てて。今、できることをやってます。親父も、すごい演技する人なんで。でも、負けたくもないし」
- ──演技、好きなんだね。
- 「基本的に自分に自信がないんですよ。だから、自分じゃない人になれるっていうのが、楽しいのかな」
- ──憧れの人は、お父さん?
- 「うん。だってフツーにすごいんですもん」
- ──お父さんのこと大好きだよね。それ故の苦労もしてるのに。恨んだことってない?
- 「言い方は悪いですけど、親父がああじゃなかったら、俺はこの世界に入ってないんで。感謝しかないですね」
- ──会うまでは、父親もスターで、Jr.期間も短くデビューして、エリート中のエリートだと思ってたよ。
- 「今日みたいなこと、言えないじゃないですか、簡単には(笑)」
近い人に対しては余計、不器用なんです
- ──お父さんも、お母さんも、今の活躍、よろこんでくれてるんじゃない?
- 「どうなんすかねえ。そんな深い話、照れくさくてできないんすよ。聞いたことないです。どうだろ。俺が楽しくしてんなら、よろこんでくれてるのかな」
- ──大学に受かったことも、よろこんでくれたんじゃない?
- 「それも、あんま話してないかな」
- ──ホント、不器用だね。
- 「なんか近い人に対しては余計、不器用なんです。それは思います。めんどくさい性格してるんです。うまく言葉じゃ伝えられないし、でも好きな人には幸せになってほしい。そのためなら、自分が引いてもいいなって。それで俺も幸せだし。だから、ね。うん」
- ──今回、いろいろ話してみてどうだった?
- 「なんだろ。すごくイヤなんですよ、こういう話すんの。でも、聞きたい人もいるだろうなって。だから、いい機会なのかなって。平気かと思ったら、意外と涙ポロポロ出ちゃって。誰にも話したことないことだったから。こんな話したって重くなるだけじゃん(笑)。絶対話さないでしょ、フツー」
- ──今日までのがんばり、お父さん、ほめてくれるんじゃない?
- 「いやー、どうなんだろうなあ。でも、いつか演技でほめられたいですね」
- ──お父さんに、この世界で生きて行く上でのアドバイスもらったりする?
- 「特にはないですね。でも、“今じゃなくていい”ってのは、よく言われます」
- ──どういうこと?
- 「輝くのは今じゃなくたっていいってことだと思います。5年後だって、10年後だってかまわないって」
- ──悩んでることも、がんばってることも、わかってるんだろうね。
- 「そうなのかな。でもいつも、その言葉が胸にあるっていうか。いつか輝く日のために、今をがんばろうって思うんですよね」
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