Myojo

10000字ロングインタビュー

「モテたい!」動機は不純だった。
転機の『ごくせん』は、重いプレッシャーに押しつぶされた。
すべてを投げ出しかけたこともあった。
でも今は、「やりたいことが、すっげー多い」と笑顔で言える。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

Hey! Say! JUMP編

第6回

髙木雄也

たかき・ゆうや
1990年3月26日生まれ。大阪府出身。O型。身長176cm。
2004年6月12日、ジャニーズ事務所入所。
2007年11月14日、Hey! Say! JUMPとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2014年5月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

先輩グループを差し置いてのデビュー。
Jr.時代の経験が少ないにもかかわらず大きな仕事への抜擢。
2007年に華々しいスタートを切ったHey! Say! JUMPは、
知られざる苦悩を抱えてここまでやってきた。
JUMP編の第6章は、髙木雄也がマジで語る!

俺、なんでも動機は不純なんです(笑)

──なんか痩せた?
「夏に向けて鍛えてるんです。水着になることもあるし、脱いだとき、いい体のほうがモテるでしょ?」
──ダイエットの動機がチャラい(笑)。
「俺、なんでも動機は不純なんです(笑)」
──じゃあ、さっそくいろいろ聞いていこうと思うけど、大阪生まれなんだよね?
「そうです。でも、物心ついたときには関東に引っ越してたんで、大阪のころの記憶は、ほとんどなくて」
──姉がふたり、弟がひとりの4人兄弟だね。
「2コ上、1コ上、俺で、1コあいて弟です」
──仲はよかった?
「記憶ないんですけど、小さいころはよく、お姉ちゃんの服を着せられて、お化粧とかされてたらしいですね。1コ上の姉と似てるんですよ、顔。今も仲よくて、洋服を買うときとか、いっしょに行きます」
──お姉さんたちは、やさしかった?
「やさしくないから(笑)。小さいころとか、怖かった。俺が悪いことしたんだと思うんですけど、もう怒られるってレベルじゃなくて。水を張った洗面台に、顔をギリギリつけられそうになって、“謝るの? 謝らないの?”って言われたりして」
──ハハハハハ。じゃあ、弟は?
「仲はいいけど、ケンカばっかしてましたね。見たいテレビ番組の取り合いによくなったんですよ。もう殴り合い(笑)。で、よく親に怒られて」
──両親は厳しかったんだ?
「食事中、テレビを見るとかもってのほかだし、全員そろってからじゃないと食事を始めないとか、礼儀には厳しかったかな。すげー怖かったから、俺、反抗期が1回もないんですよ」
──でも、よく怒られたんだ?
「もう、毎日。最近になって聞いたんだけど、俺の親、俺のこと、ちょっとおかしいんじゃないかって思ってたらしくて(笑)」
──なんで?
「どんなに怒っても、ゲンコツしても笑ってたらしいんですよ。手で顔を隠してるから、泣いてるのかと思ったら笑ってるとか。弟といっしょに怒られてるときとか、弟にだけ見える角度で変な顔して、弟が笑っちゃって、よけいに怒られて。当然、弟は“雄也が笑わすから!”って言うから、俺ももっと怒られて」
──そりゃそうだ(笑)。小さいころ、剣道をやってたんだよね。
「やってた、やってた。なんかノリでやってましたね。友だちがやってて、“道場に遊びに来なよ”って誘われて。俺、最初、ハマる人だから、見に行ったら、“すげー”ってなって始めたんだけど、始めたら、あんま行かなくなって(笑)。気づいたんですよ。“これ、ちがった。遊びだったから楽しかったんだ”って」
──バスケもやってたよね?
「小1からね。バスケは、ずっと続けて“日本人初のNBA選手になる!”って、みんなに言ってた」
──ほかになりたいものってあった?
「保育園の先生になりたかったな。子ども好きなんで。“面倒見てて”って言われたら、3時間でも4時間でもいっしょに遊んでられる」
──そうなんだ。
「保育園の先生みたいなこと、プライベートで1回やったことあって。『ごくせん』のあとくらいかな。俺が通ってたときの先生が、まだ同じ園にいて。親がまだ連絡取り合ってたんで、“1日だけでいいから手伝わせて”って頼んでもらって。楽しかったな。いっしょに『きらきらぼし』歌ったり。チョーちっちゃいから、ブロック投げてきたりするんですよ。でも、生意気なほうが好きで。後輩とかでもそうなんですよね。生意気なこと言ってくるほうが好き」

やっぱ男だから、“モテたい!”って原点にある

──保育園や小学校では、どんなコだったの?
「わりかし、ふざけて女のコの注目を集めるみたいなタイプだったかな。ギャーギャーしてた。うるさかったですね」
──女子とも普通に話せた?
「ガンガン話せました」
──男子は女子と話すの気まずくなる時期ってありそうだけどね。
「全然、なかったです。いまだにない(笑)」
──モテたんじゃない?
「いや、モテないです、モテないです。俺、今も基本そうなんですけど、友だちになっちゃうから。相手も恋愛対象じゃなくなっちゃうみたいな」
──どんなコを好きになるの?
「ひと目ぼれ派です。で、好きになったら、ちょっと自分を偽る。いい男に見せようとして(笑)。だから、“あのコ、好きだろ?”って、友だちにも本人にも、すぐバレる」
──告白してフラレたことってある?
「ないっすね。ないっていうか、俺、1回くらいじゃあきらめないから(笑)。“なんでだよ? つき合ってよ”みたいな」
──打たれ強いっていうか、なんて言うか(笑)。芸能界には興味あったの?
「外で遊ぶ人だったから、そんなに知らなかったんだけど、中1かな。お母さんが友だちにKinKi(Kids)のコンサートに誘われて。あんまり興味がなかったらしくて、“私より、うちの息子連れてって”って言ったらしいんですよね」
──お姉さんたちじゃなくて、髙木くんを連れてってって言ったんだ?
「お姉ちゃんより、俺のほうが興味ありそうだと思ったんでしょうね。俺、“わかった、行く”って」
──コンサートは、どうだった?
「カッコよかったですね。もう、すげーってなって。特に(堂本)光一くんの印象が強くて、ファンになりましたね。連れてってくれた人が光一くんファンだったんで、目の前を通ると“光一くん!”って叫んでたから、俺も自然と光一くんに目がいっちゃって」
──それから、ジャニーズに興味を持ったんだ。
「はい。カッコいいというか、やっぱ男だから、“モテたい!”って原点にあるじゃないですか。こんだけの人数の女の人に囲まれて、黄色い声援を浴びて、気持ちよさそうだなって」
──志望動機、チャラいね。
「俺、なんでも不純から入るって言ったでしょ(笑)」
──だね。で、履歴書を送ったと。
「コンサートの日以来、“俺も、ああなりたいな”って思ってたんですね。なんで、そのタイミングだったかおぼえてないけど、中3のときに履歴書を自分で買ってきて、自分で書いて出して。親には、“出すよ”ってだけ言って」
──なんて言われた?
「“好きにしなさい”って。うちの親、放任主義っていうか、俺に興味がないっていうか(笑)。なんに関しても“やりたいならやりなさい。やめたいならやめなさい”ってスタンスで」
──返信は、すぐに来たの?
「1週間くらいで来たかな。早かった。いいタイミングで運がよかったんだと思う。ホントに。でも返信が来て“やったー!!”ってなったけど、“オーディション、行きたくねー”ってなって」
──自分で送ったのに、なんで?
「たぶん、オーディションで歌もあるだろうなと思って。俺、人前で歌うってことが唯一苦手で。音楽に関するポテンシャル低すぎるの自覚してたから(笑)。保育園くらいで気づいたんですよ。絶望的に歌がヘタなんだって」
──そうだったんだ。
「俺、いつも騒いでたけど、カラオケだけは歌わないっていう。家族の前だけしか歌わなくて。だからオーディションの日も、行きたくなくて、会場に着いても、親に“帰る”って言ったくらいで。“せっかく来たんだから、受けるだけ受けたら”って言われて、“じゃあわかったよ”って」
──オーディションでは歌った?
「“歌える人?”って聞かれて、当然みんな手を挙げるじゃないですか。でも、俺だけ歌わなかった(笑)。社長に“歌えないの?”って聞かれて、“人前で歌えないです”って、正直に言った記憶ある」
──そうだったんだ。
「なのに、オーディションを受けたあとに親といっしょに呼ばれて、社長と三者面談みたいになって。そのとき、山P(山下智久)が通りかかったんですよね。もう、“すげー!”ってなって。母さんも、テンション上がっちゃって。その日、いきなりテレビ収録の仕事をさせてもらって」
──急すぎてビックリだね。
「でも、あのとき、何もわかってなかったから、緊張すらしなかったというか。全然よくわかってなくて、とりあえず山Pの記憶しかないです」
──そして、Jr.の活動が始まったんだ。
「そうそう。あ、オーディションの翌日、社長から家に電話がかかってきて。お姉ちゃんが出たんですけど、いきなり、“YOU、何してるの?”って言われたらしくて。お姉ちゃん、ユウって字が名前についてて、“YOU”って呼ばれることもあるから、“え、誰?”みたいになって、10分くらい話し込んだらしい(笑)。俺が代わったら、ちょうど、タキツバ(タッキー&翼)のコンサートがあるから、“YOU、来ちゃえば?”って言われて」
──世界が急激に変わっていったんだ。
「でも正直、部活があったから、どうしようってドキドキのほうが大きくて。部活を休まないといけないから。うわ、最悪って最初のころは思いながらやってた。学校の友だちには、Jr.のこと言えなかったし」
──じゃあ、当然、「この世界で生きてく」って覚悟もなかった?
「全然ない。“高校卒業までにデビューできなければ、やめよう”って思ってた。最初は覚悟なんてなかったですね。入ってすぐ、“デビューって、そうとう難しいんだ”ってわかったんで。キスマイ(Kis-My-Ft2)とかを見てるわけですよ。“あのレベルですら、デビューできないんだ”って」

重かった銀色のクツ

──Jr.になってすぐ、舞台『Endless SHOCK』に出てるよね。
「出た! もう光一くんを、ずっと見てた。しゃべってすらないんですけどね。出番が終わったら帰れるんだけど、“見てっていいですか?”って社長に頼んで、客席で何度も見ました」
──翌年には、J.J.Expressに入った。
「うん」
──Jr.内で、自分がいいポジションにいるかもって思った?
「ないない。全然思ってなかった。ホントに。てか、いつはずされるんだろうってことばっか思ってた。J.J.Expressはメンバーが絶えず変わってたから。“次は俺かも”くらいの気持ちだった。ホントよく怒られてたし。俺、もう特に怒られやすかったから」
──そうだったんだ。
「怒られすぎて、何ができてないのかわかんないくらい、ひたすら怒られてた。でも内心、“うっせーなー”って思ってましたね(笑)。だけど、途中で誰かに言われたんですよね。“怒られてるうちが華だよ”って。そうだよなって」
──ホント、そうだよ。
「でもね、怒られすぎて、“これ、華とかじゃなくね?”って思っちゃって。同じことやってんのに、俺だけ怒られるとかあったから。一度、振りつけ師さんに、“ぶん殴るぞ!”って言われたことがあって。俺、“あ、はい”なんて言っちゃって、もう手が出る直前までいっちゃったことがあって。そしたら社長が突然来て、間に入ってくれて。ホント、マジ計算してんのかっていうくらい、いいタイミングで。“なに? どうしたの?”って。あのとき、もし手が出てたら、俺も取り返しのつかないとこまでいってたと思うんです」
──助けられたんだ。
「俺、ホントいろんな人に助けられてて。そのころから有岡(大貴)くんにも、よく助けられたな。J.J.Expressに入る前から仲よくて。ホント、気持ち的にも助けてもらってた。社長に助けられたことも、ほかにもいくらでもあって。俺の態度が悪くて、もうやめさせられるだろうなって思ったときも、反省文を書いたら、“もうちょっとだけ”って言ってくれたこともあったし」
──Hey! Say! 7が結成されたのは、2007年だよね。
「うん。うれしかった。仲いい人ばっかだったし。みんなで“バランスいいよね”って言ってたな。期間限定って言われてたけど“がんばれば、限定じゃなくなるよね”って」
──そして、Hey! Say! JUMPとしてデビューした。
「俺はデビューできないかもって思ってたんで、メンバーに俺もいて、ホントうれしかったですね」
──デビュー翌年には、ドラマ『ごくせん』に出演。大変だったんじゃない?
「……そうっすねえ。ただのドラマじゃない。重みのある作品でもあったんで。歴代の作品、改めて何度も見直して役作りして。スタッフさんに言われたんです。“ひとりで、第2シリーズのときの赤西(仁)くんと亀梨(和也)くんの役をやってほしい”って。真逆のキャラでしょ? かなり難しくて。俺は演技の経験ほとんどなかったし。でも、選んでいただいたんだから、やれることはやろうって」
──赤西くんが第2シリーズのとき履いてたのと同じ、銀色のクツを履いてたよね。
「あのとき、俺の衣装だけは決まってたんですよね。でも、ほかの出演者は自分たちでコーディネートしてたから、“自分だけちがいます”とは言えなくて」
──バレーボールのスペシャルサポーターとしての活動も忙しい時期だったんじゃない?
「ドラマの収録を中断して移動して、バレーボールの生放送に出て。“10、9、8……”ってカウントされてる最中に会場に入ったりしてたからね。放送が終わったら収録に戻って。その間、仲間(由紀恵)さんをはじめ、みんなを待たせてるわけですよ。俺が戻ってきたら収録再開とか。ワンカットだけなのに、6、7時間待たせちゃったり。それが申し訳なくて」
──肉体的にも精神的にもきつかったんだ。
「ホント、B.A.D.(桐山照史、中間淳太)のふたりに、すごく助けられてました。場を盛り上げてくれたり、俺の体調をケアしてくれたり。それこそ疲れてる俺のために目覚ましまでかけてくれたりして。ホントに助けられてたなって」
──『ごくせん』に出演してたころ、JUMPでは浮いてたって、薮(宏太)くんが言ってたよ。
「JUMPのメンバーといるとき、ふて腐れた態度を取ってたときありましたね。嫌いじゃないし、メンバーがワーってしゃべってるとこに入りたい自分もいたんですけどね……。でも、年も近いし、『ごくせん』のメンバーといるほうが、楽しいなってときがあって」
──そうだったんだ。
「今まで話したことないし、話したいとも思わなかったんですけど……俺、『ごくせん』が終わったら、ジャニーズを辞めようと思ってて」
──え?
「あんな重要な役で出させていただいたことは、ホントに光栄で。でもね、演技すら満足にしたことない俺が、あの作品に携わってることがイヤだったっていうか。俺じゃない人がやればよかったのにって思いが、ずっとあって。自分じゃムリだって。この作品に泥塗っちゃうって。俺は、亀梨くん、赤西くんみたいにはなれてないよって」
──じゃあ、あの銀のクツ、相当なプレッシャーだったんじゃない?
「……重かったですね」
──ドラマが終わったら、辞めようとまで思い詰めてたんだ。
「同時にJUMPの活動もあったから、ドラマの出演者にも、JUMP自体にも迷惑ばっかかけて。ホント、もう自己嫌悪で。この世界には、もういられないって」
──そのこと、メンバーには伝えた?
「言ってないですね。余裕もなくて、もう自分のつらさだけ。家族とプライベートの友だちだけには伝えて」
──なんて言われたの?
「母親は、“好きにしなさい”って。友だちは、“本当にやりたいことが決まってんならいいんじゃん”って」
──やりたいことがあったんだ?
「俺、ホント運がよくていろんなものを与えられて、ここまで来れたから。だから、今度は一から勉強して、自分の力で、自分の進みたい道を見つけたいって。4年間くらいは、勉強に費やしてみようって考えてて」
──運だけじゃない。十分、努力もしてたでしょ?
「それは誰でもしてることだから。でも、メンバーには辞めようと思ってること言えなかったけど、たぶん薮くんとかは、気づいてたんだと、今だからですけど思うんですよね。『ごくせん』のメンバーで遊んでるとこに、突然来て混ざったりして。俺以外、知ってる人誰もいないのに。正直、あのころの俺は“ウゼーな”って思ってて。だけど、そういうことしてくれたから、俺はJUMPの現場にも、ちゃんと行ってたんだと思う。行くの辞めよっかなって思ったこともあったから。ありがたかったよね」
──そうだね。
「(八乙女)光くんは、ドラマの収録が大変で体調が悪かったときとか、さりげなく薬とかビタミン剤をくれたりして。言葉にはしないけど、自分のことは自分で決めな。好きにやりなみたいな感じで見守ってくれてた。光くん、大人だったな」
──じゃあ、ドラマが終わっても、辞めなかったのは、なんで?
「えっと……。収録が終わって、“辞めます”って言おうと思って、社長の部屋の前まで行ったことがあって。ノックしようと手を伸ばしたんですけど……伸ばしたんですけど、ノックできなくて」
──何が引き止めたの?
「メンバーの顔が浮かんで。俺、辞めちゃったらメンバーは……って。俺は、メンバーにも、ファンにも、社長にも、恩がありすぎるから。その恩を、まだ何も返してないなって。このドアをノックしちゃダメだって。今、この世界から抜けたら、後悔するって」
──それで手が止まったんだ。
「うん。あのときノックしてたら、ここにいなかったと思う」
──そうかもしれないね。
「いろんな人に支えられてたことに、遅すぎるけど気づくんですよね。辞めるって伝えたとき、“好きにすれば”って母親は言ったけど、その後に言ったんです。“でも、私も、あなたのファンよ”って。ファンの人たちにも、本当に感謝してて。辞めようと思ってたとき、歓声を浴びても、“ウッセーよ。俺、辞めるんだよ、辞めてくれよ”って思ってたことも正直あって。でも、大人になればなるほど、ありがたみが大きくなるっていうか、大切さに気づくんですよね。あんな時期があったのに残ってくれてる。もうね、感謝しかないです」
──『ごくせん』の撮影中に助けてくれた、B.A.D.のふたりは、ついにデビューが決まったよね。
「もうね、泣きそうだった。カウントダウンのときにデビューを聞いて、うれしすぎて抱きついちゃったもん(笑)。ハグして楽屋行って、いっしょに写真撮って。そのあと、照史と淳太にメールを送って。ふたりへの想いっていうか、今までの感謝の気持ちをバーって書いて」

自分を貫けばいい。でもグループは大切にしなね

──ずっと多くの人、何よりメンバーに助けられてきたんだね。
「今でも支えられてるし、頼ってる。うん」
──少しずつ、メンバーとの絆も強くなっていった感じ?
「うん。『ごくせん』が終わって少ししたくらいで、俺の誕生日に、BEST会をしようって、メンバーが企画してくれたんですよ。その会が、あまりにも楽しくて。“どんなコ、タイプなの?”とか基礎情報を教え合ったりして(笑)。そのごはん会から、BESTのメンバーともよくしゃべるようになって。それからセブンのメンバーとも、仲よくなっていって。もうホント、時間をかけて徐々にだけど。やさぐれてた時期がある俺が言うのもあれだけど、時間はかかってると思う、うちのグループは。ホントに時間がかかった。前から仲はよかったけど、全員が全員を本当にわかり合うようになるまでは」
──もし過去の自分に、何か声をかけられるなら、なんて言う?
「どうだろうね。特には。好きにすればいいんじゃないって言うかな。だって、自分で気づかなきゃムリだもん。そういうときって、誰に何言われても何も思わない。“うるせーなー。なんで、おまえにそんなこと言われなきゃいけないの?”って。自分で気づかないと意味ないし。だからJr.とかにも、俺はあえて何にも言わないかな」
──でも、『JOHNNY’S 2020 WORLD』のとき、(菊池)風磨くんのセリフで、「おまえは、俺と同じ匂いがするって、髙木くんに言われたことがある」ってあったけど、ホントに言ったの?
「言ったね、昔。おぼえてる。あいつも、やさぐれてた時期あったからさ」
──アドバイス的なことは言わないの?
「俺から言うことは何もない。ただ、誰に向けてってことじゃないけど、“自分を貫けばいい。でもグループは大切にしなね”って思うくらいかな。うん。俺、メンバーにすげー感謝してる。俺を変えてくれたのはメンバーだから」
──自分からメンバーとの距離を取ってた人物の発言とは思えないね(笑)。
「ね。なんだろうね(笑)。自分でも思う」
──今では、メンバーからやさしいとか、男気があるって言われてるよね。
「そんなこと言ってる(笑)? たぶん、俺、心配性なだけ。メンバーと遊んだときとか、クルマでみんなを送ってくんだよね。そうじゃないと、“ちゃんと帰れたかな”って不安になっちゃうから。なんかあったらさ。一応、俺がいちばん年上だから」
──メンバーから、相談されたりもするんでしょ? 山田(涼介)くん、ソロデビューのタイミングで相談したって言ってたよ。
「ああ。“こういう話、出てるんだけど、やめようと思う”って言われたから、“やれよ!”って。“俺だったら、悪いけど絶対やるよ。100パーやる”って。そこに、なんか思うようなメンバーなんていないよって、フツーな感じで言っただけだよ。最後は、“挑戦してみる”って言ってくれて」
──ほかのメンバーからも相談されることってあるの?
「うーん、どうだろう。あっても、俺からは言えないかな。あっちが言ってないなら」
──そういうとこが男気なんだろうね。
「だって、ヤラシイでしょ。俺が言ったら、あっちも言わざるをえないし」
──じゃあ、『ごくせん』のとき、悩んでる自分から相談されたら、今ならなんて言う?
「あー、わかんない。あのころの自分の気持ちもわかるから。でも、“がんばれよ”って言うかな」

メンバー全員意識してる。“今、大事なときだ”って

──じゃあ、今後のグループとしての目標は?
「長くやっていけるグループ、かな」
──大事なことだよね。
「やっぱり今、すごくいろんなとこに出させてもらってチャンスをもらえてる。この数年、それこそ今年がチャンスだと思ってて。それはメンバー全員意識してるから。“今、大事なときだ”って。それは急にボーンって行くってことじゃなくても、ちょっとずつでもいいから、確実に何かを身につけようって」
──大切な時期だよね。
「それぞれいいとこってあるから。それを伸ばしたいよね。トークとかでは、薮くん、光くんがいるし、伊野尾(慧)くんも、笑いで助けてくれたりする。意外とぶっ込めるタイプだから(笑)。山田はアイドルとして100点だと思ってるし、有岡くんは、いつもグループの潤滑油的存在でいてくれる」
──個々に、いいとこってあるよね。
「うん。知念(侑李)は、いい意味で頑固だし。言い出したことを、誰に言われても曲げない。“いや、僕はちがうと思います”って。運動神経いいから、ステージとかで華を出したいとき、知念のアクロバットに頼ってたときがあって。知念、“また〜”って言いながらも、グループのためなら絶対やり切ってくれる。(中島)裕翔は、多趣味だし、じつはけっこうねえ、MCで裕翔、頼りになるときあるよ。俺だけじゃなくて、みんなが。ここで裕翔に振ったら、つながるって瞬間がある。(岡本)圭人は歴が短いから、本当に誰よりも大変だったけど、誰よりもがんばって乗り越えてきたし。海外に行ったり、外国のお客さんとかいるときとか、スタッフよりも圭人が仕切ってくれて。そのほうが、俺たちが伝えたいことが、ファンにしっかり伝わる。英語だとガンガン言うんだよね。性格ちがくねってくらい、張り切ってくれる。もっと、英語いかせることがあるといいなって思うんだよね。ハリウッドスターが来たときのインタビューとかさ」

これから、ちょっと本気でやってこっかな、マジで(笑)

──じゃあ、個人的な目標ってある?
「なんだろうなあ。でも今は、とにかくいろんなことに挑戦したい。バラエティーでは、やっぱ体張りたいし、ドラマも、大っ嫌いだったけど、もう絶対にやんないって自分の中で思ってたけど、今は、いろんな役をやってみたいし、いろんな人とやってみたいって思う。舞台もやりたい。だから、何だろう。今、自分の中に、すごい欲がある。やりたいことが、すっげー多い」
──その欲、どこから出てきたの?
「うーん、わかんない(笑)。でもまちがいなくファンの存在が大きい」
──それ、どういった面で?
「『ジャニーズ・ワールド』に出たとき、自分で、“できた”ってときと、“できなかった”ってときの、お客さんの反応のちがいを、舞台だから、すごく肌で感じることができて。今日は微妙かもって思ったら、本当にダメ。反対に、“いいぞ!”ってときは、ウワーッて拍手をしてくれる。いいものはいいって、しっかり見ていてくれる。それって素敵なことで。舞台っておもしろいって、気づかせてくれたのがファンです」
──そうなんだ。
「最近だけど、演技って楽しいって、より思えたのは、タッキー(滝沢秀明)とやらせてもらった『HAMU』のときで。演技だけじゃなくて、現場の雰囲気が楽しくて。タッキーが作り出してる雰囲気、いいもの作ろうって空気が。この人たちのためにも、自分もがんばろうって自然に思えて。いいもの作るために必死になれた。俺、このセリフは、こう言ったほうがいいかな、ああ言ったほうがいいかなって考えてたら、なんか口元が自然と笑ってて。あ、俺、楽しんでんだって。『ごくせん』のときは、そんなふうに笑えなかったから。絶対、まだまだ、ものすごい成長できるなって、成長したいなって」
──ついに本気になったんだ。
「うん。これから、ちょっと本気でやってこっかな。マジで(笑)」
──やっぱチャラいじゃん(笑)。
「ハハハハハ。でも、マジでちゃんとやろうかなって。だから、体しぼってるのもあるんだよね」
──きっと、もっともっと成長できるよ。
「うん。でも、成長っていうか、何より今がホントに楽しいんです」

取材・文/水野光博