Myojo

10000字ロングインタビュー

この世界に入ってからの思い出は、
「つらかったことより、楽しかったことばっか」。
みんなに「少しでも笑ってほしい」という願いは、
絶対に譲らない。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

Hey! Say! JUMP編

第4回

伊野尾 慧

いのお・けい
1990年6月22日生まれ。埼玉県出身。A型。身長173cm。
2001年9月23日、ジャニーズ事務所入所。
2007年11月14日、Hey! Say! JUMPとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2014年3月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2007年、多くの先輩グループを差し置いて、
衝撃的にデビューしたHey! Say! JUMP。
Jr.時代はもちろん、デビューしてからも、
メンバーたちは数々の困難と向き合ってきた。
JUMP編の第4章は、伊野尾慧の胸のうちに迫る!

ジャニーズ入ったら、おいしいもん食えんじゃん

──両親のどっちに似てる?
「それが、どっちにも似てない。親に“似てなくね!?”ってよく言われたし。家族みんなAB型で、俺だけA型なんで、“拾ってきたんだよね”とかも、よく言われてた(笑)」
──ハハハハハ。小さいころ、どんなコだったの?
「幼稚園入る前は、ホント近所の人から“女のコみたいなかわいい顔だね”って言われてたらしくて。水遊びしててスッポンポンになったら、近所のおじいちゃんに、“あれ!? ついてるのか!”って言われたのおぼえてる」
──性格も女のコっぽい感じだった?
「性格は、のんびりしたコだったかな。俺は全然おぼえてないけど、幼稚園の運動会で、みんなすげー全力で走ってるのに、俺だけニコニコしながら手を振って歩いてたって。お母さん、おばあちゃんから“あのコは大丈夫なんかえ”って言われたらしい」
──競争心とかなかったんだ?
「テキトーっていうか、マイペースだったというか」
──メンバーから、“平成の高田純次さん”って呼ばれる片鱗は、すでにあったと。
「自分ではそんなにテキトーだと思ってないんだけどな〜。すげーよくよく物ごと考えるし。うーん、そうでもないか(笑)」
──小学校時代は?
「“明るくてはつらつ、クラスの中心人物で笑いをとったり、みんなを引っ張ったり”とかってタイプじゃ全然なかった。モテもしないし、運動も全然できなかったし。もう、フツーのコだったと思うんですよ」
──運動、苦手だったんだ。
「幼稚園のときは真剣に走ってなくてビリだったけど、小学校じゃあ、本気で走ってビリだった。あ、1回だけ1番になったことがあって。そのときは、いっしょに走ったのが偶然、ぽっちゃりばっかで(笑)」
──好きなコっていた?
「好きなコ? みんな好きだったなー。“あのコもいいじゃん、このコもいいじゃん”って感じだった(笑)」
──そんな感じの小学生が、ジャニーズに入ろうと思ったのは?
「幼稚園のときにテレビ見てたら、若いコたちがおいしそうなものをすげー食べてる番組がやってて。“この人たち、何?”って、お母さんに聞いたら“ジャニーズの人たちだよ”って。“あ、ジャニーズ入ったらおいしいもん食えんだ!”って思ったのがきっかけで。そっから、“お母さん、ジャニーズに入る!”って言い始めたらしい」
──ハハハハハハ。
「お母さんは、そういう世界反対だったんですよね。がんばっても成功するかわからない世界だからって」
──反対を押し切って応募したの?
「ずっと反対してたんだけど、あまりにもずっというもんだから。俺の両親、やりたいことは、何でもやらせてくれる感じだったんで、小5のとき、ついに履歴書送ってくれて」
──そうだったんだ。
「だから最初、俺はジャニーズに対して、テレビに出たら楽しそうってことと、おいしいものが食べられるってことしかなくて」

日常的なささくれを、お母さんが癒やしてくれてた

──薮(宏太)くんが、オーディション会場で伊野尾くんを見て、「すっげーオシャレだった」って言ってたよ。
「えっ! たぶん、それ俺じゃない。かなりデフォルメされてる気がする」
──じゃあ、これも薮くんが言ってたけど、自己アピールでKinKi Kidsの『フラワー』を歌って、すげーヘタだったってのもデフォルメ?
「それは、ホント(笑)。すげーヘタクソだったらしくて、高校生くらいになってもバカにされてたし」
──オーディション受かると思った?
「うーん、全然そんなこと考えてなかったな。なんも考えず受けてた」
──じゃあ、実際に始まったJr.の活動はどうだった?
「最初、KAT-TUNだったり関ジャニ∞だったり、先輩を見ることがむちゃくちゃ多くて。すげーやさしくていいお兄ちゃんたちだなって。仕事が終わったあととか、いっしょに中華料理に連れてってくれたりして」
──そんなことがあったんだ。
「みんな、ステージではカッコよくて、すごいなって。俺、部活とか入ってたわけでもないから、先輩に憧れるっていうのは、それが初めてで。自分もそういうふうになりたいな。後ろで踊ってるばっかじゃなくて、そっちに行きたい。マイクを持ちたいなって」
──初めてマイクを持ったのは?
「中学に入ったばっかのころ。そんときは、すごくうれしかったのおぼえてる。“え!? 俺も持っていいの!”みたいな感じで」
──初めて歌った曲は何だったの?
「なんだったっけな〜。え〜、やっべ記憶がない(笑)」
──Jr.の活動は、順調だったんだね。
「あ、でも小学校5、6年生のときは、ほとんど仕事に呼ばれなくて。夏休みとか冬休みのコンサートで、“大勢必要なときの人”みたいな感じくらいだったから。中学1年になって、ちょっと仕事が増えた感じで」
──同期の薮くんは、入所すぐにYa-Ya-yahになったよね。
「薮、すごいよね。なんか思い出してきた。Ya-Ya-yahができるとき、頭文字YとAをすげー探してた。“俺はIかあ。ちげーじゃん!”って、うらやましかった。でも、そのころ、初めてファンレターをもらって。俺なんか、後ろでヒョロヒョロっているだけなのに、“なんでこんなに手紙くんの?”“なんで名前知ってんの?”って。うれしかったし、励みになりましたね。がんばろうって」
──2004年には、J.J.Expressに選ばれてるよね。
「なんか、うれしかったんだけどさあ。大ちゃん(有岡大貴)と(中島)裕翔とか、ほぼほぼ初対面なのに、いきなり雑誌の撮影で。グループだよみたいに言われても、全然しっくりこなかったっていうか(笑)」
──ふたりの印象は?
「大ちゃんも裕翔も、今とちがってかわいらしい感じで、全然雰囲気ちがったかな。裕翔なんか、かなりちっちゃかったし、すげーヤンチャだった。大ちゃんとよくとっくみ合いで戦ってた」
──J.J.Expressは、メンバーの入れ替えもけっこうあったよね。
「そう。タマ(玉森裕太)が外されたときとか、俺もショックで。いっつも行き帰りいっしょだったから。“もういっしょに帰れないんだ”って。仲よかったコが、急に呼ばれなくなっちゃったりとか、いくらでもあって。“ああ、厳しい世界なんだな”って、子どもながらに感じて。自分が呼ばれなかったりとか、そういうこともあったし。日常っていうのもおかしいかもしれないけど、そういうこと、ありふれたことなんだなって」
──そのころって、デビューは意識してた?
「小中のころっていうのは、“今日は、この仕事。明日は…”って。デビューなんかより、今日、明日のことしか考えられなかった感じ」
──忙しい日々だもんね。
「中学のときとか、すごく楽しかったっていう感覚が強いけど、今思い返すと、そーとー忙しかった気がする。学校行って、仕事行って。また朝起きて、学校行って。土日も『Ya-Ya-yah』のテレビ収録があったりして」
──大変だったね。
「すごく家族に支えてもらって。お父さんは帰りが遅かったり、俺が体調悪かったりすると、いつもクルマで送り迎えしてくれて。どんだけ遅く家に帰っても、お母さんが待ってて、その場でメシを作ってくれたりして」
──お母さんの手料理で、いちばん好きなメニューって何だった?
「なんでもうめーかんな、母ちゃんのメシ。強いて言うならカレーかな。よそで食うカレーより、家で食うカレーのほうがうまいよ、絶対。外でカレー食うのって、ちょっと信じらんない。カレーって、家の味いちばん出るじゃん」
──そうだね。
「でも、腹減りすぎて帰ってきて、機嫌悪くて、お母さんに八つ当たりするとかあったからね。“好きなメニューじゃない!”とか。俺、中学のとき、クソだったときもあったな」
──自分のことでいっぱいいっぱいで、気づけないことってあるよね。
「そうそうそう。仕事とかで、やっぱりいい位置からはずされちゃったりとか、歌うメンバーに選ばれなかったとかすると、八つ当たりとかしちゃって。そういうときでも、“うんうん”って話を聞いてくれて、メシも作ってくれて。今、ホント感謝してます。日常的なささくれを、お母さんが癒やしてくれてたんだなって」

悔しいなら、きちんと想いを伝えたほうがいい

──高校は、あえて堀越に行かなかったらしいね。
「最初、“堀越、行くんでしょ”みたいな感じで社長に言われたんですけど、“行きたくない”って言って。なんか、仕事以外の友だちがほしくて。仕事だけじゃない空間を持ってるってのが、居心地いいっていうか。堀越だと(八乙女)光とか薮とか、みんな行ってたわけじゃん」
──そうだね。
「でも、行った高校、全然なじめなくて(笑)。先生、俺にだけチョー厳しいし、友だちもいなかったし」
──ひとりも?
「そうそう。俺、高校2年になったくらいから友だち、ひっとりもいなくて。マジメだった俺でも、小さな反抗期だったっていうか、荒んでたっていうか。自分から壁作ってたんだけどね。授業中に寝てて、起きたら電気消えて真っ暗で誰もいないとか(笑)。みんな、音楽教室に行ってた。なんかマジで友だちいなくて。集合写真とか見るとね、俺だけちょっと離れて写ってて。なんで俺、あんなにやさぐれてたんだろうなあ。すげーやさぐれてたな」
──高校、やめようと思わなかった?
「何度も思った。転校しようかとかも思ったけど、あと1年くらいだしなとか思って」
──高1の7月にKitty GYMに選ばれてるよね。
「頭文字がIでよかったって初めて思った! 山下(智久)くんといっしょで。選ばれてうれしかった、うれしかった。北山(宏光)くんと、とっつー(戸塚祥太)と光と俺と。みんな器用で、踊りも上手で、なかなかついていけなくて、大変だったなっていうのおぼえてる」
──八乙女くんと将来、グループを組んでデビューする予感は?
「ないないないない。光はちっちゃいころ、ほんとクソガキだったし。今もクソガキだけど、もっとクソガキだったし(笑)」
──たとえば?
「最初のころ、光は仙台に住んでて、仕事のたびにこっちに来てて。すげー大きいリュックでいつも来るから、何入ってんだろうと思ったら、ダンベルが入ってたからね。“こいつ、やべえ”って思って。Kittyのときは、帰り道がいっしょだったから、ふたりでよく帰って。高校生で、制服だったんだけど、俺のネクタイを、あいつグチャグチャにして、Yシャツのボタンを外して、わざとかけまちがえてなおしたりして」
──それ、仲よかったんじゃん?
「ふたりのときは、まだいいけど、あいつが先に電車を降りるからね。残された俺は恥ずかしすぎる。いつかぶん殴ってやろうと思ってた(笑)」
──じゃあ、高2のときにHey! Say! 7ができたのは、どう思った?
「あー、それはすごいショックだった。CDも出してテレビ番組にもよく出るようになって。大ちゃんも髙木(雄也)も裕翔も、わりとそれまでいっしょにやってきたから。CDを出すと、こんなに世界が変わるんだって」
──でも、同じ年にHey! Say! JUMPが結成されたよね。メンバーを見て、どう思った?
「知ってるヤツが本当に多いなーって。薮と光は、ちっちゃいころからいっしょだったし。大ちゃんとか髙木とか裕翔とかも同じグループでやってたし。逆に山ちゃん(山田涼介)とか知念(侑李)とか(岡本)圭人なんかは、全然話したこともなかったから、ビックリしたくらいかな」
──選ばれて、よかったね。
「でも、俺ギリギリまで入るか入らないかくらいのところだったらしくて。社長と話をしてたときかな、ちょろっと言われたんです。“ギリギリで決めた”って。ビックリしたけど……うん。よかったなと思います」
──ちょっと複雑だったんじゃない?
「うーん、どうだろう。セブンが結成されたとき悔しくって、それを、お母さんにすげー話して。そしたら、“それだけ悔しいなら、きちんと想いを伝えたほうがいいよ”って。俺、そういうこと言ったことなかったんですけど、社長に会いに行って、“入れなくて、ちょっと悔しかったです”みたいな話をして。もしかしたらですけど、それがあったからJUMPに入れたのかもしれないって。それに、複雑とかよりも、このメンバーに出会えて、本当によかったって思うんですよね」

本当に仲がいいから言い合える

──特にどんなときに、メンバーに出会えてよかったそう思う?
「いっつも思うよ。コンサートでも、PV撮ってても。でっかいことで言えば、デビュー2年目のツアーの東京ドームで、最後みんなが泣いたときとか。ステージで立ってるところから見えた、いっぱいのペンライトがキレイすぎて。まあ、ひとりくらいだったら泣くヤツいるかなって思うんだけど、あのとき、全員泣いてて。そういうの見ると、ホントに、このメンバーでよかったなって。『SUMMARY』のフライングのときとかも、飛んでクルクル回ってるとき、下にはいっぱいのお客さんが見えて、サークルの内側見たら、メンバーが見えて。このメンバーに出会えてよかったなって。あ、でも些細なことのほうが、このグループでよかったって思うかな」
──些細なこと?
「日々のなにげないこと。コンサートとかで誕生日だったりすると、ステージで祝ってくれたりするでしょ。そういうとき、決まりごとみたいにならないで、みんな心の底からニコニコしてる。そういう表情を見ると幸せだし。『ジャニーズ・ワールド』で、大ちゃんと河合(郁人)くんとコントやったときも、終わったあと、大ちゃんとふたりで、“こうやったら、もっとおもしろくない?”とかってなにげなく話をしてるのもすごく楽しい。BESTのコンサートの打ち合わせとかで、“こんなことしよう”“こんな衣装にしよう”って話してるのも、“あれできない?”“それ、ボツになったっしょ”って笑い合うような、些細な瞬間にも、ホント、このグループでよかったなって思う」
──いいグループだね。
「Hey! Say! JUMPという仕事としてのつき合いというより、ある意味、友人っていうか、仲間としてつき合ってるっていうか。俺が大学1年のときからかな、光と大ちゃんと伊豆に旅行に行って。次の年は薮も加わってスノボ行ったり。毎年旅行に行ってる。メンバーの誕生会もやったりする。なれ合いすぎるのってどうよって、思う人もいるかもしれないけど、本当に仲がいいからこそ言い合えることってあるから」
──そうだね。
「まだおぼえてることがあって。4年前かな。JUMPでハワイに行って。みんな自転車で移動してたんだけど、途中でショップに寄ったとき、俺の自転車が盗まれて。まあ、駐輪禁止区域に止めてたから撤去されただけだったんだけど(笑)。店から出てきたら、自転車がなくて、“へ!?”ってビックリしすぎて笑っちゃって。それが、ヘラヘラしてるってマネージャーさんに見えたらしくて、すげー怒られて。そんとき、みんなでいっしょに俺の自転車探してくれたからね。“いいヤツらだなー、こいつら”って思って。俺はテンパッちゃってるのに、薮が英語で人に聞いてくれたり、取りに行ったとき、山ちゃんが、“チップ渡したほうがいいんじゃん”って教えてくれたり。ホント人としていいヤツらで」
──いいエピソードだね。
「でも、その直後、今度は俺、自転車の鍵をなくして(笑)。マネージャーさんに言い出せなくて、チャリを飛ばして鍵を買いに行ったんだけど、そのときも、マネージャーさんに気づかれないように、みんなで時間稼ぎして待っててくれて。あ、でも裕翔のほうがひどかったんだ。あいつ、ペダルなくしたからね。どうやって乗って帰ってきたんだよっていうね(笑)」
──じゃあ、メンバーで、JUMPをいちばん愛してるのは、誰だと思う?
「誰だろうね〜。いちばんでしょ? みんな愛してるんじゃないの?」
──つまり、伊野尾くんもいちばん?
「そうそうそうそうそうそう。考え方は、少しずつちがうかもしれない。でも、みんな愛してると思うよ。愛し方、表現方法がちがうだけであって」

ベースはいちおう、アイドルなんじゃない?

──デビュー後、大学へ進学したよね。
「うん。俺、高校すげーなじめなかったって言ったでしょ。高校行く意味ねえ、卒業したって意味ねえって思ってて。そしたら、お母さんに、“ホントにそう?”って言われて。高校って、卒業したら大学を受ける資格があるわけじゃん。それだったら、高校を卒業する意味があったって思えるように大学行ってみよっかなって。2年生の終わりくらいに決めたのかな」
──大学に行くことで、学業と仕事、中途半端になる気はしなかった?
「そうそうそう。どっちつかずじゃんって状態だからね。大学に行くっていうことを選んだのは、すごいマイナスなのかなって思うこともあったし。でも、いろんな人に出会えるし、大学生っていう立場から仕事を見ることもできるっていうプラスもあるなって」
──つまり、ベースとしては?
「ベースは、いちおうアイドルなんじゃない。こんなんでも(笑)」
──でも、進路とか、人生の大きな選択って、もし道をまちがえたらって思うと怖くない?
「どうだろう。そういう選択で悩んだり、もしかしたら道をまちがえたりっていうことって絶対あると思うけど、それでも、それでいいじゃん? そんなことより、選択肢がたくさんある生き方のほうがいいじゃんって、俺は思う。そういう生き方をしたいから」
──なるほど。
「中途半端で、どっちつかずなことになることも、あるかもしれないけど。俺は、分かれ道、選択肢が多いこと自体がいいことだと思ってて。選択肢が多いことが人生を豊かにすることだと思ってるから。その選択肢で道をまちがっても、それ以前に、分かれ道があるってことに価値があるんじゃないかと。まあ、選択肢がありすぎると、さすがに迷うけどさ(笑)。絶対的な正解なんてないと思うから」
──じゃあ、去年大学を卒業して、ついに仕事1本になって何か変わった?
「よく寝れるようになったかな(笑)」
──ハハハハ。あせりってない?
「あせりですか?」
──これから、もっと結果を残さなければいけないぞ、みたいな。
「どうだろうな。う〜ん、あせりとか全然ねえなあ。ヤバイかな、これ!?」
──じゃあ今、悩みってある?
「うーーん、ないなー。くっそーーーーーー!!! 俺って、なんて薄っぺらい人間なんだ! 何もない! 悩んでないわけでもないと思うんだけどなー。それを悩みと思わないのかなあ? 悩み……ないですね(笑)」
──それは、自信があるってこと?
「うーん、この状況を、自分を、今を、心から楽しんでるって感じかな」
──やめようと思ったこともない?
「そんな、めっちゃやめたいって思ったことねえな〜」
──小5でジャニーズ入って、悔しくて泣いたこともあったんじゃない?
「それは、みんな絶対あるでしょ。振りつけおぼえられなくて怒られたり、“おまえ踊れてねーじゃん”って、ほかのJr.のコに言われたりとか、位置をはずされちゃったりとか、グループに選ばれなかったりとか。そりゃあ、誰だってあるよ」
──でも、言いたくない?
「言いたくない。だって俺、振り返れば、つらかったことより、楽しかったことばっか出てくるから。うれしかったことばっか。いちばんうれしかったこと、なんだろうな……。あれ、なんだろう!? でも、雑誌に初めて出たり、MYOJOの表紙に初めてなったときとか、初めてマイク持ったこととか、うれしかったこといくらでもある」
──だからインタビュー中、つらい話は、ぼかすし、笑い話ばっかするんだ。
「泣いて悔しかった話っていうのはできるよ。あるからもちろん。でも、なんだろう、それを読んだ人が、感動してくれたり、“私もがんばろう!”って思ってくれるかもしれない。たぶん、そういうことも僕たちの仕事のひとつかもしれない。でも、完全に俺の個人的な持論でしかないんだけど、そういう部分は誰かに任せて、自分は自分のままでいたいっていうか。そういう言い方は変かもしれないけど、仕事だからって、自分を取り繕ったり、アイドルアイドルしなきゃっていうのも全然なんにもないし。ホント、自分は自分のままで生きてる(笑)。それじゃ受け入れられないかもしれないけど、自分を変えたいとは思わないし。それで好きになってもらえたらいいなって。だから俺は、感動とか、そんなことよりも、僕や僕らを見て、ファンやお客さんに、笑っててほしいっていうか」
──ポリシーなんだ。ただ、JUMPって、すごく早くデビューして、あまりJUMPの歴史を知らない人には、苦労知らずのエリートに見られたりもするでしょ? じつは苦労してる、本当の姿を伝えたいとも思わない?
「全然思わない。そういう見方をする人もいれば、きっとどこかには苦労したねって思う人もいるだろうし。みんなが思うことが同じじゃおもしろくないしさ」
──そっか。
「そもそも苦労をしたりとか、つらいだの、大変だのっていうのは、この世界だけのことじゃないし。これを読んでる、みんなもしてる。みんな大変な思いをしてるし、挫折とかも味わってると思う。俺がそういうことを話せば、もちろん知らなかったとこが知れてっていうのもあると思うけど。やっぱり俺は、楽しかった話とか、おもしろかったことの話とかだけしたい。そのほうが、自分も楽しいし、読んでる人も楽しいんじゃないのかなっていう」
──じゃあ、ひとつだけ、本音で答えてよ。今まで、楽しいこと、つらいこと。どっちが多かった?
「同じくらいだと思います」
──ありがとう。
「なんか、確信みたいなのがあるんですよね。俺、大学の研究室を選ぶとき、震災復興に関係してるとこを選んで。事務所に所属してるから、個人的に被災地に行くことって、なかなか難しい。でも、学校ならオッケーだと思って。“大学で、行かなきゃいけないんですよ!”って言えばさ。現地で、いろんな人に会って話したし、仲よくなったりして。Hey! Say! JUMPの伊野尾慧って気づかれることももちろんあって。“歌っている姿を見て元気になりました”とか言ってもらえたりして。この仕事って、そういう力が本当にすごいんだなって。ひとりでも多くの人に笑ってほしいじゃん? だから俺は、この仕事のこと好きで。まっ、テキトーに見えるんだけどさ(笑)」

初めてのことをどんどんやるべき

──じゃあ、最後に今後のことについて聞かせて。
「うーん、先輩たちが、いろんな領域に踏み込んでくれたわけじゃん? 演技もそうだし、キャスターもそうだし。その領域を広げたところに、後輩たちがどんどん入っていって、どんどんジャニーズってものの可能性が大きくなってきたんだなって思ってて。で、じゃあ自分は、JUMPはどうしようって考えたとき、やっぱり、何か新しい領域っていうか、今まで誰も踏み入れてないところを、少しでも広げてみたいなっていうふうには感じてますね」
──そうなんだ。
「でもさあ、そうそうそうそう、大きくなるにつれて、年をとるのが早く感じないですか? 小学校や幼稚園のときの1年って、すげー長く感じたじゃん? でも、大きくなると、1年がすげー過ぎるの早いじゃん」
──たしかに。どうしたの突然?
「うん。結局ね、それって小学1年生のときに見えることって、毎日、全部がすげー新しいことだったり、初めてのことが多かったりとかしたから、すごく長く感じたんだと思うんだよね。で、大きくなると、だいたいいろんなことが経験済みになって、日々やっぱりルーティーンワークみたいになっちゃうから、1年が短く感じると思ってて」
──そうかもしれないね。
「そうなったとき、いかにして人生を、これでもかって長くしようと考えたら、やっぱり、新しいこと、初めてのことをどんどんやるべきだと思うんだよね。だから、やったことないことやろうって。それは、特別なことじゃなくてよくて、人との出会いとかでもいい。今まで接点がなかった人と話したり、友だちになったりって、すごい刺激なわけじゃん? そういうちょっとしたことでいいから、新しいことをいろいろやったり、できたらいいなって思ってます。選択肢を増やせば、絶対、何か役立つはずで。俺は大学の建築学科に行って、ジャニーズでほかにはいない。それは、絶対にどこかで役立つと思ってて」
──なるほど。
「あのー、急に不安になったんですけど、こんなんで1万字書けそうですか? なんか、テキトーな薄っぺらい人生ですね(笑)。インタビュー、最初からやり直します?」
──ハハハ、けっこうです(笑)。
「よかった(笑)。だから、未来のことは、まだわかんない、でも、“初めて”をどんどん増やしていこう、俺もJUMPもって。可能性は、すげーいっぱいあるから。だって、同じ人って絶対いないじゃん。きっと、俺にしか、JUMPにしかできないことがあると思う。誰にでも、その人にしかできないことがあるはずだから。俺、おいしいもの食べたくて、この世界入ったんだから、食レポとかさ。テキトーすぎて、あんま具体的なこと言えなくて、すみません(笑)」

取材・文/水野光博