Myojo

10000字ロングインタビュー

幼いころから、夢は「ジャニーズに入ること」だった。
たったひとつの道を歩き続けてきた人生。
その先に、「誰も見たことのない景色」があると信じている。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

Hey! Say! JUMP編

第3回

知念侑李

ちねん・ゆうり
1993年11月30日生まれ。静岡県出身。AB型。身長158cm。
2003年6月2日、ジャニーズ事務所入所。
2007年11月14日、Hey! Say! JUMPとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2014年2月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

2007年に彗星のごとくデビューしたHey! Say! JUMP。
順風満帆に見えた彼らには、Jr.時代が短いがゆえの苦悩も多い。
JUMP編・第3章は、大抜擢組のひとり、知念侑李が登場!

将来の夢は、“ジャニーズに入ること”

──小さいころ、どんなコだった?
「えーとっ、人見知りとか、そういうのは全然しないコでした」
──そうだったんだ。
「ちっちゃいころ、両親が体操教室をやってたんです。2コ上のお姉ちゃんは、そこで体操を習ってて。僕は小さくて、ひとりで留守番できないんで、いつもその体育館で終わるのを待ってて。その間、ずっと保護者の方たちとしゃべってたんで、あまり人見知りとかしなかったのかな?」
──自分も体操をやろうとは思わなかった?
「なぜか思わなかったですね。それに、僕は3才でダンスを始めて、どんどん踊ることに魅せられていったんで」
──ダンスを始めたきっかけって?
「そこまでくわしくおぼえてないんですけど、お母さんに連れてかれたんだと思います。最初はリズムが取れなくて、みんなと逆の動きしちゃったりして、“難しいな”って思った記憶がありますね」
──だけど、続けたんだ。
「できなかったことが、ひとつずつできるようになっていくのが楽しいなって思ったんでしょうね。始めて2年目に、自分から“もうひとクラス受けたい”って、親にお願いして」
──じゃあ、ジャニーズに興味を持ったのは、何才くらい?
「いくつかな!? 最初は、お姉ちゃんとお母さんが、櫻井(翔)くんが好きで。影響されたんでしょうね。僕も幼稚園の年中くらいのときには、もう興味があって、将来の夢は“ジャニーズに入ること”だったんで。ちょうど、嵐がデビューして、カッコいいって思って、いつも嵐の曲を歌ってました」
──知念くんの大野(智)くん好きは有名だよね。
「小学1年か2年のとき、嵐のライブに行ってるんです。それまでテレビで見ていた大野くんのイメージって、失礼なんですけど、ちょっとのほほんとしてるなって印象で。でも、ステージで踊ってるところを見たら、全然雰囲気がちがって、キレのあるダンスが、すっごいカッコよくて。“僕も、あんなステージに立って、見てる人を驚かせたいな”って思いましたね」
──じゃあ、自分の意思でジャニーズのオーディションを受けたんだ。
「はい。小学3年生の終わりくらいに、履歴書を送ったのかな。お母さんもノリ気で。“うん、送ろっか!”って」
──一次審査通過の通知が来たときは、どんな気分?
「4年生になって少したったころ、オーディションの何日か前に速達が届いて。いや、もううれしかったですよ。“きたっ!”って思いましたもん」
──オーディションはどうだった?
「静岡に住んでたんで、お母さんと新幹線で東京に行って。さすがに緊張しましたね。今から自分の踊りとかを評価されるんだなって。あんまり受かるとか落ちるって考えてなかったけど、3才からダンスをやってるんで、ほかのオーディション生には負けたくないって思いながら受けました」
──Jr.のオーディションのあと、そのまま映画『忍者ハットリくん』のオーディションも受けたんだよね?
「突然、ジャニーさんに“受けてみない? お母さんに、受けていいか聞いてみて”って言われて。僕はダンスがしたいからジャニーズに入りたかったんで、映画なんて絶対ムリだと思って、お母さんに、“もう帰ろうよ。眠たいんだよ。ねっ、帰ろう”ってダダをこねて。でも、“受けたらゲームを買ってあげるから”って言われ、“じゃあ受ける”って(笑)」
──ハハハハハ。
「映画のオーディションにも受かって、なんかもう一石二鳥な感じで(笑)。不思議ですね。映画のオーディションを受けてなかったら、僕は今ここにいない可能性もありますからね」
──映画の撮影はどうだった?
「撮影中、1カ月半くらい東京でホテル生活をしたのかな。メイキングのインタビューで、“楽しくて、全然さびしくないです”とか言ったんです。強がりでしたね。ホントはさびしくて。体調崩しちゃったこともあって、すぐお母さんが駆けつけてくれて。ホッとしたし、本当に支えられました」

となりに座ってた薮くんが、ヒザをポンって叩いてくれて

──その後、Jr.の活動がどんどん増えていった感じ?
「まだ静岡に住んでたんで、たまに取材に呼んでいただいたりとかくらいでしたね。だから、先輩のバックにつくようなJr.っぽいことって、最初はほとんどしてないんですよ」
──そうだったんだ。
「たまに取材で呼ばれると、友だちもまだいないし緊張もしてるんで、カメラマンさんに名前を呼ばれるまで、ずーっとだまってイスに座ってて。呼ばれた瞬間、ガバッて立って、撮影が終わったら、また座るみたいな。みんなは慣れてるから、楽しそうにしゃべってたり、ゲームしたりとかして待ってるのに」
──誰かに話しかけてほしかった?
「逆に緊張するから、話しかけないでって感じで(笑)。おぼえてるんですけど、薮(宏太)くんと、たまたま取材がいっしょになったことがあって。会話はないんですけど、となりに座ってた薮くんが、僕のヒザをポンって叩いてくれて。僕も薮くんのヒザをポンって叩いたりして。そういうことをしてもらって、少しずつなじんでいった感じですね」
──Jr.になって、憧れだった大野くんにも会えた?
「取材で呼ばれて東京に行ったとき、ちょうど同じスタジオで松本(潤)くんが撮影をしてたんですよ。あいさつに行って“嵐、好きなんです”って言ったら、“何の曲が好き?”って聞いてくれて。『とまどいながら』ですって答えたら、“渋いねー”って。名古屋のコンサートを見に行くことも伝えたら、“じゃあ、楽屋に遊びに来なよ”って誘ってくれたんです」
──その楽屋で、初めて大野くんに会えたんだ。
「はい。みんなメイクしたりしてて。“あ、本物の大野くんだ!”って思ったときに櫻井くんが来て、僕のほっぺたを引っ張ったり、かわいがってくれて。それが、あまりにもうれしすぎたのか、大野くんとは、何を話したかおぼえてないです(笑)」
──ハハハハハ。
「そのあと、Jr.の楽屋にも入らせてもらって。突然、“誰かわかる?”って聞かれたんですけど、わかんなかったんです。耳元で、お母さんが“北山(宏光)くん”って教えてくれて。今、思えば、あれが北山くんだったんだなあ。あと藤ヶ谷(太輔)くんもいて」
──そのころ、デビューについてはどう思ってた?
「そのライブで、ステージに出る通路から見えた客席の景色が、印象に残って。“僕も、いつかデビューして、この通路の向こう側に”って思いましたね。でも、“今は好きなダンスをいろんな先輩のバックで踊って、いつか嵐のバックをやりたい”ってのが、やっぱいちばん強かったです。そのときは」

あのコ、なんかいいな。いっしょに踊れたらな

──静岡にいて、あまりJr.の活動に呼ばれないことは、どう思ってたの?
「Jr.のこと、テレビでよく見てたんです。(中島)裕翔くんとか、(山田)涼介が、どんどんどんどん注目されるようなポジションで踊るようになっていってて。“踊ってんなー。いいなー”って思いながら見てましたね。やっぱ、特に涼介を最初にテレビで見たときは、“あのコ、なんかいいな。いっしょに踊れたらな”って思ったな」
──東京に引っ越したのは、中1だよね?
「父の仕事が東京になって、家族全員でこっちに来て。僕は、“東京に行きたいな。行けば、もっとJr.の活動ができるのに”って思ってたから、いちばんいいタイミングだったのかなって思いますね。ホント、タイミングのいい人生なんです(笑)」
──実際、Jr.の活動は増えた?
「はい。もう来てすぐ、Jr.の武道館のコンサートがあったんですよ。そのリハーサルに呼ばれて。で、続きは明日ってなったんですけど、次の日、僕はなぜかメイン的な位置にいたJr.のリハのほうに呼ばれたんです。涼介とか裕翔くんとか伊野尾(慧)ちゃんとか(有岡)大貴がいて。“え!?”って。みんな、テレビで見てた人たちだったから、うれしかったですね。いやー、あんときは、すごくうれしかったです」
──山田くんといっしょに踊りたいって願いが、いきなりかなったんだ。
「はい。涼介、そのころは山ちゃんって呼ばれてたんです。僕は仲よくなりたかったんで、ふざけて“カバちゃん”って呼んで。そうすると、“怒るよ”って言われて。でも、またすぐ“カバちゃん”って呼んだりして、じゃれてました(笑)」
──でも、うれしいことだけじゃなくて、大変なこともあったんじゃない?
「うーん、どうだろう。みんながいつもやってる振りを、僕はゼロからおぼえなければいけないってのは、たしかにありましたね」
──3才からダンスを習ってても、やっぱり難しかった?
「僕、週5くらいでダンスに通ってたんで、全然いけるだろって思ってたんです。でも、おぼえなきゃいけない量とスピードが全然ちがって。Jr.は、3〜4時間で1曲、2曲おぼえなきゃいけない。最初は、そんなスピードじゃ全然おぼえられなくて。ずっとダンスやってきたのに、踊れてないなって。悔しかったですね」
──その状況、どう克服したの?
「リハのちょっとフリーな時間に涼介や裕翔くんとかに教えてもらって。人によって振りがちがうんで、この曲は誰に聞いて、あの曲は誰に聞いて、みたいな感じで」
──大変だったね。
「でも、大変だとは思わなかったかな。ダンス好きだったし、“これでステージに立てるんだ!”っていう、うれしさのほうが強かったです。あのキラキラした舞台に立てるんだって」
──初めてステージに立った武道館でのコンサート、どうだった?
「リハ室で、涼介とかの前で、ノリでバレエ的な感じのターンをやってたんですよ。それを振りつけ師さんが偶然見てて、“それいいじゃん。オープニングで、ちょっとやってよ”ってなって。急遽、ソロのパートをもらったんです。もう、“うそー”って感じで」
──いきなりの大抜擢だ。
「オープニングで、僕ひとりで出てって、クルクル回って。Jr.も、お客さんも、“こいつ誰だ?”って思ってるんだろうなって感じましたね。それでも、憧れのステージに立ててることが、なんか夢みたいで、気持ちよかったです」

集まったメンバーを見て、ピーンときた

──2007年にはHey! Say! 7に選ばれてるよね。
「KAT-TUNのバックについてたときに、5人が呼ばれて。ジャニーさんが、ホワイトボードに筆記体で、Hey! Say! 7って書いたんです。“ユーたちは、今日からこれだよ”みたいな。グループを組んだの初めてだったんで、すっごくうれしくて」
──その半年後にはHey! Say! JUMPとしてデビューが決まった。
「はい。最初、いつもの取材だって言われてたんですけど、集合場所に行ったらHey! Say!7のメンバーがいるんだけど、薮くんとか(八乙女)光くんとか伊野尾ちゃんとかもいるから、おかしいなあと思って。でも、“あっ!”って。バレーボールの大会の直前だったんで、“誰がデビューするんだ?”みたいな雰囲気がJr.内にあったんです。あのころって、Ya-Ya-yah、A.B.C.、キスマイ(Kis-My-Ft2)、J.J.Expressがいて、Hey! Say! 7は、その弟分くらいの感じで。デビューするのは、4グループのどれかだろうな。自分たちじゃないなって思ってたんです。だって僕、東京に来てJr.として踊ったりするようになって、1年もたってなかったから。でも、集まったメンバーを見て、ピーンときて。“きたかも、これ!”って。もしかしたら、デビューなんじゃないかなって」
──予感が的中したんだ。
「事前にジャニーさんから説明を聞いてたメンバーも何人かいたらしくて。僕は逆に何も知らなかった人のパターンで。状況を何も知らされず、ただドキドキしてたみたいな(笑)」
──思いがけない早いデビュー。戸惑ったこともあったんじゃない?
「戸惑う間もないっていうか。東京ドームでデビューコンサートをして。“なんでこんな大きいところでやったんだろう”みたいな感覚もあったし。コンサートの内容、緊張しすぎたからか、ほとんど思い出せないです。もう、つけられた振りを踊る。かかった曲を歌うことで精いっぱいで」
──抱いた夢が、駆け足でかなっていったんだ。
「はい。だから、ちょっと心残りなのが、嵐のバックができなかったことで。すごくぜいたくなんですけどね」
──たしかに、そうかもしれない。
「あきらめられなくて、デビュー後、大野くんに“バックやりたいです!”って言ったんです。そしたら、“ダメだよ知念くんはデビューしてるし”って言われて。でもいつか、いっしょに何かやりたいなって思ってます」

意味がある高校生活にできるかは自分次第

──デビューに関して、ほかに思ったことってある?
「うーん、やっぱどっかで、なんだろうな。うーん、勝手に思ってただけなんでしょうけど、Jr.が僕らを見る視線が怖く感じたりとかは、やっぱありましたね。メンバーみんなそうだったんじゃないかな。A.B.C.やキスマイ、今まで先輩として、すごいなと思ってた人たちを飛び越えてデビューしてしまった。僕たちの後ろで踊ってもらうこともあったりして、なんかすごく申し訳ないなって思ってました」
──仲のよかった先輩はいた?
「塚ちゃん(塚田僚一)。塚ちゃんは、アクロバットとかだけじゃなくて、すごく面倒を見てもらってました。僕たち、よくいっしょに帰って、ごはんおごってもらったり。僕らがデビューしたあとも、いつも通りに接してくれて、うれしかったですね。心の中では思うこともあったはずなのに」
──デビューしたのが中2。その後、山田くん、中島くんと、堀越高校に進学したよね。
「どっちかといえば、あんまり高校は行きたくなかったんですけどね(笑)。もうデビューもした。だったら、この道1本でやったほうが集中できるって思ってたんで。最後まで悩んで、ギリギリのタイミングで願書を出して」
──高校に行くことを決めたのは、なんで?
「ひとつは、事務所の人に“ファンのことも考えなさい”って言われたことかな。考えたんですよね。同じ年代や、少し下の年代のファンの人たちのこと。僕は、この道を一生進むって決めた。だから、高校に通うことなんて意味ないんじゃないかと思った。でも、意味がないってのは決めつけで、経験から判断したわけじゃない。もし“知念くんも行ってない”ってことで高校に行かないことを決める人がいたら、申し訳ないなって。意味があるような高校生活にできるか、できないかは自分次第だし、だったらちゃんと通って楽しんで、仕事もきっちりがんばろうって」
──なるほど。じゃあ実際、高校生活はどうだった?
「すっごい楽しかったです。行ってよかったなって(笑)。涼介は途中からクラスがちがったりしたんですけど、裕翔くんとは、ずっといっしょで」
──たとえば、どんな思い出がある?
「ずっと、裕翔くんといたんですよね。自分で言うのも、なんなんですけど、ふたりとも、すごくマジメで。体育でバレーをやったときとか、“きたきた、バレーボールといえば、俺らだろ”みたいに張り切って(笑)。ちょっとズルしてるクラスメイトとかには、“それ反則だよ。ちゃんとルールを守ろう” みたいなこと言ったりしてました」
──ハハハハハ。
「裕翔くんなんか、1年生のとき、3泊くらいする学校行事があって、学年で男女ひとりずつ選ばれる長に、先生から指名されてましたからね。激務なんで、現地で一瞬、体調崩してました。でも、ホントに高校に行ってよかったなって。今でも、裕翔くんとしゃべってると、高校時代のノリを思い出して、懐かしくなったりするんですよね」
──NYC boysを経て、高2のころからは、NYCでも活動したよね。
「ふたつのグループをやるなんて、普通はできないことだと思うんでうれしかったですね。NYCは3人だから、歌番組とかに出たりすると、確実にしゃべる回数が多くなるんで、緊張するんですけどね(笑)。涼介がいてくれてよかったって思うし、JUMPのほかのメンバーの大切さを改めて気づかされたりします。でも、JUMPで活動することがほとんどなんで、(中山)優馬には、申し訳ないなと思うのと同時に、あいつは強いなって思いますね」

笑ったり、涙を流したり、ひとつずつ手に入れていった

──もちろん努力はしてる。だけど、話を聞いてると、なんかシンデレラストーリーだね。
「つらかったこととか、僕は、ほかのみんなに比べたら、たいしたことないんですよね。運8割でここまで来たというか。でも、僕は、みんなそれぞれ同じ回数だけ不安や苦悩や逆境って訪れると思ってて。JUMPにしても、ほかのグループに比べて恵まれたというか、タイミングや運がよかった面がある。だから、これから乗り越えなきゃいけないことが、いっぱい現れるんだろうなって思うし、いつも挑戦者なんだって忘れないでいようと思いますね。僕たちだったら、必ず乗り越えられるって信じてるんで」
──なるほど。
「僕らがデビューしたときって、そんなにステージ慣れしてるわけじゃなかったんですよね。経験豊富なグループとちがって、僕たちは、いつもギリギリ、綱渡りのような感じで、いろんなことをこなしてきたから。ファンの方といっしょに、少しずつ乗り越えてきた。振り返れば、よく泣きましたもん」
──泣いた?
「デビュー2年目のツアーの最後が東京ドームで。デビューのときとちがって、今度は単独で満員だった。満席のペンライトが揺れる客席を見たら、キレイすぎて涙が出ちゃって。同じ景色を見てメンバー全員が泣いたんです。言葉にはしなかったけど、胸の中にしまってた想い、同じだったんだなって。グループの結束が、そこでまたひとつ強くなって。やっぱファンの力ってすごいなって思いました。すごいパワーくれるなって。僕たちは、笑顔になってもらったり、元気になってもらったり、少しでもパワーをあげたいと思ってステージに立つんです。でも、気づけば、僕たちがもらってるパワーのほうが大きいなって」
──そうだね。
「2回目の『SUMMARY』のときも、みんな泣きましたからね。空中ブランコに初めて挑戦したり、涼介は綱渡りをやったりして。今まででいちばんハードなんじゃないかって内容だったんですよね。でも、リハーサルでは、あんまりうまくいかなくて。ちゃんと全部成功したことがないくらいで。こんな状態でお客さんに見せるのは失礼だって、みんな必死で。なんとか無事に初日の1回目の公演の最後の曲を迎えたとき、みんなこらえられなくて泣きましたからね。フツー、泣いても最終日でしょ? でも、僕らは“これ、初日を迎えられるのかな?”って不安に押しつぶされそうだったから」
──あの日、そんな心境だったんだ。
「たしかに僕らはデビューが早くて幸せで。だけど、経験も、パフォーマンスも、何も持っていないところから始まったから。ファンの人たちと笑ったり、涙を流したり、ひとつずついろんなものを手に入れてきたんです」
──有岡くんは、『SUMMARY』のリハでうまくいかず悩んでいたとき、知念くんからもらったメールに励まされたって言ってたよ。
「全然おぼえてないです(笑)。でも、知らないうちに大貴のためになってたのかなって思うと、うれしいですね」
──逆に、メンバーに励まされたなってことある?
「いくらでも。『SUMMARY』の空中ブランコに挑戦するときも、練習時間をそれほど割けなかったんですね。1回の練習が、すごく大切で。いちばんの大技をやる前に、ふと下を見たら、メンバー全員、集中力が切れないように、無言だけど僕を見ていてくれて。“みんなが見ててくれてる。ああ、だから、僕はがんばれるんだ”って。で、ちゃんと成功して降りていったら、遠くからメンバーが走って来てくれて。みんな、“イエー!”ってハイタッチしてくれて。ホント、僕は、みんなにいつも励まされてきましたね」
──多くの逆境を乗り越えられたのは、メンバーがいたこと以外に、何か理由があるとしたら、何だと思う?
「最終的に突き詰めたら、この仕事が好きだってことだと思います。うん。でも、やっぱり、メンバーがいてくれることがいちばん大きいです。なんか不安なことがあっても、みんな同じ気持ちでやってる。あと、どんな失敗しても、ファンの方が見守っていてくれる。だから、どんなこともチャレンジできるし、どんな不安な状況でも楽しくやってこれたんだなって思います。ファンの人に甘えちゃいけないんですけどね。でも、ちょっと甘えちゃってるかも(笑)」

こっからが本当のJUMPです

──JUMPは、ずっと華やかな道を歩んできたように見えたけど、実は堅実に一歩ずつ成長してきたんだね。
「今だって一歩ずつ進んでますね。最近やっと、ジャニーさんに、ずっと言われてたことの意味が、わかり始めたというか」
──なんて言われてきたの?
「“YOUたち、やりたいことをやればいいんだよ”って。昔からいつも言われてたんです。自分たちのやりたいことやっちゃいなよって。今までだって、やりたいことをやってきたけど、どこかで、“どこまで自分たちの意思を主張していいんだろう”って、迷いみたいなものがあったんで。今は、ジャニーさんの言葉を、心から信じられるというか。JUMPがもっとJUMPらしくなったというか。コンサートとかも、人任せにしないで自分たちで、やることを、やりたいことを決めていこうって。自分たちは、こうしたいっていうことを、ちゃんと言っていこうって、どんどん変わってきたかな」
──なるほど。
「JUMPは今まで、事務所の人に言われれば全部、“はい、わかりました”って言うタイプだったんです。最近は、これをやりたいですって、ちゃんとコミュニケーションを取ってる。そういう意味でも、JUMPらしさっていうのは、これからもっと出てくるかなって思ってて」
──自分たちの、やりたいことをやる。シンプルだけど、大切だよね。
「もちろんバランスって難しくて。以前、コンサートの演出で、事務所的にやってほしいってことがあって。でも僕たち的には、それってどうなんだろうってことがあったんです。態度でわかったんでしょうね。振りつけ師さんに言われたんです。“そういうこともあるんだよ。お前たちのためになる。今は、言われたことはなんでもがんばれ”って。やりたいこと、やるべきこと、その判断ができるようになったのは、ほんとにここ1〜2年ですかね。ついに、やりたいことをできるタイミングが来たっていうか。だから今、デビューして6年くらいたちますけど、本当のJUMPは、まだ始まったばっかりで。メンバー同士も、言いたいことを積極的に言い合うようになってきたし。こっからですね。こっからが本当のJUMPです」

メンバーとファンで、誰も見たことのない景色を見たい

──じゃあ、今まではメンバー同士で大ゲンカみたいなことってなかった?
「ないっすね。ホント、ケンカとかできないっすよ。楽屋で、光くんを間にはさんで僕と大貴が話してて、光くんに、“耳元でうるさいんだよ。おまえらはスピーカーか!”って怒られて、あとで、ふたりで“話してただけじゃんねえ”とかグチを言い合ったくらいで(笑)。仕事のことに関しても、それはちがうんじゃないとか、気持ち的な部分は伝えてたんですけどね。ある程度、言い合いになりそうになると、セーブするタイプのメンバーが多いんで。言い合いが、大きくなる前にやめる。僕も、そんな感じで」
──ちなみに、反抗期ってあった?
「うーん、なかったですね。あっ、小学校の低学年のときかな。クラスメイトと昼休みにグラウンドで遊んでたら、全然わざとじゃないんですけど、友だちを転ばせてケガさせちゃったことがあって。ケガはたいしたことなくすんだんですけど、一応、先生から親に報告があったらしくて。家に帰ったらお母さんが泣いてたんです。“なんでそういうことするの”って。初めてお母さんを泣かせてしまって。そのときはすごいもう、ごめんなさいって思ったし、故意じゃなくても、誰かを傷つけたり、悲しませてしまうことってあるんだなって。それ以来ですね。ちょっとトラブルになりそうな雰囲気を感じると、一歩引いて、僕は参加しないようにしようみたいになったのは」
──誰も傷つけたくないから?
「はい。でも、このメンバーなら、ときには意見がぶつかってケンカしても大丈夫だなって今は思えて。だって、同じ景色を見て、何人かじゃない、全員で泣けちゃうような仲間なんだから」
──そろそろ最後の質問だけど、体操選手を目指しておけばよかったって思ったことってある?
「いや、ないですね」
──じゃあ、ジャニーズをやめたいと思ったことは?
「ないです。僕にこれ以外、何があるんだって思ってます。ジャニーズ以外の生き方、考えたことないんで」
──じゃあ、本当に最後の質問。Hey! Say! JUMPを、どんなグループにしたい?
「どんなグループって、今は言葉じゃ言えないですね。だって、今いる誰かや、グループみたいになりたいんじゃないから。誰も、どのグループもたどり着いてないとこまで行きたいし、まだ誰も見たことのない景色を、9人と、ファンで見たいんで。Hey! Say! JUMPなら、そんな景色が見られると思ってるんで。誰も見たことのない景色が」

取材・文/水野光博