Myojo

10000字ロングインタビュー

失敗も挫折も全部抱きしめて、笑いたい。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

Kis-My-Ft2編

第5回

二階堂高嗣

にかいどう・たかし
1990年8月6日生まれ。東京都出身。B型。身長172cm。
2001年2月4日、ジャニーズ事務所入所。
2011年8月10日、Kis-My-Ft2としてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2013年4月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

物怖じすることなく、からみまくる姿は、
ヤンチャ坊主、ワルガキ、いたずらっコ…そんな言葉が似合いすぎる。
しかし、ただのガキでは、ヤンチャで人を楽しませられない。
ブレない、たしかな想いがあればこそ。

コンサートは、いつ始まるんだ?

──小さいころから、いたずらばっかしてたんじゃない?
「はい(笑)。それが原因で、僕、4つくらい幼稚園を転々としてるんです。いたずらしすぎて女のコ泣かしちゃったり、お昼寝の時間に抜け出してどっか行っちゃったり、灯りをつけて寝てる友だち起こしちゃったり。先生や親に叱られても、全然聞いてなかったですね」
──注意されたら素直に聞く、かわいい時代はなかったの?
「人の言うことを聞くようになったの、18才とか20才くらいからかな」
──おそっ!
「なんか、思ったことやっちゃうんです。じっとしてらんなかったんですよね。ウズウズしちゃって。“絶対、やるなよ”って言われると、絶対やりたくなる(笑)。火災報知機のボタン押したこともあるんですよ」
──手がかかるコだったんだ。
「ですね。でも、姉がいるんですけど、家族は、みんなすっごく仲がよくて。小学生のときとか、よく温泉とか家族旅行で行ってました」
──小学校では、どんなコだった?
「目立ちたがり。目立ちたくて親父にバック転を教えてもらいました」
──バック転できたらモテた?
「“すごいね!”って言われたけど、それ止まり。モテることはなかったかな。度がすぎるお調子者だったんで。通知表に、“人の話をよく聞きましょう”って、絶対に書かれてましたから(笑)」
──ハハハハ。そのころから、モノマネが得意だったの?
「先生のマネとかはしてたかな。でもなんか、モノマネのためじゃなくて、小さいころから人間観察が好きだったんですよ。“あ、この人、クセこうなんだ”とか、“ウソつくとき、こうなるんだ”とか探すのが。なんか、見ちゃうんですよね」
──小4でジャニーズのオーディションを受けてるよね。
「お姉ちゃんにだまされたんです」
──だまされた?
「お姉ちゃん、キンキ(KinKi Kids)さん好きだったんです。僕が学校から帰ったら、郵便受けに封筒が届いてて。ジャニーズって書いてあったから、お姉ちゃんにだと思って、“なんか来てるよ”って渡したら、それを読んだお姉ちゃんが、“いついつキンキのコンサートに行くからね”って。で、言われた日、ついて行ったら渋谷で」
──いつオーディションだって気づいたの?
「コンサートは、いつ始まるんだって最後まで思ってて(笑)。受付の人に、“オーディションだね”って言われたけど、オーディションって言葉を知らないから、“それ、何?”みたいな。そしたら“じゃ、私はここで”って、お姉ちゃんがどっか行っちゃって。いきなり振りつけをおぼえさせられて、“な、何が始まったんだ!? コンサートは?”って」
──それでも踊ったんだ。
「一生懸命踊りましたね。背がめっちゃ、ちっちゃかったからか、年上にかわいがられたんですよ。それが、楽しいなーって」
──宮田(俊哉)くん、横尾(渉)くんもいっしょだったんだよね?
「印象、全然ないです。あ、でも、ワッター(横尾)には、なぜか“振りつけ、おぼえました。見てください”って話しかけた記憶があります。で、その後、撮影をして」
──受かると思った?
「なんもわかんない。撮影も、なんのための写真かも知らなくて。後日、僕は見てないんですけど、雑誌に載ったらしくて、お姉ちゃんは興奮してたと思います。その後、連絡が来るようになって、レッスンに参加するようになって」
──学校で、急に人気者になったりしなかった?
「なかったですね。男としか基本遊んでなかったんで、変化は感じなかったです。Jr.の活動にしても、最初は仕事って感覚じゃなくて、遊びに行くみたいな感じで」
──そのころ、将来なりたいものってあった?
「小4のときはねえ……、なりたいもの“納豆”とか言ってたなあ。あと、“クルマのタイヤ”とか」
──う〜ん、人ですらなかったんだ(笑)。
「ですね。フツーなりたいものってヒーローとかじゃないですか。戦隊モノとかの。俺、好きなものになりたくて。つねに納豆になりたいって言ってたと思います。そのころから、ぶっ飛んでたんでしょうね(笑)」

俺、“THE子ども”だったんですよね

──北山(宏光)くんが言ってたけど、Jr.の最初のころ、“二階堂一味”は悪さばっかりしてたらしいね。
「なんか悪さするのが好きなのが集まって。いや、俺がいたずらばっかしてたから、されたくなかったら仲間に入るしかないって感じでグループになってたのかな」
──たとえば、どんなことしたの?
「人のお菓子を勝手に食うとかは日常茶飯事。チーズ味のポテトチップスってあるじゃないですか。匂いがけっこう強いやつ。それを、レッスン服に着替えるんで、脱いである誰かのジーパンのポケットに入れて、めちゃくちゃにつぶしたり(笑)。そいつがジーパンはいたとき、“誰だ、やったヤツ! くっせー”ってなったらおもしろいだろって思うと、がまんできなくなっちゃうんですよ」
──じゃあ、よく怒られたでしょ?
「なんとなく、怒られないラインがわかるんですよ。ギリギリが。ここ超えたらヤバイとか、なんかちっちゃいころからわかってましたね」
──とはいえ、怒られたことあったんじゃない?
「ワッターかな。勝手にワッターのパン食べたら、“人のもの勝手に食べるとかダメだよ”ってすっごい冷静に言われて。あ、本気で怒ってるって思って、直立不動で、“はい。ごめんなさい”って謝りました」
──それで反省したんだ。
「ですね。ワッターのだけは食っちゃいけないんだって」
──反省のポイント、まちがってるでしょ(笑)。
「ハハハハハ。俺、“THE子ども”だったんですよね。よくいえば素直で、悪くいえば礼儀がまったくなってないクソガキ。一度、社長が、レッスンに香取(慎吾)くんを連れてきて“みんな、知ってるよね?”って紹介してくれて。まわりは全員うなずいてるんだけど、俺は“誰それ、知らねー”って大声で言いましたからね。今、しゃべりながら背筋が凍りました。でも、知らなかったから。赤西(仁)くんにもレッスン中、“おい、仁、ちゃんと踊れよ!”って言ったことあります(笑)。なぜかすげーおぼえてますね」
──怖いものなかったの?
「なんもなかったです。それに、なんかしんないんですけど、かわいがられたんですよね。(今井)翼くんとか、タッキー(滝沢秀明)とかからも。Jr.に入ってすぐの東京ドームのコンサートで俺、タッキーにおんぶされるJr.に指名されたりもしたし。薮(宏太)は翼くんにおんぶされて。で、おんぶされるはずだったのが、タッキーに“俺をおんぶして”って言われて、俺がおんぶして」
──緊張したんじゃない?
「全然。“やったー!! 目立てる!!”って」
──好かれてたんだね。
「当然、俺を嫌いな人はとことん嫌いだったと思います。好かれるか嫌われるか、両極端でしたね」

“俺は世界一強い!” “いちばんダンスがうまい!”

──その後、mintを経て、宮田くん、玉森(裕太)くん、千賀(健永)くんとA.B.C.Jr.に。
「そこくらいからかな。“コイツらには負けたくねー”って気持ちが出てきたのは。それまでは、ただ楽しいだけだったけど。特に千賀には、ダンスで負けねーぞとか思ってた」
──千賀くんが、ダンスの全国大会で入賞してるのは知ってた?
「知ってた。でも、負けたくなかった。“ちっさいころからダンスやってんだか知らねーけど、おまえには負けねーよ”みたいな自信があって」
──根拠のない自信ってやつ?
「そっちです。“何を根拠に言ってんだ”ってのも、小さいころよく言われた言葉です(笑)。でもなんか、“俺は世界でいちばん強い!”とか、“Jr.でいちばんダンスがうまい!”とか思ってたんで」
──万能感ってやつだ。でも、宮田くんが、“じつはひとりでダンスの練習してた”って言ってたよ。
「アイツ、そういうことは言うなって言ってるのに、余計なことばっか言うんですよね(笑)」
──でも、口だけじゃなかったんだ。
「口に出して言って、自分を追い込むじゃないですけど、言ったんだったらやるってのが、俺のやり方で」
──努力する姿、アピールしたくはない?
「見られたくもないですね。知らないうちにできちゃうほうがいいでしょ!? “お、できてんじゃん”って。“アイツ、努力してるもんね”って言われるのイヤなんですよ」
──じゃあ、玉森くんと、宮田くんの印象はどうだった?
「タマはすごく物静かで、“このコ、なんで、こんなに人がいっぱいいるのに楽しまないんだろう?”って思ってた。宮田はもう優柔不断。俺、ずっとイライラしてました。“で、どっちがいいの? 早く決めろ!”みたいに」
──A.B.C.Jr.では、いろんなグループのバックについたよね。
「めっちゃ使ってもらってましたね。横浜アリーナのコンサートのリハーサルだったかな。一日で何十曲って振りつけを覚えて。休憩で楽屋に戻ろうとしたら、振りつけ師さんに、“後輩に振り教えとけ”って言われて。後輩の人数少ないし、4人じゃなくて、ふたりで教えに行こうってことになって、じゃんけんで誰が行くか決めることにしたんです。ヘトヘトだったけど、元気出して行こうってテンション上げてじゃんけんしてたら、ちょうど振りつけ師さんが入ってきて。“何、遊んでんだ!”って、めちゃくちゃ怒られて。“何、このタイミング。マジ!?”って。4人で、“俺らって、なんなんだろうね。こういう星に生まれたんだね……”ってへこみましたね。間が悪いこと、けっこーありました」

反抗するのがカッコいいみたいな

──2005年、Kis-My-Ft2が結成されたよね。
「あ、でも最初、俺、“.(ドット)”だったんですよ」
──ドット?
「正式にメンバーとグループ名が発表される前に撮影があって。それぞれアルファベットが書かれた風船を持たされたんです。俺の風船は、ドットで。“え、俺なんで点、持たされてんの!?”って。自己紹介、どうすればいいんだって。Kの北山です。Sの千賀です。ドットの二階堂ですって、ちょっとマジかよと」
──ハハハハハ。
「撮影の数日後に、社長に呼ばれて、“グループ名、決まったよ。ツーだよ、ツー”って。もう、“よっしゃー!!”ですよ」
──2が自分って、すぐ気づいた?
「気づきましたね。まっ、Nなんだけどなとも思いましたけど(笑)。でも、マジで感謝してます。社長には。あんなに忙しい人が、俺のために、何分間か、何時間か使って考えてくれたってことですから」
──年上組の3人はどう映ったの?
「俺、ぜってー負けねーって思ってました。当然、根拠ないです。でも、“先に生まれただけでしょ!? それがエライの?”って思ってましたね。だから、呼び捨てにはしてないですけど、ため口でしたし、心の中では呼び捨てでした(笑)」
──ハハハハハハ。このグループで、デビューしたいって思った?
「最初は全然、考えてなかったな」
──露出もだいぶ増えて、学校でも人気者だったんじゃない?
「いや、その逆で。中学は友だち少なかったんですよね。“ジャニーズだからって調子に乗ってんなよ”みたいな目で見られて。けっこーつらかったですよ。クラスで1日、誰ともひと言もしゃべらない日があったり。いろいろグループができてるけど、どこにも入れなかったし」
──きついね。
「きつかったっすね。ひたすら耐えてました。“子どもだな〜、コイツら”って思いながら。でも今思えば、クラスメイトのことをダッセーなーって思いながら、さびしかったんでしょうね。少しゆがみましたもん」
──ゆがむ?
「だったら、とことんカッコつけてやるよって思ったんですよね。そっから仕事でも、二枚目を狙ったんですよ。しゃべらないし、笑わなくなって。なんか、亀梨(和也)くんみたいに、セクシーで、多くはしゃべらずみたいな路線をめざそうって」
──路線変更は、うまくいった?
「全然。ホントに勘ちがいクソ野郎で。ダンスで手を抜いて踊るとか、“ローラーやだ”とか、“なんで俺、これしなきゃなんないの? イヤなんだけど”とか、よく言ってました。そういう態度がカッコいいって思ってたんでしょうね。“イヤだ”って反抗するのがカッコいいみたいな」
──Jr.の活動自体がイヤだったの?
「Jr.ではいたかったです。もう、この世界が好きになってたんで。反抗的な態度とりながら、Jr.を辞める勇気も度胸もなかったですね。なんか、あのころ苦しかったな」
──救ってくれたのは?
「ミツ(北山宏光)です」
──何があったの?
「友だちとメシを食ってたら、ミツから突然、電話があって。“今からそっち行くから”って。明らかに、いつものトーンじゃないんですよね。友だちに“ちょっとごめん”って帰ってもらって。しばらくしてミツが来て、もう、それはそれは(笑)」
──それはそれは?
「“仕事ってさ”“グループってさ”って話をミツがして。俺は屈折してたし、自分のこと最強だと思ってたから、すぐには納得できなくて」
──どうなった?
「途中からは、もう殴り合いですよ。ミツ、カッコよかったです。“おまえ、そんなんだったら辞めろ”って。仕事の意味、もっと考えろ。どれだけの人が携わってるか、なにより、雑誌、テレビ、どんな仕事も、その向こうに、どんだけのファンがいて、俺たちを支えてくれてるか、わかってんのかって。辞めたかったら、辞めればいい。でも、おまえはひとりじゃない。俺たちはグループなんだ。全員でKis-My-Ft2なんだって。そんなこともわからないで、グループから辞めてくヤツがいるのは悲しいって。最後、おたがい泣きながら話してましたからね」
──そんなことがあったんだ。
「気づきましたね。俺は最強じゃないって。俺よりも上がいると」
──そこか!
「冗談です。これじゃダメだって気づきました。そして、俺のこと、そこまで思ってくれるメンバーがいるんだって。あの夜がなかったら、今、ここにはいないですね。俺の人生の一度目の分岐点です」

タマのやさしさ、宮田のクズさ

──Hey! Say! JUMPがデビューしたときは、どう思った?
「先、行かれたって思いましたね。クッソーって。でも、俺らの力不足だよなって。ぜってー抜くって全員で言ってました」
──そんな思いを抱きながら、キスマイとして、いろんな仕事をこなしてきたよね。
「いろいろありましたね。『滝沢演舞城』に出させてもらったときとか、リハーサルではなかった水芸が、俺らの出番直前に入ってて、ステージがびしょびしょ。あれ、ヤバかったです。ローラーまだ、うまくできないときで。水なんかプラスされたら、もう生まれたての子鹿同然ですよ(笑)。コケて客席に落ちそうになって。ツーって滑ってくから必死でもがいて。なつかしーっすね」
──ほかにも、何か印象に残ってることってある?
「いろいろあるけど、個人的にはNEWSのコンサートかな。楽屋に行こうと思ってタマと宮田と歩いてたら、俺らの楽屋の前にパンツ一丁の人が立ってたんですよ。俺、目、悪いんで遠くは見えなくて。後輩だと思って、“何やってんだ、バカヤロー”って言ったんです。何歩か歩いて、顔が見えたら錦戸(亮)くんで。“あ、やべ〜、俺、終わった”って。でも、錦戸くんが、“なんや〜”って言った瞬間、タマが助けてくれたんです。“なーに冗談言ってんだよ”って。で、パッて後ろ見たら、宮田はスーッて消えてって。“うわ、逃げた!”って(笑)。俺、“マジ、すみません。目、悪いんです”って必死で謝って許してもらって。そしたら、それまでコンサート中、俺らの紹介ってなかったのに、その事件をきっかけに錦戸くんが紹介してくれるようになって」
──いい先輩だね。
「はい。次の日もコンサートだったんですけど、俺、いつも集合の15分くらい前に行くんです。でも、会ったら気まずいなと思って、その日だけ1時間前に行って着替えてたら、そんなときに限って錦戸くんが早く来ちゃって、ふたりきりになって。“二階堂!”って呼ばれたんで、“すみませんでした!”って大声で即答したら、“気にせんでええよ”って。あのやさしさは忘れられないですね。あと、タマのやさしさと、宮田のクズさも(笑)」
──ハハハハハ。
「宮田、そんなんばっかですよ。ふたりで渋谷にいて、なんかの時間に間に合うようにダッシュで走ってたんです。そしたら、知らない人に“なんや?”っていきなりからまれて。“え、なんで?”って思ってパッて見たら、宮田、俺のほうをチラッと見て、そのままスーッて行っちゃうんです。結局、何もなかったんですけど、解決した後に戻ってきて、“どうしたの? 怖かったね”みたいな。どうしたのじゃないでしょ! 助けてよって(笑)」

“あと1年だけがんばってみろ”

──さっき、「人生の一度目の分岐点」って言ったけど、二度目の分岐点があったってこと?
「2010年ですね。それが、いちばんの転機です。俺、舞台『少年たち』に出てないんです。キスマイ7人のうち5人が出てる。俺とワッターだけ出てない。今の俺じゃ、足りないんだって思い知らされて。“あ、俺はもうこのグループにいられないんだ”って」
──ショックだね。
「落ち込みましたね。舞台、見に行けなくて。毎日、めっちゃ泣いてましたもん。ドラマとかで泣きながら家を飛び出すシーンってあるじゃないですか。あんなの、現実じゃぜってーないだろって思ってたら、自分がなりましたからね。家にいても、ふと思い出すと泣けてきて、家飛び出して。もうどこにいるのかもわかんないくらい、泣きながら歩いて」
──メンバーに相談したりはした?
「話せないですね。だってグループの未来にかかわる大切な問題だから。そしたら、“おまえよりやりたいことできないヤツなんていっぱいいるよ”って。おまえは恵まれてるし、グループにもいる。テレビにも出られてる。“あと1年だけ、がんばってみろ”って言ってくれた人がいたんです。1年たって今のままだったら辞めればいいって。それで、踏みとどまれたんです」
──ちがうアドバイスだったら?
「辞めてましたね。支えは、その言葉だけでしたから」
──それだけ苦悩して、デビューが決まったら、うれしかったでしょ?
「めっちゃうれしかったですね。“あ、俺も入ってる”って。もし、キスマイがデビューできても、そこに俺はいないかもしれないって恐怖があったから。デビューが決まったあの瞬間、一生、忘れないです」
──家族の反応は覚えてる?
「泣いてましたね。父親に言われたんです。“おまえも入ったな”って。それ聞いて、俺が悩んでることわかってたんだな、支えてくれてたんだなって」

誰かが笑ってくれるって、いちばん深いと思います

──ただ、キスマイでデビューできたものの、「今の自分じゃ足りない」って感じた劣等感や、状況は変わってないよね?
「ですね。最初の『濱キス』の放送を見たら、俺、全然しゃべってなくて。“なんで、コイツ出てんだ?”って自分で自分のこと思ったんですよ。テレビ出たら、爪あと残さなきゃいけないでしょ。じゃないと、出してもらってる意味ないですから。“俺ってなんだ?”って考えて」
──自問自答したんだ。
「はい。俺って人間はなんなんだろうって。いろんなことも思い出して。俺、すげーふざけてるヤツだったな。でも、なんでも楽しんでるヤツだったなって。二枚目をめざして、一切しゃべんなかったけど、心の中ではしゃべりたいって思ってるよな。もう、二枚目ムリだって」
──で、どうしようと?
「キャラって必要だけど、ムリに作ろうとするからブレるんじゃね? 持ってるものをそのまま出したら、キャラになるんじゃんって」
──なるほど。
「思ったことはなんでも言って、とにかく、いつでも楽しもう。そして笑ってようって。小学生のとき、ポテトチップスを人のポケットに入れたときみたいに。進む路線が明確になったというか」
──それは、どんな路線?
「キスマイのガヤ芸人ですね。MCのミツがいて、あとの5人もいるからこそ、できる立ち位置がある。なんで俺じゃなくて、アイツがメインなんだよとか、そんなこと考えてる時間もったいないです。コイツらがいてくれるからできることがある」
──考え方を変えたら、世界は変わった?
「はい。カッコつけてた時期、俺は後輩を寄せつけてなかったし、ちっちゃいコのファンがまったくいなかったんです。ちょっとダメだな、この人って思われてたんでしょうね。でも最近、ちっちゃいコにも話しかけられるようになって。この前、レンタルショップでDVDを選んでたら、5才くらいのコが、“ニカちゃ〜ん”って笑いながら抱きついてきてくれて。俺がやってること、笑顔でいることってまちがいじゃなかったなって」
──笑顔の大切さを、実体験で知ってるって素敵だね。
「誰かが笑ってくれるって、単純なようでいちばん深いと思います」
──そうだね。
「だから最近、その想いがもっと強くなって、笑顔でいるってことを人生のテーマにしようと思って。“あのコ、いつも笑顔だよね。つねに元気だよね”って、ずっと言われるようにしようって。70才になっても、80才とかになっても」
──笑顔でいること。つまり、飾らない二階堂高嗣でいるってことかな。
「ですね。『濱キス』が終わって打ち上げがあったんですけど、スタッフさんに、“いちばんコメント使ったのニカちゃんなんだよ。なんか純粋に楽しんでる感じが、素人さんが混ざってるみたいだったから”って言われたのが、めっちゃうれしくて。最高のほめ言葉だなって」
──番組初期は、無口だったのにね。
「あと、最終回の収録のときなんですけど、過去の俺が笑ってる映像が流れたら、ミツが泣いてくれて。“ちょっと俺、二階堂には弱いんです”って。ミツは、俺のいろんな姿見てるから。それもうれしかったな」
──今度はメンバーを支える番だね。
「今、俺、トークがうまくなりたいから、移動中とか落語を聞いてるんです。落語って、言葉だけで世界を見せてくれる。そりゃあ落語家って話し上手になるわって、すっげー勉強になります。あと、松本(人志)さんの『放送室』ってラジオ番組を録音したのも繰り返し聞いてて。こんなの話すの本当はイヤなんですけどね。でも、トークがうまくなったら、もっと想いを伝えられるでしょ。メンバーのいいとことかも」
──だね。でもなんか、思考が芸人に近い気がする(笑)。
「ガヤ芸人めざしてますから。やっぱ知ってほしいんですよね。メンバーのこと、もっともっと」
──やめようと思ったとき、引き止めてくれた人や、支えてくれた人たちに感謝だね。
「いろんな人に支えられましたね。ホントに感謝です。でも、あのころみたいな驕りじゃなくて、アドバイスもらっても、最後に決めるのは自分ですよね。俺の人生を決めたのは俺であって。あきらめなくてよかったって思う。昔の中途半端な気持ちがあったから今があるというか。“あのときのあれ、いらなかった”とかってのは、まったくないです。ニュアンス、伝わります?」
──わかるよ。全部含めて、自分が歩いてきた道ってことだよね。
「そうです。過去がなかったら今はない。ふざけてた時代、中途半端だった時代があったから、今の自分があるんだなって。失敗も挫折も、カッコ悪かった自分も、全部抱きしめながら、俺はこの先、ずっと笑ってようって思います」

取材・文/水野光博