10000字ロングインタビュー
悔しい気持ちの宝物。
いっぱいあるから、上をめざせる。
10000字ロングインタビュー
『僕がJr.だったころ』
Kis-My-Ft2編
第1回
北山宏光
- きたやま・ひろみつ
-
1985年9月17日生まれ。神奈川県出身。A型。身長167cm。
2002年5月3日、ジャニーズ事務所入所。
2011年8月10日、Kis-My-Ft2としてCDデビュー。
※このインタビューは、MYOJO2012年12月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。
高校まではサッカーひと筋。
運動部の上下関係の中で育った少年が、
突然小さな子どもたちと同じスタートラインに立つことになった。
だからこそ、“CDデビュー最年長記録”には、いろんな想いがつまっている。
親が笑うのを見るのが好きだった少年時代
- ──小さいころ、何が好きだった?
- 「無性に親が好きでしたね。写真を撮られるときとか、僕、ヘン顔ばっかして。お母さんが“本当にそんな顔になっちゃうよ”ってケラケラ笑うんです。それがうれしくて。親やまわりの人が笑ってるのを見るのが好きだった記憶があります」
- ──かわいいね(笑)。
- 「よく女のコとまちがえられてもいましたしね。でもヤンチャでした。女子のスカートめくりとか、すごくしてましたし(笑)」
- ──目立つコだったんじゃない?
- 「目立ちたいって感覚はなかったんですけどね。シャイだったんで。でも、目立ってたのかも。何かものをひとつ作るにしても、オリジナリティーがないと納得できなくて。たとえば“折り紙で何々を折りなさい”って言われても、自分なりにアレンジしたり、ちがう色紙を使ったり、1カ所でいいから人とちがうものを作りたかったんです」
- ──納得しないと進めないタイプだ。
- 「はい。小学校の授業なんか、自分がわかるまで、ずっと聞いてました。“先生、わかんない! わかんない!”って」
- ──小学校1年でサッカーを始めたよね。きっかけは?
- 「小学校に入るタイミングで引っ越したんです。それまで野球をやってたんですけど、引っ越したマンションに同い年くらいのコが4、5人いて。その中のひとりが、“サッカーやる”って言い出したら、“じゃあ、俺も”って、みんな始めて」
- ──かなりうまかったんだよね。
- 「自分で言うのはなんですけどね。1週間かけてみんなが身につけるテクニックを、2日でできちゃうとか、よくありました」
- ──キャプテンだったりした?
- 「う~ん、そういうタイプじゃなかったですね。試合になったらチームを引っ張るけど、あのころの僕は、練習でうまくできないコに、“がんばろう!”とか声をかけられなくて。自分はできちゃうから、なんて言ってあげればいいか、かける言葉がわからなかったんですよね」
- ──なるほど。中学生になっても、サッカー一色?
- 「はい。完全にサッカーが生活の中心でした」
- ──そのころの夢って?
- 「プロサッカー選手になりたかったですね。いつか、テレビゲームのサッカーゲームで、自分のキャラをコントロールしたかったです」
人をよろこばせたり、感動させる仕事がしてみたい
- ──堀越高校に進学してるよね?
- 「芸能人が通うコースがあることすら知らなかったんですけどね(笑)。堀越のサッカー部って、インターハイに何度も出てるくらい強くて。セレクションを受けて入学しました」
- ──芸能人がいるってことすら知らなかったんだ。
- 「入学式で野球部は坊主、サッカー部は短髪なのに、突然、金髪の新入生が入ってきて。“誰あれ!? 金髪っていいんだっけ?”って思ったら、それが山下(智久)だった」
- ──驚いたでしょ?
- 「うん。入学式が終わって、友だちの家でしゃべってたら、友だちの妹がファンで、“山Pいたでしょ!”って山下の話になって。僕が、“アイツすごいよね。中学のときから働いてるし”って言ってたら、“じゃあ受けてみればいいじゃん”って言われて、友だちの妹がジャニーズに履歴書を送ってくれたんです」
- ──そんな経緯だったんだ。
- 「しばらくしてオーディションの通知が来て。1年の夏の終わりくらいかな。俺は、“え!?”って驚いたけど、サッカーがあるから行けないだろうなって。そしたら、その日が、なぜか練習が休みで。1年で360日は練習なのにですよ。なんか、運命に吸い込まれるような気がして」
- ──かなりの偶然だね。
- 「でも、すごく悩んだんです。監督とも相談して。じつはこういう経緯なんですけど、僕はサッカーと両立したいって伝えたら、“目標がふたつあるヤツはいらない”って」
- ──どちらか選ばなければいけない。
- 「すぐに結論は出せなくて…。オーディションだけは、練習が休みだから受けようって」
- ──オーディションはどうだった?
- 「小学生や中学生、年下ばっかでしたね。面接のとき、社長に、“あと3つ若ければね”って言われました。ずっとサッカーやってたから、日焼けで真っ黒だったんで、“YOU、それ日サロ?”とも言われた(笑)」
- ──ハハハハハ。
- 「オーディションの最後に、“次、何日にレッスンがあるから来て”って…。サッカーかJr.か、決めきれなくてモヤモヤしてる期間が、しばらくありましたね。Jr.のレッスンは月イチで。全然踊れないから、サッカー部の朝練をして授業に出て、放課後の練習をして、みんなヘトヘトになって帰る中、僕は八王子まで行ってダンススクールで練習し、終電で帰ってました」
- ──そんなにがんばったんだ。最終的に、何が背中を押したの?
- 「長瀬(智也)くんが『ハンドク!!!』ってドラマをやってて、僕、あんまテレビ見ないんですけど、最終回だけ偶然見たんです。そうしたら、ホロッと泣けて。親に“芸能の仕事ってどうかな?”って相談したら、“あんたなんか、なれるわけないじゃん。やってみて、どうにもならなかったらどうするの?”って反対されて。親は両方教師で、“大学に行って公務員になりなさい”ってずっと言ってて」
- ──でも、反対されても、あきらめられなかった?
- 「もう『ハンドク!!!』を見た感動が、抑え切れなくて。人をよろこばせたり、感動させたりする仕事がしてみたいって。反対されたけど、逆に“じゃあ、やってやるよ”って」
- ──サッカーに未練はなかった?
- 「きっぱりやめました。未練が残るのがイヤだから、今まで使ってたスパイクもボールも全部捨てて」
目の前に立ちはだかる、“この謎の壁はなんだ?”
- ──堀越には、山下くんだけじゃなく、同級生に長谷川純くんもいたよね。交流はあったの?
- 「ないですね。学年がいっしょでも、山下たちはJr.のいちばん先頭でマイク持ってる。自分は小さいコに混じっていちばん後ろのいちばんはじにいた。中学時代から活躍してたJr.が堀越に進学するんですよね。でも俺は芸能人のコースじゃないのに、レッスンに行くときは堀越の制服を着てくから、“誰、コイツ?”って目で見られて」
- ──Jr.の同期は年下ばっかだよね。
- 「小さいコに、“おい北山。お菓子くれよ”とか言われるわけです。ちょっと目を離したらバッグに入れてたお菓子を食べられたり。まあ、それが二階堂(高嗣)だったりするんですけどね(笑)。俺は体育会系の年功序列の中でずっと育ってきたから納得いかなくて、いちどジャニーさんに、“年令と上下関係って関係あるんですか?”って聞いたら、“関係ないよ。YOUたちの自由だよ”って」
- ──なるほど。
- 「だから、Jr.に入って、俺が最初にやったのは、プライドを捨てることでした」
- ──ダンスの個人レッスンは続けてたの?
- 「続けましたね。悔しかったんで。“なんで、俺の体、こんな動かねーの?”みたいな。それに、やっぱり捨てたものが大きかったから」
- ──捨てたもの?
- 「俺はちがう人生、ちがう夢をめざしてJr.の活動を始めた。でも、サッカーの仲間には、途中で夢を投げ出したヤツに映るわけです。“何やってんのアイツ?”って。だから、どんな形だろうとデビューして、ちがう生き方を選んだことがまちがってないことを証明したかったから。ただ何からがんばればいいのかもわからなくて、サッカーやってたんだから、体を動かすこと、まずはダンスをがんばろうって」
- ──得意なことからがんばったんだ。
- 「社長に、“YOU、バック転できないとヤバイよ”って言われたんで、母校の中学に行って、体育の先生に教えてもらったりもしましたね」
- ──そんなこともしたんだ。
- 「頼れる人が、ほかにいなかったから」
- ──努力の成果はあった?
- 「レッスン生は、A~Eの5つのグループがあったんです。1グループ7人か8人で。当時、Aに宮田(俊哉)がいて。俺は最初はEで。しばらくして、振りつけ師さんに、“踊れんじゃん”って言われて、ポンッとAのセンターに置かれたんです」
- ──認められたんだ。
- 「そこがスタートですね。Aグループになれて、初めてテレビ番組のいちばん後ろの列に呼ばれるから」
- ──最初の収録、おぼえてる?
- 「山下たちのユニットのFOUR TOPSのバックで『夏のかけら』を踊って。俺はいちばん後ろの端で、見切れてたって言ったほうがいいくらい。ほとんど柱に隠れる感じで」
- ──それから、少しずつステップアップしていった?
- 「もうがむしゃらだった。ただ、目の前に立ちはだかる、“この謎の壁はなんだ?”って思ってた」
- ──謎の壁?
- 「俺はダンスをしゃかりきで踊ってるのに、ふにゃふにゃ踊ってるヤツが、俺よりいい位置で踊ってたりする。だから、いくらがんばってもいちばんになれないというか、前に進めないっていうか」
- ──それはつらいね。
- 「つらいというか、やるせなかった。自分が何をしたら評価されるのか、何を根拠にマイクを持たせてもらえるのかわからない。今ならわかるんです。生まれ持ったスター性って、それぞれちがう。人って平等じゃないし、恵まれた人はいる。俺は全然そういうんじゃないから。でも、そんなこと気づかなかったから、“アイツはマイク持てて、俺は持てない。この差は、なんなんだ”って、ずっと悔しかった」
なんか落ちこぼれが集まったのかな
- ──その後のJr.の活動は?
- 「何人かが社長に“YOUたちローラースケート履ける?”って言われて。俺、アイスホッケーもやってたから、“うまいね”って言われて、ローラー隊になったんですよね。NEWSでデビュー前の増田(貴久)とかもいて。その後、小さいコが高度なことはできないってことではずれて」
- ──横尾渉くん、藤ヶ谷太輔くんらと、Kis-My-Ft.として、いろんなグループのバックにつくようになったんだよね。そして、2005年、ついに…。
- 「社長に突然、“YOUたち、今日から新しいグループにするから。グループ名、なんだと思う?”って言われて。“メンバーは?”って聞いたら、千賀(健永)、宮田、玉森(裕太)、二階堂が加わるらしくて。グループ名なんて、当然わからなかった。そしたら、“ツーだよ。ツー!! Kis-My-Ft2だよ!”って」
- ──合流したメンバーは、年令が若いよね。
- 「トニセン、カミセンみたいなパターンもあるのかなって。でも正直、このメンバー、どうなんだろうって思いましたね。なんせ俺の菓子をパクった二階堂がいましたから(笑)」
- ──不安だった?
- 「集まったメンバーは、元からいたメンバーも含めて、NEWSだったりから漏れてるんです。だから、最初に感じたのは、“なんか落ちこぼれが集まったのかな”ってことで」
- ──なるほど。
- 「ただ、コイツらといっしょに輝かないと、絶対デビューできないとも思ったんですよね」
- ──勝算はあった?
- 「ない(笑)。普通に考えたら、落ちこぼればっかなんだし。ただ、信じようと思った。俺は、タレントの伸びしろなんてわからない。誰がどうなるかなんて。ただ社長は、このメンバーに何かを感じたから組ませてくれたはずだから。現時点では、落ちこぼれかもしれない。でも、俺らの可能性を信じようって」
- ──グループとして輝くために、何から始めようって思ったの?
- 「まず、全員でちゃんとローラーを履いて滑れるようになろうって。年令もいちばん上だし、このグループをどうにかするのは、俺なのかなって思って、リハが始まる前にみんなを集めて練習して。怖い振りつけ師さんに、“見てほしいんですけど”って電話したりしてましたね」
- ──ただ、メンバー内ではローラースケートにかんして、「時代がちがう」って反発もあったらしいね。
- 「ありましたね。だから、ときには力ずくで説得して(笑)。“否定的なことだけ言ってても、何も始まんない。視点、変えてみろよ。これはチャンスなんだ”って」
改めて思うけど、アイツいてよかったよ
- ──ただ、先にデビューしたのはHey! Say! JUMPだった。
- 「マジであせりましたね。だって“平成”だよ。俺、昭和生まれだもん。もうデビューできる可能性はないのかもしれないってショックで。メンバーにしても、A.B.C-Zにしても、やっぱヨロッてきてましたね。アッパーカットくらったみたいに。みんな、どうにか踏みとどまってましたけど」
- ──Hey! Say! JUMPのバックで踊ったりもしたよね。
- 「正直、悔しかったです。“自分たちに何が足りないんだろう”って考え続けましたね。でも、具体的な答えは見つからないから、今はバックだけど、このステージを見てくれている、ひとりでも多くの人に“キスマイっていいよね”って思ってもらおうってメンバーで話し合って。絶対に俺たちを見ていてくれる人がいるってプライドは持ち続けました」
- ──そんな中、転機はあった?
- 「俺たち、社長に“YOUたち歌えないからな~”って、ずっと言われてたんです。偶然なんですけど、僕が鼻歌を歌ってたら、前を歩いてたのが社長で。後ろをパッて振り向いて“北山!?”って。“どうかしました?”って言ったら、“なんでもない”って、そのまま行っちゃって。次の日、テレビの収録があったんですけど、“『ミッドナイトシャッフル』・北山宏光”って書いてあって。それでキスマイでいっしょに歌えることになって。そのステージで藤ヶ谷、すごくカッコよかったんです。それから、キスマイとして少しずつ歌わせてもらえる機会も増えて。藤ヶ谷はラップをするようにもなっていった」
- ──キスマイは、藤ヶ谷くんとふたりで引っ張ってきたイメージがあるよね。
- 「ずっといっしょだからね。最初は、下が何もできなかったし(笑)。俺と藤ヶ谷はずっと、“できる?”って言われて、“できません”って言ったこと、いちどもない。いろんなことをふたりで乗り越えてきた。だから、なんか言葉はいらなくて。心折れてるなってときとか、すごくわかる、アイツ。まだ4人だったとき、藤ヶ谷以外がCM決まったこともあったり。いろいろ思ってたこともあるんだろうなって。改めて思うけど、アイツいてよかったよ。今は、ほかのメンバーもいるし、つかず離れずみたいな、ホントいい距離だけど。アイツいなきゃ俺はいないし、俺がいなきゃアイツはいないしね」
キスマイのためだったら誰に嫌われたっていい
- ──とはいえ、デビューは誰も保証してくれない。支えになったのは?
- 「滝沢(秀明)くんの存在が大きいかな。年上で初めて仲よくなったというか、俺たちを必要としてくれた人だから」
- ──必要としてくれた?
- 「最初は、『DREAM BOYS』に出させてもらって。ちゃんと話したのは『滝沢演舞城』の初演のときなんですけどね。俺、とんがってたから目をつけられてたらしくて(笑)。そりゃ負けたくないもん。KAT-TUNにもNEWSにも、“ぜってー負けねー”ってのが、態度に出てたんだろうね」
- ──そうだったんだ。
- 「滝沢くんに、メシに誘われて。“おまえが生意気じゃなかったら、俺はおまえと仲よくなってない”って言われた(笑)。でも、“生意気くらいじゃないと、この世界は生きていけない”ってことも」
- ──そんなことがあったんだ。
- 「俺、キスマイのためだったら誰に嫌われたっていいって、ずっと思ってて。俺ががんばることが、少しでも目立つことが、キスマイのデビューに近づくって思ってたから。その姿勢が、滝沢くんには危うく見えたんだと思う。実際、俺のことよく思ってない人って多いと思うし(笑)。それ以来、滝沢くんが、俺や藤ヶ谷に舞台の重要な役とかをすごく任せてくれるようになって。自分たちを必要としてくれる人がいるんだって、すごく勇気づけられて」
- ──なるほど。
- 「個人的には大倉(忠義)の存在も大きいかな。アイツとは、ずっと仲よくて。“おまえ、絶対いけるやろ”って、昔から言ってくれてた。“もし、おまえがジャニーズを去ろうと思うときがきたら、まず俺に言え”とも。何、カッコいいこと言ってんだって思ったけど、本気で言ってくれてたからうれしかったな。大倉の家で、47都道府県ツアーの写真集見せてもらったりもして。どれもすごくいい写真で、“俺たちも、いつかこんなふうになれんのかな”ってあせるのと同時に、“ぜってーデビューしてやる”って思ってた」
自分の存在価値というか、生きてる意味を知った
- ──そして、ついに2009年には、単独ツアーをやってるよね。
- 「なんだろう、ツアーが決まったとき、“やっとスタートだ”って思ったんです。やっと社長に交渉できるラインに立ったって。それまでは、“デビューしたい”って言ったって説得力ないでしょ。言える立場じゃない。ちゃんとお客さんを集められて、自分たちの足下を固めて初めて言えるっていうか。チャンスを与えてもらったなって。“デビューしたい”とは、まだまだ言えなかったですけどね。でも、影さえ見えなかったデビューがチラつきました」
- ──その後、デビューまでの間に印象的だったことってある?
- 「横浜アリーナのステージ上で、ファンの前でやった記者会見ですね」
- ──2010年3月のことだ。
- 「はい。“今後の目標は?”って宮田、俺、藤ヶ谷、タマ(玉森)の順番で聞かれて。俺、“デビューしたい”って言おうかなって思ったんです。そのセリフを言ういちばんいいタイミングをずっと探してたから。そしたら、宮田が一発目で“デビューしたい”って言ったから、“うわー、言っちまった! マジか!!”って思って」
- ──ずっと、タイミングを見計らってたのに(笑)。
- 「でも改めて考えたら、宮田が言ったからよかったんだなって。いつもニコニコして自己主張しない宮田だから、伝わる想いがあるなって」
- ──そうかもしれないね。
- 「もちろんメンバー同士で、前からデビューしたいって話は、ずっとしてて。“俺ら、もう何才だよ”って(笑)。でも、お客さんを前にした記者会見で、宮田が言う度胸があるとは思わなかったから。腹くくったんだなって」
- ──ただ、デビューはそこからもう少し先になるよね。不安もあった?
- 「ずっとありましたよ。でも、ファーストツアーをやってからは、もう自分たちを信じるだけというか。ライブでもどこでも最高のパフォーマンスをするだけ。認めてもらうしかないから。失敗は許されないってプレッシャーもありましたけどね」
- ──そして結成から6年、2011年のツアーの東京公演のステージ上に、突然社長から茶封筒が届いた。
- 「俺が封筒を託されて、開けたら“CDデビュー決定”って書いてあって。その文字を見た瞬間、なんか実感がわかなくて。これを言葉にしたら、俺たちがずっとずっと抱いていた夢がかなう。なんか、メンバーにもファンにも、どうやって伝えていいかわからなくて。そしたら宮田とかがのぞいてくるから、“おいっ!”って(笑)。いろんなことが頭の中によみがえったんです。悔しかったこと、がんばったこと、ケンカしたこと…。そしたら、横尾さんに“長い!”って言われて。ちょっとは、ひたらせろよって」
- ──発表の瞬間、ファンも大よろこびだったね。
- 「不思議な感覚でした。なんか、自分のことなのに、自分のことじゃないような。俺がうれしいと、ファンの人たちもこんなにうれしいんだって。会場中の笑ったり、泣いたりしてくれるファンの顔が見えて。俺、人に感動を与えたいとか、元気をあげたいって思って、この世界に飛び込んだから。“本当に、そういうことできてるんだ”って。それまで全然、実感はなかったけど、そのとき、初めてなんか、大げさかもしれないけど、自分の存在価値というか、生きてる意味を知ったというか」
- ──デビューまで、長い長い道のりだったね。
- 「長かったのかな……。なんか俺、ずっと孤独だと思ってたんですね。グループのためだと思って、言いたいこと言ってきたし、やってきたし。でも、デビューが決まったら、よろこんでくれるファンが大勢いた。それに、“いけると思ってたよ!”って、屋良(朝幸)くんとか辰巳(雄大)とか、いろんなJr.からメールがきて。それ見て、すごく泣きそうになっちゃって。こんなにちゃんと俺と向き合ってくれる仲間ができてたんだって。俺は胸を張ってデビューしようって誓いました」
“悔しい気持ちは宝物”友からのメッセージ
- ──25才でのデビューは、当時の最年長記録だったよね。
- 「俺には俺のペースがあるって思ってた、ずっと。年令ってあんま関係ない。Jr.に遅く入ったし、“俺は、絶対何か持ってる”って信じてたから。何度もまわりにバカにされたり、“年、いってんじゃん”って言われても、“おまえに俺の何がわかるんだよ”って思ってた」
- ──じゃあ、最年長デビュー記録って、ある意味で勲章だね。
- 「うん。俺、デビュー前に友だちに、“悔しい気持ちは宝物だよな”って言われたことがあって。考えてみたら、俺ずっと悔しかった。その悔しい想いが、めちゃめちゃエネルギーになったし、バネにもなった。悔しさを忘れなければ、いつまでも上をめざせる。悔しかった日々を思い返せば、いつだってスタートラインに立った気持ちに戻れる。すごく心にしみたメッセージでしたね」
- ──じゃあ、Jr.のころの自分に、もし何か伝えられるとしたら?
- 「ひと言だけ伝えるとしたら、“もっと悩めば?”かな。俺らはデビューまで本当に悩み続けた。いろんな先輩とかグループのデビューを見送って。それこそ、グループを3つも4つも。だからこそ、“じゃあ自分たちはどうあるべきか”っていうのが、デビュー1年目から7人ともわかってた。それぞれがいろんな葛藤をして、挫折をして、失敗を繰り返して、悩み続けてデビューしたから」
- ──今のJr.にアドバイスするなら?
- 「“信じて続けろ”ってことかな。走り続ければ、絶対何かが待ってる。俺は、サッカーを10年やって途中でやめた。何が残ったかって言ったら、形としては何も残らなかった。でも、情熱を傾けた日々や、チームメイトと泣いたり笑ったりした日々は消えない。一生懸命になれることの素晴らしさを、10年を通して学んだから。それは、どんな世界で生きていくにしても、大切なことだと思う。だから、願った形で花が咲かないとしても、最後まで走り続ければ、振り返ったとき後悔しないはずだから」
- ──じゃあ、これから個人とグループで、どうなっていきたい?
- 「グループとしては、本当にSMAPさんレベルになりたいというか。誰もが知ってるだけじゃなくて、愛されるグループになっていきたいですね。たとえば、宮田が風邪で収録を休んだのをテレビで知ったどこかのお母さんが、“宮っち、大丈夫かしら。心配だわ”って思う距離感というか。ロケで出会ったら、おじいちゃんも、おばあちゃんも、子どもも、みんなが笑顔になってくれるグループというか。“どうもー”って話しかけてもらえるようになりたいです。決して気取らず、もうつっぱらず」
- ──個人的には?
- 「MCをやっていきたいですね。僕、勝手に中居(正広)さんを師匠だと思ってて(笑)。『ハンドク!!!』以来、なりたい自分を久しぶりに見つけたんで。デビューして初めてひとりでバラエティーに出たとき、中居さんが司会だったんです。俺、“マジ、ここ戦場だな”って思って。求められるトークスピード、めちゃくちゃ速いんです。それを仕切るってすげーなって。友だちに“将来、MCやりたいんだ”って言ったら、“おまえにはできへんやろー”って笑われて。高校の同級生、小池徹平なんですけどね(笑)。でも、“だから、おもしろいんでしょ。見てろよ”って。まわりが“まさか、あの北山がここまでやるヤツだとは!”って思うことをやったほうが、やりがいがあるでしょ?」
- ──最後に、高校の入学式では雲の上の存在だった山下くんとの距離、今はどう感じてる?
- 「今も山下はすごい。すごいって思うけど、でもどっかで絶対負けないよっていうのはあります。山下にしかできないことがある。だけど、俺にしかできないこともある。比べることじゃないし、俺は自分が弱いから、メンバーがいて、そのお陰でいろんなことができてる。インタビューの最初のほうで俺、“人って平等じゃない”って言ったのおぼえてます?」
- ──うん。
- 「それは今でも思ってて。人の生まれ持ったタレント性や才能って、平等じゃない。だけど、夢を持って走り続けたら、チャンスは誰にでも平等に訪れるって思うんです」
インタビュー一覧