Myojo

10000字ロングインタビュー

すり抜けていくデビューの道。
なにわ男子落選の苦渋。
Snow Manが最後の光だった──。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

SixTONES・Snow Man編

第6回

向井康二

〔Snow Man〕

むかい・こうじ
1994年6月21日生まれ。奈良県出身。A型。身長175.5cm。
2006年10月8日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2020年12月号に掲載されたものです。

その掌から何度もチャンスがこぼれ落ちた。
そして、関西ジャニーズJr.を牽引するリーダー的存在から、Snow Manに加入。
衝撃的なリスタートの決断は、大切な人や場所との別れを意味していた。
それでも、今日までの日々があったから、かけがえのないメンバーに出会えた。
今すべての人に「ありがとう」の気持ちを込めて。

東京、おるんやなぁ

──大阪から東京へ。Snow Manへの加入。そしてデビュー。2年足らずの間に、最も起伏に富んだ道を歩いたのは向井くんじゃないかと思ってる。
「これくらい、いるいるいる。フツーに歩いてただけですよ。薄いっすよ、向井の歴史は(笑)」
──そうかな?
「まあ、今もなんか不思議な感じというか、東京に来て2年近く経ってんのに、運転してたり、ごはんを作ってたり、ふとした瞬間、“東京、おるんやなぁ”って思うことがあって。やっぱり、大阪で仕上がった向井なんで。今も大阪は大切な場所で。大阪から離れたって言い方はちょっとちがうというか。大勢の関西Jr.の仲間に、ファンに背中を押してもらったから、今東京にいる。東京にいることをふと実感するたびにそんなこと思うんですよね」
──じゃあ、いろいろ聞いていくけど、そもそも、ジャニーズに入った経緯が型破りだったよね。
「そうですね。小さいころタイに1年ちょっと住んでて。そのとき、ムエタイを習ってたんです。道場にたまたまジャニーさんが来て、貼られていた俺の写真を見て“これ誰?”って道場の人に聞いたのがきっかけで。小学校2年のときに電話がかかってきたんですよね。ママに連れられ大阪城ホールにジャニーさんに会いに行って。俺がジャニーさんの膝の上でマンガを読んでるうちに、“YOUはまだ小さいから、もうちょっと大きくなってから呼ぶ”って話がドンドン進んでって」
──ジャニーズに興味はあったの?
「ないですね。滝沢(秀明)くんがその場にいたんですけど、“誰?”って感じでしたからね。オカンは滝沢くんといっしょに写真を撮ってもらってテンション上がって“ジャニーズに入りなさい!”って盛り上がってた」
──お母さんとのおもしろいエピソード多いよね。
「そうですね。何才だったかな。俺が家でシャワー入ってたら、コンコンコンってノックされて“何?”って聞いたら“入れて”って言うんですよ。“イヤやわ!”って断ったら、“ママ、寒い”って。すでにハダカなんです。これ、ノー盛りですからね。オチャメなお母さんです(笑)」
──お父さんとも仲がよかった?
「パパ!? 昔は嫌いやったな。しょっちゅうケンカもしたし。今はもちろん仲いいですけどね」
──小5になり、ジャニーさんに言われた通り、関西Jr.に加入。お兄ちゃんといっしょに入ったんだよね。
「うん。初めて呼ばれたのが、関ジャニ∞さんの神戸ワールド記念ホールのライブで。しげ(重岡大毅)や(中山)優馬もいたな。当日、エレベーターでジャニーさんといっしょになったら“YOUたちユニットの出番があるから”って突然言われて。MCで『ムエタイ向井ブラザーズ』って名前で紹介された。“誰が好きなん?”って聞かれ、当時は誰の名前も知らなくて、安田(章大)くんがギターを持っててカッコいいから、“この人!”って指さして。“失礼すぎる!”ってめちゃめちゃツッコまれた(笑)。今のそのくらいの年令のJr.っていろいろわかってる。でも、昔のちっちゃいコ、特に少年向井はどうしょもなかった」
──まだ興味がなかったのに、ジャニーズを続ける気になったのは?
「なんでですかねえ? 不思議っすねえ。幼すぎて、辞めるって選択肢すらなかったのかな。本当に最初って、デビューって目標も遠すぎるし、ただガムシャラにやってたというか。“この世界で生きよう”って決めたのは高校くらいなんで」
──その後、Little Gangs、Shadow WESTとグループにも選ばれたよね。
「そうですね。徐々にお兄ちゃんと別々の活動になって。兄弟で差が出るとやっぱり思うとこがあったんだろうね。お兄ちゃんは、3年くらいで辞めてるんですよね」
──じゃあHey! Say! JUMPのデビューのときは、どんなことを思った?
「うーん、東京と関西は別というか。JUMPだけじゃなくて、Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、Sexy Zoneのデビューも“すげー!!”とは思ったけど、悔しいって感じじゃなかったですね」
──2012年にはKin Kanが結成されたよね。
「最初はふたりで活動してて。そこに(平野)紫耀が入ってきた。初めて会った日のこと覚えてるな。すげーかわいくて。紫耀は名古屋から通ってたから、よく俺の家に来たりもして。俺のこと“向井くん”って呼ぶから、“くんを取れ!”って言ったら“ムリだよ、取れないよ。ジーコでいい?”って。Kin Kan、勢いあったな。『2nd Movement』って曲の盛り上がりがすごくて。松竹座が割れるんじゃないかってくらいだった。あのころ、B.A.Dや7WESTがいたけど、負けたくないって思ってたな」
──Kin Kanと永瀬(廉)くん、西畑(大吾)くん、大西(流星)くんのなにわ皇子の6人で、バラエティー番組の『まいど!ジャーニィ~』のレギュラーメンバーにも抜擢されてるよね。
「ジャニーさんに言われたんだよね。“この番組、YOUたち6人に任せるから”って。なんか周囲もザワザワし始めて。“もしかしてこれって…”とか思った。たぶん予感はそこそこ当たってたと思う。ジャニーさんに“あのころ、もっと会って話ができてればね”って言われたことがあるから」
──なんで会いに行かなかったの?
「うーん、仕事で東京に行ったときに会いに行くと、俺は出前の皿を洗ったり、ジャニーさんがうたた寝してたら毛布をかけたり普通にやってたんですね。そしたら、“ゴマすんな”みたいなこと言うJr.がいて。“は!? だったらお前がもっと大事にしろよ!”ってケンカになったことがあって。そっから俺や紫耀は距離をとるというか、あまり会いに行かなくなって。変わらず会いに行ってたら、もしかしたらちがう未来が待ってたかもしれない。でも、それはタイミングというかね」
──じゃあ、ジャニーズWESTのデビュー発表はどう思った?
「誰かのデビューを悔しいって思ったのは、そのときが初めてでした。じつは、“俺も入れない?”ってジャニーさんに電話してるんです。そしたら“YOUはここじゃない”って言われて」

焼け野原と呼ばれた関西ジャニーズJr.

──その後、ジャニーズWESTが7人で正式にデビュー。平野くん、永瀬くんが東京へ行くことになり、関西Jr.は“焼け野原”なんて呼ばれたよね。
「そのフレーズ、俺も何回か使っちゃったけどヒドイよね。反省してる。そのとき、支えてくれたファンに失礼だったなって。人によっては焼け野原に見えても、あの日の関西Jr.を応援してくれた人には、キラキラした花が咲いて見えてた。そこに確かに愛があったんです。焼け野原って言われるのはしょうがない。でも、俺や関西Jr.のメンバーが言うのはちがう。ファンを傷つけてしまったなって反省してる」
──ただ、関西Jr.がなくなるんじゃないかとまでささやかれたよね。
「そうだね。ジャニーズWESTデビュー後最初の松竹座でのライブ、幕が上がるまで不安やったな。“お客さんおんのかな。客席埋まってんのかな”って。そしたら、幕が開いた瞬間、ペンライトがめちゃくちゃキレイで。あの景色、一生忘れないです」
──その後、向井くん、西畑くん、大西くん、室(龍太)くんが関西Jr.を引っ張ったよね。
「そう言われるけど、実際はそんなことない。4人じゃない、全員で引っ張ってた。仲間とファンに背中を押され、4人が少しだけ前に立っているように見えただけ」
──あのころのリーダー的ポジションにいた向井くん、今のSnow Manのメンバーに甘える向井くん、どっちが素の向井くんに近い?
「今かな。あのときは、ちょっと背伸びしてたから。スタッフの人にも“康二にはちっちゃいコを育ててほしい”って言われたしね。そうしなきゃいけないのもわかってた。でも“俺だってまだまだ教えてほしいことたくさんあるのに”とも思ってて。だけど、誰かが叱り役にならないと。だから面倒を見つつ、自分を出しつつ、背伸びもしてた。あのころ、自信満々に見せてたけど、やっぱ不安やったな」
──そうだったんだ。
「あのころとは時代も変わったよね。関西Jr.はローカル色が強かったのが、今や全国区。ただ変わっていいこと、変わっちゃダメなこと両方あると思う。露出が少ないからこそのガムシャラ感が関西Jr.の強みやったからね。“東京は専用スタジオがあってズルイ!”とか、文句を言うのは簡単だった。でも、そこで立ち止まるのか、だったらどうすればいいか考えて動くかで変わる。あのころ、自分たちでスタジオ借りて練習したりしてたな。何もしんで上に上がれる甘い世界じゃないんで」
──ほかにも変わった部分ってある?
「多いっすよ。例えば、松竹座の楽屋のお風呂、今は誰でも入れるんです。昔は厳しくて、おっきい人しか入れなかった。でも先輩に誘われたら入れる。俺は、よくみっちー(道枝駿佑)とか誘ったな。変わったほうがいいことも当然ある。でも、スタッフさんを含め関西Jr.の全員で家族みたいなファミリー感は変わらないでほしいな」

なにわ男子結成。「なんで俺おらんの?」

──2018年、King & Princeのデビューはどう思った?
「悔しかったのかなあ!? 半分半分かな。紫耀も廉もいて、なんか懐かしさみたいなものも感じつつ、スッて飲み込めたっていうか」
──ただ、9月に結成されたなにわ男子のメンバーに入らなかったのは、簡単には飲み込めなかったんじゃない?
「ちょうど映画館で映画を見てて。見終わってケータイの電源入れたらメールや着信がたくさんあった。なんか騒ぎになってるなって思ったら“なにわ男子結成”って。“なんで俺おらんの?”って冷静じゃいられなくて、すぐマネージャーに電話したけど、曖昧な答えしかもらえなくて。映画館の駐車場の陰でしばらく泣いたな。なんかドンッて突き落とされた感覚というか。“今までがんばってきた意味は?”って頭の中がグチャグチャで」
──ツラかったね。
「“なにわ男子、クソー”とは思わんし、全面的におめでとうなんです。時間が経って冷静になれば、そこにもし俺がおったら違和感あるなって思えたしね。ただ、切り捨てられたような気持ちになって……正直、辞める方向で考えてたな。ステージに立って笑顔してるけど、どこか笑えてない感じが失礼やと思って……ここが潮時かなって」
──それでも辞めなかったのは?
「なんだろ。やれることは全部やったのか? 最後まで足掻こうって思ったのかな。入れてもらえないなら自分でグループを作ろうと思って企画書を作って。コンセプト、ターゲット、メンバー構成、フォーメーション、全部考えて。(室)龍太くんとのデュオだったり、ほかのJr.を入れたり、3パターン作って。舞台見に行くって周囲には言って、実際はジャニーさんにプレゼンをするために東京に行ったんです。きっと実現しない、意味のないことしてるのも、どこかでわかってた。でも、とにかく動いてないと何かが終わってしまうような気がして。がんばってプレゼンしたら、ジャニーさん、“室と向井のふたりの案がいいんじゃない”って言ってくれたけど、結局実現まではいかなかったな」
──そんなタイミングで滝沢くんからSnow Man加入の打診があったんだ。
「はい。“Snow Manに入れたいけどどうかな?”って。その少し前に、滝沢くんが会いに来てくれて、“来年、『滝沢歌舞伎』に出てもらうから。おまえは、こっちだからな”って言われてて。そういう意味だったんだって」
──加入すること、すぐ決断できた?
「20分、悩んで返事したんです。たった20分って思うかもしれないけど、俺にとっては1カ月とか、それ以上の長さに感じた。返事の早さってすごい大事だから。分刻みで状況が変わるような世界で、タイミングをちょっと逃しただけでチャンスをつかめなかったことなんていくらでもある。頭を抱えていろんなこと考えて。Snow Manへの加入は関西を離れることを意味する。もちろん加入したからといってデビューできる保証はない。ただ、俺からしたら最後の光なのは、間違いなくて。悩み抜いて、“喜んで”って返信しました。ただ、ひとつだけお願いって言ったら変ですけど伝えたんです。まだ目黒(蓮)、ラウールの加入は知らなかったんで、“Snow Manのメンバー6人が僕を受け入れてくれるなら、ぜひ行かせてください”って。あと、“Snow Manファンのみんなが受け入れてくれるのには時間がかかると思うんですけど、いいですか?”って」
──そこを心配したんだ。
「だって完成されたグループに、わけわからんもんを入れるって、俺がSnow Manのファンだったら“は?”ってなるもん。それは愛されてる証拠というか。今までのファンにも愛してもらえるようにがんばります。でも、少しだけ時間をくださいって滝沢くんに伝えて」
──大きな決断だったね。
「でも、決めたからには、あとはがんばるだけ。ただ龍太くんに、そのことをなかなか切り出せなくて。俺、性格悪いよ。でも言えない。言えないよ。それでも言わなきゃって思いきって、“滝沢くんに、こう言われて、こう伝えた”って話して。龍太くん、“そっか。教えてくれてありがとう。そんな顔すんな。俺も自分の道進むから”って」
──2019年1月の大阪城ホール、向井くんが関西を離れることを知った関西Jr.のメンバー、皆泣いてたね。
「本番前にみんなを集めて、大倉(忠義)くんが発表してくれたんです。俺はコンサートでは泣くつもりなかったけど、みんなの涙を見たらもらい泣きしちゃって。あれはエモエモだったから。でも、大吾と(大西)流星には、事前に内緒で伝えてたんです。リハーサル後に入ったお風呂で。ふたりは戦友だから。特に大吾はライバルでもあるというか。ジャニーズWESTのデビュー後、大吾と競ったから、あんな熱いステージができたから」

「やろうなあ。がんばれな」

──Snow Man加入が決まり、まずはあいさつの練習をひとりでしたんでしょ?
「はい、“Snow Manの向井康二です”って何度も練習しました。スムーズに言えるように、イントネーションも何度も確認して。あとキャッチフレーズ。“どうも! みんなの万能調味料こと塩こうじよりも向井康二です!”って言ってたんですけど、“Snow Manの”ってグループ名をどこに入れたらいいか研究したりしましたね」
──グループになじむのは言うほど簡単じゃなかったんじゃない?
「6人は“一緒にがんばろう!”って両手を広げて迎えてくれた。2月の『滝沢歌舞伎ZERO』でグッと距離が近づいた感じもします。ただやっぱり少しずつ、少しずつですよね。6人にとっても加入は初めてのことで、手探りの部分もたくさんあった。ラウールとめめ(目黒蓮)は、同じタイミングで入った仲間として支え合った部分もあったな。あとはファン。この年のMYOJOのJr.大賞、俺2位で。救われた気がしました。うれしかったな」
──大阪と東京のちがいみたいなものにも戸惑ったりしたんじゃない?
「トークのリズムや間。関東、関西の笑いのちがい。やっぱり試行錯誤というかね。加入したからには、俺が8人の新しい面を引き出さなきゃって意気込みすぎてたのもあって、最初は余計に空回りしたかな。正直、浮いてた(笑)。いろいろ悩んでカウンセリングみたいなのも何回か受けたりしてね。5月の『ジャニーズ IsLAND Festival』のMCは考えすぎてひと言もしゃべれなくて。(藤井)流星に“関西のセンター張ってたヤツが。おもろな!”って言われて。流星なりのエール、うれしかったな。ただ何度スベっても、何回空回りしても、このグループにすべてを捧げようって決めた瞬間があって」
──それはいつ?
「『滝沢歌舞伎』のとき、舘さん(宮舘涼太)とサシメシに行く機会があって。いきなり真剣な顔で言ってくれたんです。“入ってきてくれてありがとう”って。なんかもう涙が止まらなくなっちゃって。やっぱり、受け入れてもらえるのか不安な部分もあったから。でも、そのひと言で不安も迷いも全部消えた」
──そして6月末、ジャニーさんの病室でデビューを告げられる。
「デビューを伝えられて泣いたの、俺だけやねん。気づかれないようこっそり泣いてたつもりが、メンバーにはバレてて。でも、俺が泣いた理由は“デビューだ。やった!”ってことじゃない。ジャニーさんが決めてくれたデビューだったこと、ジャニーさんに感謝を伝えられるうちにデビューできたことがうれしかったからで」
──そして8月8日、『ジャニーズJr.8・8祭り』でデビューを発表。
「あの会場の雰囲気……喜ぶ人、泣いている人、喜びたいけど複雑な人、一瞬で全部が伝わってきて。そんな空気を全部飲み込もうってメンバー全員が思ったな」
──会場には、ジャニーズWESTのメンバーが何人も駆けつけてたよね。
「(藤井)流星、ハマちゃん(濵田崇裕)、のんちゃん(小瀧望)もおって。トロッコで前を通ったら、“おめでとう!!”ってめちゃめちゃ手を振ってくれた。流星だけ、俺をにらんで指さすんですよ。“お前、デビューすんなら言っとけ!”って顔して(笑)」
──それは言えないよね。
「でも、ひとりだけ事前に伝えたんです。“龍太くんにだけは言わんでデビューはムリやわ。だから言うわ”って。そしたらニコッて笑いながら“やろうなあ。がんばれな”って。俺、“そうですねえ”しか返せなくて。悩んだ時期も、いろいろ乗り越えた時期もいっしょ。そういう世界なのもわかる。でも龍太くんに何か足りないわけじゃない。8月8日、あの日、龍太くんが登場したときの歓声、いちばんくらいに大きかったよね!? 俺、あの歓声が本当にうれしくて。“どうや! これが室龍太の実力や!!”って」
──入所14年目でのデビュー決定。両親も喜んでくれたんじゃない?
「ふたりとも会場にいて。発表直後の動画をママが撮って送ってくれて。ママよりパパが泣いてた(笑)。最初に話したけど、パパとは仲が悪い時期もあって。特に高校を卒業するくらいのときとか。高校を卒業するまでにデビューできなければ辞めようって考えるJr.って多いと思う。俺も頭をよぎったし。それでもデビューは夢で。だけど、どうなるかなんてわかんない。“どうすんだ?”ってパパに何度聞かれても、俺のほうこそ“どうすればデビューできんだよ!”って誰かに聞きたいくらいで。よくケンカしたな。デビューできて、ようやく少しだけ安心させられたかな」
──お兄ちゃんも喜んだでしょ?
「うん。“よかったな。ま、お前がデビューできひんのはおかしいことやから。事務所、センスええわ”って(笑)」

道枝くんとラウールくん、どっちが好き?

──今、メンバーに伝えたいことを教えて。まずは深澤(辰哉)くん。
「深澤さんはねえ、なんやかんやいって一緒にいるよね。結構、信頼されてると思うよ、俺(笑)。ふっかさんには悩みを聞いてもらうことも多かったしね。でも、ふっかさんはふっかさんで絶対に見せないけど悩みがあるはずだから、今度は俺が聞いてあげたい。自分のことよりまずメンバーのことを気にかけちゃう人だからね」
──深澤くん、「康二はメシを食べるのが遅い」って言ってたよ。
「向こうが早いねん! めっちゃめちゃ早い。ビックリしたで。例えるならMYOJO一冊を5秒で読むくらい早い。俺も言わせてもらうと、ふっかさんは機械に弱すぎる。ケータイのパスワードを新しく設定した5分後に“康二、俺のパスワード何だっけ?”って聞くのやめて。ふっかさんのこと、なんでも知ってるけど、さすがにパスワードは知らん!」
──ハハハハ。次に渡辺(翔太)くん。
「しょっぴーは、前まで俺が“しょっぴー、スキスキスキスキ”って言って“やめろよ”って冷たくあしらわれてたけど、今はしょっぴーが俺のこと好きやもんね、つまらん(笑)。大阪弁、いちばんうつってるのしょっぴーやしね。最近はサシでお笑い会議したな。“康二的に、俺ってどう? お笑い的に”って。俺が言うのもなんやけど、めちゃめちゃうまいと思うけどなぁ」
──阿部(亮平)くん。
「グループでいちばん武器が多いからね。本当に尊敬してる。俺はメンバー全員に甘えてるけど、特に阿部ちゃんには関西Jr.だったときから甘えちゃう。教え上手だから振りつけを教えてもらうことも多いしね。阿部ちゃんが元気ないときとかあんまないから、逆に元気がないとすぐ気づく。“大丈夫?”って聞くようにしてるけど、甘えるばっかじゃなくて、早く俺が甘えられる存在にならないとね」
──宮舘くん。
「舘さんへのツッコミ、最近種類を変えたんだよね。そしたら“おい、気づいてんぞ。俺に当たり強いだろ”ってバレてた(笑)。“えぇ!?”ってトボけてごまかしたけど、じつは本人にも言ってない俺の中での計画があって。舘さん、もっともっと多くの人に愛されるべき人だと思ってる。イジられればイジられるほど出汁が出る人だから。バラエティー番組に出たら芸人さんたちもほっとかないはず。だから、予行練習じゃないけど、いろんなツッコミに慣れてほしいんですよね。もっともっと大暴れするために。お前は何様やねんって話やけどね」
──次に佐久間(大介)くん。
「さっくんは、結構バラエティー番組でどうしたらいいかなって、俺に相談してくるな。でも、なんでいつもあんな元気なんだろうね!? 楽屋でも変わらずあのテンションだからね。いつか電子レンジに入れた卵みたいに爆発するんじゃないかって心配(笑)。なんか俺がグループのお笑い担当みたいに言われることもあるけど、Snow Manの笑顔担当はさっくんだからね。Snow Manを笑かせてるのは、やっぱさっくん。俺もいつも元気もらってる、ありがとう」
──岩本(照)くん。
「照兄は、お兄ちゃんだよね。グループに欠かせない存在。振りつけに関しても、すごいアドバイスしてくれる。“康二、こうしたほうがいいよ”って。鏡でひとりで練習してると、必ず来てくれる。自然と照くんのダンスに寄せてる自分がいるな。強さだけじゃない、最近は弱さを見せてくれるようになって、よけいに愛おしい。グループの意見や提案をスタッフさんに伝えてくれるんだけど、もちろんすべてが通るわけじゃない。そんなとき、“俺はこう思うんだけどな”ってちょっと凹んでる姿とか、俺はすごい人間らしくていいと思う」
──目黒くん。
「東京に来たばっかりのころ、最初は毎日、めめが送り迎えしてくれてた。いろいろ面倒も見てくれて、ありがとうって言ったら、“もし俺がいきなり大阪で生活することになったら不安だろうからさ”って。年下だけど、年上だと思ってるよ。物事をはっきり言うし、自分の見せ方をすごい理解してる。だから成長も早いんだよね。めめのようなメンバーがいるとグループも成長できる。すごいよ。俺も負けてられるかって存在になってるからね」
──最後にラウールくん。
「やっぱり、デビュー会見のことが印象に残ってるかな。俺が笑いを取ろうと“SixTONESのほうがカッコいいです”って言ったんだよね。会見が終わったらラウールに、“康二くんのこといつも大好きだけど、ああいうネガティブなコメント、俺はダサいと思う”って真っ直ぐ目を見ながら言われた。会見を盛り上げなきゃって思ったのもある。でも、なんでも笑いにしようとするのは俺の悪いクセだね。笑いを取るために、グループを下げるコメントをする必要なんてない。ラウールの言う通りやなって。そっからSnow Manを下げるような発言一切してへん。俺、ラウールの存在自体を尊敬してるからね。誰がなんと言おうとSnow Manのセンターや。もちろん、年相応に未完成な部分も、弱い部分もある。でも、人としてカッコええ。俺は大好き」
──道枝くんと、どっちが好き?
「それ聞く?(笑)。それがさあ、スケジュールが空いてたから、TGC(東京ガールズコレクション)に出るラウールを見に行こうと思ったの。でも人数制限の関係で会場に入れなくて。ラウールに“残念だけど配信で見るわ”って言ったら“ありがとう。でも、道枝の出るタイミングは教えないよ!”って言われた。かわいくない!?」
──ハハハハハ。
「でも誰がってことじゃなくて、Snow Manはホント、いいグループだって思う。ライブの打ち合わせ中とか、みんなすごい自分の意見言うのよ。グループのこと、ファンのこと、全員がめちゃめちゃ考えてる。打ち合わせ中、俺はだいたい真ん中に座ってるんやけど、右を向いたり、左を向いたりで忙しい。マスクしての打ち合わせだからバレないのをいいことに、口元が常にニヤニヤしちゃう(笑)。あぁ、ええグループやなって」

ファンの手をニギニギしたいよ

──デビューした今だからこそ、関西Jr.に伝えたいことってある?
「うーん、関西ジャニーズJr.って名前、ホントすごい言いづらいよね。噛みそうになんのよ。いつかその肩書きが取れたとき、すごい感動するから。でも、同時にすごい寂しくもなる。どれだけ家族みたいなあたたかい場所だったかわかるから。偉そうに聞こえたらごめんだけど、肩書きが取れる日、待ってるからね。俺はしげに“関西と東京の架け橋になれ!”って言われたんだけど、関西Jr.のために、できることは何でもしたい。あとは関西Jr.のファンの人へ。Jr.のファンは本当に大変だし、不安になることも多いと思う。でも、信じて最後まで応援してあげてほしい。愛してあげてほしい。あいつらみんな、エモエモやから」
──じゃあ、これからの個人の夢は?
「カメラ関連の仕事は絶対したいな。個展も開きたい。写真集も出したい。メンバーの写真、めちゃくちゃ撮ってるからね。あとは海外で仕事がしたい。いろいろありすぎるな(笑)」
──Snow Manとしての夢は?
「まずはドームかな。自分らのライブでドームは感動するんやろうね。まだバックでしか経験ないからね。でも俺がこんなこと言ったら怒られるかもだけど、正直会場はどこでもいい(笑)。ファンに会える場所が作れればどこだってかまわない。もちろん状況を考慮するのが最優先。この状況が落ち着いたら、まずはファンに会える回数をとにかく増やしたい。だって、まだ『D.D.』の握手会やハイタッチ会もできてないんだよ。ファンだけじゃない、俺だってファンの手をニギニギしたいよ!」
──じゃあ、そろそろシメの言葉を。
「もう終わり!? まだ全然しゃべるよ。これで10000字足りる?」
──すでに収まりきらないよ。
「じゃあ最後に言わせて。まだまだ話しきれない、いろんなことがあったし、悔しくて泣いたこともあった。でも、俺はひとつも後悔してない。今日までのすべてのことがあったから、今、俺はかけがえのない8人のメンバーに囲まれ、Snow Manという素晴らしいグループにいる。大阪からついてきてくれたファン、ありがとう。俺だけじゃない、みんなも不安だったよね。そして関西Jr.から来た向井康二を、そしてそのファンを受け入れてくれたSnow Manのファン、本当に本当にありがとう。もちろん新しくファンになってくれた人も、ありがとう。一日も早く会える日が来ることをファンと同じように、それ以上に俺もSnow Manも願ってるよ」

取材・文/水野光博