Myojo

10000字ロングインタビュー

いつか報われんのかな、じゃない。
報われるまで努力を続けた。
それが今の結果なんです。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

SixTONES・Snow Man編

第12回

渡辺翔太

〔Snow Man〕

わたなべ・しょうた
1992年11月5日生まれ。東京都出身。B型。身長172cm。
2005年6月26日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2021年6月号に掲載されたものです。

自分はアイドルに向いてないんじゃないか…自信がなかった。
努力しても報われないんじゃないか…不安だった。
でも一緒にいるメンバーが教えてくれた。
俺たちにはひたむきに努力するという武器がある、と。
その結果が今なんだ。デビューできたから胸張って言える。

直接感謝を伝えたい。それがメンバー全員の願い

──4月から『それSnow Manにやらせて下さい』が地上波レギュラーに進出など、充実のデビュー2年目だね。
「ありがとうございます。ただ、今のSnow Manの評価って僕らが築いたというより、CDを手に取ってくれたり、動画を視聴してくれたみなさんが作ってくれたものなんです。だから、まだ配信という状態でのライブでしか感謝を伝えられていないので、まずは直接感謝を伝えたいというのがメンバー全員の思いですね」
──じゃあ幼少期のことから聞いていくと、メンバーと同じ幼稚園、同じクラスだったってドラマみたいだよね。
「ホントですね。ゆり組時代、もちろん舘(宮舘涼太)は今みたいにロイヤルでも物静かでもなくて、さすがに幼稚園児ですから、今よりはしゃいでましたけどね(笑)」
──その後、宮舘くんと同じダンススクールに通うけど、渡辺くんはダンス以外にスイミング、体操などいろんな習い事をしてた。
「どれもきっかけは親ですね、うん。いろいろすすめられて始めたんですけど、小学2、3年で始めたダンスだけは楽しいって感じて続けたんです。ジャニーズに入るきっかけになったんで親に感謝しないと」
──昔からジャニーズ入りたかった?
「ジャニーズがどういうものか、よくわかってなかったんですけど、小さいころ、七夕の短冊に書いたんですよね。“キムタク(木村拓哉)になりたい”って。『SMAP×SMAP』で歌っている木村さんを見て憧れてたんで」
──じゃあ、中学1年でオーディションを受けたのは自分の意思?
「ジャニーズ好きの母に、“買い物につき合って”って言われて、行ってみたらオーディション会場でした(笑)。もう参加するしかないんで、踊るだけ踊って、その場をやり過ごして帰ろうみたいな」
──でも思いがけず受かってしまった。
「ジャニーさんに“YOU、いいね!”ってほめてもらって、そのまま撮影スタジオに連れて行かれたのを、めちゃめちゃ覚えてます。スタジオでどうしていいかわからず戸惑う俺に最初に声をかけてくれたのがふっか(深澤辰哉)で。“どれでも好きなの飲んで”って、編集部の人が用意してくれた飲み物を、あいつ全部自分で用意したみたいな感じで言ったんですよね(笑)」
──その数日後には少年隊の『PLAYZONE'05』の舞台に立ち、すぐに『青春アミーゴ』のPVにも出てる。
「もう頭が真っ白でしたね。こんなに一気に世界が変わるのかって。PVはのちにHey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、A.B.C-ZになるJr.に混ざって出させてもらって。そこにいたのが佐久間(大介)でした。佐久間はオーディションのときに俺が指導役をしてるはずなんですけど、あんま印象に残ってなくて」
──どのタイミングで、この世界で生きていこうって決めたの?
「うーん、この世界でって決心したのはけっこう遅かったんですよね。もっとずっとあとです。ジャニーズを続けたのは、二階堂(高嗣)くんや、有岡(大貴)くん、八乙女(光)くんたちが毎日一緒に帰ってくれたり、すごい可愛がってくれたのがうれしかったからですね」
──渡辺くんの入所から3カ月後、宮舘くんがオーディションを受けてる。「ラバーバンド外せ」ってアドバイスしたこと覚えてる?
「はい。俺は何度か指導役をやっていて、オーディションで選ばれるのは着飾ってカッコつけてるヤツより、一生懸命ひたむきに踊るヤツだって感じてて。舘がゴチャゴチャ手首につけてたんで、“そんなのなくたって、おまえならいけるよ”って思ったのかな」
──その後も仕事は順調だったよね。
「ですね。少しずつ周囲を見渡す余裕もできて、となりにいたのが、山田(涼介)くんや、(中島)裕翔くんだったり、俺より1、2年早く入所した人たちで。マイクもすぐ持たせてもらえたんで、いい位置にいるんだなって。この時点まででいえばエリートっす、俺(笑)」
──この時点まで!?
「高校生くらいからは、自分に自信もないし、劣等感をメッチャ感じましたからね。すでに山田くん、裕翔くんはHey! Say! JUMPでデビューして、俺は一緒にやれてなかったんで。このころ、初めて、“これからどうなるんだろう?”って、未来を考え始めたんですよね」
──そんな時期に結成されたのがMis Snow Manだったね。
「グループに入れるのがうれしかったし、すぐメンバーとも仲よくなって。深澤、阿部(亮平)、佐久間、宮舘、岩本(照)、それぞれが悔しい思いをしている人たちだったというか、境遇が似てたんです。深澤でいえばJ.J.ExpressのメンバーのほとんどがJUMPでデビューしたのに選ばれなかった。このメンバーに出会って初めてデビューを意識しましたね。ただ俺は自信がなかったんで、“デビュー”って言葉を口に出したこと一度もなかったな」

そもそもアイドルに向いてるのかな?

──でも、そんなMis Snow Manは2011年に空中分解してしまう。
「メンバーの離脱、阿部ちゃんが受験のために活動休止。グループ名がなくなったり、悪いことがいっぱいありすぎて、もうグッチャグチャで。入所してから今日まででいちばんキツかった時期ですね。明日がまったく見えなかった。俺はMis Snow Manがなくなったことに納得できなくて自暴自棄というか、もうどうでもいいって気持ちになって、本当に失礼な話なんですけど、先輩のバックについてもメチャメチャ手を抜いて踊ったりして。当然、怒られるんですけど、それに対して逆ギレするみたいなこともして。マイナスにマイナスなことしかしてなかった時期です」
──仲のいい田中(樹)くんや、(菊池)風磨くんが、当時の渡辺くんのこと、「メッチャ怖かった」って。
「樹と風磨のほうが俺よりあとに入ってきてる。なのに樹もすぐにマイクを持って、風磨はまさにMis Snow Manが空中分解したタイミングでデビューしてる。なんかムキになってキツく接したりして、俺、ダサかったですね」
──遅れてきた反抗期みたいだね。
「そうっすね。樹や風磨どころか、滝沢(秀明)くんにも歯向かってましたからね。滝沢くん、荒んだ俺を楽屋に呼んで、いろいろ話してくれて。なのに話が終わって自分の楽屋に帰っている最中に納得できなくて、もう一回、滝沢くんの楽屋に押しかけて文句を言ったり。滝沢くん“俺に文句を言ってくるのはおまえくらいだぞ”って呆れた顔して笑ってくれて。“楽屋でこれ以上ブーブー言ってもしょうがないから、今日、夜メシを食いに行こう。食べたいもの考えといて”って誘ってくれた」
──そんな滝沢くんが命名して誕生したのがSnow Manだったよね。
「はい。もう一度、グループにしてもらえてうれしかったですね。それからはKis-My-Ft2やA.B.C-Zがデビューしたんで、舞台で滝沢くんの真後ろ、僕らがいちばん前の列になって。滝沢くんによくダメ出ししてもらいましたね。俺と深澤が、よく怒られるツートップで、本当の親以上に滝沢くんには怒られてました、俺ら」
──当時の雑誌のインタビューで、滝沢くんが、SnowManのメンバー紹介をする企画があって、ほかのメンバーのことはほめてるのに、渡辺くんだけ“まだ本気を出してない”ってほめてなかったのが印象的だったんだよね。
「確かに1回もほめられたことなかったですね。いい意味で煽ってくれてたのかな。“俺だけほめられない。クソッ!”ってやる気にさせようと。もしくは本当にほめられるとこが一切なかったか、どっちかっすね(笑)」
──いつかデビューできると思ってた?
「もちろんデビューしたかったですけど、不安のほうが大きかったかな。デビューするために、“自分の武器ってなんだろう?”“このグループだけの武器ってなんだろう?”って考えたんですけど、思いつかないんですよね。例えばSexy ZoneやKing & Princeのメンバーが持っているようなキラキラを俺は持ってない。自分が持っているものってわかりにくいけど、持っていないものはわかる。“そもそもアイドルに向いてるのかな?”って思ったことも何度もありましたしね」
──辞めようと思ったこともある?
「何回かよぎりました。やっぱり年令を重ねるにつれてシビアに選択を迫られるんで。大学卒業が近づいたときは将来のこと、かなり悩んだし。いろいろな先輩のバックについたり充実した日々を送ってる。でも、未来に関して確かなことはひとつもない。大学の友だちは就職活動をして、“内定もらった”って会話なんかをしてるのに。“このままでいいのか? いつまでもJr.と呼ばれる存在でいいのか?”って。どんだけがんばっても、どんだけ努力してもデビューできなかったら何者にもなれない。“決断するなら早いほうがいいんじゃないか?”って」
──アイドル以外にやってみたい仕事ってあった?
「スーツを着る仕事をしたいなとは思ったかな。昼どき、オフィス街で首から社員証をかけて同僚とランチするスーツ姿の大人を見て楽しそうだなって。今思えば、無理やり楽しいだろうなって思い込もうとしてたんですよね。どの仕事だって真剣に取り組めば大変だってことくらい、中学から仕事をしてるんでわかってた。でも、アイドル以上に魅力的な仕事を見つければ決断できるんじゃないかって」
──悩みを相談できる人はいた?
「ひとりで抱え込むタイプでしたね。ただ、寄り添ってくれたのがはっしー(橋本良亮)でした。実家が近いってこともあったんですけど、ハタチ前後、メチャクチャ一緒にいたんです。お互いの家をよく行き来して、俺がいないのに俺の実家ではっしーが夕飯食べてたり。あのころは毎日のように顔を合わせるヤンチャ友だちだと思ってた。だけど大人になって、はっしー、言葉にこそしなかったけど、そばにいることで“がんばれよ”ってエールを送ってくれてた。寄り添ってくれてたんだなって気づきましたね」
──橋本くんの存在、大きかったんだね。
「ですね。ただ、うーん、正直ジャニーズを続ける勇気より、辞める勇気がなかったって言ったほうが正しいかな」

あの曲、YOUが歌ってるの?

──佐久間くんは、2015年の「舞台『少年たち』で翔太は変わった」って言ってたよ。
「よく見てますね。その通りだと思います。念願だった主演舞台を勝ち取った。今までまったく見えなかったデビューに向けての兆しが、ちょっとだけ見えた。もちろん0から1になるかどうかくらいのわずかな兆しだけど、ここがチャンスだって。きっとメンバーも同じこと思ってましたね」
──必死だったろうね。
「ですね。一生懸命稽古してるメンバーをふと見たら、なんか気づいたんですよね。これまで、いろんな先輩たちのバックについた日々も、振りを合わせるために何度も何度も繰り返した練習も、何度ケガしても続けたアクロバットの練習も、流した汗は全部ムダじゃなかったんだって。ほかのグループに比べて、Snow Manは武器を持ってないってずっと思ってた。でも地味かもしれないけど、ひたむきに努力するって武器を持ってるんだなって。このメンバーとデビューしたいって心から思いましたね」
──なるほど。
「本番直前、稽古場でジャニーさんに見せたら、“YOUたち最高だよ”って涙を流してくれて。ジャニーさんに認めてもらい、この世界で生きていく決心もつきました。ハタチを余裕で過ぎてるんで、おっせー決断だなって思いますけどね(笑)。ただ、“いつか報われんのかな、この努力”ってどこかで思ってたんですけど、そうじゃない。報われるまで、デビューできるまで、この6人で続ければいいんだって思えたんですよね」
──じゃあ2018年、King & Princeのデビューはどう思った?
「おめでとうって気持ちの中に少しの悔しさが混じったかな。King & Princeがデビューするだろうって空気はあった。でも実際にデビューが決まると、Kis-My-Ft2やA.B.C-Zがデビューしていったころとはちがうというか。後輩に先にいかれちゃったって思いがありましたね」
──じゃあ、翌年の3人の新加入は?
「嘘つかずに言いますけど、最初に話を聞いたときは戸惑いましたね。“こんだけ6人でやってきたのに”って気持ちもゼロではなかったです。ただ思い返すとMis Snow Manができたときと似てるなって。目黒(蓮)、ラウール、向井(康二)、みんな別のグループや環境でなんらかの挫折を味わってる。だからなのか、元いた6人と新加入の3人、9人の気持ちが一致したんすよ。このグループに賭けようって覚悟が一致した。グループの土台を作ったのは6人かもしれない。でもデビューまで引っ張り上げてくれたのは3人だと俺は思ってます。この辺の話をするとざわざわするんですけど」
──確かに加入発表直後は複雑な心境のファンもいたよね。そんな中、舞台『少年たち To be!』で渡辺くんは、「もし3人のこと悪く言う人がいたら 僕は許しません。9人でSnow Manです。家族です」って強めの言葉を発して矢面に立った印象がある。
「3人の盾になりたかったんですよね。特にラウールが落ち込んでる姿を見てると、どうしても何か言わずにはいられなくて。俺はいくらでもたたいていいから、3人はたたかないでって。なんか、このトークは荒れそうですね(笑)」
──でも、デビュー2年目の今、3人を認める人が大多数になっているイメージがあるよ。
「ですよね! 完全に3人の努力が実を結んでますよね!! 今、“Snow Manっておもしろいね”って印象を抱いてくれる人の多くは康二がきっかけだったりする。東京ガールズコレクションというジャニーズ自体あまり参加していなかったイベントにラウールが出演して、グループの知名度を上げてくれた。目黒なんて気づけば木村さんとドラマで共演してますからね。3人は逆風の中、言い訳も泣き言も言わず、結果で風向きを変えた。カッコいいです」
──滝沢くんが芸能界から引退。2019年は『滝沢歌舞伎』をSnow Manが引き継いだ年でもあったよね。
「そうですね。『滝沢歌舞伎ZERO』のリハーサルで、僕はジャニーさんと最後の会話を交わしてるんです。リハーサル中、僕が歌うシーンの音源が流れた瞬間、ジャニーさんが周囲の人を呼んで会議みたいなことが始まって。なんか重い雰囲気で、これは鬼のダメ出しで“この曲、誰が歌ってるんだ。最悪だよ”みたいな話し合いかもと思ってバクバクしてたら、ジャニーさんが僕のとこまで来て“あの曲、YOUが歌ってるの?”って聞くんで、“はい”って答えたら、“最高だよ! YOU、こんないい声してたんだね”ってほめてくれた。ジャニーさんの後ろに立っていた滝沢くんも“よかったね”って笑ってくれて。ジャニーさんに歌をほめてもらったのはオーディション以来。滝沢くんにほめられたことなんて、このときが初めてだった。ふたりの前で泣くわけにいかないから、チョー我慢して、その後ひとりになって泣きましたね」
──メンバーは泣いたこと知ってる?
「たぶん知らないと思う。それぞれ別々のことをしてたんで。俺はトイレに駆け込んで一瞬だけ涙を流して、すぐ顔を洗ってマスクをして戻って平然を装ったから。この泣いたエピソード自体初めて話すし、胸の中だけにしまっておこうと思った僕の中でいちばんの宝物みたいなエピソードなんで」
──そうだったんだ。
「その後、『滝沢歌舞伎ZERO』の千秋楽が終わった楽屋で滝沢くん、メンバーひとりひとりと無言で握手してくれた。なんか、そんときも泣きそうになりましたね。握手の真意はわかんないんですけど、あの手を握る強さ、“よかったぞ。おまえたちに託すよ”ってメッセージが込められてたのかなって」

Snow Manをナメんじゃねえぞ!

──その年の6月末、病院でデビューを聞かされたときは何を思った?
「もちろんうれしかったです。でも唐突すぎて、デビューするって実感はしばらくなかったですね。その後、『ジャニーズJr.8・8祭り』でデビュー発表をして。はっしー、俺たちがデビューすることを知らずに会場に駆けつけてくれたんですけど、デビュー発表後、トロッコで見学席の前を通ったら、立ち上がってガッツポーズして見学者の中で誰よりも喜んでくれてました」
──両親も喜んでくれたんじゃない?
「ですね。お父さんは会場に来れなくて、お母さんだけ会場にいたんです。思い返すと、両親に“将来どうすんの?”って言われたこと一度もなくて。俺に委ねてくれてたんだなって。まず、お父さんに電話で報告したら“おめでとう”って言ってくれました。うちの両親、照れ屋なんで、あまり感情を俺に見せないんです。だからお母さんも淡々と“おめでとう”って言ってくれるだろうなと思って電話したら、もう言葉にならないくらいメッチャ泣いてました。なかなかデビューできない俺をずっと見守ってくれてたんで、思うことも多かったはずで。デビューは少しだけですけど、親への恩返しになったかなって」
──そうだね。
「その後、千賀(健永)くん、二階堂くん、はっしーにも改めて連絡して。千賀くんとはふたりでごはんに行って面と向かって“デビューさせていただきます”って報告したらめちゃめちゃ喜んでくれて」
──その後、デビュー年の2020年はコロナの影響で思い通りに進まないことも多かったけど、配信という形でデビューコンサートを開催。MCで「“Snow Manはデビューできないよね”。何度も聞きました。でも、これが結果です。Snow Manナメんじゃねえぞ!」って言ってたよね。
「デビューライブだからこそ、今まで思ったこと全部言ってやろうと思って。でもコメントを用意していくとどうしても引っ張られるんで、そのとき感じたリアルをぶつけたほうがいいなと思ったんです。ただ、あとで映像をチェックして、言いすぎたかなって」
──渡辺くんは過去の発言を探しても、Jr.時代のつらかったこと、悔しかったことをほとんど語ってない。胸の内が垣間見えたいいMCだったと思うよ。
「なんか、デビューしたからしゃべれる部分なのかなって。つらいときに“つらい”ってしゃべりたくないんで。プライドもあるし、聞かされたほうも、どうしようもないことだから。乗り越えたからこそ言えることなんだろうなって」
──そうかもしれないね。
「なんかデビューを告げられた日から、デビュー発表でファンや親、先輩、親友の反応を見て、実際にCDを手に取って、デビューってどういうことなのか少しずつ実感したというか。デビューって、過去の自分を救ってあげられるんですよね。悔しかったこと、苦しかったこと、全部デビューした瞬間、いい思い出になって輝きだすんです、一瞬で。自分だけじゃない。“Snow Manはデビューできないよね”って言われて傷ついたファンもいたと思うんです。でも、僕らがデビューすることで、あの日、送った声援がムダでも無意味でもなかったんだって、ファンの涙をうれし涙に変えてあげられる。デビューって本当にすごいことだなって」

気づけば康二の掌で転がされてます

──今、メンバーに伝えたいことを教えて。まずは深澤くん。
「やっぱねえ、優しいですね、彼は、うん。常に自分よりメンバーのことを優先して。グループが空中分解したとき、俺はやり場のない感情をどこにぶつければいいかわからず苛立ちを抑えられなかった。深澤だっていろいろ思うことはあっただろうけど、ふっかは“がんばろう”ってメンバーを励まし続けた。そして今も変わらず優しい。ふっかがいたから、今のSnow Manがあるんだなって改めて思うかな」
──宮舘くん。
「康二にイジられて、“やめろよ”って言いながら意外とニヤついてるよね。そんなふたりを見て俺もニヤニヤしちゃう(笑)」
──年末年始、宮舘くんと連絡は取ってた?
「まったく。俺から励まされても、何を言われても、気持ちが明るくなるとは思えなかったんで。今はそっとしておこうって。舘が戻ってきたときも何も言わなかったし、何も聞かなかった。ただただいつも通り。何を思ってるかわかるし、向こうだってわかってる。だって、ゆり組どころか、生まれた病院から一緒ですからね。それぞれの関係性があるから、あの期間、たくさん連絡取るのも正解だろうし、連絡取らないのも正解だと思うな」
──そうだね。
「なんか、優しさっていろんな形があるなって。年末、Snow Manの活動の一時休止中、まさに大晦日に樹や風磨が、さらっと連絡してくれたんですよ。“大丈夫?”とかじゃなくて“今、何してんの?”って。紅白に出られず家にいるに決まってるのに、とぼけて意地悪を装ってじつは気づかってくれた。優しいんです、あいつら」
──次に佐久間くん。
「グチっていいっすか!? 佐久間の横で踊ってると“渡辺、手を抜いてんじゃねえ!”ってよく怒られたんです。あいつがすごすぎて、俺の全力が手抜きに見える(笑)。でも、おかげでもっとがんばらなきゃって思えた。ダンス以外も、ほめるとこばっかですけど、いちばんほめるべきは、グループのために性格すら変えた努力だと思う。今とは真逆、マジで陰キャで物静かだったからね。“人ってそこまで変われる?”ってレベルの変化。変わろうと思えば、人はいつだって誰だって変われるってことを体現したのが佐久間だと思う」
──阿部くん。
「今、阿部ちゃんはSnow Manの玄関になってる。ぶっちぎりテレビに出ていて、阿部ちゃんをきっかけにSnow Manを知ってくれる人が大勢いる。クイズ番組だけじゃなくて、気象予報士、情報番組のリポーター、見えないところでの圧倒的な努力があるから今の活躍がある。正直、阿部ちゃんがいない期間、大変だったこともあった。それを今、有り余る形の一撃で返してくれてる。カッコいいよね。いまさら謝るけど、阿部ちゃんがグループに戻ってきて、覚えなければいけないことが山ほどあってバタバタしてるとき、俺はちゃっかり大学の宿題を教えてもらったりして負担を増やしちゃってたよね、ごめん(笑)」
──岩本くん。
「岩本は踊りも最初からうまかったし、入所してすぐいいポジションにいた。俺と境遇が似てたよね。ただ逆境に立たされても常にメンバーへの優しさを忘れなかったし、今、リーダーをしてるけど、ふさわしいと思うよ。紳士な優しさを今も持ってて、何の記念日でもない日に突然トレーニングウエアをプレゼントしてくれたんです。俺は筋トレにハマってて、少し前に、“筋トレのときに着たらテンション上がるウエア探してんだよね”って何気なくポロッと言ったことがあって、それを覚えててくれた。もらったウエアを着てトレーニングして、終わったら体を見せながら“ここどうかな?”って岩本にアドバイスをもらうのが日課です」
──ラウールくん。
「キラキラを持ってますよね。センターに立ってるってことだけじゃない、ラウールがいて助けられてることってたくさんある。大人になるとこれを言ったらちょっと空気悪くなるなと思って、言葉を柔らかくして伝えて、結局真意がぼやけてしまうことってありますよね。ラウールは自分がどう思われてもいいから真っ直ぐに思いを最短距離でぶつける。本当の大人ってラウールみたいなことを言うんじゃないかなって思うし、精神年令が高いよね。反対に、豪快な食いっぷりを見てると若いなって思う。ラウールの食事姿、気持ちよくてずっと見てられるからね(笑)」
──目黒くん。
「目黒もラウールと似ている部分があって、思ったことをガツンと言ってくれる。グループのためになってますね。学力的にはヤバイけど、地頭はいいんだなって。まだ別々のグループにいたころから仲がよくて、よく“これから俺たちどうなるのかな?”って語り合ってたふたりが、今同じグループにいるのは、なんか不思議だけどね」
──向井くん。
「舘をグイグイイジるとき、俺はいつも心の中で拍手してるよ(笑)。プライベートでも頼ることが多くて、ケータイを買い換えたときとか、康二の家に行って設定してもらったりする。俺が作業をお願いしてる立場なのに、家に行ったら、“おなか減ったでしょ”って生姜焼きをパパッと作ってくれたりするんすよ。キッチンに立つ後ろ姿見ながら、大阪時代も後輩の面倒見がよかったんだろうなって思いましたね。って、先輩の俺が甘えてる場合じゃないんですけどね。加入直後、“しょっぴー好き好き”って言ってきて、俺が嫌がって“こっちくんな。近い!”って嫌がるまでがワンセットだったのに、今じゃ康二のこと俺が好きすぎて、嫌がれなくなってるというね。気づけば康二の掌で転がされてます」
──9人になってよかったことが本当に多いんだね。
「多いどころか、いいことしかないっすね(笑)」
──次に個人とグループの夢を教えて。
「個人としては、夢というか目標というか歌を磨きたいですね。今の活動のすべてが楽しいんですけど、いちばん楽しいって感じるのは歌って踊ってるとき、特に歌なんで。今はうまいヘタよりも、声質とか声量をほめてもらえることが多いんです。もちろん練習もしたけど、両親に感謝しなくちゃいけない部分をほめてもらえてる。技術に関してはまだまだなんでもっと練習しないと。何よりジャニーさんとの最後の会話、あの数秒間って、今思い出しても泣けるんです。“ジャニーさんがほめてくれた俺の歌、あのときからは信じられないくらいたくさんの人に届いてるよ”って胸を張って言いたいんで、もっと歌を磨きたいです」
──そうだね。
「グループの夢はリアルなことでいうと、単独で東京ドームをやれるようになりたいです。簡単にできる場所じゃないですけど、デビュー発表させてもらった場所でもあるんで、いつかたどり着きたいです」
──最後にファンにメッセージを。
「俺は思ったことを、思ったままに言ってしまうことがあって、『少年たち To be!』のときだけじゃなくて、よく波風立ててしまう。ただそういうときって、“よくも悪くも渡辺だよね”とか“渡辺っぽいよね”ってファンの声が耳に届くんです。俺はそれがうれしいというか。ファンに甘えてるだけじゃダメだし、真意が伝わるように言葉をしっかり選ばなくちゃいけない。ただ、“渡辺っぽい”って言ってもらえることがうれしいし、おかげで俺は何にも縛られず素の自分、自由でいられる。感謝してます。正直、今でもファンサすら恥じらいがすごくてけっこう苦手で、テレビに出ると緊張するし、何なら今日みたいなひとりの取材も緊張します(笑)。いまだに自分がアイドルに向いているかわからない。でも、アイドルになってよかったって思わせてくれたのがファンです。だから、これからも“渡辺っぽい”って言われる発言も多いだろうけど、俺の言葉の根底には、みんなへの愛というか、そういう気持ちがあることが伝わればいいなって思ってる。ファンを含めてSnow Manだと俺は思ってるんで、今はまだ2年目だけど、5年後も10年後も、ずっと一緒に高め合っていける関係でいてください」

取材・文/水野光博