Myojo

10000字ロングインタビュー

くずれ落ちそうなときにいつも守ってくれたのは、
メンバーの「大丈夫」でした。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

SixTONES・Snow Man編

第13回

ラウール

〔Snow Man〕

らうーる
2003年6月27日生まれ。東京都出身。A型。身長190cm。
2015年5月2日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2021年7月号に掲載されたものです。

中3の冬、突然、キャリアも年令も離れたグループに加入。
強がっていたけど、本当は体力的にも精神的にもキツかった。
重圧で押しつぶされそうだった。
そんな俺をいつも8人のメンバーが支えてくれた。「おまえなら大丈夫」。
この言葉があったから、これからも俺は堂々とセンターに立っていられる。

最初にどうしても伝えておきたいこと

──これまで10000字インタビューに出てくれた人の中で、今回登場のラウールくんが17才で最年少だよ。
「そうなんですか! なんかうれしいです。僕、10000字インタビューのファンでいつも読んでるんで」
──じゃあ、いろいろ聞いていくんで、よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。あ、すみません。最初にどうしても伝えておきたいことを話してもいいですか?」
──もちろん。
「“ハイタッチ会、忘れてないぞ”ってことをまず伝えたくて。デビューシングルを手に取ってくださった多くの方のおかげで、Snow Manは初週ミリオン達成という華やかなデビューを飾れた。デビューした瞬間に僕たちを目立たせてくれた人たちのおかげで今があります。だから、こういう世の中が明けたら、有人観客のコンサートはもちろんだけど、僕はいちばん最初は、できるならハイタッチから始めたいんですよね」
──忘れてないんだね。
「はい。MYOJOの思い出も話していいですか? 僕、初めて載ったときのこと、めっちゃ覚えてて。2017年だと思うんです。“なんで俺が呼ばれたんだろう!? きっと大勢Jr.が出る企画なんだろうな”って思ってスタジオに行ったら、俺とヴァサイェガ渉と川﨑星輝の3人しかいなくて。“俺の時代、来たんじゃね!?”ってうれしかったのを覚えてます(笑)。デビューシングルを手に取ってくれた人もそうです。まだ何者でもなかったときに大切にしてもらったことを忘れちゃいけないなって。これから出会う多くの人たちももちろん大切です。それと同じかそれ以上に、まだ何者でもなかった僕たちを応援してくれた人への感謝を忘れちゃダメだなって」
──ラウールくんがJr.だった期間は5年。長く感じた? 短く感じた?
「Snow Manには僕よりずっとキャリアの長いメンバーがいるんで、“長かった”って言いにくいんですけど、やっぱり長かったし濃かったです。多感な時期、小中高をまたいでの5年なんで、体感だと人生の半分くらいJr.で過ごした感覚です」
──Snow Manに加入直後という大変な状況のインタビューで「いつか“俺じゃなきゃ乗り越えられなかった”って言えるようになりたい」って語ってたね。今だったら言えるんじゃない?
「うーん、確かに何かを乗り越えたかもしれない。でも、がんばったって感じは意外となくて。僕はどんなことも楽しんじゃう人間なんで、がんばった、努力しましたってことより“楽しかった!”って感覚が強いです」

がんばってから決めたほうが、いいんじゃないかな

──幼少期ってどんなコだった?
「保育園の卒園式のビデオが残ってて。みんなで歌を歌ってるんですけど、歌詞が“⃝⃝ちゃん、いつも元気!”みたいにひとりずつのキャラにあった歌詞が割り当てられてる。僕は、“村上真都、みんなの人気者!”って歌詞でした。ってことは、はっきり覚えてないんですけど、人気者だったのかもしれない(笑)。その卒園式の映像で、ひとりずつ将来の夢を宣言してるとこも残ってて、僕は“芸能人になりたい”って発表してるんです。当時、お笑い芸人さんになって、バラエティー番組に出てみたいって思ってたんで」
──ダンスを始めたのは小学1年生だったよね。
「それがすべての始まり。母親にすすめられて、公民館みたいなところで、地元の人が教えてくれる教室に通い始めて。幼馴染の女のコと、僕とお兄ちゃんとで習い始めたんですよね。最初はそれほどダンスが好きじゃなかったんですけど、レッスンが終わった後に公民館のとなりにある公園で遊ぶのが楽しかったから続けて。お兄ちゃんはサッカーに夢中になって途中で辞めたんですけど、僕は小3くらいで、もう少しちゃんとやってみたいってなって、毎日ひとりで電車に乗って遠くのダンススタジオに通うようになって」
──ジャニーズのオーディションを受けた経緯は?
「小さいころ、母親に連れられて、CMのオーディションとか、ダンスキッズ雑誌のモデルのオーディションを受けたりしてたんです。その流れでジャニーズのオーディションも受けて。僕は“ジャニーズってSMAPとかいるすごいとこだよな”くらいの認識でした。で、オーディションで踊ったら、“また来て”みたいな感じになって」
──受かってうれしかった?
「めちゃくちゃイヤで泣いた記憶がある。オーディションで踊ったダンスが、それまでやっていたダンスとジャンルがちがいすぎたし、アイドルの衣装もなんかイヤだなって」
──辞めたいって思ったりもした?
「思ってましたね。Kis-My-Ft2のコンサートのリハで20曲くらい覚えなきゃいけないのに覚えきれなくて。振りつけ師さんに“ダンスやってたのに覚えられないんだ”って言われたのがショックで、母親に“辞めたい”って初めて言ったんです。そしたら、“がんばってから決めたほうがいいんじゃないかな”って言われて。僕ががんばってないことわかってたんでしょうね。だから、まず一生懸命やって、それでも続けたくないと思ったら辞めようって決めて。めっちゃ練習したら、次のリハで“踊れるじゃん”って、10人だけ出られる曲の選抜に選んでもらえた。それがうれしくて続けたんですよね」
──入所後、ポニーテールだった髪を切ったほうがいいって注意されたことがあったんでしょ?
「入所して半年くらい、『JOHNNYS’ World』のレッスンのときですね。振りつけ師さんに“Jr.らしくないから切ったほうがいい”って注意されて。“なんで!?”って思ったんですけど、辞める勇気もなくて。でも、そのタイミングで髪を切ったことが今は運命だったと思う。僕、それまで母親に髪を切ってもらってたんですけど、母親がいろんなアーティストのカットをしてる美容師さんの店を探してくれて、そこで切ろうってなったんです。でも、俺はそこには行きたくなくて」
──どうして?
「高かったんですよね。うちは裕福じゃなかったし、子どもながらにカット代が高いのがわかったから、“いい”って断ったんです。でも、すごい倹約家の母親が“ちゃんとしたところで切りなさい”って絶対に譲らなくて。そっから6年間、そのときカットしてもらった美容師さんに今も切ってもらってるんです。母のおかげで、ずっとカットをお願いしたいって思える信頼できる美容師さんに出会えました」

デビューは、メンバーと一緒に戦って勝ち取るもの

──2016年にはジュニアBoysの一員として『勇気100%』をリリースしてるよね。
「CD出してるんですよね。ただ、メンバーも流動的でグループって感じはしなくて、一度きりなのかなって思ってた。その後、あまり仕事がない時期もあって。俺、なんかジャニーさんにアピールとかできなくて。思春期というか、“あいつ、気に入られにいってるよ”って思われたくないとかいろいろ考えちゃって。そもそも俺はジャニーさんがデビューさせたいタイプじゃないんだろうなってどっかで思ってた。自分に自信もなかったからね」
──そうだったんだ。
「ジャニーズに入るまで、幼稚園や小学校でちょっとだけ人気者だったり、ダンスで賞をとったり、自分の中で、小さな光だけど輝いてるなってのが少しはあって。でもジャニーズに入ったら、“光ってる人っていっぱいいる。俺は特別じゃない”って思い知らされたというか」
──でも、中3のときに少年忍者のメンバーに選ばれたよね。
「はい。俺、中学時代、家ですごい勉強してて、定期テストが学年でいつも2位だったんです。Jr.って、中3の受験時期に一旦活動をやめて、そのまま去っていくコも多くて。だから少年忍者に選ばれたタイミングって、すごい大きい。もしどこにも所属しない状態で受験を迎えてたら、活動を休んで、そのまま辞めてたかもしれないなって」
──同じ年にSnow Man加入の打診もあったよね。
「少年忍者として出演した『JOHNNYS’ King & Prince IsLAND』の開催中、帝劇でジャニーさん、滝沢(秀明)くんと何度も加入についての話し合いをしましたね。最初は意味がわからなかった。Snow Manは大先輩って感覚だし、年令もJr.歴も全然ちがう。“なんで俺が!?”って」
──最初は悩んだ?
「悩みました。本当に失礼な話なんですけど、少年忍者で活動を続けて、別のチャンスを待ったほうがいいんじゃないかって。そう思ってた当時の気持ちを、デビュー後にメンバーに話したことがあるんです。そしたら、“俺たちはデビューできっこないって何度も言われてきたし、そういう悔しい思いをいっぱいしたから今があるんだよ”ってふっか(深澤辰哉)さんに言われましたね」
──加入を決めた理由はなんだった?
「どこかで損得勘定みたいなことを考えたんです。Snow Manに入ったら、いろんな人の目にとまるチャンスが増える。そしたら、もしSnow Manでデビューできなくても別のグループに呼ばれるかもとか。だから、“挑戦してみたいです”って言ったんです。見透かされてましたね。ジャニーさんに怒られました。“デビューって挑戦するものじゃない。メンバーと一緒に戦って勝ち取るものだよ”って。その言葉にハッとして。今求められているのは覚悟なんだって。そのときまで、“デビューしたい”って思っても、どこかで本当にできるとは信じきれなかった。ジャニーさんの言葉でSnow Manでデビューをつかみ取るんだって覚悟を決めたんです」
──グループ加入だけでなくセンターも任されて、まさに大抜擢だったね。
「当時、ジャニーさんは僕のことそれほど知らなかったと思うんです。ジャニーさんのお葬式のとき、壁にたくさん写真が飾られていたんですけど、その1枚が、滝沢くんがジャニーさんの横に座って、“あれだよ”って指さしてる写真で。人伝に聞いたんですけど、写真に写っていない、滝沢くんの指が示す先に僕がいたらしくて。僕をジャニーさんに推薦してくれたのは滝沢くん。だから滝沢くんが人生を変えてくれた人なんです。感謝の気持ちを忘れないでいようと思います」
──加入後について、滝沢くんから何かアドバイスはあった?
「言われたのは、“堂々としてたらいいんじゃないかな”ってことだけです。きっとメンバーが僕を育ててくれるって見越してたんだと思う」
──Snow Manの加入が決まったとき、少年忍者の一員として『JOHNNYS’ IsLAND』に出演中だったんだよね。
「はい。だから、むっちゃ気まずかったです。最初、加入が決まったことを誰にも言えずメンバーと同じ楽屋で過ごして。人生でいちばん気まずかった。(ヴァサイェガ)渉に救われたんですよ。めっちゃ覚えてます。Snow Man加入を発表したら、少年忍者のメンバーはいい顔しないよなって思ってたら、発表直後に渉が真っ先に喜んでくれたんです。この時期、(向井)康二くんにもすごい救われました。康二くん『JOHNNYS’ IsLAND』に2回足を運んでくれてるんです。1度目は『まいど!ジャーニィ~』の収録。2度目はプライベートで。僕の加入を知って、“ラウールに会いに来たよ”って、いきなりギュッて抱きしめてくれた。ビックリしたけど、“あ、この人は頼っていい人だ”って思いましたね」

堂々としてろ。おまえなら大丈夫

──実際にSnow Manに加入してからは、どんなことを感じてた?
「最初は疑心暗鬼というか、メンバーを怖いと思ってしまった時期がありましたね。みんな、本当によくしてくれるんです。ただ、“メンバーは絶対に新加入を嫌がってる”って声が時折耳に入るんです“そうなのかな…”ってなっちゃって。ふとした瞬間、たとえばメンバーが疲れた表情を一瞬したりするだけで、やっぱり嫌がってるのかなって思ってしまったり。あの時期、苦しかったな」
──キツかったね。
「でも、今思えばいちばんキツかったのは6人のほうで。7年近く同じメンバーでやってきた、6人のほうが迷いや戸惑いって大きかったはず」
──アウェイだと感じていた状況は、どうやって好転していったの?
「3月の横アリの時点で、ファンってこんなにあったかい人たちなんだってまず思った。メンバーにも本当に支えられました。ふっかさん、俺が中学を卒業したタイミングで靴をプレゼントしてくれて。それをメンバーの前で大げさに“プレゼントしたんだ!”って自慢して。きっと全部、ふっかさんの作戦なんですけど、“じゃあ俺も”ってメンバーが僕に何かプレゼントするのがブームみたいになって。“俺はこれやるよ”って舘さん(宮舘涼太)はパーカをくれたり、岩本(照)くんはTシャツをくれたり。しょっぴー(渡辺翔太)は使い古した、ちょっとダサいキャップをくれた(笑)。おかげでみんなとのコミュニケーションが自然と増えて距離が確実に縮まって」
──さすが深澤くんだね。
「はい。3月の歌舞伎の稽古中には、康二くんのスケジュールが合わなかったんですけど、阿部(亮平)ちゃんが俺とめめ(目黒蓮)を誘って沖縄料理屋に連れて行ってくれた。食べ終わって、帰り道を3人で歩いてたら、すごいさりげなく“そういえばさ、もうメンバーなんだから敬語はやめようよ”って言ってくれて。あと、やっぱりいちばん大きかったのは『滝沢歌舞伎ZERO』かな。本当にキツくて、メンバー同士で助け合ったことで、お互いが手を取り合う姿勢の基礎ができたから。ただ、すでに2月に京都で8人は舞台をやってる。その間、僕は東京でひとり、稽古をして。自分だけが未体験なことがプレッシャーでしたね。しかも自分のことで精いっぱいなのに、3人の加入をよく思ってないって声もまだなくならなくて、いっぱいいっぱいでした」
──本番中、舞台袖で泣いたこともあったんでしょ?
「……あの涙は、いくつも原因があったというか。グループに加入したことや初めて『滝沢歌舞伎』に出るプレッシャー、あとは学校や家族のこと」
──学校や家族のこと?
「高校の新学期が始まってすぐの時点で、出席日数の関係で、このままだと留年確実ってことがわかって、転校を決めたんです。その決断に後悔はないけど、中2から行こうと決めていた高校だったから、やっぱりモヤモヤしたというか、ちょっと精神的に不安定になって家でもよく泣いてたんです。母親は心配だから“なんで泣いてるの?”って聞くんです。でも、僕自身も涙のわけがわかんない。何度も“どうしたの?”って言われるのがイヤで、母親と何度もケンカになって」
──そんな状態で『滝沢歌舞伎ZERO』の舞台に立っていたんだね。
「めめがそばにいてくれたから乗り越えられたんです。そんな精神状態だったのに、さらに転んで顔にアザまでできちゃって、舞台に立つのイヤだなって落ち込んでたら、めめが“おまえは顔に傷があろうがカッコいいから堂々としてろ。大丈夫”ってずっとほめ続けてくれた。あのとき、僕は何か実績があったわけでも、こんな大きな舞台に立った経験すらない。なのにめめは、“おまえなら大丈夫”って信じ続けてくれた。その言葉に支えられて、何とか千秋楽を迎えられましたね」
──目黒くんに感謝だね。
「はい。あとは舞台中の岩本くんの言葉も忘れらんないです。出番の関係で、本番中、楽屋に俺と岩本くんふたりきりの瞬間があって。すぐに腹筋太鼓だったんで上半身裸で準備してたんですけど、俺はもう肉体的にも精神的にもキツくて泣いちゃって。もうムリだって。そんときに岩本くん、“俺も、もうダメだって思ったこと何度もあったよ。大丈夫、俺たちがついてる”って言ってくれた。それまで岩本くんの印象って、何でもできて完ペキってイメージだったから、そんな過去があったことに驚いて。しかも、岩本くんは6人時代のセンターに立ってた人。なのに9人になって、僕がセンターというか真ん中に突然置かれた。いちばん聞こえてきたのが、“岩本くんはラウールを嫌い”って声だったんです。俺は“そうなのかな”ってずっと不安で。でも岩本くんの“俺たちがついてる”って言葉を聞いて、もう周囲の言葉に惑わされない。岩本くんを、メンバーを信じればいいんだって思えた」

感謝しなければいけないのは、俺のほうだから

──その後、ジャニーさんの病室でデビューを告げられたときは、どんなことを思った?
「ビックリしましたね。伝えられた日は眠れなかったな。デビューするって、人生を捧げるってことだと思うんです。もちろんグループに入るって決めた時点でその覚悟はしていたんですけど、改めてデビューを伝えられると、グッと重みが増しましたね」
──8月8日のデビュー発表はどうだった?
「めっちゃ覚えてます。いろんなグループのファンがいたんで、ドームの中でいろんな感情が混じってました。デビュー発表直後、Snow Manは『Lock on!』って明るい夏の曲をやったんですけど、パフォーマンス中、最前列にきっとデビューできなかったグループのファンだと思うんですけど、ショックで頭を抱えて座り込んでる女のコが見えて。そういう世界だってのは覚悟してたけど、その姿を見るとやっぱりすごくキツかった。同時にデビューする責任感が倍増した。改めて引き締まりましたね」
──会場に両親は来てた?
「いました。父を初めて呼んだんです。なんか人生が大きく変わる瞬間を、母と父、両方に立ち会ってほしいと思って。父親は、デビューがどういうことかわかってないから、“息子が踊ってる”くらいの感想しかなかったと思う。それでもよかった。あの場にいてもらうことが大きかったから」
──デビューして親孝行できたね。
「なんかそこはギャップがあるというか。母親も“デビューしてくれたことが親孝行だよ。感謝してる”って言ってくれるんです。でも、ダンスを始めるきっかけを与えてくれたのも、オーディションを受けさせてくれたのも、大変な時期に美容院で髪切ることをすすめてくれたのも、全部あなただよって。俺は与えてもらうばかりで、まだ何も返せてない。感謝しなければいけないのは俺のほうだから、これから少しずつ親孝行していこうって思います」
──そうだね。デビュー会見では、向井くんが「SixTONESのほうがカッコいいです」って冗談を言って笑いを誘ったことに対して、「ああいうネガティブなコメント、俺はダサいと思う」って向井くん本人に伝えてるよね。
「言いましたね。あれはなんていうか、僕自身がSixTONESに嫉妬してたんです。SixTONESのほうが歓声が大きいし、Snow Manは特に俺の人気がないってのがわかってたから。それにSixTONESは6人でずっとやってきたんでグループとしての完成度が高い。Snow Manは3人が加入して1年も経ってなくて、ある意味でグループも、僕自身も未完成。会見で僕がギリギリ飲み込んだネガティブな言葉を、冗談なのはわかってるけど、康二くんが口にしたことがなんか悔しくて、康二くんに感情をぶつけちゃったんですよね。あの言葉は本当は康二くんじゃなく自分に向けた言葉だったんだと思います」
──そうだったんだね。じゃあ、デビューイヤーを振り返るとどうだった?
「いろいろ計画通りにはいかないこともあった1年だったけど、貴重だなって思うことと悔しいなって思うこと、ふたつの気持ちが半々かな。その悔しさは、いいバネになるから忘れないでおこうって思います。ただ、去年を振り返るなら、いちばんに思うのは、やっぱりファンへの感謝で。デビューライブのMCでめめが“昔からのファンの皆さんは僕たちの支え。最近知ってくれた人たちは僕たちの力。このふたつががんばる原動力になってます”って言ったんです。改めてすごい共感できる言葉だなって思いますね」

いつか、ふっかさんを泣かせたいです

──メンバーにメッセージを。まずは深澤くん。
「ふっかさんには、いつもありがとうってのがすごいあるな。常に俺を信じて見守ってくれるから。アクロバットもすごい教えてくれた。今はちょっとスランプなんですけど、いつかふっかさんとファンの前で、ふっかさんが教えてくれたアクロバットをやりたい。ふっかさん、きっと泣いて喜ぶんじゃないかな。いつか泣かせたいです」
──阿部くん。
「阿部ちゃんはさっきも言ったけど、ずっと優しい。自分がもし同じ状況だったら、かなり年下でグループに加入して1、2カ月の後輩に“敬語やめようよ”って言えるかなって考えたら、すごいよ。何より、最初だけ優しかったわけじゃなくて、今もあのときのまま、変わらずずっと優しいんです」
──宮舘くん。
「舘さんはねえ、マジメな部分が強くて、いい意味で先輩としての威厳と距離感を保ってくれてる。俺はファンの前でベタベタするのが本当の仲のよさじゃないと思ってるから、近すぎるわけでも遠すぎるわけでもなく、いい距離感でいながら、やるべきこと、守るべきことは態度や行動で教えてくれる舘さんの存在がありがたいです」
──佐久間(大介)くん。
「反対に言葉で注意してくれるのが佐久間くん。やっぱ後輩に怒ったりするのって心の体力使うじゃないですか。メンバーなんで、しかった後も一緒にいなきゃいけないから、できるならしかりたくないはずで。でも、俺がまちがったことしちゃったときは、必ずすぐに指摘してくれる。もしも知らないうちに道を踏みちがえても、佐久間くんが気づかせてくれるって安心感がある。そのおかげで、どんなことにも怯えず僕は挑戦できる」
──渡辺くん。
「誰よりも3人の盾になってくれた人。しょっぴー、マジでイケてるなって思ったエピソードがあって。Snow Manが6人のとき、しょっぴーってグループのビジュアル担当だったと思うんです。この前、話してたら、“今それは目黒の役目で、その役はひとりのほうが際立つから、目黒にちゃんとフォーカスが合うように俺はバラエティーに力を入れてる”って言ってたんです。自分の気持ちやプライドよりもSnow Manがいい方向に進むことを大切にしてる。エグイイケてるなと思って」
──岩本くん。
「俺が言うのは気持ち悪く聞こえちゃうかもしれないけど、岩本くんはデビュー前後でけっこう変わったなって思う。包容力がより増したというか。バラエティー番組で俺が岩本くんをイジッたりしたときとか、すごい笑って受け止めてくれる。岩本くんの変化や進化は刺激になるし、人っていつまでも進化し続けられることを背中で教えてもらってます」
──向井くん。
「愛情深い人。ふたりでいてイヤな気持ちになったことが一度もない。俺が気が強すぎるから時々ケンカになっちゃうけど、10近くも年下の俺を対等な感じで本気でケンカしてくれるのがうれしい。それに康二くん、少しでも自分がまちがってたって感じたら、年下、年上関係なく謝れるのも本当にすごいと思う。人間性を尊敬してます」
──目黒くん。
「佐久間くんが仕事や礼儀的なことをしかってくれたり教えてくれるのに対して、人としての部分を教えてくれるのがめめです。“いつかラウールも結婚するだろうけど、おじいちゃん、おばあちゃんになっても手をつなげるような関係がいちばんカッコいいよな”とか、自分が大切にしようと思ったことを、僕にも伝えてくれるんです」
──メンバー8人はラウールくんの目にはどう映ってる?
「8人の兄というか、うん、そんな感じです」

もっといい世界、もっと輝く未来が待ってる

──大事な仕事の前にテンション上げるためにやるルーティンってある?
「うーん、明日は勝負だなって日の前日に美容院行ったり、美顔器を使ったり、見た目をキレイにすることかな。形から入ってテンションを上げていくみたいなことはしますね」
──7月には大きな仕事のひとつ、単独初主演を務めた映画『ハニーレモンソーダ』が公開だね。
「試写を見たとき、自分の声が恥ずかしくて耳を塞いだりしてました。ただ、すごくいい作品になっていたし、現役高校生のときに高校生役をやれたこと、恋愛経験がほとんどないんで、ないからこそ出せる雰囲気、今の自分だからできた役だと思います。メンバーも見てくれたんですけど、なんかめちゃくちゃ気まずいですね。みんな、どういう気持ちで見たんだろうって(笑)」
──じゃあ、今後の個人の夢は?
「モデルとして活躍することっす。もちろん甘い世界じゃないし、学ばなければいけないこともたくさんある。ただ、いろんなジャンルの仕事をしてみて体型的にも、思考的な面でも向いてるなって。アイドル、お芝居、モデル、基本的にどれも自信があるんですけど、モデルは特に自信があるというか。親から授かったものを活かしていちばんになりたいって思いが強いんで、モデルはこれからもがんばりたいです」
──グループとしての夢は?
「9人で話し合ったわけじゃないんで、僕が思っている夢なんですけど、いつということじゃなく、たとえば50年後や100年後、いつかはSnow Manってなくなるじゃないですか。そのとき、Snow Manという9人グループをいろんな人の記憶の中に残したい。“好きだったな”“おもしろいグループだったな”って、いろんな人の記憶の中に残り続けるグループになりたい。それが夢というか目標です。だから、いつか来る終わりのために今を全力でがんばる」
──最後にファンにメッセージを。
「自分のことを好きになってくれる人が、人生で何人いるだろうって考えたときに、アイドルをやっているからこそ好きになってくれた人、出会えた人がたくさんいる。こんなに充実した日々を送れるのはファンの人のおかげです。だから、なんで僕ががんばれるかって聞かれたら、楽しいからってことはもちろんあるけど、がんばれるもうひとつの理由は、ファンにもらった愛情を、自分の表現で返したいから。僕はファンの人とウインウインの関係でいたいって願ってて、与えられるばかりじゃなくて何かを返したい。ファンの人をウインにするのは僕次第。僕がどれだけ誠実にがんばるかにかかってる。だから、ウインウインでいたいっていうのは、僕もみんなに負けずにがんばるよってメッセージだと思ってもらえたらうれしい。ファンとタレントは鏡じゃないけど、僕を好きになってくれる人は、やっぱりどこか僕に似てるし、Snow Manを好きになってくれる人は、どこかメンバーと同じ雰囲気がある。僕はまだまだ未熟な面がいっぱいあるから、ファンとお互いを切磋琢磨して、どちらかじゃなくて一緒に成長していきたい。一緒なら、きっともっといい世界、もっと輝く未来が待ってると思うから」

取材・文/水野光博