Myojo

10000字ロングインタビュー

ファンのみんながつけてくれたあだ名、
それが僕にとっては勲章なんだ。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

King & Prince編

第3回

神宮寺勇太

じんぐうじ・ゆうた
1997年10月30日生まれ。千葉県出身。O型。身長175cm。
2010年10月30日、ジャニーズ事務所入所。
2018年5月23日、King & PrinceとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2022年5月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

中学1年生のころ履歴書を送り、
運命的にもみずからの誕生日にジャニーズJr.となった神宮寺。
あれから約12年。
自分のキャラを模索していた”チャラ宮寺”時代から一転、”国民的彼氏”へ。
そしていつかはきっと、”国際的彼氏”へ。
しなやかに成長を続ける彼の軌跡をたどる。

“岸と仲よくね。きっとずっと一緒だから”

──King & Prince編の3人目は“国民的彼氏”神宮寺(勇太)くんが登場。今日はよろしくお願いします。
「よろしくお願いします。“国民的彼氏”ってニックネームはファンにつけていただいたんですけど、なんでそう呼んでもらえるのか自分ではわからないんで、いつまでも慣れませんね(笑)」
──ピッタリなニックネームだと思うよ。じゃあ幼少期のことから聞いていくけど、小2で始めた空手で全国2位になった経験があったり、小さいころはスポーツ少年だったよね。
「空手だけじゃなく、体操、サッカー、水泳、いろいろやってましたね。鼻血が出やすい体質だったんで、水泳はすぐに辞めてしまいましたけど」
──そんなスポーツ少年がジャニーズに興味を抱いたきっかけは?
「いつのまにかSMAPさんのことは知ってましたし、あのころって『プライド』『野ブタ。をプロデュース』『花より男子』、ジャニーズが出演しているドラマが大人気で、ドラマを見ないと翌日クラスでの会話についていけない感じで気づけば憧れてましたね。小学生のとき“ジャニーズのオーディションを受けたい”って母親に言ったこともあって。“中学まで待ちなさい。右も左もわからない小学生じゃ、もしも受かっても続かないよ”って言われたんです」
──じゃあ、中1でオーディションを受けたのは、満を持して中学入学と同時に履歴書を送ったってことだね。
「それならドラマチックですけど、そうじゃないんです。小学生のときに“入りたい”って言ったのも宝くじを買うような感覚というか。憧れはしても本当に入れるなんて思ってないですもん。そもそも当時は人前に立つのは好きじゃなかったし。中学生になったタイミングで履歴書を送ったのも、意気込んで送ったわけじゃなく、おじいちゃんと買い物していたとき、たまたま母親に“中学まで待ちなさい”って言われたことを思い出して、おじいちゃんが履歴書を買ってくれたんで送ってみようかなって思っただけで」
──そうだったんだ。
「はい。オーディションがあるので来てくださいって連絡があったのが半年後だったんで、応募したこと自体すっかり忘れてましたからね。普通はファックスが送られてくるらしいんですけど、ちょうどファックスが壊れてたんで電話がかかってきて。俺、詐欺じゃないかって疑いましたからね(笑)」
──ハハハハ。オーディションはどうだった?
「“東京にはカッコいいコ、こんなにいるんだ!”って衝撃でした」
──受かると思った?
「受かるどうこうどころか、今自分が何をしてるかすらマジでわからなかった。面接的なことをすると思っていたのに、いきなり踊らされたりしたんで」
──オーディションは、(佐藤)勝利くん、目黒(蓮)くん、宮近(海斗)くんなど錚々たるメンバーが参加してたよね。
「中でも勝利は特別な感じでしたね。オーラがあったというか目立ってました。ただ俺と共通点があって。みんな、おしゃれなスウェットを着てたんですけど、俺と勝利だけがめちゃめちゃダサいジャージを着てたんですよね(笑)」
──その後のJr.の活動は?
「部活みたいな感じで楽しかったです。でもいつ呼ばれなくなるかわからないんで、つねにヒヤヒヤしてましたね。それこそ合格と言われたわけじゃない。仕事があるときに呼ばれるんですけど、“今日で最後かもしれない”って感覚がいつもありました」
──その後、長いつき合いになる岸(優太)くんは、神宮寺くんの1年前に入所してる。出会ったころの印象って?
「存在は知ってましたけど、話すタイミングがあまりなくて。2011年の『SUMMARY』で一緒になってめちゃくちゃ仲よくなりました。その直後かな。ジャニーさんに、“YOUは岸と仲よくね。きっとこれからもずっと一緒だと思うから”って言われたんです。ジャニーさんには、何かが見えてたんでしょうね。でも、俺は意味がわからないから、“うん。でも言われなくても仲いいから大丈夫!”って」

反抗期にチャラ宮寺、そして国民的彼氏に

──入所からわずか1年、2011年に勝利くんがSexy Zoneでデビューしたことはどう思った?
「負けたとか挫折みたいな感覚は一切なかったです。いいな、うらやましいなって。ただSexy Zoneのデビューをきっかけに、自分もジャニーズに入ったからにはいつかデビューしたいって思うようになりましたね」
──過去のインタビューで、確かにそのころから“夢はデビュー”って口にするようになったよね。
「雑誌の取材で、まだ何もわかってない入所1年のJr.のくせに“デビューしたいです!”って張りきって答えるんで、“……が、がんばってね”ってライターさんを微妙な表情にさせちゃったのを覚えてます(笑)」
──“チャラ宮寺”って呼ばれるようになったのも、このころだよね?
「そうですね。茶髪にしたり、金髪にしたり、服装だったり。反抗期だったのかな!? 今振り返れば、どう自分をアピールしていいかわからず目立つために必死だったというか。虚勢というか、どうにかして自分を大きく見せたかったんでしょうね」
──チャラくて損したことはある?
「チャラ損したことですか!? 悪目立ちするんでよく怒られたことかな。でも俺へっちゃらなの。怒られても“は〜い”って。怒られるのは目立ってるってことだから、“俺のこと見てんじゃーん、気になってんじゃーん”ってポジティブなことにすら思ってた(笑)」
──ハハハハハ。
「ただ不思議とジャニーさんには怒られなかったっすね。さすがに金髪にしたときは“YOUの頭に雷が落ちてる!”ってイジられましたけど」
──反抗期はどうやって終わったの?
「うーん、どうにか爪痕残そうと空回りすることも多かったんですけど、あのころ、Sexy BoyzとしてSexy Zoneのバックにつかせてもらっていて。(菊池)風磨くんに言われたんですよね。 “やみくもにNo.1を目指す必要はない。自分が信じる道を進め”って。風磨くん、普段はずっとふざけてるんですけど、あのときは大人に見えてカッコよかったです」
──今の神宮寺くんも、どんなに忙しくても誘われた後輩のライブに足を運んだり、後輩思いな印象があるよ。
「先輩によくしていただいたから完全に恩返しというか。恩送りっていうんでしたっけ!? 俺なんかが先輩に何かできることなんてないんで、やっていただいたことを今度は後輩にしてあげないとなって」
──2013年には(髙橋)海人くんが入所。初対面のとき、神宮寺くんにラッパーみたいなハンドシェイクをされて、「まさに“チャラ宮寺”だった」って言ってたよ。
「それ盛りまくってますよ、海人。年々話が大きくなってるし(笑)。確かに最初に話しかけたのは覚えてますけど、ハンドシェイクなんか…したかな」
──永瀬(廉)くんの神宮寺くんの最初の印象は「腰を振ってる人」だったって。
「俺の印象ヤバイのばっかじゃん! まあ腰はよく振ってましたけど(笑)。亀梨(和也)くんのモノマネがJr.の中で流行ってて、ある日突然俺がステージでやっちゃったんですよね。あのころ、見た目もやることも、何もかもなんであんなチャラかったんだろうって思いますね」
──ただ、平野(紫耀)くんも最初はチャラいと思ったけど、「一緒に舞台をやったら印象が180度変わった。“国民的彼氏”と呼ばれる理由がよくわかる」って。
「“チャラ宮寺”も、“国民的彼氏”もファンの人がつけてくれたんですね。ニックネームを募集したわけじゃないのに、本当にありがたいです。ネーミングセンスが絶妙すぎていつも驚かされます。きっと、僕のことすごく見てくれてるから思いついたんでしょうね。愛されてるなって感じます」
──そうだね。
「Sexy Boyzはメンバーの入れ替わりが激しかったんですけど、岸くんや宮近たちと組んでいたとき、これもファンにつけてもらったんですけど、“MAGIC”って呼ばれていたことがあって。そのときのメンバーでの活動が本当に楽しくて、“いつか、このメンバーでデビューできれば”って思ったな。ただ、宮近のTravis Japanにかける思いも知ってたから複雑で。それこそマイケル・ジャクソンの振付をしたトラヴィス・ペインが来るから、Travis Japanのメンバーオーディションをするってことになったとき、ジャニーさんに“見にきなよ”って誘われてオーディション会場にいたんですよ。僕はこのグループには入れないなって。だってみんな踊りがめちゃくちゃ上手だったから。だから宮近たちとずっと一緒に活動したいけど、俺がTravis Japanのメンバーでない以上、いつか別々の道を歩むことになる覚悟はしようって宮近と話し合いましたね。もしどちらかがデビューすることになったとき、気まずくなったり仲が悪くなるのは絶対にイヤだったから。もちろん今でも仲がいいし、俺はいつかTravis Japanがデビューするって信じてる」

このメンバーとステージに立っていたい

──2015年、のちのKing & Princeになるメンバーで『ジャニーズ銀座2015』のステージに立ってるよね。
「ジャニーさんに、“今回はこのメンツ”って言われ、“なんでこの6人でやるんだ?”って正直思ったんですけど、“とりあえずやってみなよ”って言われ、よくわからないままコンサートが始まって。そしたら今までに感じたことのないパワーを感じたんですね。いつものコンサートは、お客さんからパワーをもらって、俺らがそのパワーをさらに大きくしてお客さんに返す。それをお客さんがさらに大きくしてって感じなんです。それが、あのコンサートはお客さんからだけじゃなくて、なぜかステージや背中からも何かが僕たちを押し上げてくれる感じがしたんです。うまく言葉にできないけど、“このメンバーともっとステージに立っていたい”って感じた。多分、メンバーみんな同じことを感じてたはず。何か新しい可能性みたいなものを感じたステージでしたね」
──なるほど。
「その1カ月後くらいかな。ジャニーさんに渋谷のダイナーみたいなところに、そのときのメンバーが呼ばれて。ほかにもお客さんがいっぱいいる中で、“EXシアターもこのメンバーでやるからがんばってね。グループ名も決めてある。Mr.King vs Mr.Princeだよ”って。胸の高鳴りと同時に“ジャニーさん、まわりのお客さんに全部聞こえちゃってるけど大丈夫!?”ってドキドキした」
──『SUMMER STATION』の反響、ものすごかったよね。
「ありがとうございます。さすがに意識しちゃいましたね。“本当にデビューできるかもしれない”って」
──でもその後、Mr.KingとMr.Princeに分かれての活動になる。
「そうですね。あー思い出すわ。地獄の半年みたいな期間があったんですよ。半年くらいMr.Princeとしての仕事がまったくなくて」
──そのころ、歌やギターの練習をすごくしてたよね?
「してましたね。めちゃくちゃ練習してました。何だろう。何かやってないと、いてもたってもいられなくて。完全に焦ってましたね。今だから思えるんですけど、あのときのギターや歌の猛練習が今、本当に役立ってて。がんばっていても報われないなって思える時期ってある。でも、いつかやっておいてよかったって思える瞬間がくるんですよね。人生にムダなことなんてないってよく言いますけど、ホントだなって。懐かしいですね。あのころ、ホントよくMr.Princeのメンバーで集まっていろいろ話し合いもして。これからどうしたらいいかとかって。最終的にジャニーさんに、もっといろんな経験を積みたい。いろんなことを学んでおきたい。だから、どんなことでもやるんでお仕事くださいって伝えに行ったんです。そしたら、その2日後くらいに『真夜中のプリンス』が決まった。ジャニーさんがくれたチャンス、もう必死でしたね」
──仕事がない半年、Jr.を辞めようとは思わなかった?
「正直、心が折れそうになりましたし、デビューできるかもしれないって思ってしまった分だけ仕事のないことへのショックも大きくて。あのころがJr.時代でいちばんツラかったかな。だけど、ファンの人がいてくれたから、ジャニーズを辞めようとは思わなかったです。ファンの人たちとサヨナラするなんて絶対にできなかったから。もちろん、仕事がないことに腐りそうにもなりました。そのたびに、岸くんたちが“腐っちゃダメだ”って言ってくれた。だから、今、僕がここにいるのはファンや岸くんたちのおかげなんですよね」

人生で一番うれしかった、デビューが決まった日

──そして2017年、ついにジャニーさんに直談判に行ったよね。
「紫耀に言われたんだよね。二人きりのときに。急に“大事な話がある”って真顔になって“デビューしたいってジャニーさんに言いに行こうと思う”って。そう思った理由もいろいろ話してくれた。俺はそのときの紫耀の言葉に心を動かされて覚悟を決めたんです。俺、そのころ一瞬デビューしたいって気持ちを忘れていたんですよ……忘れていたっていうより心にふたをしてた。尊敬する死ぬほどお世話になっている先輩を差し置いて“デビューしたい”なんて思っちゃいけないだろって。でも紫耀が言ったんです。“先輩を尊敬する気持ちはもちろんある。それでもジャニーズである以上、デビューしたいって気持ちは忘れちゃダメだ”って」
──そんなやりとりがあったんだね。
「はい。紫耀は俺がどう思うか客観的な意見を求めてきて。俺も覚悟を決めるよって伝えたら、ちゃんと自分の言葉でほかのメンバーを説得したいから、まだ誰にも言わないでって。だから何のための会なのか明かさずにみんなに集まってもらった。結局、決起集会を2度してメンバーの意見をひとつにして、ジャニーさんに会いに行きましたね」
──直談判がかなわなかったら辞めるつもりだったんだよね?
「ですね。それくらいの覚悟がないとジャニーさんには響かないと思ったし、“デビューしたい”って言葉は安易に口にしてはいけない言葉だと思うので」
──そして直談判した結果、オッケーをもらった。
「もちろん簡単にはいかなくて、最初は跳ね返されましたけどね。でも、覚悟は決めてたんで、みんな前向きでした。“毎日、お願いに行こうぜ!”って。何日もお願いに来るんで、ジャニーさん、また来たのって顔してたもん(笑)。結局、最後までイエスとは言ってもらえてないんですけど、舞台中だったので、気づけばいろんなレコード会社の方を招待してくださって。“呼んでおいたからね、君たちのために”って。感謝しかないですね」
──そして2018年1月17日、デビュー発表に至る。
「デビューが決まった日が、俺が人生で一番うれしかった日です。ただ同時にデビューが決まったことを秘密にしていなければいけなかったんで心苦しくもあって。デビュー発表のすぐ後にSixTONESやSnow Manに改めて報告させていただきました。尊敬する先輩ですけど、まだまだ見誤ってたんですよね。僕たちのデビューに関して思うこともあって当然だよなって思いながら会いに行ったら“おめでとう。お前たちがデビューしなければ、俺らもデビューできないからな!”って快くデビューを祝ってくれたんです。器の大きさが想像のはるか上でした。本当に偉大な大好きな人たちです。僕、人生で一番うれしかったのはデビューが決まった日で、次にうれしかったのがSixTONESとSnow Manがデビューした日なんですよね」
──デビュー発表、両親も喜んでくれたんじゃない?
「そうですね。デビューできないで辞めていく人のことも見てきているんで、いつも心配かけてましたからね。少しだけですけど、安心させてあげられたというか」
──じゃあ、デビューしたことを実感したのはいつだった?
「デビュー後初めてのツアー、横浜アリーナで単独コンサートをやった日ですね。オープニングで玉座のゴンドラに乗って登場したんですけど、視界が開けた瞬間、会場一面、自分たちの色しかないペンライトの光が一気に目に飛び込んできたんです。“あ、これがデビューなんだ”って。あの景色は一生忘れられないです」
──デビュー後の変化って何かあった?
「うーん、変化しようかと思ったんですけどやめました(笑)。メンバーみんな濃いキャラじゃないですか。その中で自分はどうしたらいいか、立ち位置的なことを考えたんですよね。バラエティー番組とか、やっぱりキャラの濃い順に目立つんで、自分をどうやって表現しようって。でも、変に考えるのをやめたんです。ムリに自分を押し出す必要なんてない。自分のタイミングが来たときに出せばいいって。だって、“チャラ宮寺”にしても、“国民的彼氏”にしても、自然体の僕を見てくれたファンの人がつけてくれたんです。自分をいつわって、自分で自分のキャッチコピーを決めるってなんかちがうなって。僕のことを僕より知ってくれているファンがいる。だからムリしないで、僕は僕のままでいようって」
──デビュー後、コンサートの演出をするようになったよね。
「やるつもりはなかったんですけどね。演出は海人が適任だと思ってたし。でもデビュー翌年、(松本)潤くんにコンサートの演出に携わっていただけることになり、すごい熱意を持って演出について教えてもらったんです。当時、潤くんの連絡先を知っていたのが僕だったんで、僕はメンバーと潤くんの橋渡し役で。橋渡し役をしているときに、演出についていろいろ教わったんです。メンバーにすべてを伝えるけど、直接教えていただいたのは僕。あ、この経験を少しでも無駄にしたら絶対ダメだなって。そこから少しずつコンサートの演出に関わらせていただくようになりましたね」

もしも暴走したら、俺を叱ってくれ!

──じゃあ、メンバーにメッセージを。まずは海人くんから。
「海人はおもしろい。いろんな面がある。特にすごいなって思うのはクリエイティブなところ。最初にコンサートのダンスの振付をお願いしたとき、“こんなにすごいことができるのに今まで何で言わなかったの!”って驚きましたもん。たくさんの武器をまだまだ隠し持ってますね」
──頼もしいね。
「さっきも言ったけど、俺はコンサートの演出は海人が適任だと思ってた。でもひょんなきっかけだけど俺がやるようになってよかったなって。海人は優しくて誰の意見もどうにか採用してあげようって悩んじゃうだろうから。例えば俺が演出に関して何かアイデアを出したら必ず採用しちゃうと思う。だから俺が演出を担当して、海人の意見を採用する側にまわったほうが彼の才能をきっと生かせる。もちろん、海人のアイデアを全部採用することはできない。採用されないと誰だって凹むじゃないですか。繊細な海人ならなおさら。でも、あいつ言ったんですよ。“意見が通らないときだってあるけど、俺はいいと思ったことはこれからも言い続けるよ”って。クリエイティブな才能は海人の武器です。だけど海人のいちばんの武器は傷ついて倒れても、何度だって立ち上がる強さだと思ってるんですよね」
──次に永瀬くん。
「廉かぁ。いろんな部分で感謝してるけど、まずはなんといってもMCを担当してくれることに感謝しないとね。本当はもっと自分を出したいだろうけど、率先してMCをやってくれてる。King & PrinceのMCって大変なんですよ。それをグチのひとつも言わずやり続けてくれているのは本当に尊敬してます。なかなかできないよ。少なくとも俺はイヤだ(笑)。だって、犬の散歩代行じゃないけど犬を何匹も同時に散歩させるどころか、ライオンを4頭同時に散歩させてるようなもんですからね、King & PrinceのMCって。猛獣使いにもほどがある」
──ハハハハハ。
「あと廉は、努力してる姿を誰にも見せない。初めて主演した映画『うちの執事が言うことには』のときも、少しだけど演技経験があった俺に、いろいろ教えてほしいってお願いしてきた。言われたくないだろうけど、陰でものすごく努力してるし、成長するための労力をいとわない。そういう努力をずっと積み重ねてきたから、今いろんな作品に出てる。ラッキーや偶然じゃないことが俺にはよくわかる。コンサートの振付もそう。今でもみんなより早く入って練習してますからね」
──永瀬くん、Mr.King時代、海人くん、平野くんとダンスを踊ることに劣等感を感じてたって。神宮寺くんもメンバーに劣等感を感じることってある?
「ないです! もちろん俺が持ってないものを、どのメンバーもたくさん持ってる。でも逆に言えば、俺が持ってるけど彼らが持ってないものもきっとあるはず。だから劣等感はないですね。そもそも、そんなこと思ったって仕方なくないですか? 俺、客観視できるって言ってもらうことがありますけど、そうじゃなくて根がバカなだけなんですよ。考えたってどうにもならないなって思った瞬間、俺はそれ以上深くは考えないから(笑)」
──じゃあ、平野くん。
「あ〜、どうしよう。紫耀のバカなエピソードしか思いつかねえ。あるはずなんだけどなあ、いい話が(笑)。King & Princeは紫耀や岸くんがいるおかげで、消去法的に俺がちゃんとしてるように見えることとか。最近ついにファンにバレてきてますけどね、俺もけっこうなおバカなことが。なんか年々、みんなのおバカが感染るんですよ。紫耀に“俺、年々おバカになってるんだけど、紫耀はどう?”って聞いたんです。そしたら、“え? 俺は逆にドンドン頭よくなってきてんだよね!”って。絶対ウソです(笑)」
──ハハハハハ。
「でもおバカな一面はありますけど、出会ったころから変わらず熱い男です。ただ、熱すぎてこれだと決めたらブレーキがきかないことがある。それは自分でもわかってて“そういうときは俺を叱ってくれ!”って言われてるんです。ホント、生まれながらの赤レンジャーなんだなって思います。まっすぐで純粋でグループ思い。俺は一歩下がってグループを見渡せる青レンジャーも必要だよなって思うタイプだけど、グループは赤だけでも青だけでもうまくいかないからね。ただ、より重い荷物を背負ってるのは赤レンジャーだと思う。赤はグループの矢面に立って、何があっても揺るがない強さが必要だから。センターにドンと立ってくれる紫耀に感謝してもしきれないな」
──最後に岸くん。
「人生でいちばん待ち合わせした人。原宿駅で待ち合わせて『ザ少年倶楽部』の収録に行くときだけじゃなくて、初めての現場があると俺らは必ず待ち合わせをして一緒に行った。岸くん、“こっちだよ”っていつも初めての道を先に歩いてくれた。なんか思い返すと、岸くんは昔のほうがしっかりしてた気がしてきた(笑)」
──Jr.時代、岸くんとSexy Zoneのツアーに帯同して、コンサートが終わってクタクタなはずなのにホテルの部屋で別のコンサートの振付の練習を二人でしてたりしたよね。
「してましたね。ベッドを端に寄せて、スペースを作って練習してました。あ、最近も変わってないですよ。岸くんが初主演した『DREAM BOYS』のときもツアーで全国を回ってたんですけど、そのときもホテルの部屋で二人で練習しましたから」
──ジャニーさんが、「ずっと一緒だと思うから」って言った通りになったね。みんなが知らない、神宮寺くんだけが知ってる岸くんの一面ってある?
「ないかな。岸くん、つねにすべてをさらけ出してる気がする。俺にだけじゃなくファンの人たちにも。あのまんまですからね。よくミステリアスって言われたりしてますけど、謎めいているわけじゃなく、おバカすぎて次の行動が読めないだけな気がするんだよね」
──ハハハハハ。
「ホント、おバカだけどあのまっすぐな人柄に何度も救われてます。何か相談したら、どんなムチャな相談でも何かしらの答えを返してくれるんですよね。“ちょっとわかんないや”とは絶対言わない。“やるしかない! がんばれよ。俺もがんばるから!”みたいな。いや、そういう精神論じゃなくて具体的な答えがほしいんだよねってことも多いけど(笑)。でものちのち、岸くんの答えが響くっていうか。あのとき、ああ言ってくれたのは、こういう部分を見てくれてたからなのかなとか気づかされることが多くて。思っている以上に、メンバーみんなのこと考えてるんだよね」

みんなが応援してくれた。だから今の僕たちがいる

──グループの夢や目標を教えて。
「グループとしてやりたいこと、やらなければいけないこと多すぎますよね。バラエティー、報道、お芝居、ほかにもいろんな道を先輩たちが作ってくれて、僕たちにつないでくれた。僕らはそこに甘えるだけじゃなく、恩送りの話じゃないですけど、僕たちもまた新しい道を切り開いていきたい。それが後輩のためになるし、何より僕たち自身が、まだ誰も見たことのない景色を見てみたいから。だから、ときには誰もが行かない道を行かなければいけない。その結果、世界で活躍できるアーティストになれたらと思うし、ならなきゃいけない」
──4月から初の単独主演になるドラマ『受付のジョー』もスタートするけど、個人の夢や目標も教えて。
「改めてお芝居って楽しいなって思いますね。もちろん、まだまだ練習しないといけないですけどね。演技だけじゃなく歌もダンスも磨き続けたいです。コンサートの演出についても、もっと勉強していきたい。特にコンサートはファンの方に唯一、僕たちから直接お礼を伝えられる場であり、一緒に楽しめる場所。絶対に手は抜けないです。演出は始めたばかりでわからないことばかりですけど、毎年今できる最高のコンサートを作って、それを毎年更新していきたいです」
──神宮寺くんは、Jr.時代に言った「デビューしたい」って言葉をかなえたよね。ほかにも「冠番組を持ちたい」って語った夢もかなえてる。デビュー当初から目標のひとつに掲げてたドームツアーもいよいよ4月からスタート。今、話してくれた目標もかなえられる気がするよ。
「全部、ファンのみんなのおかげなんです。みんなのデビューしてほしいって思いがあったからデビューできたし、冠番組にしたって、みんなの見てみたいって声があったから実現したんです。みんなが応援してくれたから今の僕たちがいる。応援してくれた一人一人への感謝を忘れず、これからも一人でも多くの人に喜んでもらえる作品、番組、コンサートを手がけていきたいです。ただ絶対に忘れちゃいけないのが、数字はもちろん大切だけど、僕たちが向き合うべきなのは見えない誰かなんかじゃない。目の前のあなただってこと。そこにいるあなたに笑ってほしいんだってことを忘れずKing & Princeの世界をこれからも広げていきたいと思います」

取材・文/水野光博