Myojo

10000字ロングインタビュー

初めてできた対等に話せる仲間。
そんな仲間との絆にすべてを賭けるって決めた。

10000字ロングインタビュー

『僕がJr.だったころ』

SixTONES・Snow Man編

第4回

森本慎太郎

〔SixTONES〕

もりもと・しんたろう
1997年7月15日生まれ。神奈川県出身。A型。身長175cm。
2006年10月、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、SixTONESとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2020年10月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

無謀と言われようが、なんだってよかった。
この6人でなら、何かが起こせそうな気持ちになれた。
背負いすぎたあのころにはなかった、絆の強さがまだまだ長い夢の先へ、
少年から大人へいつでも笑って歩いていけるようにしてくれた。

背負いすぎるな自分らしく生きろ!

──誕生日おめでとう、祝福すべき日にインタビューができてうれしいです。
「ありがとうございます!!」
──ジャニーズに入って14度目の誕生日。もし入所直後、9才の自分に何か声をかけられるなら何て伝えたい?
「うーん、“背負いすぎないで”かな。あのころ周囲の目を必要以上に気にしすぎてたからね。俺が今いちばん大事にしてる、“自分らしく生きろ!”って言葉を贈りたいな」
──入所直後、無邪気でヤンチャなガキ大将のように見えてたよ。小学校のクラスではどんなコだった?
「クラスじゃ収まりきらないというか。学年みんな友だちみたいな感じでした。小学校は4組までだったんですけど、休み時間になると端から端まで片っ端から人に話しかけてくみたいな。男女関係なく全員と仲よくて。みんなとしゃべってましたね」
──当時から、おしゃべり好きだったんだね。
「昔も今も変わらないですね。人間って、俺はすごい好きな動物の一種で。いろんなタイプの人がいるから話してるだけで楽しい。俺、人が好きなんですよね」
──じゃあ、小さいころって何になりたかった?
「ヒーロー。強さへの憧れみたいなものはありましたね。パパがずっと空手をやってたんで俺も空手を始めて。困った人を助ける、強い人になりたかった」
──空手では小2で全国4位になってるよね。
「負けず嫌いだったんですよね。稽古ではいつも泣かされるんです。それが悔しくていっぱい練習して、気づいたら強くなってたって感じかな。その繰り返し。俺、“弱虫”“泣き虫”って言われるのが嫌いだったんですよね。めちゃくちゃ図星だから」
──ほかに、どんなコだったかわかるエピソードってある?
「それこそ怖いもの知らずというか、無敵というか。ジャニーズに所属する前に、舞台を見学させてもらったことがあって。飽きちゃったんでしょうね、楽屋で寝転がってゲームをやってたんです。勝手にコンセントを借りて。当然、楽屋なんで人が行き来してバタバタしてるわけです。で、誰かの足がコンセントにひっかかって、引っ張られてゲーム機が俺の手から落ちて。“何やってんの!”ってすごい怒った記憶があります。あの日の自分に言ってやりたいですね。“何やってんの!”はおまえのことだって(笑)」
──ハハハハハ。その後、オーディションではなく、中華料理屋で居合わせたジャニーさんに直々にスカウトされジャニーズに入ったんだよね?
「はい。俺は覚えてないんですけど、何度も断ってるんですよね。家に電話がかかってきてママが出て。ジャニーさんに“どこどこで何時からレッスンがあるので来れませんか?”って言われて。ママが“どうする?”って聞くと“ヤダ!” ってクソガキが断るわけですよ。何度電話がかかってきても断るからママ、ハラハラしたって(笑)。4回目くらいの電話で“こんなに誘ってもらえるんだから、1回くらい行ってみなさい”ってなって」
──芸能界に興味なかったの?
「なかったですね。空手と遊ぶことで頭がいっぱい。とにかく友だち最優先だったんで」
──1回限りのつもりで行ったレッスンはどうだった?
「最初は踊れって言われても何にもわからなくて戸惑って。そしたら、“こうだよ”ってやさしくダンスを教えてくれたのがきょも(京本大我)で。少し踊れたら楽しくなったんです。あの日、きょもがいなかったら、続けてたかわからないですね」

増えていく仕事、減っていく友だち

──入所後わずか3カ月の早さで武道館のステージに立ってるけど、世界が一変したんじゃない?
「ですね。放課後の習い事みたいな感覚でいたんですけど、変化が急すぎて、もうわけわかんなかったです。俺は何もできなくて、いろんな人に面倒を見てもらって。いちばんよく面倒を見てくれたのが五関(晃一)くん。あとは挨拶や立ち振る舞いとかを教えてくれたのが河合(郁人)くんや藤ヶ谷(太輔)くん。あ、俺一度、藤ヶ谷くんに真剣にキレられたことがあって。最初のコンサートで殺陣を覚えなきゃいけなかったんですけど、ずっと覚えられなかったんです。そしたら藤ヶ谷くんに“いい加減にしろ!”って注意されて泣いた記憶がある。家族以外の人に本気で叱られたの初めてで。叱られた後、わからないことがあるから藤ヶ谷くんに聞きに行きたいんだけど、怖いから聞けなくて。そしたら五関くんが“大丈夫。聞いてきな”って背中を押してくれた。勇気を出して藤ヶ谷くんに“教えてください”って言ったらスッゲーやさしく教えてくれて。時間が経って気づくんだけど、愛のある叱り方だったというか。ジャニーズならではの掟じゃないけど、ステージに立つ以上は年令関係なく接する。ちゃんとひとりのJr.として見てくれていたってことですからね」
──その後、ドラマやCMに出演。映画『スノープリンス 禁じられた恋のメロディ』では主演に抜擢された。さらにスノープリンス合唱団としてCDもリリース、紅白にも出場してるよね。
「正直、初めて経験することばかりで、そのときは、それがどれくらいすごいことかわかってないんですよね。記者会見、苦手だったな。“なんで俺にいろいろ聞いてくるんだろう?”って不思議で。でも、ちゃんと答えられないと怒られる。大人がいっぱいいてマイクを向けられフラッシュが焚かれて、カメラも回ってるって状況が、なんかすごい苦しいというか、嫌いでしたね」
──この時期、慎太郎くんがまさにJr.のセンターに立っていた。
「考えすぎるタイプなんで、背負わなくていいものまで抱えすぎたというか。そんなこと全然ないのに、自分がJr.を引っ張ってるんだ、俺がうまくやれれば、ほかのJr.の道が開けるんだって。視野が狭くて、まったく状況が見えてないんですよね。子どもだから余計に。思い詰める俺を見かねた事務所の人から“何も背負わなくていいんだよ”って言われたのを覚えてる」
──小学生の慎太郎くんには、重すぎる荷物を背負ってたんだね。
「でも、仕事のプレッシャーより、仕事が増えれば増えるほど友だちが減っていくほうが辛かったな。あれだけ仲よくしてくれたJr.の友だちが、急に距離を取ったり、よそよそしくなったり。今ならわかるんです。何の実績もない入所直後のJr.が、いきなり大役を次々に任されてく。嫉妬みたいなものもあったはずで。でも幼すぎて、そういう感情には気づけず、“がんばれば、がんばるほど、なんで友だちが減ってくんだよ……”って寂しくて。でも性格が泣き虫なのに無敵モードでいたかったから、人前では強気でいるんです。で、家に帰って泣くというね」
──悩みを相談できる人はいた?
「うーん、ひとりで抱えてたかな。でも、やっぱり親はわかるんでしょうね。ママが“なんかあった?”って話を聞いてくれて。“辞めたい”って伝えたら、“入りたくても入れない人がいる世界だよ。そういうことも考えてから決めても遅くないんじゃない”って。そうだよなって辞めずに踏みとどまって」
──お父さんは仕事に関して、どういうスタンスだったの?
「パパは単身赴任だったんで、相談したくても連絡したことなかったですね。」

初めてできた対等に話せる仲間

──中学では体操部に入ってるよね?
「できない技を覚えたいなって。アクロバットができれば仕事につながると思ったんで」
──ただ、そんな思いと裏腹に仕事は激減した。
「そうですね。いろいろあって。周囲や事務所にも迷惑をかけちゃうだろうし、俺自身も居づらい。妹はまだ小学生だし、このタイミングで仕事も全部やめて、ママの実家に引っ越そうかって具体的な話まで進めてました」
──でも、辞めなかった。
「俺や妹の学校の友だちが誰も態度を変えず接してくれたのが大きいです。ママと再度話し合って、“もう少しここでがんばってみたい”って。『ABC座 星劇場』が、いったら仕事復帰のタイミングというか。久しぶりの大きな仕事で。その稽古で、いきなり振りつけ師さんに“甘えてんじゃねえ!”って怒られて。俺はやっぱり兄弟だから注目されたり、一緒に歌えたりもしてたんです。でも、もう今までとはちがうんだぞって。自分の中でがんばろうって気持ちと同時に、この舞台を最後に辞めようとも思ってたんで、最後の思い出作りじゃないけど、楽しい思い出を作って終わりたいなって。そういうのが見透かされてたんでしょうね。振りつけ師さんに叱られたことで、負けず嫌いに火がついて、もう一度踏んばることができた」
──そんなタイミングで抜擢されたのが、のちのSixTONESのメンバー5人と出演したドラマ『私立バカレア高校』だった。
「今までやったどんな仕事よりうれしかったです。仕事がほぼゼロの状態からドラマ出演が決まった。以前とちがって、ドラマに出られることがどれだけすごいことかもわかる。“俺はまだ終わってない。まだやれる!”って。でも、それよりうれしかったのが、対等に話せる仲間ができたこと。以前はドラマに出ただけ友だちが減ってくって感じてたのが、今度はちがう。だから5人は、俺にとって共演者以上の存在だったんですよね。初めてできた仲間っていうか」
──ずっと欲しかった仲間が、ついにできたんだ。
「はい。俺、オーディションを受けてないから同期と呼べる存在がいないんですね。でもこの5人は、先輩後輩はあっても、仕事になれば対等、横一線の関係。そのことが本当にうれしくて。その後、6人で『Johnny's Dome Theatre~SUMMARY~』もやらせてもらえた。もう6人でライブをやれることがうれしすぎて、俺、初日の最初のフライングの時点で号泣しちゃって。いくらなんでも早すぎるんですけど、それくらい感動っていうか、うれしかったんだよね」

おまえらも一緒に飛ぶぞ!

──高校に進学したころは、どんな未来を思い描いてた?
「大学に進学して教員免許を取って先生になろうと思ってました。ジャニーズに未練がなかったって言ったらウソになるけど、それ以上に先生になりたかったんです」
──なりたかった理由ってある?
「仕事がなくなって、中学に毎日行くようになり、ちょっとグレたんですね。そんな俺が道を踏み外さないですんだのが、学年主任だった理科の先生のおかげで。その先生が唯一怒ってくれたんです。俺は負けず嫌いで悔しいからサボらず学校にちゃんと通って。先生、叱ることで俺の逃げ道を先回りして塞いでくれてたんです。当時はこんな細かいこと怒るなよって苛立ちましたけど、“おまえのこと、しっかり見てるからな”ってメッセージだったんですよね。その先生と月に1回、生徒指導室で雑談するのが恒例行事で」
──その先生に憧れて先生になりたかったんだ。
「はい。学校を楽しいって気づかせてもらったというか。あとはやっぱり中学の友だちの存在が大きいです。中学の友だち数人と、高校生のときにメシを食べてて。何気なく、“あのころ、迷惑かけたよな”って俺が言ったら、友だちのひとりがポロッと“そんなこと全然ない。記者の人にしつこくされたくらいだよ”って。みんな一瞬“あっ”みたいな顔したんですけど、俺なんのことかわかんなくてくわしく聞いたら、いろいろあったタイミングで週刊誌の記者に、声をかけられて根掘り葉掘り聞かれたらしくて。友だちはみんな“何も知りません”で通してくれた。俺の前では、そんなことあったなんて全然感じさせず、いつも通り接してくれてたのに。それを聞いたとき、“この人たちは一生大事にしなきゃ”って。先生のこと、友だちとのこと、俺は学校に楽しい思い出しかなくて。学校が大好きな場所で。もし学校なんてつまらない、何の意味があるんだって人がいたら、楽しいことも必ずあるよって伝えられるような先生になりたいって」
──高3の春、いよいよ進路を確定させるタイミングでSixTONESが結成されたね。
「ジェシーに“もう一度、6人でやろう”って言われて、6人でジャニーさんに、“1曲やりたいんだよね”って言いに行ったら、オッケーしてくれただけじゃなく、SixTONESって名前までつけてもらって。そのとき、俺は“このグループにすべてを賭けよう”って思ったんだよね」
──でも、デビューできるかわからない。教師になる夢を追いかける選択肢もあったんじゃない?
「ジェシーに“もう一度、6人で”って言われたとき、最初は、“なにムチャ言ってんだ”って気持ちが強かった。俺らはいちタレントという立場なわけで、そんなわがまま通るわけないって。頭ではそう思ったんです。でも、うれしさが上回って。なんていうか直感なんだけど、この人たちとなら、何かが起こせそうな気がした。起こせないとしても挑戦したいって思えた」
──当時の状況を考えると、かなり無謀な挑戦のようにも思える。
「無謀でもなんでもよかったんです。『バカレア』後、ジェシーと北斗がふたりでやるようになって、4人は悔しい思いをした。離れた場所から見てるとジェシーと北斗、すっごい輝いてて。形はわからないけど、デビューするのは時間の問題だなって。少なくとも、俺にはそう見えた。ふたりは、もっともっと高く飛ぶ人たちだって。言っちゃえば、ふたりはスペースシャトルで、4人はそこから切り離されたブースター部分ですよ。でも、高く高く飛んでったはずのスペースシャトルが、“おまえらも一緒に飛ぶぞ!”って帰ってきた。なにバカなこと言ってんだ! 余計なことしたら、おまえらも墜落するぞって思ったけど……だからこそ余計にうれしかったんですよね。友情っていうか、絆っていうか。もちろん、どうなるかなんてわかんない。でも、このグループにだったらすべてを賭けたいって思ったんですよね」

離れていた時間が絆を生んだ

──ただ、結成直後のSixTONESは順風満帆とは言えなかったよね。
「なんか、最初はすごく……グループ感はなかったですね。我が強くてカッコよくいたい人たちの集団だったんで。これも俺の中での話ですよ。SixTONES、コケるだろうなって。どっかでこのグループは絶対にコケると思ってた」
──どうにかしないと、このままではマズイぞ、と。
「いや逆。早く立ち上がれなくなるくらいコケろって思ってました。『バカレア』のときも挫折を味わって、そこから這い上がってきたのが、この6人なんで。中途半端にくすぶるなら一度大コケして、そっから始めようって。みんなお調子者で、すぐ調子に乗っちゃう。でも、一度コケれば、カッコつけたいなんて変なプライドをかなぐり捨てて、這い上がる6人なことわかってた。そこからが本当の勝負だって思ってました。もちろん家があること、SixTONESってグループ名がついたことが大きいんです。だって、失敗しても帰ってくる場所があるから」
──グループ最年少が、そんなこと考えてたんだ。
「きっと、ふたりと4人、離れてた時間があったことがよかったんです。『バカレア』後もずっと一緒にいたら、今、6人でいられたかわからない。出会いと別れ、離れた時間を経験したから、6人の絆が生まれたんです」
──なるほど。
「ただ結局、何度もつまずきましたけど、致命的にコケるより先に、少しずつ事態が好転していったんですよね」
──じゃあ、2018年のKing & Princeのデビューはどう思った?
「うれしかったですよ。デビュー発表直後、俺と(平野)紫耀とジン(神宮寺勇太)でクルマに乗ってたら、紫耀たちが謝ってきたんです。“ごめんね”って。“なんで?”って聞いたら、“言えなくて”って。いいんだよ。それで正解だよ。次、俺らがデビューするってなっても同じようにするよって。でもさ、どんなタイミングの報告になろうと、誇っていいことだし、誇らしいよ。それにSixTONESも、Snow Manも先輩だけど、おまえらのデビューに“なんでだよ!”なんて言うヤツ、誰一人いないよって」
──次のデビューは、自分たちの番だと思った?
「正直なこと言っていいですか!? 俺はデビューできないと思いました。今までのデビューを見ていると、基本は4年に1度。4年後に俺たちにチャンスが来るとは思えなかった。だって、ビジネス的なことを考えれば、若いコたちをプッシュしたほうがメリットが大きいじゃないですか」
──デビューをあきらめたってこと?
「あきらめたとは少しちがって。メンバーで話し合って、やれることを精いっぱいやる。特にJr.が今までやってこなかったこと、新しい初めてのことをたくさんやろうって決めたんです」
──その意図って?
「例えば、今までのデビューへの滑走路って、4年に1度のバレーボールだったりでしたよね。俺らがいろんな初めてに挑戦して滑走路をたくさん作ろうって決めたんです。もしもその滑走路を使って飛び立つのが別のJr.のグループだとしても、“あの滑走路、俺らが作ったんだぜ!”って胸を張って誇れるよねって。時代の変化も俺らに味方してくれた。YouTubeで『ジャニーズJr.チャンネル』が始まったり、『アーティストプロモキャンペーン』に選んでもらったり。もちろん、滝沢(秀明)くんが手助けしてくれたことが、いちばん大きい」
──じゃあ、2019年6月、ジャニーさんの病室でデビューを告げられたときはどんなことを思った?
「デビューできなくてもなんて言いましたけど、そりゃあうれしいですよ。Jr.の肩書きが取れて、ジャニーズのいちアーティストになれるんだから。しかも、初めて俺が仲間だと思えた6人、一緒に同じ時間をくぐり抜けた仲間とデビューできるんだから。ただ、『ジャニーズJr.8・8祭り』は、いろんなグループのファンが会場にいるイベントだったんで、ガッツポーズはしないって決めてステージに立ちましたね」
──待望のデビュー。家族も喜んでくれたんじゃない?
「ママは会場にいたんですけど、連絡したら“あのとき、辞めなくてよかったね。ママに感謝してね”って冗談っぽく言ってました(笑)。後から人伝に聞いたんですけど、発表のとき、ママはすごい泣いてたらしいです」
──お父さんの反応は?
「“おめでとう”ってすごい長いメールを送ってくれました。パパとはデビュー後に、ふたりで風呂に入るタイミングがあって。“背中、流させろ”って言われて。そんなこと初めてで、パパに背中を洗われながら“大きくなったな”って言われて、“そりゃあ22才にもなったんだから”って答えたら、なんかいろんなことが蘇って、涙がポロポロこぼれちゃって。交代して俺がパパの背中を流したんだけど、なんか、すごい忘れられない出来事だったな」
──いい話だね。デビューしたとき、King & Princeには何て言われたの?
「紫耀に“おめでとう”って言われた。デビューに関して、あいつらが先なんで、“デビューしたらどうなるの?”って聞いたら、“大変になるよ。忙しくもなる。でも俺らは仲間。何かあったらいつでも話そうね”って。なんか、俺の中であいつらは友だちって感覚がすごい強いんですよね。大切な存在です。まあ、ぶっ飛んでるヤツらなんですけどね。この前も、紫耀とジンと“ディズニーランド行きたいよね”って話をしてて。紫耀が“フェイスガードしてマスクしてサングラスしたら見つからないんじゃない!”って言い出して、そしたら、ジンが“バイクのフルフェイスでいいんじゃない?”って。ふたり、“それ、いいねえ!”って盛り上がってるから、“それじゃあ変質者と銀行強盗だろ!”ってツッコんで。彼らは何かがちがいますね(笑)」
──じゃあ、デビューを目指すJr.の後輩に言っておきたいことはある?
「うーん、いろんなことを考えて、一歩踏み出すことが怖くなることがあるかもしれない。ただ、失敗を恐れて立ち止まるなら、失敗してもいいから進め。何も背負う必要はないよ。自分らしくいればいいってJr.全員に伝えたいかな。……特に(髙橋)優斗には伝えたい。それこそ優斗はジャニーさんの期待も背負ってただろうし、グループのことも、すごい考える仲間思いのコだから、いろんなことを考えすぎちゃうと思うんだよね」
──慎太郎くんが、昔、経験したこと、言われたことと同じだね。
「あ、そうですね。やっぱどこか重なるんでしょうね」

きっと、一生一緒にいるんだろうな

──デビューから半年。今、メンバーに伝えたいことは? まずは京本くん。
「きょも、これからも兄貴でいてね。カッコいい背中見せてください。今はポヨンポヨンのおなかしか見せてくれないんで(笑)。学生のころ、きょもの学校の文化祭に行って、“弟です!”ってきょもの友だちに挨拶したよね。いろんなとこに、きょもには連れてってもらった。仕事への向き合い方は、そのころから今でも最もストイックな人。でも、カッコいいなって反面、みんなとワチャワチャしてるときは子どもみたいで愛おしいです」
──次は髙地(優吾)くん。
「これからも頼りにしてるよ。髙地はグループを俯瞰で見られる、メンバー唯一引き算ができる人。俺らは足し算しかできないから。MCとかでバーって盛り上がったとき、俺は一瞬髙地を見るんです。“髙地はどうしてんのかな?”って。場の空気を読むのがうまいから、もっと盛り上げていいと思ったら髙地も乗ってくるけど、ちょっと調子乗りすぎだぞってときは引いて見てる。で、俺はそれに合わせてる(笑)」
──北斗くん。
「光と影、両方見せてね、かな。どっちも見せていいのにって思うんだよね。だって、どっちもカッコいいから。俺は特にクールな北斗が好き。絶対、俺にはない部分だからね。クールな影の部分、もっとたくさん見せてほしい」
──北斗くん、今、メンバーといるとき、すごい楽しそうだよね。
「ですね。いくら近づいても、磁石のように離れていっちゃったときもあって。きっと、“一生一緒にいるんだろうな”って考えられるようになって変わったんだろうな。俺から言わせたら、これからずっとずっと一緒にいるなんて、グループを結成したときから思ってたよって話なんですけどね(笑)」
──次は樹くん。
「MCとかラジオやってるじゃないですか。ウカウカしてたら、そのポジション奪っちゃうぞ、かな。俺、しゃべるの好きなんで。まあ、トーク力をもう少し上達させれば、チャンスはあるかもって思ってる(笑)。3年前かな。樹とジェシーと俺でごはんを食べに行って、SixTONESに何が必要かって話してたら、俺は話をまとめるのがヘタで結論までが長い。ジェシーは言い回しとかがまちがってたりするからニュアンスちがいなことが多かったりする。で、お互い相手に誤解を与えながらヒートアップして“何言ってんだ!”“おまえこそ!”って泣きながらケンカになって。頭のいい樹が、“ちょっといいか、俺が聞いてると、ふたりの言ってること一緒だ”って解説してくれた。樹がいなかったら、今も俺とジェシーはいがみ合ったままだったよ(笑)」
──最後に、そんなジェシーくんへ。
「これからも、たくさん報告し合おうな、かな。仕事の話でもいい、近況だけでもいいから。このグループの支柱はジェシーなんです。グループ愛が強いのがよくわかる人。俺もSixTONESが大好きだけど、自分が今考えてること、やろうとしてることが、本当にSixTONESにいい影響を与えられるか確信が持てないときがある。そんなときは、ジェシーと話をして、考えてることが同じ方向だって思えると、あ、まちがってなかった、SixTONESにとってプラスになるって確信できる」
──なるほど。
「もちろんジェシーだけじゃなくて、メンバー全員が、今の自分に必要なこと、SixTONESが大きくなるために必要なことをすごい考えてる。いつも、それを言葉にし合うわけじゃない。でも、ライブの打ち合わせしているときとか、垣間見えたりするんだよね。そんなとき、“あぁ、SixTONESっていいな”って心から思える」
──じゃあ、慎太郎くんのグループ内の役割はなんだと思ってる?
「神輿!」
──神輿?
「正直、自分のことは、よくわかんないんですよ。俺のことをいちばん理解してるのは俺じゃない、メンバーだから。5人が俺をうまく操ってくれる。俺は5人に担がれる神輿みたいなもの。迷惑な話だけどメンバー5人に担いでもらって、俺は生きてる。だから、めちゃめちゃわがままなことを言うけど、俺には5人が必要。その代わりじゃないけど、5人が担ぐのに苦にならない人間で俺はいたい。“楽しいからまいっか”って。俺が落ち込んだり、打たれ弱くてずっとシュンとしてたら担いでてもつまんないでしょ。だから俺は、自分らしく、いつでも笑っていたいんです」
──じゃあ、今後の目標を教えて。
「俺、ジャニーさんと個人的に最後に交わした会話が、HiHi Jetsのライブを見てたときで。なんか俺の顔を不思議そうに覗き込むから“どうしたの?”って聞いたら、“YOU 本当、ブッサイクだよ。あんな可愛かったのに。最悪だよ”って言われたんです(笑)。なんていうか俺、最後の会話がそれですっごくよかったと思ってて。自分にとって最高な人に“最低”って言われた。それが夢の中になるか、空耳が聞こえるのはわからない。でも、いつか“YOU、最高だよ!”って言わせてやろうって。それが日々のモチベーションであり、俺ができる恩返しだと思ってる」
──そうだね。
「俺には恩返しをしなきゃいけない人がたくさんいて。地元の友だちも、中学の恩師も、家族も、もちろんファンも。俺は入所直後、運よくいろんなことを経験させてもらった。Jr.なら、いつかやってみたいと思うほとんどのことを。それでも、デビューはできなかった。デビューできたのは、ファンのおかげだからね。これからドームに連れて行くことや、いい音楽を届け続けること、お返しをいろいろな形でしていきたい。ファンあっての俺ら、俺らあってのファンだから。だからこそ、肩肘張らず、俺らをラフに愛してほしい。だって俺たち6人とファンは、これからもずっと一緒。先はまだまだ長いからね!」

取材・文/水野光博