1981年の「ロードショー」の表紙には4人の新人が登場する。そして、8月号の表紙を飾ったゴールディ・ホーン(『プライベート・ベンジャミン』1980)を除く3人にはある共通点がある。オリヴィア・ニュートン=ジョン(4月号)、6月号のスーザン・アントン(6月号)、シーナ・イーストン(10月号)はいずれも歌手なのだ。
あのオリヴィア・ニュートン=ジョンも表紙に。歌手と映画の「ビッグ・イン・ジャパン」現象とは!?
先頃逝去した80年代を代表する歌姫オリヴィア・ニュートン=ジョンら、ポップミュージックのシンガーたちも表紙を飾ってきた。洋楽洋画の市場が拡大していくなか、「ロードショー」が貢献した日本独自の現象とは。
ロードショー COVER TALK #1981
覚えてますか、スーザン・アントン
1月号/シェリル・ラッド 2月号/テイタム・オニール 3月号/ファラ・フォーセット 4月号/オリヴィア・ニュートン=ジョン※初登場 5月号/クリスティ・マクニコル 6月号/スーザン・アントン※初登場 80年代らしく、ディスコやエアロビクスの雰囲気で、ヘアは盛り盛り
©ロードショー1981年/集英社
去る8月8日に73歳での逝去が伝えられたオリヴィア・ニュートン=ジョンは『グリース』(1978)や『ザナドゥ』(1980)などで女優としても活躍しているものの、スコットランド出身のシーナ・イーストンに関しては当時はまだ演技経験がなかった(1981年製作・公開の『007 ユア・アイズ・オンリー』の主題歌を歌っていたので起用されたものと思われる)。
スーザン・アントンは準ミスアメリカに選ばれたことをきっかけに歌手としての活動をはじめ、女優としてもTVドラマや映画に出演していたものの、代表作と呼べるものはなかった。それでもアントンがロードショーの表紙に起用されたのは、当時、日本で人気を博していたからだ。
カメリアダイアモンドのCMに起用されたことがきっかけで、CM曲に採用された「フォクシー」も大ヒット。スーザン・アントンはたびたび来日し、日本の歌番組に出演したり、コンサートを行っていた。日本でしか売れない洋楽ミュージシャンを「ビッグ・イン・ジャパン」と揶揄するが、その走りのような存在だったと言える。
「ロードショー」は6月号において表紙のみならず、「カラー特写&インタビュー スーザン・アントンがやってきた!」という特集を組んでいる。海外の映画やTVドラマのスターだけでなく、ミュージシャンにも食指を伸ばす、ロードショーの積極的な姿勢が垣間見える。
小西未来
米ロサンゼルス在住の映画監督・映画ジャーナリスト。ハリウッド外国人記者クラブ所属の記者として取材活動を行うかたわら、『カンパイ! 世界が恋する日本酒』『カンパイ! 日本酒に恋した女たち』などのドキュメンタリー映画を手がけている。
ロードショー編集部
1972年に創刊し、2008年に休刊となるまでの36年、多くの映画ファンから愛されていた 映画雑誌「ロードショー」。
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