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世界を興奮させた、三宅一生が生きた時間

NIKKEI The STYLE

輝かしいとしか言いようのない三宅一生の生きた時間は、どの年を切り取ってもみずみずしく光っているように思える。

たとえば1988年のこと。秋のパリの街並みには美術展告知用の大判ポスターが掲げられ、パリ装飾美術館の三宅展を告知していた。田中一光のデザインで、アーヴィング・ペン撮影の黒い大きなガウンのファッション・フォトグラフィーでA UNとある。

あ、うん? そう、狛犬(こまいぬ)さん「あ」狛犬さん「うん」と神社の境内で遊んだ大人もいるだろう。阿吽(あうん)の呼吸といわれて二者以上の相互理解の速さを伝えるサンスクリット語に由来するA UNを、三宅一生は展覧会のタイトルにした。装飾美術館の広いギャラリーには70年代から80年代の三宅一生の最良の仕事が選び抜かれて展示され、特別にデザインされた金属のマネキンが段状のステージで観客に語りかけているかのようだ。

そしてその頃、日本ではプリーツの服が斬新な謎かけのようなかたちで発表され話題を呼んでいた。「プリーツ・プリーズ」、プリーツをください、と店頭で買えるような気軽さのネーミングをもつブランドの前身の作品群だ。それは見事な平面の造形作品でありながら人体の上では服になる。アムステルダム市立近代美術館企画展に出品され同じく参加したアーティスト、アンゼルム・キーファーを驚かせた前衛的発想の作品だ。

服になる形をあらかじめ想定してポリエステル素材を熱処理する。従来の裁断、縫製という工程を超えた革新的な方法論を三宅一生は機械との対話で生み出したのである。

さかのぼって60年代のパリでは東洋からのモード研修生だった三宅一生がいる。パリの文化に刺激される彼を特に惹きつけたのはミュゼ・ド・ロム(人類博物館)だ。そこにはアフリカ、オセアニアなど当時の日本では遠く感じられた地球上の人々の姿がリアルにあった。労働着、生活着。荒々しい木綿、麻の表情までもが目新しかった。

68年、学生たちのプロテストが勢いをつけた「異議申し立て」のパリの嵐の中で、既にデザイナーとしての道を進んでいた三宅一生は根本的な設問を自分自身に投げかける。誰のためにデザインするのか、服を? 答えはそれからの彼の全ての仕事にあふれている。「同時代を生きる普通の市民のために」

日本に戻るとすぐにスタジオを設立し、70年、東レ主催のファッション・ショウで話題をかっさらった三宅一生。その当時から語っていた使命感のようなデザイナーとしてのミッションがある。「一つは時代のテクノロジーが生み出す素材の追求。もう一つは日本の手仕事、クラフトの継承、つまりものづくりの基盤を固めること」。生真面目にミッションを実現させていくデザイナーの姿は振り返ってみれば凄みさえ感じさせるのではないだろうか。

77年、毎日デザイン賞受賞の三宅一生に建築家・磯崎新は表題を「野生の思考」とする文章を寄せた。

三宅のミッションの一つ、日本のものづくりにまず視線を向け、刺し子、しじら織り、上布、黄八丈その他の織物、ニットなどのあらゆる表情を三宅ならではのデザインとした衣服の表現はある意味でアジア・アフリカの原初的な衣習慣を喚起させる。ファッションのコレクションなどでシーズンの特徴として取り上げられるエスニック、フォークロアなどの"傾向"とは次元を異にするものだ。「野生」とは三宅一生の生涯を通底する主題でもあった。

それら日本の伝統的素材の復刻の仕事と、当時の新素材によるドレス類の乱舞する様を収めた作品集『EastMeets West 三宅一生の発想と展開』(平凡社)が受賞記念に出版された。新進のデザイナーの作品集は世界でも珍しい出来事で、各国のキュレーターの机上にその一冊が並んでいくのを知って、編集に携わった私自身も小躍りしたことを懐かしく思い出す。もう一つのミッション、新素材の研究開発はエコロジー・コンシャスな三宅とそのチームの苦難の道であるに違いないのに、現れる最終製品の完成度に世界は再び興奮させられている。

ここで世界というのは、訃報に寄せられた地球上の各地からの熱く強い言葉を傍受しての私の表現だが、はっきり言えることがある。ミヤケ・デザイン・スタジオで育ったデザイナーたちは、ポスト・バウハウスの動きにも似て21世紀を飛翔(ひしょう)し続けることだろう。

Fly With ISSEY MIYAKE!

クリエイティブ・ディレクター  小池一子

[NIKKEI The STYLE 2022年9月11日付]

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