渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

研ぎ

2020年10月11日 | open



包丁の刃先が潰れて来たら砥石で研ぐ。
家庭包丁は本職料理人のように毎日は
砥がない。またアウトドアナイフも毎日
は砥がない。
そのため、特殊な研ぎを施す。








これが私の研ぎ。


マイクロベベルの刃先の止め刃技法は日本
の伝統刃物でも刃持ちを得るための研ぎ
方法だが、私の研ぎはさらに手を加え
いる。
それは、「漸次的摩擦係数可変研ぎ」だ。
英訳にするとgradual variable friction 
coefficient sharpening。
ざっくり言うと、最近のモーターサイクル
用スポーツタイヤのデュアルコンパウンド
構造のようなものだ。目的はそれに近い。

これは江戸幕府の御刀御様(ためし)役の
山田浅右衛門の山田流試刀術の理論と実践
からヒントを得て私が編み出したものだ。
私の早月(さつき)流研之次第ではこの技法
を施す事が多い。私自身はプログレと呼ん
でいる。
さらに、モーターサイクルで使われるリヤ
サスペンションのモノサスや柳沢雄造氏
が考案して世界グランプリに採用した
リンク式カンチレバーのプログレッシブ
な状態を得る発想に、山田流試刀術研ぎ
の根元的目的をもっと高次に発展させる
ヒントを得た。
それが漸次性の付与だ。
刃物へのゼンジセイノフヨ、これなので
ある。

なお、日本刀はその断面形状と使い方に
より、漸次的摩擦係数可変が自然発生する
構造になっている。日本刀は考え抜かれた
「完成」された創造物であるのだ。
しかし、包丁やナイフは日本刀のように
振って切る刃物ではないため、刀身断面
形状による切りの「抜け」を考慮されて
いる物は少ない。
それゆえ、日本刀以外の刃物で日本刀
ような切れ味を得るためには、日本刀の
物理、日本刀の理屈について徹底的に知悉
していないと研ぎにおいて足下を自ら照ら
せない。
極言すると、日本刀以外の刃物は、すべて
「圧(へ)し切り」用法で使う為の刃物なの
だ。ドリルや旋盤のビット等以外は。
そこをまず知らないと、ではどうするか、
というものが拓けて来ない。

マイクロベベル刃先の止め刃は刃持ちのみ
目的だが、この摩擦係数を変化させて
体感的切り味を飛躍的に向上させる技法
であるプログレ研ぎは、これまでも日本
の研ぎの世界で多段研ぎと呼ばれて多角
という形状のみは存在はしたが、現代に
おいては多角研ぎさえもあまり行なわ
ていない。
私のやり方は、細かい角度の立ったエッヂ
を幾つか付ける形状状態の作出だけでは
なく、その帯の中身の研ぎの態様も変化
させてある。
山田流寝た刃合わせとは、小刃付けのこと
ではなく、まさにプログレッシブな状態
をグラデュアルに現出させることであっ
た。
ただし、山田流では研磨筋は一種類しか
付けない。
私の場合は3段乃至6段の「異なる」研ぎ
目を刃道に沿う一直線のラインで付ける。
私が研いだ刃物が物凄く切れると体感する
のは、それは物理的な切れ味よりも、使い
手の人の切り味を重要視するためで、私が
人と刃物の一体化を目指しているからだ。
まず人ありき。
そのような思想性を背景としているので、
実温度よりも体感温度というものに似た、
「人がどう感じるか」ということに真正面
から向き合って、刃物を使うというシーン
でそのことに取り組もうと私はしている。
刃先の止め刃よりも、この人間工学的な面
を重要視するプログレ技法にこそ早月流の
要諦がある。

料理人は、料理で味を出す。
研ぎ人は、研ぎで味を出す。
私が目指す研ぎは、よく切れる切れ味など
は当たり前の大前提であり、切れ味の向こ
うの「切り味」を求めている。


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