──ようやく10000字インタビューの取材が再開できるね。その間、『TrackONE–IMPACT-』ができなくなるなど大変なことも多かったんじゃ?
「デビューコンサートだし、何よりツアー途中までやっていたから余計に悔しいよね。本当に静岡、北海道で会えるのを楽しみにしていた人たちに申し訳ない。でも、誰も悪くないことだからね。皆が行きたかったって思ってくれるように、俺らもやりたかったよ。ただ俺らの中で、まだツアーは終わってないんだよね。永遠にできなくなったわけじゃないし、きっとまたどこかで会えるって信じてる」
──10000字の再開を願う読者の声も編集部にたくさん届いたよ。
「期待度が上がってよかった(笑)。意外とよかったこともあったりするんすよね。もちろんマイナス面が大きすぎるけど、プラスだってゼロじゃない。発売が遅れたセカンドシングル『NAVIGATOR』がデビューからちょうど半年後にリリースされることになったのも、巡り合わせのようなものを感じるしさ。会えなかった時間が愛を育むなんていうしね。会えなかった時間、自粛していた期間があったから、大切な人は誰かってこともよりわかったりしたはずだから」
──じゃあ、さっそくインタビューを始めるけど、家族のこと大好きだよね?
「そうっすね。めっちゃあったかい家族なんで。ただ、いろいろうちは普通じゃないっていうか。この時代に5人も子ども育てるって大変だったはずで。いろんな面で楽じゃなかったと思う。だから、家族には感謝してもしきれない」
──樹くんは、5人兄弟の四男。
「はい。兄弟が多かったからか、人の反応を想像するの昔からめっちゃ得意で。小さいころから空気を読んでない感を出すのがうまかったんすよね。例えば、家族でお菓子を食べてて最後の1個が残ったりすると、延々と気をつかい合って譲り合いが始まったりするじゃないですか。そんなとき、俺は無邪気で無神経なふりして食べちゃうみたいな。気をつかわせてるって思わせた瞬間、相手はより気をつかうでしょ。それがイヤで。だったら“こいつはしょうがないヤツだ”ってなったほうが、みんな気をつかわなくて済むから」
──小さいころの夢ってなんだった?
「ガキのときは単純だったんで、なんか急にカッコよく見えて近所のスーパーの店員になりたかったり、医者のマンガを読んで医者になりたいとか、そういうレベルの夢や憧れはありましたけど、現実として思い描いてた夢ってのは特になかったですね」
──野球、サッカー、陸上、水泳、バスケ……スポーツもたくさんやってたよね。
「うーん、今思えば、どの競技もどこか心から楽しいとは思ってなかったかな。この競技のプロになりたいと思ったこともなかったし」
──ジャニーズに入ったのも憧れからではなく、お母さんが知らないうちに履歴書を送ってたんだよね?
「そう。とはいえ俺は目立ちたがりでもあったから、まんざらでもないというか(笑)。チヤホヤされんじゃないか、テレビ出られるんじゃないかとか、そういう感覚でした。(菊池)風磨や(中島)健人とオーディションが一緒で。風磨は家のファックスが壊れてたらしくて、事務所からの連絡を受け取るのが遅れ、入所は俺のほうが1週間早くなるというね(笑)」
──Jr.の活動はどうだった?
「最初は楽しくなかったです。ホント、部活みたいな感覚というか。部活自体はたいして好きじゃないけど、その後の部員同士で遊ぶのが楽しいみたいな」
──入所直後、Hey! Say! JUMPのコンサートに出演してるよね。
「そこで(森本)慎太郎やきょも(京本大我)に出会ってるんすよね。ふたりがピンクの衣装着てたのをボンヤリ覚えてる。あー、でもコンサート自体は、すげーイヤだったな。入りたてで何もできない。踊りも歌も。このとき、ラップもやらされたんだけど当然ヘタクソで。できもしないのに、ステージに立つのがイヤで、すげー恥ずかしかった。仕事が楽しくなったのはホント最近です(笑)」
──同世代のJr.の友だちが多かったのが続けられた理由だったんだね。
「ですね。家に遊びに来たり、誰かの家に遊びに行ったり。子どもだったんで、1対1よりも、みんなで遊んでました。ジェシーともよく遊んだ。ジェシーとはHip Hop JUMPを組んだときに出会ったのかな。ジェシーは口数少なかったんで、最初に会ったときの印象が薄いんすよね。遊んでても、思いっきり笑うこともなくて。ジェシーなりに何か考えてたんだと思います。Hip Hop JUMPで後輩と組まされたことに劣等感みたいなものがあったんじゃないかな。みんなと一緒にいても、楽しくないみたいな空気を出すことも多くて」
──入所3年目の2011年、同期だった風磨くん、中島くんらがSexy Zoneとしてデビューしたよね。
「めちゃくちゃ悔しかった。もちろん俺よりB.I. Shadowだった(松村)北斗や髙地(優吾)のほうが悔しかったはずだけど。俺はあのとき、グループに入れそうな予感も予兆もまったくなかった。だから、なんで入れなかったんだってことより、“なんであいつらのほうが先なんだよ”って悔しさだったな。正直、感覚的にはずっと“俺はジャニーさんがデビューさせたいって思うタイプじゃないな”ってのは感じてたから、ムリだろうなってどっかで思ってた。それでもすげー悔しかったんだよね」