これも昭和29年(1954年)のアサヒカメラより。 和歌山は田辺のアマチュアカメラマンの「少女」というポートレート作品。おそらく地元の子なのでしょうが、凜とした姿が印象的です。
最後は戦前で行こうと、ちょっと部屋の戦前のアサヒグラフでも見てみます。 脱脂粉乳でも飲みながらお待ちください。
まずはジャブみたいな感じのアップですが、昭和8年(1933年)の松下のラジオの広告。週刊朝日の裏表紙なのでサイズがでかくて一部切れてしまいました。 「問答無用」というのは当時の流行語ですね。流行した理由はあんまりよろしい事件ではないんですが・・・。
今日最後は昭和6年(1931年)の週刊朝日より。同誌が応募していた「ミス・ニッポン」の結果発表です。 1枚目が優勝者で、山口県徳山町の俵さん。 2枚目からが準優勝者で、兵庫県甲東村の河原さん、大阪市北区の箕田さん、東京市外渋谷町の須田さんです 今日はこれだけです。それではおやすみなさい。
こちらは再掲ですが、一風変わったコンテストです。 昭和23年(1948年)の「ミス・ピースコンテスト」。都内のたばこ屋の看板娘の中でミスを決めようというもので、町の商店街も巻き込んでかなり本気の活動をしています。 1-2枚目の写真は、たばこを売りながらお客さんに投票をお願いしている所。
昭和10年(1935年)の『オリエンタルニュース』より喫茶店の中の写真。場所は不明です。 ケーキでしょうかね、女給さんから持ってきてもらってこれ以上ない笑顔の子供を写した写真です。 子供からしたら最高の瞬間でしょうね。
喫茶店の女給さんという事で、こちらは昭和13年(1938年)の日東紅茶の喫茶コーナーで働く女給さんたちの再掲です。画質がいいです。 こちらもオーソドックスな制服ですね。皿の上にビスケットみたいな物が見えます。
昭和12年(1937年)の女学生のポートレート写真もう一つ。こちらも東京のアマチュアカメラマンによる撮影ですが顔アップの構図なのでファッションは分かりません。 表情が実に凜としています。
大正11年(1922年)、横浜の家にて。飼い主の少女に愛犬がじゃれている所ですが、犬は大正時代も変わらず犬ですね。ちなみにこの少女は女優の原駒子(1910-1968)の子供時代です。
最後も犬で、これも何回か再掲してますが好きな写真です。大正9年(1920年)頃の静岡県・奥山尋常小学校。おそらくこの2人は転校か何かの記念で写真を撮った物と思います。 ワンちゃん2匹がお利口に横に座って写真に収まってます。100年経ってもこうやって残るのがやっぱり写真って凄いですね。
国会図書館デジタルコレクションより。当時の不良少女の記述です。昭和8年(1933年)の『実話ビルディング : 猟奇近代相』から。 中央線沿線の「血桜団のお龍」、渋谷道玄坂の「乗馬服の愛子」、新宿の「センチメンタルのお芳」の話が出てきます。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
戦後のカストリ雑誌『デカメロン』(1946-1955)の表紙です。 実に戦後な感じの、毒々しいというか人間の欲望に訴えかけるケバい色使いが素敵です。 1枚目はこちらから。 smpedia.com/index.php?titl…
そういうエロなカストリ雑誌が溢れる本屋で立ち読みする子供たちです(昭和23年 再掲)。
昭和6年(1931年)の白木屋です。立派でモダンな作りで翌年に火事になってしまうのが想像できません。『失われた帝都 東京』より。
その昭和10年(1935年)のアサヒカメラより「SEX」という写真です。女性の脚線美を撮っていますが当時かなりギリギリな写真なんじゃなかったかと思います。
その松本秀太郎が出ている昭和10年(1935年)の日活映画『魂を投げろ』ですが、これが原節子の出演映画の中で現存する最古の作品だそうです。とんでもない美少女ですよ。 2-3枚目の画像はこちら(銀幕三昧 魂を投げろ 1935)より。#原節子  ginmaku1982.blog.fc2.com/blog-entry-242…
これも同じく昭和9年(1934年)の『映画情報』より。 松竹蒲田のラッキー・セブンとしてデビューしたばかりの高杉早苗です。いかにも新人という感じのフレッシュさに溢れています。香川照之や市川猿之助の祖母ですね。
昭和11年(1936年)のアサヒカメラより。場所は岐阜県の大垣市で、百貨店の食堂の窓の下の風景を撮ったものです。 母娘、人力車、女学生、露店が見えます。こういう何気ない撮影も時が経過すると貴重な歴史資料になりますね。
たこ焼き器を買いに行こうと思うのですが、そこで戦後の関西の写真を。 昭和30年(1955年)の京都の駄菓子屋で、おばちゃんがたこ焼きを焼いています。子供に交じって芸妓さんでしょうか、和服の女性も待っています。
昭和4年(1929年)の婦人公論より、化粧品広告と料理コーナーです。 サラダが「サラド」と表記されています。各種ケーキやチョコレートフィズなどの飲み物や、字だけでもおいしそうな物ばかりです。「平野水」は当時の代表的な炭酸水ですね。平野水に甘味を付けて売り出したのが三ツ矢サイダーです。
絵葉書資料館さんの昔の絵葉書の復刻販売ページより。5枚から注文できるようです。これなんか可愛いなあと思います。 ehagaki.org/shopping/ja-a1…
こちらは個人的な好みですが昭和8年(1933年)の『映画情報』より、当時の人気女優・市川春代です。愛らしい容貌と声で春坊の愛称で親しまれました。 2-4枚目は過去にあげた写真の再掲(昭和7-8年)。
昔の山の手言葉、及び女学生言葉じゃないかなあ・・・>ごめんくださいませ 今だと黒柳徹子さんがまだ当時の喋り方を残しておられますね。 twitter.com/Kaede_NGC/stat…
以前こういう写真をアップしておりました。忘れてました😅 昭和9年(1934年)、それまでの「カフェー ライオン」が「ビヤホール ライオン」が生まれ変わり銀座にオープンした時の写真です。現存する最古のビヤホールだそうです。 写真は女給さんたち。
女給さんの元祖的存在は江戸時代の茶屋娘ですかね。(写真は明治前期 再掲) 人気の茶屋娘がいる店は料金割高にしても男性客で溢れただとか、茶屋娘の今でいうグッズを売り出す店もあったとかで、人間変わらないものです。