再掲ですがこれ欲しいです。昭和10年(1935年)の弁当箱保温器の広告。
これも以前上げた広告の再掲で、昭和10年(1935年)の痩せ薬の広告です。 今だとアレな表現のオンパレードです。「(太っていると)遂には、つまらぬ人の妻に」というのも凄いです。
この戦前の「エログロ」ブームですが、それらの写真を。 レビューでのエロの氾濫に当局は取り締まりをこれだけ厳しくしますが(3枚目)、エロは客が入るので劇場側も渋々従っていたようです。 カフェーでもエロサービスが広まりますが、当局の厳しい姿勢でこっそりとサービスを告知する店も(4枚目)。
ちなみに戦前の「グロ」ですが、今の感覚のそれとはかなり違ってて、今の「珍奇」ぐらいの意味じゃないかと思います。 例えば女性が風変わりな恰好で脚を大胆に出すと、珍奇で生々しいという意味で「グロ」と言われてたりなど。
例えばエログロの使い方はこんな感じですね。昭和6年(1931年)の「現代猟奇尖端図鑑」の広告。女性はジョセフィン・ベーカーですかね。
箸休めというか、箸休めにもならない下手さと思いますが、「美しき天然」を弾きました。 明治35年(1902年)の曲ですが、大正時代から活動写真やサーカスの客の呼び込みに好んで使われ、チンドン屋さんの印象が強いかもしれません。
戦前の令嬢シリーズです。 昭和8年(1933年)の婦人倶楽部より。加藤貞次郎という実業家の令嬢の隆枝さん。 趣味は園芸で、知識は玄人顔負け。草花の成長を眺めるのが本当に嬉しく仕方がありませんとの事です。
昭和8年(1933年)の婦人倶楽部、こちらは「東京大衆食堂の自慢料理」という記事です。 1枚目は当時の人気チェーン・須田町食堂の本店の日替わりランチ。これは記者さんが訪れた日ですがこれで25銭なので今だと700-800円って所ですかね。 その他東京の人気食堂のメニューをそのまま4枚。
この音楽に関連して、昭和28年(1953年)の浅草の見世物小屋です(再掲)。 「かわいそうはこの子でござい、親の因果が子に報い、生まれいでたるこの姿。あな痛ましや、彼女が食らうは生きた蛇。御代は見てからで結構だ。さあさ入った入った」 というような口上を覚えておられる方も多いでしょう。
昭和9年(1934年)の主婦之友より、今日も令嬢です。 実業家・本庄啓祐氏の御令嬢で晴子さんです。 まだ女学生でしょうかモダンなお嬢さんです。戦前のモダニズムが見えてくるような女性と思います。「今年も志賀高原へスキーへ行く予定」との事。
昭和11年(1936年)のアサヒカメラより「下宿街の昼下がり」という作品です。同志社大の学生撮影。 下宿街を歩く学生2人を上から撮った写真ですが、「御下宿」という看板灯篭がいいですね。
最後のは昭和11年(1936年)、浅草の夜です。 1-2枚目はバー「シャンタン」というお店。1枚目はこのお店の女給さんに頼んで撮らせてもらったものです。 3-4枚目は浅草のお店。3枚目はこの間貼った須田町食堂ですね。4枚目は映画館。 2.26事件があった年ですが、浅草の夜は華やかだった事でしょう。
大正時代の女学生です。湖でのスケートを楽しむ長野県の女学生たち(再掲)。場所は不明ですが諏訪湖じゃないかとの声が前回は多く寄せられました。 みんな笑顔で楽しそうです。
自転車に乗るモダンガール。 詳しい時期は不明ですが、昭和一桁ぐらいじゃないかと思います。
昭和12年(1937年)4月の隅田公園。桜ですかね、花が満開の下を人々が朗らかに歩き、何とも穏やかな写真です。 2枚目は再掲で昭和3年(1928年)の隅田川。場所は両国です。家族と犬が川で釣りを楽しんでいますがこの時代はハゼがすごく釣れていたそうです。こちらも穏やかな写真ですね。
昭和4年(1929年)の婦人公論から。文士夫人の着物の帯特集です。 1枚目が上から小島政二郎夫人、横光利一夫人、今東光夫人。2枚目が上から片岡鉄平夫人、メイ牛山氏、味の素社長鈴木三郎夫人と書いてあります。 特に1枚目は旦那同士の人間関係が非常に面倒臭くてややこしいので、興味ある方は(続く)
美容という事で、昭和8年(1933年)のサンデー毎日より、「サトウハチロー 美容相談」を再掲します。 まともに読者の質問に答えていません。
サトウハチローは不良少年だったそうですが、同じく不良だった落語家4代目鈴々舎馬風(1904-1963)の逸話。 実家は東京の仕出し屋で、留置場で出された弁当が不味いので文句を言ったら「お前の家のだ!」と警官から怒られ、帰ってから「恥かかすんじゃねえ!」「こっちの台詞だ!」となったそうです。
ちなみに、実際の麗子ちゃんは可愛いです。 twitter.com/oldpicture1900…
大正13年(1924年)1月の週刊写真報知より。 「復興の歌」という読者投稿作品です。少女が楽譜のような物を見ていますがこれが復興の歌なのでしょうか。 震災から間もない時期の撮影と思われ、撮影者の復興への思いが伝わってきます。
ちょっとした小ネタですが、昭和35年(1960年)の「森永チョコレート クラウン」の広告です。 ミルク多めとの事ですが、恐らくこれがグレードアップしたのがロングセラーの「森永ハイクラウンチョコレート」ですかね。 森永製菓の歴史年表を添えておきます。 morinaga.co.jp/museum/history…
こちらは昭和36年(1961年)の東映正月映画のラインナップです。しかし豪華な面々です。映画の黄金時代ですね。
昭和30年(1955年)のサンケイカメラより「漁村の娘」という作品です。場所はおそらく千葉です。 海女さんの休憩中を捉えたショットですが、厳しい仕事の合間の和やかさが伝わってきます。 再掲で2枚目(1955年)、3枚目(1939年)。いずれも千葉・御宿の海女さんです。鍛えられた肉体美が素敵ですね。
こちらも昭和30年(1955年)のサンケイカメラより「餅つき」という京都のカメラマンの作品です。 近所の人たちが集まって餅つきをやっていますが、3枚目4枚目は小さな女の子が餅運びしてて微笑ましい風景です。
昭和32年(1957年)、婦人倶楽部別冊の『夏のニューデザイン』より、個人的には一番好きなのが50'sファッションです。太陽族~ロカビリーな時代ですね。こういう落下傘スカートが特に大好きです。