小ネタですが、今日名古屋の古書市にて見た瞬間「??」となりましたが、あそうか右からかと思い買いました。 うさぎとかめですね。昭和15年(1940年)の絵本。
今日も戦前の銀座です。昭和10年(1935年)のアサヒカメラより。撮影は島根三吉というカメラマン。 (1)喫茶店で何か飲んでいる2人組。 (2)会計をしている2人組。左の子が2人分を払ってるんですかね。 (3)(4)銀座を歩く女性
檀一雄によると太宰の味の素好きは筋金入りで、生前「僕が絶対の確信を持てる存在は味の素なんだ」と語っていたそうです。 twitter.com/ajinomoto/stat…
これは幕末(1863年頃?)、下岡蓮杖が撮影した罪人と岡っ引きです。 どういう風にお願いして撮らせてもらったのか分かりませんが、左と右が岡っ引きで真ん中が罪人で、仲良く並んでいます。 この岡っ引きが北町か南町かどっちの奉行方かは分かりません。
昭和8年(1933年)の主婦之友より、戦前の人気女優・大山デブ子です。 元々は松竹蒲田所属で蒲田デブ子でしたが、河合映画(大都映画)に移籍後は大山デブ子として活躍します。 その人気は並みの女優では到底かなわなかったほど。
フォロワーの方から頂いた写真です。熊本県八代市の山口家。昭和9年にブラジルに移住し戦争中は日本人という事で大変な苦労をされたそうです。アントニオ猪木一家もそうですよね。当時のある移民の家庭の足跡。 (1)昭和3年(2)(3)年代不明(4)財産を取り上げられた後、戦後頑張って己で買った自動車と。
昭和20年(1945年)頃、既に敗戦が迫っている時期の出勤風景の再掲です。 (1)空襲に備えて鉄兜を持参する人々。実際は鉄が不足していたので防空頭巾を使う人が多かったようです。 (2)名古屋の広小路通。空襲の翌朝の出勤風景です。
大正14年(1925年)の神戸の洋品店の広告。お洒落な店内でセンスの良さを感じます。
昭和11年(1936年)の『世界画報』より。 「帝都重大事件」という記事の続報で、これは5月号ですから前号の4月号からやっと2.26事件の詳細が報じられたこと言う事になります。 まずは銀座でしょうか、当時の街並みを。
こちらも昭和11年(1936年)の『世界画報』の「空翔けるホテル ヒンデンブルク号」という記事です。 あの事故で有名な旅客飛行船ですが、ホテル並みの豪華な客室、シャワー付きの浴室、耐火対策万全な喫煙室、一度に50人の食事ができる食堂、散歩道、電化キッチンなど、まさに空飛ぶホテルです。
同じく昭和11年(1936年)の『世界画報』より。ちょっと軟派な記事になりますが銀座のダンスホールのダンサーたちです。 (1)出勤後お店で休憩している彼女たち。着替え前との事なのでおそらく私服ですかね。 (2)お店が開き、ドレスに着替えてお客さんの指名を待っている所。
昭和13年(1938年)のアサヒカメラより、読者入選作品「仲良し」。姉弟のようですがいい笑顔だと思います。
最後は戦前の百貨店です。熊本の千徳百貨店。 同百貨店は1906年に千徳呉服店の開業から始まり、1926年に百貨店となって熊本の街の顔的な存在だったそうです。 フロアマップと全体図、そして各階の写真を貼っていきます。1枚目は1Fと2Fの売り場(続く)。
昭和10年(1935年)の「メイコーカメラ」の広告。 近代人の要求をことごとく充たした驚くべきカメラです。 東郷堂は愛知県の豊橋にあった写真機メーカーで、戦前~戦後にかけてさまざまなカメラを発売していたようです。
昭和11年の女優の自撮りです。 twitter.com/oldpicture1900…
今年も年末いろいろありましたが、まだ古本いっぱいあるので、しばらくスキャンは続けたいと思っています。 これは幕末、坂本龍馬の親友で右腕的存在だった近藤長次郎(1838-1866)。1865年ぐらいの写真ですかね。 亀山社中の社中盟約書に違反した咎を受け、切腹します。
街へ繰り出すという事がなかなか難しくなっているご時世ですが、写真だけでも。銀座へ繰り出すモダンガールです(昭和5年頃 再掲)。
1枚目はベンチャーズファン(1965年)。葉山マリーナにて。 2-4枚目はビートルズファン(1966年来日時)。
こちらはロック編(再掲ばかりです)。 (1)1970年 日比谷野音の楽しそうなロックファン (2)1971年 多分ELPのファンの女性(強引ですが) (3)1976年 当時人気絶頂のベイ・シティ・ローラーズのファン (4)1978年 kissファンの女子高生
最後も昭和8年(1933年)の『健康時代』より。 1-2枚目は戦前のエログロを感じられる記事ではないかと思います。 3枚目は当時の流行語。今も生きてる言葉はありますかね。 4枚目は法政大野球部の選手たちの明るさが今と変わりないように思えます。
昭和8年(1933年)、榎本千花俊による「春浅き銀座の舗道」という絵です。当時の銀座の風景が美しく描かれています。 2-4枚目は当時の銀座の街角や喫茶店の風景(再掲です)。 また気分次第でちまちまとやっていきますので宜しくお願い致します。
昨日の写真ですが、やはり戦前の女学生と言えば帽子ですね。 4番目は大正14年の『婦人画報』さんより、聖心女子学院の生徒ですが格好いいですね。こちらの記事よりご覧ください。 fujingaho.jp/culture/g30958…
昭和9年(1934年)の婦人公論より「冬山は招く」という記事です。 軍隊の雪山訓練など実践的運動だったスキーですが、この頃になると一般的な趣味となり、特に都市部の人たちが好んで雪山を楽しむようになります。 4枚目は昭和16年正月の名古屋駅ですが、スキー客の多さが分かりますね(再掲)。
昭和6年(1931年)の少女倶楽部12月号の広告です。 貯金箱、クリスマスカード、ハンドバッグという立派な付録が付いています。 この頃の少年少女雑誌はそれぞれの人気執筆陣に加え、これらの豪華な付録と高額商品の懸賞で読者の心を掴み、部数を増やして行きます。戦前の出版黄金時代ですかね。
今日最後は昭和6年(1931年)の婦人倶楽部より。「新家庭カメラ訪問」というコーナーで、要は新婚さんを訪れる企画です。 こちらの夫婦は日清生命保険に勤める旦那さんと日本女子大卒の奥さん。新婚ならではの初々しさに溢れています。 蓄音機が自慢だったんですかね。それではおやすみなさい。