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早稲田大学と私 (前編)2009.04.03 Friday
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早稲田大学と私 (前編)
ご報告遅くなりましたが、というよりご報告するアレもないのですけれど、
私サンキュータツオは、この3月で早稲田大学の学生ではなくなりました。
桑田真澄さんとは入れ違いです!
ま、全然関係ないですけれども。
正式には、「卒業」ではありません。
そもそも大学院には「卒業」というシステムがないのです。
世の中に、その生態がいまだ理解されず誤解が多いのですが、
「院卒」というのは正確には存在しません。
世の中にわかりやすく言っているにすぎない言葉だと思います。
修士課程ならば修了、博士課程ならば退学、
というのが、正式な大学のシステムです。
よって、私の最終学歴は、
早稲田大学大学院の、文学研究科の、博士後期課程の、「単位取得満期退学」
ということになります。
細かく言うと専攻とかもありますので、
履歴書に書くときはめちゃめちゃ大変です。手が痛くなります。一行では書ききれないのです。
みなさんの身の回りに、博士課程に在籍していらっしゃる方々がどれくらいいるかわかりませんが、
そんな方々が、「退学」と言っても、ひかないであげてください。
単位取得退学と中途退学は似て非なるものなのです。
正式な“卒業”という意味合いのものです。
ですので、「院生芸人」という肩書きではなくなりますね。
そのかわり、これからは「大学非常勤講師芸人」です。
「講師芸人」。
近々このブログのトップもリニューアルいたします。
私の専門の日本語学、お笑い、そして仏像から二次元、BLにいたるまで、
いろいろ講義していく芸人になろうと思います。
レクチャー芸人。
大学には、都合、14年おりました。
普通の人より10年も多いです。
言うとひかれます。当たり前です。
愛すべき相方・居島一平には、刑務所じゃないんだからといわれます。
そんな相方も学部に7年いて中退しましたが。
入学当時生まれたお子様はいまや中学二年生。恋もする年齢です。
猫なら死んでるよ!とつっこまれます。
実際、入学当時飼っていた猫は亡くなりました。
いまは別の猫を飼わせていただいております。
第一文学部に5年、
大学院の文学研究科の修士課程に3年、
博士課程に6年。
高校卒業してすぐに大学入ったのに、
学籍途絶えず行っていたのに、14年。
私の知ってる在学記録は、
ゼミの先輩の17年というのがありますが、
それでも14年は相当いたほう、
いや、文系の博士課程に進んでいる人には普通くらいかもしれませんが、
学部と修士での一年ずつの留年を含んでいるので、長いほうです。
学費も相当払いましたし、借金もたんまり膨らみました。
早稲田大学の歴史が、125年ですから、ゆうに大学の歴史の10分の1は知っている計算になります。
いまのところ、学費を返済する見込みはまるでありません。
さて、どうしたものか。
退学は、紙切れ一枚で済みました。
14年間、大学に学費を払い続け、紙切れ一枚で縁が切れる。
さっぱりした気持ちです。
大学の、あの学生たちがたんまりいる空間には、5年目くらいから飽きてました。
よく考えたら、学生が嫌いだったんです。
私が入った1995年、
3月に地下鉄サリン事件の捜査が進んで、オウム真理教の教祖がつかまった、
そんな頃の入学でした。
昔話でもしましょうか。
入学式シーズンには、サークルの勧誘なども盛んでした。
まだ各大学に、オウム真理教のダミーサークルがありました。
『新世紀エヴァンゲリオン』前夜です。
ノストラダムスがどうだとか、いっそこのまま滅びてしまえばどんなによかろうと、
一部の人たちが淡い期待を抱いていた頃です。
大学には左翼の人間たちが声高に活動しておりました。
学園祭も活況でした。
前の日から泊り込みで大学で準備をし、
4日間、大学ではなく学生仕切りでの学園祭が開かれていて、それはひとつの売りであったほどです。
なんとなく巨大な大学なんだな、と思いました。
あれから14年、
悪魔の大王は降ってこなかったし、
私のいた学部はもうない。
私が所属した研究科の専攻科も、私がギリギリ最後で消滅が決定しています。
左翼たちも一掃され、活動拠点となっていた部屋も取り壊されて跡形もありません。
革マルと呼ばれたその左翼たちの活動資金源となっていた学園祭は、
結果、途中4年ほどの中断があり、学園祭の歴史は完全に断絶しました。
総長も二度変わりました。
その都度、大学は変わっていきました。
新しい建物がどんどん建てられ、古い建物はなくなりました。
私が入学した当時、
構内のいたるところに、5メートル間隔くらいであった灰皿は、いまはどこにもありません。
すぐ近くにあった早稲田実業は共学になり、いつも間にか八王子のほうに移転しておりました。
箱根駅伝は、在学中に往路優勝を三回見ました。
あの頃走っていたエースは、いまは丸々太って監督をしている。
六大学野球は、春夏あわせて11回、優勝を見ました。
ラグビーはよく知りませんが、なんだか強かったようです。
私の在学中に、そのまんま東さんが入学し、転部し、卒業し、知事になりました。
おなじ年に入学していたらしい和田という人は、逮捕されました。
14年前、携帯電話がなかった最後の時間。
100円でパソコンが買えるなどと、だれも思わなかった時代。
大江戸線も南北線も副都心線もなかった時代。
早稲田から、どんどんいまわしい「汗」の匂いはなくなっていきました。
良い傾向なんだと思います。どんどんポップになってきております。
そして、ちょうど14年前の4月、
私は全身紫の服で大学に入学しました。
そしてちょうど4月3日、
落語研究会のサークル勧誘ブースに足を運びました。
そこに、
全身黒のスーツを着ていた男がおりました。
それが、のちに私の相方となる、居島一平でした。
思い起こせば、14年前のあの日、あの場所に行っていなければ、
もう少しましな人生になっていたかもしれません。
いや、この人生も悪くないですけれど。
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読んでいて
居島登場のくだりで
背景にお花が咲きました。| いぬ | 2009/04/06 4:55 PM |おめでとうございます。
と言うところでしょうか。
間違っていたら、すみません(たぶん間違っています)。文字はある程度読めても、空気までは能力が及びませんで…(汗)
「後編」の長さと中身から伝わるこの14年間の大切さが心にしみ複雑な気持ちになりますが、一区切りがついたということで、めでたいこと、でよいのでしょうか。
自分も学生として6年、教員として5年同じ大学にいて変わっていくのを見てきました。そろそろピリオドを打ちたいのですが、首にしてもらえない限りなかなか勇気がでません。
何か気のきいたことをいいたいところですが、いい言葉はみつかりません。
これからサンキュータツオ講師から学ぶ人たちにちょっぴり嫉妬を覚えるばかりです(ちょっぴりかよ)。
| Oriたん | 2009/04/07 1:42 AM |>いぬさん、
お互いもう少しカッコ良ければ花が咲くんですけどねえ……
我々はがんばってもせいぜいどくだみくらいしか咲きません。
>Oriたんさん、
ありがとうございます。おめでとうであっております。
コメント嬉しいです。言葉がみつからなくても、反応していただけたことがわかるだけで、書き手は嬉しいものですよ。
大学というのは、誠に不思議な空間でございます。
| タツオ | 2009/04/12 3:05 PM |うちのむすめの友人が、今年早稲田に入ったんだよな。
埼玉の校舎だけど。
入れ違いだったんだ。
残念。
結構楽しみにしていたんだがな。
うちのむすめが(笑)| つばめひこうき | 2011/04/22 9:22 AM |>つばめひこうきさん、
たまに早稲田も行ってますよー。
中央図書館に変な論文を読みに。| タツオ | 2011/04/27 5:09 AM |