25歳という年齢。あなたは何をしていましたか?
TBSラジオから、マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオがお送りしている「東京ポッド許可局」。現在のコーナーにもつながった「25歳だった論」を紹介します。
マキタ:個人的な興味として、我々が出会ったのは、僕の年齢で言うと25を過ぎた状態で。普通に考えて25歳って年齢は、ストレートで大学に入ったら、22ぐらいで卒業するわけじゃないすか。学校生活を終えて、とりあえず3年ぐらいは経った状態。
タツオ:22で卒業だから、社会人3年目か。
鹿島 :いい歳ですよね。
マキタ:3年目ぐらいになると、もう転職を考えるか。それともそのまま、要領もわかってきたし、仕事のいろいろなことがわかってきて、結構楽しいなとか、楽しくないなとかはっきりしてくる時期。
タツオ:転職しようかな、どうしようかなっていうことを考え始める頃で、なおかつもっと生活のことで言うと、家買おうかなとか。
マキタ:そういう夢を叶える人もいる。あと、例えばプロスポーツの世界。野球とかで言うと、もう高卒ルーキーとかだって18ぐらいで入団して、そしたらもう7年ぐらい経つわけだから。
タツオ:もうベテランだね。超一流選手だったら、もうそろそろ FA みたいなね。海外行くかとか。
鹿島 :アントニオ猪木はもう23の時に東京プロレス旗揚げしてますからね。
マキタ:マジで!?23歳で東京プロレス?
鹿島 :若いんですよやっぱり。
タツオ:猪木さんすごいですね。
マキタ:あの方はだって、ブラジル移民だからね。
タツオ:すごいよね。
マキタ:人生的にはすごいよね。向こうでだって陸上とかやってすごかったわけでしょ。へ~、じゃあ猪木の25歳って何やってたんだろう。
鹿島 :東京プロレス旗揚げして、まあ何年かで潰れますよね。もう1回だから日本プレスに戻る。もうだからスターですよ、だからね。
マキタ:新日を旗揚げしたときは何歳くらいなんだろう?
鹿島 :そのあとです。昭和47年ですから。
マキタ:(笑)ペラペラ出てくるね。
鹿島 :もうプロレスファン症候群ですから。だからあのプロレスファンはね、みんな自分のいいように捉えるわけですよ。俺がこの年齢の時、猪木は何してたかなっていう。23だと早すぎるんですよね。
マキタ:じゃあ馬場は?馬場ってエリートじゃん、ある種。高校卒業してすぐあれでしょ?
鹿島 :馬場さんは読売巨人軍に入りましたから。
マキタ:巨人軍に入って。
鹿島 :で、2軍でも良い成績を残したんですよ。で、大洋ホエールズに移籍して。お風呂場で転倒して、腕を怪我して。で、その後プロレス入りですから。でもプロレス入りしたときからもうエリートでね。海外修行とかも行ってましたから。馬場さんも若かったはずです。
マキタ:相当若いよね。
タツオ:濃密だよね。
鹿島 :だから当時のスーパースターの20代っていうのは早いんだよ。
マキタ:お笑いの世界でいうと、さんまさんとかとんねるずさんとかね。
タツオ:めちゃくちゃ早いよ!
鹿島 :それこそ小林繁のモノマネとかしてましたね。
マキタ:で、割とすぐ売れてるわけでしょ。さんまさんにしても。とんねるずさんにしたって、もう高卒ルーキーみたいなもんじゃない。で、社会人をやりながら、ちょっとした下積みがあって。で、もう25ぐらいのときは売れてたはずだよ。
鹿島 :だからゾッとするのがさ。中学、もしくは高校、それぐらいの10代から第一線で。僕らずっと視聴者で観てた人が、意外と今そんなに年齢変わらないっていう驚きが。5、6歳。10歳も離れてないっていう。俺らいかにスタートが遅いのかっていうのはびっくりしちゃうよね。
マキタ局員の25歳
マキタ:俺のことで言いましょうか。
タツオ:マキタスポーツの25歳。
マキタ:私はね、ピン芸人でデビューしたところから、一応キャリアのスタートはそう設定してるんで。僕は97年に浅草お兄さん会っていう浅草キッドさんがやってたライブのオーディションを受けるんですよ。で、翌98年ぐらいにデビューのはずなんですよ。それは俺70年生まれなので、28歳なんですよ。
鹿島 :そう聞いてるよ。
マキタ:だから25歳なんて、なんもしてねえよ俺は。
タツオ:(笑)すごいよね。
鹿島 :まずどこにいました?
マキタ:僕はその当時は葛飾に住んでたんです。バイト漬けの日々で。僕はこういう感じに見えますけど、お笑いとかをやるためにバイトしてお金貯めとこうって思ったんですよ。ひたすらバイトしてて。
タツオ:へ~、やっぱり最初は食えないだろうと。
マキタ:そうそう。ただバイトしててもあれだから、お笑いだと、とりあえず僕は漫才をしたかったので。で、その前に僕はバンドやってたんですけど、バンドでお笑いやりたかったんですけど、それがうまくいかないので、24ぐらいでスッパリやめて。で、これからはお笑いだと。ただお笑いやる場合には、コンビでやりたかったら。その相方を見つけるために小さいお笑い劇団に入って、それでハンティングをしようと。
鹿島 :じゃあもう、25ぐらいから、客前で何かをやってたの?マキタさんは?
マキタ:ライブハウスとか、バンドとかのことを含めたら、もう23ぐらいからです。
鹿島 :あ、そうなんだ。
タツオ:そうだよね。当時はお笑いスクールに行くっていう選択肢はなかったから。
マキタ:お金を払うという感覚がどうしてもなかったし。ぼられるに決まってると。
鹿島 :まだ弟子入りっていうシステムが機能してたよね。
タツオ:だから今のお笑いやろうと思ってる人は大卒か高卒で、お笑いスクール行って。まあ1年ないし2年で、ものになるかならないかがもう大体見極められて。で、じゃあ頑張るぞって、もう結構ちゃんと芸人やってるか、もう引退してるかどっちかだよね。
マキタ:そうなのかね。うんうん。
タツオ:そう考えると25のときってすごいね。マキタさん25歳のときって。
マキタ:で、そのお笑い劇団とかにちょこっといながら、座長が一番面白いやつだったから。座長とコンビを組みたかったので、座長一生懸命口説きにかかってたんです。
タツオ:お~。
マキタ:でも、俺をちゃんと相棒として認めてくれるか、ちょっと怪しんでた関係があったので。膠着状態がしばらく続きながら、俺家に帰ってずっとオウムのニュースとか見てた。
タツオ:あ~95年。
マキタ:それが95年。で、ずっと宮台真司の本を読んだり。
タツオ:あ~、終わりなき日常を生きろ。
マキタ:で、まだ出来たてのロフトプラスワン。あれがね、富久町って新宿の厚生年金会館とかがあった当たりのところにあったんですよ。そこに行って、何かトークライブを見て、1人で悶々と胸を痛めてたりとかね。この世紀末感を、なんともいえない興奮状態で過ごしてたのが95年。で、家に帰って、サブカル系の本とか、そういう本を読んだり、とにかく音楽を聴いてた。
タツオ:マキタさんがモスバーガーで働いてたのって何歳?
マキタ:僕は22から23にかけてです。
タツオ:あ~そうなんだ。じゃあもう本当に新卒でルーキーで、モスバーガー。これからもうモスバーガーで働くぞっていうときだったんだ。
マキタ:親戚がモスバーガー始めたんでね。もう帰ってくれば、お前んところに車もあげるし。もう家も何だったら面倒見るし。で、嫁も何とか世話するからと。
鹿島 :(笑)もうそういうマッチングアプリが作動してたんだね。
マキタ:そうそう。田舎マッチングアプリ。
鹿島 :田舎マッチングアプリね。
タツオ:それは安泰じゃん、言ったら。
マキタ:うん。でもそれはやっぱり嫌ですよ。だから俺は金を貯めるだけに、一旦山梨に帰省して。モスで働くけど、すぐ東京に帰るからって言って。そしたらわかったわかった、嫁まで案内するからって言って。
タツオ:とりあえず一回就職させちゃえば…
鹿島 :これもう一つの北の国からだよこれは。
タツオ:そうだね。西の国から。
鹿島 :梨の国からですね。
マキタ:梨の国からだな。
鹿島 :桃の国から。
マキタ:(笑)桃の国…おい、いじってんだろ山梨のこと。それで、再上京を23歳で果たすが、そこから2年ぐらいプラプラしてるんですよ。で、PKなんかよく覚えてると思いますけどね。やっぱ阪神淡路大震災がいきなり1月にあり。
鹿島 :そうですね。95年の1月。
マキタ:でしょ?で、そうこうしてるうちにオウムが暴れ出したりとかして。
タツオ:あれ、俺、大学入学したときだわ。
マキタ:それでまた俺の好きなJ-POPとか、歌謡界あたりとかがさ。CD 売れまくっていろんなアーティストがウワーッと出てきてさ。
タツオ:エヴァンゲリオンもその当時ですよ。
マキタ:そうらしいよね。それで、自分としてはそこはかとない興奮状態にあったんで。モラトリアムはモラトリアムで何もしてなかったんだけど。なんかね、好きなだけいろんなことして、自分でいろいろ考えたりとか。
タツオ:何かその後の人生とか全く考えてなかったな。
マキタ:何も考えてなかった、正直。自分の人生、青天井っていうかね。死なないとも思ってたし。
タツオ:だからさ、そう考えると今の25歳の子って、割とその時点で答えが出ちゃってるっていうかさ。プラプラできない状態になっちゃってるよね。
マキタ:あ~、そうかもしれませんな。
タツオ:選抜システムが巧妙になりすぎちゃってて。割と自分の才能の見限りが早いっていうかさ。
鹿島局員の25歳
マキタ:PKはどうしてたの?
鹿島 :僕は25歳、だから95年ですよね。今で言うニートでした。
タツオ:(笑)まじっすか!?
鹿島 :完全にニートでした。
タツオ:え、まだ芸人になってない?
鹿島 :なってないです。大学卒業して。
マキタ:ストレートで大学行ったんだよね、大阪の大学?
鹿島 :いや、浪人してます。で、僕5月生まれですから。卒業してすぐこっちに来たんすけど、もう5月に24歳になってたんです。だから24、25と、僕はいわゆるニートでしたね。
マキタ:だから学生時代は大阪で過ごし…
鹿島 :働いてもいません。
マキタ:で、東京で自由な時間を謳歌するぞ、みたいな感じ?
鹿島 :いや、できるなら早くお笑いの世界に。でも芸人…まだ放送作家っていう。やっぱ高田先生が好きでしたから。
タツオ:そうだよね。
マキタ:あ~裏方目指してたところがあったんだ。
鹿島 :で、とりあえず高速バスでよく高田先生の会とか見たんで。
マキタ:紀伊国屋とかでやってるやつね。
鹿島 :そうですそうです。まずもう24歳の春にこっち出てきて、何がなくてもあのビバリーを聴けるっていうのが最強に嬉しかったんですよ。
タツオ:(笑)あ~当時はradikoもないしね。
鹿島 :だってお金払って大阪からわざわざね、見に来て。あの時事ネタのくだりが、まくらの。堪らないんですよ。
タツオ:面白いよね。冒頭のね。堪んない堪んない。
鹿島 :で、俺は毎日東スポとか見てるからさ、すぐ反応できるよ。よし、このネタきた、あ~嬉しいってなってるけど。びっくりすることに周りの客も一緒に笑ってんだよ。瞬発力、なんだこの客のレベルの高さはと思ったら。自意識高いから。ビバリーっていう番組が毎日やってると。で、最初の10分くらい、昨日今日起きたことを高田先生がずーっと。それでなんだよこれって。
タツオ:いや、だから当時はやっぱ西で言うと探偵ナイトスクープとかヤングタウンぐらいの…。
鹿島 :正直観てないし聴いてないです。僕は東の人間だっていう自意識があったから。
タツオ:(笑)え~そうなの?え、鹿島さんは大阪で芸人になるっていう選択肢はなかったんですか?
鹿島 :絶対ないですないです。
タツオ:なかったの!?
鹿島 :僕は大学で友達と出会って楽しかったですけど。なんかそういう、なんて言うのかな。1人自意識みたいなものがありました。
マキタ:分かるよ。
鹿島 :でも横山たかし・ひろしさんは大好き。
タツオ:たかし・ひろしね。ずっと言ってたもんね。
鹿島 :だけど新喜劇中継とか一切見なかったです。
マキタ:新喜劇観ないって、その自意識…
鹿島 :俺はだから4年ここで過ごすけど…
タツオ:染まんねえぞっていう。
鹿島 :すぐ東に帰るんだっていう意識はあったんです。
マキタ:(笑)これ面倒くさいよね。
タツオ:面倒くさい。
鹿島 :面倒くさいです。
タツオ:関東甲信越だぞっていう。
鹿島 :だから僕は関西弁とかにも染まらないように、うつらないように気をつけてました。
タツオ:へ~!
鹿島 :そこまでやってるならもっとちゃんと計画しろよっていうのありません?で、東京にとりあえず来て毎日ラジオばっかり聴いてた。で、1時になるともうやることない。
タツオ:(笑)どうしようもない!
鹿島 :ただ大阪時代、学生時代、百貨店でバイトはしてましたから。めちゃくちゃ貰ってましたから。で、バイトすごく楽しくて、毎日出勤してましたから。貯金はあるわけですよね。
マキタ:あ、やっぱ金は貯めたかった?
鹿島 :150万ぐらい貯まってたっていうのが正しい認識で。150万さえあれば、1年1年半ぐらいは安いアパート借りてですよ。実際2万6000円ぐらいでした。で、1日1000円ぐらいで生活すれば、まあ1年半ぐらい持つだろうっていう。もうなんか東京上京なんだけど、1人籠城計画ですよね。
タツオ:もやしをうまく使いこなした時代ですよね。
鹿島 :だから94年95年はもう見事に安アパートで、毎日ナイター見てましたね。だってビバリーヒルズ終わってからやることないんだもん。
タツオ:(笑)それクズじゃないですか!
鹿島 :クズですクズです。で、大体もう暇だから、4時ぐらいになると高円寺の純情商店街ぶらぶら散歩するわけですよ。そうすると95年になると、もう八百屋さん、肉屋さん、まあいろんな商店街の店の中から、強啓さんの声が聞こえるようになって。ああ、みんな働いてるなあっていう。
タツオ:95年からだからね。
マキタ:そうだよね。
鹿島 :だからそれが俺、AMラジオの夕方の風景なんですから。だからみんな額に汗して働いてる人が聞いてるラジオっていう意味で。それすごいじゃないですか。それ95年です、だから。
タツオ:95年。じゃまだ何者でもなかったんだ。
鹿島 :でもやっぱり焦りはあって。いろいろマキタさんが言うように、いろんな情報誌とかで。ぴあかなんかに、なんかあったな。
タツオ:じゃマール?
鹿島 :ぴあか、じゃマールかで相方募集っていうのを見て。僕はその人に手紙出して。で、返ってくるわけですよ。いろいろ僕のお笑いの感想とかね。そうすると、いろんな手紙をいただきましたが、あなたが一番面白そうなのでぜひ相方になってくださいって。僕はその返事をもらった時点で、返信はしなかったんです。だから選ばれたっていう時点だけで。
マキタ:もう満足してたのね?
鹿島 :この自意識ですよ。ほらみろ、やっぱ俺なんだよっていう。
タツオ:うわ~鹿島さんすごいな!
鹿島 :で、それをずっと1人で誰とも喋らずに。だから大阪時代の友達、ラップやってたね。長距離電話とか。あ、でも彼も出たのかな、リーダーがね。一緒に同居、1年ほど、先に東京にいたから。
マキタ:そういうことあったよね。話聞いた。
タツオ:だってそれ、ラップで日本一になってからのあとの話でしょ?
鹿島 :ラップの日本一になったのは、大学生のとき。現役大学生のときだったんで。でもラップでやってくってことはなかったわけですよ。お笑い界のほうがいいだろうと。今考えたら、あれやってても面白かったかもしれないね。
タツオ:おもしろラッパーでね。
鹿島 :だから結局東京で話すのも、大学時代の友達っていうことで。
タツオ:なるほど。じゃあ東京に知り合いゼロじゃん。
鹿島 :ゼロです。
タツオ:むちゃくちゃ怖くないそれ?
鹿島 :でもちゃんと毎日銭湯行くんですよ。で、銭湯に行って、あれ俺今日…今日どころか、この4日間ぐらいまた誰とも喋ってないなっていう。だからそうなるともう脳内だけで会話でしょ?ものを見たりとか。だからあの頃読んだ本とかラジオとかのほうが、やっぱり蓄積になりましたね。本当にあのときツイッターなくてよかったと思って。
タツオ:そうだね。
鹿島 :本当に嫌なツイッタラーになってたと思うんですよ。
タツオ:だから昼ぐらいに起きてビバリー聴いて…。
鹿島 :11時に起きました。
タツオ:その後、純情商店街行って、ナイター観て、銭湯行って、終わりっていう。で、明日頑張ろうっていう。
鹿島 :そうです。まあ明日でいいや、お笑いの門叩くのはっていう。もうどんどんどんどん延ばすんです。
マキタ:いや、俺もそれは悶々としてた。俺は吉田照美のやる気MANMAN!をいっつも車の中で聴いて。
タツオ:ラジオ聴いてるなあ。
マキタ:俺、文化放送を午前中から聞いて、志の輔さんのラジオを聞いて、その後梶原しげるさんのラジオを聞いて、その後ビバリー聞いて。で、ビバリーから終わった後に、今度吉田照美のやる気MANMAN!というのを1時から聞く。これ必ず自分で決まってんすよ。で、また TBS に移って、TBS で強啓さんのデイ・キャッチ!を聴くっていうことをずっとやって1日を終わるんです。で、地元に帰って、自分で料理をするのがすごい楽しみで。で、いろんな汁を混ぜたりとかしながら、もう1人で何かお気に入りの音楽を聴きながら、作った料理とか創作カレーとかを食べてね、もうご満悦でしたよ。
タツオ:(笑)なるほど。
マキタ:まさに、もう本当に、それがだから原点です。もう私の。
鹿島 :だから前も話しましたけど、年明けて95年でしょ。ずっともう朝は好きな時間に起きれるわけですよ。まあ11時前に、11時には起きるけど。で、本当にある日、1月17日もそうだし3月の事件もそうだし、起きたらラジオとかテレビをつけると、ああいう状況になっていて。ただ寝てるやつだけがこの部屋にいるから、絶対安全なわけじゃないですか。さすがに暗くなりましたね。俺このままでいいんだろうか…って。何も世の中の外に出てない自分が、なんか安穏と助かっていてね。で、世の中こんなことになっているっていうのは、さすがにちょっと。自分に対して嫌な気持ちになりましたね。
タツオ:特に大阪方面だと知り合いも結構いたよね。
鹿島 :そうですそうです。で、3月にあれでしょ。すごく嫌な、でもやっぱり結局明日でいいや、明日でって。嫌なことは明日に延ばすっていうね。
タツオ:すごいな~。
鹿島 :で、さすがにこのままじゃ駄目なんじゃないかっていうので、95年の秋ぐらいですかね。東スポ、まあ東スポはその頃から毎日買ってましたから。で、大川興業の大川総裁の連載も毎週読んでて。とりあえずなんか食いっぱぐれのない世の中だから。当時はね、何をしたって。何か一緒にやってみないかみたいなのがあって、じゃあちょっと受けてみようかなっていうのがスタートでしたね。それまで大川興業も好きでしたよ。
マキタ:それが25ってこと?
鹿島 :25の秋。
マキタ:やっぱ俺ら25に何かあるんですよ。
タツオ:で、行動に移したのは何歳?じゃあ行ってみようっていう。
鹿島 :25歳。それまではずーっとこう…。
タツオ:悶々として?
鹿島 :悶々としてた。
タツオ:あ~すげえ~。
鹿島 :で、大川興業も、なんかすげえ体育会系なのかなと。もちろんね、高田先生のライブで見たから、ウィーン電動こけし合唱団とか大好きだったけど。何か俺のキャラクターじゃないんじゃないか…と思ったら、入ったら思いのほか文系ですごく居心地がよかったの。先輩たちもすごい優しい人たちしかいなくて。
マキタ:コワモテじゃなかったっていうね。
鹿島 :そう。で、またそこが入ってからも、また自分の悪い癖で、現状に安心しちゃうんだよね。巨人に入った2軍の選手みたいな感じで。名前だけでこう。だから本当はすぐネタ見せとかに持っていけば、舞台に立てたかもしれないけど。もう本公演のお手伝いとかで、なんかちょっとそれに夢中というか。
タツオ:楽しくて?
鹿島 :この場がいいな~っていうので。だって先輩たち一緒に旅できるわけじゃんか。実際、立ったのそれから2年後、97年ですからね。だから僕もマキタさんと同じで、デビューは97っていう設定にしてます。設定というか、実際そうだから。
タツオ:へ~!
鹿島 :95の12月ぐらいに本公演があって、もう何もわからず、もうそれをお手伝いというか。舞台袖でスタンバって。
マキタ:2年近く潜伏期間があって、そうやって入って、興業に入ったはいいけど、そこからまた2年近く潜伏期間があったんだ。
鹿島 :そう。だからそれも上の人たちは見てたんだろうね。事務所に通ってお手伝いをするっていう、DMのね。それだけでいいのかっていう、今から考えると問いかけがあった。で、俺はそれでいいと思っちゃった。
タツオ:(笑)駄目な若手だな~また。
鹿島 :そう。だから本当に俺は若手のことを、後輩のことを、やる気ないとか詰めが甘いとか言えないんだよ。俺がそうだったから。
タツオ:なるほどね。
鹿島 :27だよ。27で舞台に立ち始めて、そしたらやっぱり浅草お兄さん会でマキタさんと出会って。まあタツオもそうだよ。二郎とか。遅いよ。
タツオ:うわ~そっか。
鹿島 :だから今まで話したことは、たぶん俺、22で全部できるんだよ。
マキタ:そうなんだよね!
鹿島 :全部できるはずなんだよ。
タツオ:(笑)5年先輩になってたはずですもんね。いや、すげ~。
タツオ局員の25歳
マキタ:ちなみにタツオは25はなにしてたの?
タツオ:なんで「ちなみに」なんですか?いや、俺メインの1人だと思ってたんですけど。「ちなみに」ってなんですか?
鹿島 :だって俺らが悶々とした話が重たすぎるからさ。
タツオ:(笑)お前ら話長えんだよ。
鹿島 :特殊すぎるだろちょっと。
マキタ:タツオは、ちなみに、学生だったんだ?
タツオ:学生だよ。全然しゃばっけ抜けてないし。
鹿島 :いやだから米粒写経、あ~学生かって思ったもんね。
タツオ:そうだよね。だから僕はマキタさんたちと出会ったのが22だから。鹿島さんもそうだけど。
マキタ:えーっと、君は大学にストレートで入り。で、大学4年時に浅草お兄さん会のオーディションを受けて。
鹿島 :もうエリートじゃねえか。
タツオ:いや、それはプロになるとは俺ら2人とも思ってなかったの。
鹿島 :いや、だからそういう感じが俺らからすると、プロにならないと思ったけどお笑い、いやいや学生が。うわ~もうエリートだなって思ったんだよ。さてはエリートだなと。
マキタ:さしずめこのやろう。エリートだなこのやろうって。
タツオ:でもやっぱり、すごいキッドの2人に良くしてもらって。次も行こうかって話をしたの。
鹿島 :俺未だに覚えてるのは97年とかの、何かみんな終わった後のあれで。キッドさんが、お前らでも名前変えたらっていう。
タツオ:あ~よく言われてた。
鹿島 :もっとポップな名前でって。頑なに拒否してたのが印象に残ってたね。
タツオ:もう居島さんがすごい迷宮入りしてたから、あのときは。どうでもいいから、何でもいいから早く決めようっていう話になってましたよ。あれ98年。
鹿島 :そう考えると自分の中でですよ。97であの時みんな出会ってるから、ここはもうみんな同期ってカウントしてるわけ。
タツオ:うん、そうだね。
マキタ:そんなもんだね。で?
タツオ:で、その後結局ズルズルと。だから出来ちゃったんだよ。昼大学行って、夜芸人っていうのが。で、23で就職試験を1社だけ受けたんだけど、それが駄目で。
マキタ:それはどこを受けたの?
タツオ:とあるラジオ局だと言っておきましょう。
鹿島 :出た!
マキタ:おおっと!
鹿島 :ちょっと待ってこれ。タツオ、いまなんだったら…。
マキタ:俺たち使われてたかもしれないな。
タツオ:最終の11人まで残ってたから。で、前の年に12人採用だったから。もう間違いないなとは思ってたの。
鹿島 :有楽町?浜松町?赤坂?
マキタ:赤坂ではない?
鹿島 :麻布台?
タツオ:まあ、それはご想像にお任せします。
鹿島 :長野?山梨?
タツオ:(笑)だけど、もうその年、4人しか取らなかったの。しかも東大卒でみんな。もう縁故、しかも。だからそれくらい就職氷河期で。
マキタ:いきなり4人になっちゃたの?
タツオ:4人。で、俺らの大学の同期もほぼフリーター。どこも就職できなくて。で、就職どうしてもしたいってやつはもうコンピューター、SE、手取り13万。っていうのが早稲田の、4大卒の最低ラインだね。
マキタ:就職はしたかったってことなのね?
タツオ:そこだったら行こうと思ってたの。それが駄目だったら大学院行こうと思ってたの。で、大学院試験受けたの。
鹿島 :生意気なドラフト選手みたいなこと言ってるよね、なんか。それ以外はお断りさせていただきますみたいな。
マキタ:泳がせといたらどんどん喋ってるぞ(笑)それで?
タツオ:で、大学院行こうと思って試験も受けたんだけど。結局英語の単位を落としてて、必修の。それで留年してしまったんだよね。で、5年通って23。で、やっぱ初志貫徹だなと思って、もうそのまま大学院試験に真面目に取り組んで、芸人やりながら。で、大学院に入学して。
マキタ:俺、大学院入ったくらいの頃は覚えてるよ。
タツオ:もうその時はマキタさんいた。で、俺はもうその時お兄さん会メンバーと仲良くなりすぎちゃって。あ、もうこれ引き返せないなって思ってた。
マキタ:ってか、我々には暗黒史のトンパチプロっていうのがあるからね。
タツオ:そうそう。
マキタ:だからそれを経過してるでしょ?
タツオ:お兄さん会が終わったあと、フリーの人たちというか。そのメンバーで、一応緩やかなユニットみたいな感じをやってたわけじゃないですか。だから、これはもう結構抜けられないなと思って。で、そのまま昼は大学院。修士も2年なんだけど結局俺、修士論文を書くのが間に合わなくて。
マキタ:またかよお前。なんかそういう英語がどうのこうのとかさ。
タツオ:で、25歳。それで修士3年、奨学金もない。で、アルバイトも月8万しかない。で、芸人活動もしてるでしょ。一番お金がなかった。
マキタ:何してたの?お湯とか飲んでたの?
タツオ:もうお湯飲んでました(笑)
鹿島 :朝起きてお湯飲むのはいいんだよ。
タツオ:お湯飲むのと、ペットボトルにお茶を入れて持ち歩く。
鹿島 :あ~あるあるだな。
タツオ:あと阿佐ヶ谷まで歩くっていうのやってましたね。130円の電車が乗れなかった。切符買えなかった。全くお金がなかったから。
マキタ:バイトしろよ。
鹿島 :130円はねえよ。
タツオ:でもね、芸人やりながら大学院通うって、やっぱそれ無理なの。お金がないの。バイトする時間もそんなにないから、夜勤週2日でやってて。で、大学院に入っていよいよ職業をどうしようかっていう。その博士課程。この後だから27、28ぐらいのときに真剣に考えて。じゃあもうこれ、芸人でやろうと思って事務所入って。許可局も始めたって感じ。
マキタ:なるほど。じゃあ結構まだ迷いの中にいたのが25歳?
タツオ:迷いの中にいました。だからここで話すべき内容じゃないかもしれないけど、もう大学院の同期とかは鬱病になったり自殺したりもあったから。どこも就職口ないから。俺らの世代って、でもそうなんだよ。で、30ぐらいになるともう新卒の人たちが就職して俺ら就職口ないんだよ。だからもう片道切符なわけ。
マキタ:じゃあもう芸人でやるしかねえと。
タツオ:そういう感じだよね。
鹿島 :そう考えると、本当にマキタさんもだけど就職っていうのがすっぽり抜けてるからね。
マキタ:そうなんだよ。
タツオ:いや、俺らはもうしたくてもできなかった、もはや。で、その後もリーマンショックだったし。
マキタ:まあ俺らは92年卒業だから、俺らのときが最後だからね。いわゆる、ものすごい就職の売り手市場、学生の売り手市場だったのは、俺らが最後だからね。
タツオ:だから気づいたら、25のときは俺の知り合いはヒエラルキーのトップ側にいるんだけど。高校生の同級生とか。いや、俺なんかすごい底辺の生活してるんだけどっていうのが面白かったっすね。
マキタ:面白かった?
タツオ:で、俺やっぱマキタさんとか、二郎さんとか、鹿島さんといるほうが居心地がよかったです。
マキタ:あれ?ちょっとすごいなんか、ちょっと上から踏みつけられてるけど。踏んづけられてる感じがする。
タツオ:そういう下々の者と触れ合いたかったから。
鹿島 :あ、こんな奴らがいるんだ、みたいな。
タツオ:そうそう。
鹿島 :石をめくったらこんな虫がたくさんいた。あ、まだ大丈夫だっていう。
タツオ:そうそう。
マキタ:安心材料にするんじゃねえよ。
鹿島 :でもお前も虫になったんだよ。
マキタ:そうだよ。
鹿島 :朝起きたら虫になってた。
マキタ:紫色の虫じゃねえかお前は。
タツオ:で、マキタさんが「タツオ、俺子供できたから結婚するわ。あとバンド始めるから」って。
鹿島 :話の展開が早いよそこ。すごいね。
タツオ:だから面白いなと思って。それたぶん25ぐらいだと思う。
マキタ:俺はその告白をしてたのが、お前は25ぐらいのとき。
タツオ:そうそう。あれすっげえ面白かったの。
鹿島 :早かったもんね。
マキタ:でも確かに、本当にそうだ!確か俺は31ぐらいだからそれ。
タツオ:俺、全力でツッコんだの覚えてるからね。いやいやバンド始めるのか!って。
マキタ:いやいや、俺バンドはね、やってたからだよ?
タツオ:で、子供は男が生まれたらカンピュータっていう名前にしようと思ってるって。まじかこいつって思ってたから。カンピュータって。
鹿島 :俺はだから当時大川興業ってところに所属して、皆さんのライブにたまに出るっていう。いい立ち位置だったんだよ。
タツオ:そうだよ。最高だったよね、あのときね。
鹿島 :だって、俺はまだ事務所所属だけど、皆さんはまだフリーなわけじゃん。
タツオ:で、神戸大会とかに行って4年でネタやったりとかしてたの。
鹿島 :だからそんな中ですよ。出会って面白いなと思ってたんですけど、マキタさんが急に子供ができて結婚するって。もう今でも忘れない。渋谷のあの旗揚げのライブじゃない?なんかあそこで奥さんがベビーカー連れてきてさ。これマキタさんどうすんだろうって。
マキタ:渋谷?
鹿島 :いや、渋谷でした。
タツオ:eggmanかな?
鹿島 :2002年とか2001年じゃないですか。
タツオ:その前、タイニイアリスで単独やって。両親が見に来てる前でビーパン履いてネタやってて(笑)
鹿島 :31、32ですよね、あれね。で、これから子供も出来て。俺さすがにどうすんだろうと思ったもんね。
タツオ:思った思った。
鹿島 :俺だったらやれないと思ったもん。
マキタ:いや、俺ガンガンやれると思った。ガンガンやってくと思ったよ。
タツオ:(笑)頓痴気だよね、本当に。とんだおっちょこちょいだよ。
マキタ:だから安心しろよ君たち。聴いてる若い人たち。
タツオ:聴いてる若い子。
マキタ:急にパーソナリティみたいになってるけど。俺みたいな31がいるからな。
鹿島 :そうそう。
マキタ:25なんか何でもないんだから。
選曲コーナーでも…
タツオ:ここで1曲、今週はマキタスポーツ局員の選曲です。
マキタ:はい。えーっとですね。今日25のことについて話をしてましたけど。アーティストもね。25の時代があったわけで。今ビックなアーティストでもね。で、やっぱり桑田佳祐さんとか、サザンが25ぐらいのときって何歌ってたんだろうななんてことを思いながらちょっと選びました。聴いてください。
(栞のテーマ)
マキタ:1981年の曲なんですけど。あの方たちもとにかくずっと売れ続けてるじゃないですか。で、78年に勝手にシンドバッドでデビューして。で、その3年後、81年あたりがだから要するに桑田佳祐さん25歳。で、この栞のテーマとかをシングルとして出してるんですけど。これ82年にサザンって世の中的に言うと、チャコの海岸物語とかでバーッとまた当たるんですけど。78年から79年辺りが最初のなんていうんですかね。いとしのエリーとかの発売も79年あたりですし、まあコミックバンドみたいなイメージでいて。で、いとしのエリーなんかがちゃんとバラードとして。
タツオ:マジの歌じゃんって。
マキタ:マジな歌じゃんってことで、すごい評価も高かったんですが。それからだから3年間ぐらいはちょっと低迷してた時代でもあったということなんですよ。でね、また改めてすごい脚光を浴びるのが、ふぞろいの林檎たち。あれが確かね、83年ぐらいなんですって。そこで再評価の兆しが出来上がるんですよ。だから25のときの桑田さんは今みたいにもう当然レジェンドではないし、まだいろいろ葛藤してた時期でもあったんですけど。こんなちょっとすごいなんですか、ロマンチックで素敵な曲とかを実は作ってたわけです。で、この曲は栞のテーマっていう曲で。で、後々にふぞろいの林檎たちで、すごいなんかいいところのシーンで使われてたりする曲なんですよね。25歳、桑田佳祐さん。ちなみに松任谷由実さんは79年、1979年が25歳。で、まだそんなに世の中的にはブレイクしてない。
タツオ:荒井由実時代?
マキタ:もう松任谷でした。
鹿島 :25歳でちょっと盛り上がりそうですよね。
タツオ:落合どうですか?
鹿島 :落合も、あの人すごいんです。25歳、確かプロ入ったんだから。
タツオ:え、遅くない?
マキタ:遅いよね~。
鹿島 :だってそもそも大学時代に野球部を、やっぱり先輩とかのあれであって。落合さん、ああいう感じだから辞めて。
タツオ:あ、もうそうなんだ?
鹿島 :そうなんです。
タツオ:もう当時から落合だね。
鹿島 :でね、びっくりするのはその後。じゃあ社会人に進んだかっていったら、そうじゃなくて。
タツオ:野球は辞めなかったんだ?
鹿島 :プロボウラーになろうとしたんですよ。
タツオ:え?
マキタ:あの人めちゃくちゃうまかったんだよね。
鹿島 :うん。プロボウラーを目指して、試験を受けに行ったんですよね。ところが、その試験の途中でプロテスト受験の際にスピード違反で捕まって罰金を取られて。受験料が払えなくなって受験を断念する。
タツオ:へ~!すごい!
鹿島 :だから、試験受けてたら絶対それはもう野球選手になれる人だから、プロボウラー落合になってたでしょう。で、受験を断念して、その後東芝府中の野球部に進む。
タツオ:へ~!社会人野球?
鹿島 :社会人野球です。
マキタ:だから遅いよね、あの人ね。
鹿島 :で、78年のドラフトでロッテから3位で指名された。
タツオ:で、そっから三冠王になるの?
鹿島 :そうです。
タツオ:で、中日に移籍して?
鹿島 :だから三冠王になったのはその3年後ぐらいですから。
タツオ:すげえな落合!
鹿島 :だから落合選手も25くらいまでは、フワッとしてたの。高卒大卒の選手に比べれば。
タツオ:だから遅咲きのルーキーだったんだ。
鹿島 :異色ですよ、異色。
マキタ:その割には、やっぱり何かいろいろ頭角を現すのはやっぱり貯めた分。
鹿島 :そうそう。貯めた分。才能はあった部分がね。
タツオ:なるほどね。
マキタ:だからいろいろな25歳があるってことですよ。
タツオ:すげえ。
鹿島 :だからロッテっていう環境も良かったんじゃないですか。
マキタ:なるほどね。
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