380話 社交の準備とおねがい
――コンコン
ドアノックの音が、執務室の主を呼ぶ。
「入れ」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは、壮年の男性。
鍛えられた体躯に短い髪、きびきびした動きと鋭い目つき。
どこから見ても軍人然とした男である。
「隊長に、ご面会のお約束が有るとご子息が尋ねてこられました」
「うむ、間違いない。通してくれ」
「はっ」
上司の返答に、部下はスッと敬礼して部屋を出る。
無駄口を一切叩かない、事務的な対応だ。
しばらくして、件の部下に案内されて一人の若者がやってきた。
「よくきたなペイス」
王都の“大隊長室”に呼ばれたペイス。呼び出したのは、勿論モルテールン子爵カセロールである。
父親からの呼び出しに、わざわざ魔法を使ってやってきていた。
「まあ、座れ」
「はい」
カセロールに言われて、ペイスは椅子に座った。
遠慮や緊張という言葉とは縁の薄いペイスであるからして、まるで自分のうちに居るかのように寛いだ雰囲気で、部屋の主と相対する。
「急に呼び出すことになって済まなかったな」
「わざわざコアントローを寄越すとは、何事かと思いましたよ」
ペイスは、父親の歓迎に対して不満そうな顔をする。
そも、カセロールの魔法は大変に便利ではあるが、勿論無尽蔵に使えるものでもない。個人の持つ魔力という限界値が存在するのだ。
緊急時に使えないということが無いよう、普段はかなり余裕をもって運用されている。カセロールが国軍大隊長という任にある以上は、その能力は国軍に使われることが前提。休日ならまだしも、何でもない日に魔力をすっからかんにするような真似は、晩酌で深酒をして翌日の運転に支障を来す運転手のようなもの。責任ある地位にいる以上、いついかなる時も万全の態勢を心掛ける義務がある。
斯様に限られた運用状況の中、モルテールン領に【瞬間移動】してきたのが、カセロールの腹心の一人たる重鎮コアントローだったことから、一時はモルテールン領もざわついた。余程の深刻な凶報がもたらされたのか、或いは特大の朗報がもたらされたのか。
即応体制の行き届いているモルテールンで、慌てて遠くに出ているグラサージュを呼び戻す指示まで出してしまったほどだ。
無駄に面倒ごとをおこすのは、止めてもらいたいと、ペイスは不満を口にする。
自分を棚に上げて。
「コアンもたまには家族に顔を見せたいだろうと思っただけだ。こういう機会でも無いとコアンを領地に送ることも無いからな」
「こういう機会?」
ペイスは、首をかしげる。
「家中の用事だ。公務で魔法を使うならば大隊の部下が使えるが、私事には使えん」
わざわざ大隊長室に呼んではいるが、用事自体はモルテールン家の用事。
もしも軍人としてのカセロールがペイスを呼びつけるのなら、大隊の部下が呼びに来ていただろう。
その点、家の用事で呼びつけるのなら、大隊の人間は使えない。モルテールン家の家中の人間を使うのが公私の別として当然であり、普段であれば屋敷で働く使用人か、若手の誰かが伝言役になる。
「なるほど。家中の用事ですか。その様子だと、母様が倒れたとかでもなさそうですね」
「当たり前だ、元気にしているとも」
「それは良かった」
ペイスは、ほっとした様子を見せる。父親の口から公言されるまでは、もしかしてという気持ちも有ったのだ。どこに耳が有るか分からない王都でのこと。本当の理由を徹底して隠しているという可能性もゼロでは無かったからだ。
家の用事で急遽ペイスを呼び出す。
この場合、一番困るのは身内の不幸だ。
他ならぬペイス自身、誘拐された経験がある。ペイスの妻リコリスも、賊に攫われたことがあるのだ。アニエスが同じような目に遭わないと、言い切れるはずも無い。
また、アニエスも既に孫の居る年齢。平均年齢が現代日本ほど高くない神王国では、十分に高齢と言える。体のあちこちに不具合が起きてくる年頃だ。罷り間違って病気で倒れましたと報せが来たところで、驚きはしても不思議はない。
或いはカセロールに何かあったという可能性もあった。
モルテールン家の大黒柱が、戦場にでてシイツ共々重傷を負ったのはそう昔のことでは無い。ペイスが魔法で治療したからこそ今は普通に暮らしていられるが、一度あったことがもう一度起きる可能性を、誰が否定できるだろうか。
今回、急にコアントローが伝令に来た際、ペイスの頭には色々な可能性がよぎった。その一つが、母や父に何かあったのではないかという可能性。
そんな悪い予想が外れたというのならば、まずは良かったと言える。カセロール本人の口から大事ないと聞けたことで、ひとまずは安心と言ったところだ。
安堵するペイスに対し、バツの悪そうなカセロール。
部下に対する労いのつもりで伝令を任せたのだが、思った以上に面倒なことをしていたらしいと気づいたからだ。
誤魔化すためだろうか。ワザとらしい咳払いで、話を無理やりに戻す家長。
「それで、だ。用事というのは他でもない。領地の方で準備をして欲しい」
カセロールが、本題を切り出す。
「何の準備ですか?」
「社交会だ」
「ほう、社交会ですか。誰か呼ばれましたか?」
改めて言うまでも無く皆が知っていることであるが、モルテールン家は社交に“呼ばれる機会”が非常に多い家だ。
カセロールやペイスが魔法使いであり、その魔法が社交にうってつけというのが理由の一つ。また、モルテールン家自体が経済力や将来性に恵まれているというのも呼ばれる理由である。
近年であれば、魔法以外でのペイスの将来性なども理由に挙げられる。
社交の準備をせよと言われ、またぞろどこに呼ばれたのかと気にしたペイスの考えは、至極当然の発想だったのだろう。
カセロールとしてもペイスの考えはよく分かったが、今回呼んだ用事は違うと首を横に振る。
「いや、そうではない。我が家も領地を持つ子爵家として、世話になっている人たちを集めて親交を深める必要があると考えているのだ」
「つまり、社交を開けと?」
ペイスの言葉に首肯するカセロール。
「その通りだ。我が家が主催して、人を招待する」
「招待客の内訳は?」
「当家と“縁の深い”家を招待しようと考えている」
「うちと縁の深い家。なるほど」
カセロールの言葉に、ペイスはじっと考え込む。
またぞろ良からぬ、或いは良すぎる企ての一つも考え出したかと、カセロールは息子の様子を伺う。
「つまり、モルテールン派閥を作るということでしょうか」
「そこまでは言わんよ。派閥を率いるなど、私の柄ではない。お前がそうしたいならそうしても良いが?」
「面倒ごとは御免です」
「まあ、そうだろうな。しかし、最近ではどうにも疎遠になってしまっている友人や知人も多い。ここらで縁を結びなおしておきたいと考えている」
「なるほど」
ペイスは、カセロールの考えをある程度理解した。
「急ぎはしないが、招待ぐらいは今のうちから出しておきたい」
「いざとなれば“父様の魔法”が有りますが?」
社交にも利用できる【瞬間移動】という
急に招待することになったとしても、何とか出来てしまうだけの能力が有る。
モルテールン家の縁者を集めるというのなら、改めてカセロールの凄さをアピールするのも悪い手ではないとペイスは言う。
しかし、父親はペイスの提案を却下する。
「安売りするわけにもいかんし、今の私は国軍を預かる身だ。いざとなればそちらで魔法を使うかもしれない以上、気軽には使えんさ」
カセロールは大隊長。つまりは、国軍の一員だ。
その能力は、一切合切国軍の為に使われることが求められる。
剣を使えるものは剣で、知識を持つものは知識で、魔法を持つものは魔法で、それぞれ国軍に奉仕するからこそ、給金を貰えるのだ。
国軍に仕える軍務貴族として、魔法もまた好き勝手に使えるものではない、という建前にはペイスも頷く。
「分かりました。社交については手配しておきます」
「頼むぞ」
「“全て”お任せいただいても良いのですね?」
「……社交に関してはな」
ペイスに任せておけば、大丈夫だろう。カセロールはそう判断した。
色々と厄介な癖を持っている息子ではあるが、優秀なことは事実。また、部下を使うのも上手い。
さらに言えば、そろそろ代替わりを見越して後継者教育を深める頃合い。社交の取り仕切りを家の代表として行うぐらいは、やってもいい年頃だろう。
事務的なやり取りは、問題なく終わる。
少々問題だったのは、そのあと。
「それとは別に、僕からお願いが一点」
「何だ?」
カセロールは、息子の“おねだり”に、ポーカーフェイスで応えた。