第5話 登校

 六月十八日 月曜日


 梅雨にしては珍しく綺麗に晴れ渡った空の下に出て、澪桜はため息まじりにピーカンの日差しに毒づく。


「空気読めよ」


 今朝、起きてすぐ輝夜のメンテナンスを受けて妖の細胞と因子を安定化していた。

 いざという時のためにと彼女は安定因子を組み込んだ血液を希釈した錠剤を持たせてくれていたので、それだけでも安心感は段違いである。

 外見的には錠菓のタブレットのようなもので、入れ物も無地のケースに「ブレスエチケット」と書いているだけで怪しまれることはないだろう。


 黒い髪が日光の熱を吸い込んで、早速温まってきている。久しぶりに着た中学校指定のワイシャツの胸元を何度か揺すって仰いだが、効果は薄い。

 蝉の声はまだだが、この様子では遠くないうちに鳴き始めるだろうか。田舎育ちあるあるかもだが、老人は「蝉が鳴いたら梅雨明け」とよく言っていた。


「いってらっしゃい、澪桜。まあ私も近くにいるんだが」

「いつも通りってことだね」


 澪桜はそう言って家に背を向けて歩き出した。

 担任からの催促が酷く、このままでは静かに過ごせないと判断した澪桜は一日だけ顔を出し、また引きこもろうと考えていた。

 自分たちは規格量産品ではないのだから、画一的な教育や洗脳しかできない水槽で泳ぐ必要なんてない——現実を知らない子供らしさをむき出しにした、そんな自覚がありつつもそう思ってしまう考えを澪桜は持っていた。


 半妖という存在について、輝夜ははっきりと「人からも妖からも好かれる存在ではない」と断言していたが、「食物としては優秀な栄養価になり得る」とも言っていた。

 端的に言えば澪桜は先日遭遇したがしゃどくろ、場合によっては輝夜——月喰姫に匹敵する妖怪から餌と認識され、襲われる危険を常に孕んでいることになる。


 通学路を行く足取りは重い。それはなにも大嫌いな中学校に向かうからというだけではないと、自分でもわかっている。

 けれど同時に楽しくもあった。

 同級生含めその他多勢の、この世の大半の人間とは違う存在になったというある種の優越感。自分は特別なんだというこの感覚。

 理性がそこに耽溺するなと、肉体がまだソレに慣れていないのだと警鐘を鳴らす。

 澪桜は通学路を歩きながら何度か深呼吸した。


「不知君」


 後ろから声をかけられて、澪桜はハッとして振り返った。

 肩に近づけられていた手を反射的に跳ね除けて、その手の主である少女は——同級生の間野辰巳まのたつみは驚いたように目を大きくしてから、ため息をついた。


「引きこもりすぎで、対人コミュニケーションが苦手になった?」

「……俺は元々人嫌いだろ」


 困り顔の辰巳を尻目に、澪桜はつま先を中学校に向ける。

 着心地の悪い制服で通学することにはストレスがあって、学校が終わったらすぐにでも自由を謳歌するため、リュックには着替えも入れてある。


 自分が半妖になった事実を誰かに話すつもりはない。だが辰巳は小学生時代からの付き合いで、澪桜が両親を亡くしてここへ来た小学校三年生の頃から互いに知っている。

 彼女はその頃から時々妙に頭が働いて勘を鋭く研ぎ澄ますことがあり、今の澪桜にとっては厄介極まりない点であった。

 とても『油断できる相手』ではない。


 澪桜が大股で先に進むのを、辰巳は「待ってよ不知君」と追いかける。彼女の艶やかな黒髪が揺れて、澪桜はそれを無視して先へ進んだ。

 面倒ごとに巻き込まれない鉄則は、人間関係を必要最低限に削ることと、他人を無視することだ。傍観者にすらならなければ、あとから「なぜこうしなかった」と、責任転嫁でしかないなじりを受けずに済む。

 そんな彼の背中を辰巳は心配そうに眺め、放って置けないとばかりに頬を叩いて追いかけた。


×


 燦月市立桜花中学校の二年二組の教室は、朝からひんやりとした、季節外れの冷気に浸されていた。

 クラスでも上位に食い込む美人である間野辰巳が爪弾き者の澪桜と登校してきたからというのが一番の理由だし、そもそも澪桜が学校に来たというのも驚きだろう。

 新学期に入って最初の一ヶ月ほどはきていたが、ゴールデンウィーク明けから来なくなっていたからだ。


 田舎であるため東西の小学校が統合されるだけの中学では、小学生時代から澪桜を目の敵のようにしていた連中もセットでついてくる。

 声が大きい方が正義、数が勝れば正義だと思う気質が多いこの国では、どんなに非道な行いだろうと声が大きく数が多ければ犯罪者だって容認される。


 いじめという言葉で誤魔化した犯罪行為。学校という事件現場。

 誰もそこで行われている邪智暴虐たる行いには目を向けない。


 それでも澪桜が学校に来たのは、今は輝夜と同じ存在に——その名を知る前の月喰姫という存在の力を、まだ細胞だけとはいえ取り込んだからだ。

 お前たちなんかとは違うという、そんな優等意識のようなものがあった。今まで劣っている側であったがため、なおさらその意志が顕在化していると、冷静な自分がそう言っている気もする。


 クラスメイトの白んだ目を無視して、澪桜は自分の席に座った。特別菊なんかが生けられていることもない席に座って、澪桜はポケットに入れていたタッチ式液晶携帯エレフォンを取り出した。

 周囲の男子は舌打ちでもせんばかりに眉をしかめ、女子は露骨に「なんであんなやつと?」「ストーカーされてたとか?」などと辰巳に話しかけている。

 それに対して辰巳はキッパリと「不知君とはもともと友だちだから」と言い切っていたが。


 一人の女子生徒が席を立って、こちらにやってきた。

 辰巳に好意を寄せている男子は多いが、女子たちにもその人気はあり、澪桜の席にやってきた少女はそういった連中の急先鋒と言える女である。

 地毛といって通している金髪をしたそいつは、あからさまな嫌悪を顔に浮かべていた。


「辰巳に近づくな」


 ドスのきいた、女子中学生とは思えない声。男子が、しかし今時の群れなくては声を出せないような連中は目を背け、女子からは黄色い囁き声が上がる。

 澪桜は一顧だにせずニュースアプリを開いて地元ニュースを検索していた。


「おいてめえ!」


 ばん、と叩かれた机。同時にホームルームの予鈴が鳴る。金髪女は舌打ちして席に戻った。


 ——由奈みたいな品のある凛々しさじゃなかったな。


 所詮は学校というルールに縛られた傀儡だ。貫こうとする姿勢も、気概もありはしない。

 澪桜は内心そう吐き捨てて、席に深く腰掛けた。

 今日も一日退屈な中学校生活の始まりだ。

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食喰餓神 — 彼女は異形の人喰い — 雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き @9V009150Raika

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