第7話 イーブルワン

 怪異事件とは、そもそも怪異とはなんなのか。

 民間伝承、神話、フォークロア――それらが実像を成し、害をなす悪意となったもの。


 ではなぜそれらの『情報』に過ぎないものが『物理的実体』を持つのか。

 それは、ヒトの負の感情が起因となるからだ。


 怒り、憎しみ、悲しみ、恥辱、後悔……様々な負の念が澱のように溜め込まれ、怪異をはじめとするそれらの「怖い情報」などと結びつくと、形を成す。

 特に日本はそういったもの……妖怪だの都市伝説だのが多く、また自然災害が起きやすく負の感情が発生しやすいうえ、閉鎖的で行き場のない小さな島国なので負の念が滞り、情報の物理的実体化が各国に比べ起きやすい。


 けれど六年前のあの事件をきっかけに、まるで毒で毒を制したかのように、しばらくは怪異事件などめったに起きなかった。くねくねを含めても、わずかに四件の事件が起きただけ。

 俺はセブンスターを咥える。狩野が睨んできたが、火はつけないとジェスチャーをしたら黙って引き下がった。


「怪異を人為的に起こすなんて無理だ。戦争を起こそうってのか、日本で」


 怪異が起きやすい状況――それは甚大な被害を出す自然災害や、戦争だ。だが自然災害など人為的には起こせない。戦争だって、そりゃアメリカ様なら中東やらなんかにやっかみをつけて石油を狙った戦争を起こせるかもしれないが……。


「違うわ、伏見くん。イーブルワンは今までとは根本的に異なる方法で怪異事件を人為的に起こすつもりでいる」

「だから、どうやってだよ!」


 金木が先の見えない言い方に苛立ちを募らせる。天羽さんは平然とした顔で、


「その話をする前に、イーブルワンについて情報を共有したいの。これを話さないことにはそもそものお話にならない。いいわね、金木くん」

「お、おう」


 睨んでも怒鳴ってもびくともしない天羽さんを、彼は本能で格上だと思ったらしい。俺はそんな金木を犬の生まれ変わりだと思っていた。

 あいつは強い人間にはとことん従順だ。顔のせいで勘違いされるが、本当は俺よりまっすぐでいいやつである。だから警察組織という縦社会では、忖度をしないせいで煙たがられていたがそういったものを必要としない怪異対策課では、その度量と度胸を評価されていた。


「イーブルワンは当初、マフィアに近い組織だとされていた。銃の密造密売、薬物、果てには人身売買。それらは国際規模に広がり、我々FBIのブラックリストにも乗っていた。私とエイブには関係ない話だったのよ、元々は」


 エイブ――エイブラハム・カークランドという、上背が二メートルを超す巨漢のスーツ姿の男は、岩から削り出したかのような顔にサングラスという、ターミネーターのような男だ。天羽さんの相棒である。隣で黙って、ホワイトボードに資料を張り付けていく。


「ある日、イーブルワンが怪異多発地域に逃げ込んだ。一般の警察では対処できない。最初はニューヨーク市警の怪異対策チームが踏み込んだ。完全武装の八人がかりでね。もともと陸軍で訓練を積んでた精鋭。誰もが犯人を捕まえてくるとたかをくくっていた」

「……だけど、違ったということですか」

「そういうことよ、狩野くん。ちょっと凄惨な写真だけれど、見てもらうわ」


 ターミネーター……もとい、エイブが写真を張り付けた。金木が目を丸くする。


「なんだこりゃ。ウルヴァリンにでもやられたのか? アメリカにゃエックスメンでもいるってのかよ」

「ライカンスロープ……人狼ね。そう、ウルヴァリンに近いけど、もっと凶悪。あっちにはプロフェッサーエックスなんていない。スパイダーマンも、アイアンマンもいない。アヴェンジャーズも、もちろんね」

「怪異版女ジョン・マクレーンはいるがな」


 俺は半笑いで天羽さんを見た。軽く睨まれ、肩をすくめる。


「なんだよ。聞きましたよ、手榴弾で装甲車壊したって」

「黙りなさい。……これを契機にイーブルワンは私たちの担当になった。調べれば調べるほどやつらは怪異事件とかかわりを持っていることがわかった。最初は狼男の異能を持った存在と契約している程度だと思った。だけど違った」


 様々な写真が貼られる。ぼけていたり、アングルが悪かったりするが、それらはいずれも怪異事件がらみと思しきものだった。


「ライカンスロープをはじめ、ゾンビに巨大な虫……ティル・ナ・ノーグと思しき領域の疑似再現までやらかした。私たちは徹底的に洗い出し、彼らのアジトで情報をつかんだ」


 まるでB級映画だ。話が膨らみすぎている。アメリカはなにもかもがぶっ飛んでいる。


「その結果、やつらが怪異事件を人為的に起こす方法を探り、それを実験段階にまで進めているということがわかった。そしてその舞台となっているのが、怪異事件の坩堝であるここ、日本列島だった」


「な……待ってください、FBIですら対処できない組織怪異犯罪を、たった六人で捜査するっていうんですか!?」

「霧島、取り乱すな」


 声をひっくり返していた霧島に、課長が落ち着かせようと低い声で言った。


 この場にはいないが、対策課にはもう一人仲間がいる。この場の五人だけが、箱辺署の総員ではない。もう一人は俺の悪友だ。

 そして当然他の地域にも当然怪異対策課はいるが、FBIでも相手ができない連中を……。

 霧島が冷や汗を浮かべた。俺も握った拳に冷や汗をかいていた。


「FBIが全面的にバックアップするわ。けれどイーブルワンもまた警戒してる。私たちは表立って行動できない。だからあくまで表向きには、あなたたちだけで戦うと……そうなる。先日のくねくねは、その先ぶれに過ぎないわ」


 信じられない、という気持ちもある。けれど忌々しいことに、天羽さんは仕事では嘘をつかない。


「火、つけていいっすか」

「……お好きに」

「好きにしろ」


 嫌煙家の狩野と課長から許可が下り、俺はジッポーで煙草に火をつける。

 一服し、俺は紫煙混じりのため息をつく。


「んで、具体的になにをしろっていうんです」

「まずは尻尾を掴む。些細なことでもいいわ。実績を出して、警視庁に怪異対策課が必要だとわからせる。人員にしろなんにしろ強化してもらう。この数じゃどうにもならないわ」


 俺はデスクのガラスの灰皿に煙草を置き、


「少し、頭冷やしてきます」


 そう言った。

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