第5話 呼び水

 気味が悪くなった俺は、田園地帯から抜けた。遠くで一瞬見えた白いゆらゆら揺れるそれが恐らくくねくねだろう。認識するな、理解するな。知的好奇心を封じ込め、俺は安全そうな神社へ向かった。


 階段を一個飛ばしで駆け上がり、鳥居をくぐる。道中であった老人たちは普通だったので俺は「絶対に畑に行くんじゃねえ!」と怒号をあげて忠告した。

 境内に入ると、あの老人がいた。


「狂ってはおらんな。儂の忠告を信じたか」

「なんで今になっていきなりくねくねが出るんですか。俺は霊媒体質でもなんでもありませんよ。ただの刑事です」

「儂にもわからん。だが、よかった。一人でも助かったのなら、それに越したことはないからな」


 俺は座り込み、深呼吸する。


「俺の携帯に『特秘』と書かれた連絡先があるんだ。そこに電話してくねくねが出た、と伝えてくれるか? 頼む」

「なぜお主がかけぬ」

「あんまり関わりたくない連中だからだ。嫌味しか言わないやつが窓口だからな。……警視庁の怪異対策課本部に繋がるから、とにかく現在地と状況を報告してくれ。俺はあの窓口の男と口を利くのはごめんだ。腹が立つ」


 神主は電話操作し、連絡を始めた。

 俺は冷静に考える。

 俺が来る前と来た後でなにが違うのか。本当に俺は霊媒体質などではない。怪異対策課の一員として対怪異訓練を積んだだけの一般人だ。こんなことは絶対にありえない。


 刑事として対峙してきた怪異事件では俺が誘因したことも、引き金となったこともない。どこぞの名探偵少年とは違う。行く先々で怪異が起こる……そんな経験は、今までに一度としてなかった。


「ここは禁煙ですか?」

「祭りの間はな。ゴミは持って帰ってくれ」

「刑事ですよ。不法投棄なんてしないし、許さない」


 落ち着こうと、俺は胸のポケットから煙草を取り出す。セブンスターを一本抜き、ジッポーで火をつけた。

 紫煙を肺まで吸い込み、吐き出す。実を言うと高校生の頃から喫煙しているのだが、健康診断で肺が悪いと言われたことは一度もない。親父もヘビースモーカーだったのに肺は綺麗なままだったというし、そういう家系なのだろう。


 携帯灰皿に灰を落とし、俺はもう一度吸う。

 と、そこに。


「伏見くん。よかった、ここにいたのね」


 ライフルケースを手にした女性が現れる。天羽可奈子。今年で三十二だというのに、暗がりでみれば女子大生に見えるほど若々しい、年齢不詳の美女である。


「天羽さん、どうしてここがわかったんですか?」

「馬鹿ね。拳銃のタグをたどったのよ。知ってるでしょ? タグにはGPSとチップが埋め込まれていることくらい」

「ええ。どこで何時何分何秒に発砲したかわかるように。なるほど、さすがFBI様だ」


 確かにと俺は頷いた。FBIともなれば警視庁にも情報開示を迫れる。タグのGPS座標は常に警視庁の情報犯罪対策課が確認しているのだ。


「くねくねはどうしたんですか?」

「部下が始末した。けれど、狂った人たちは戻らないわ。あなたたち怪異対策課に引き継いでもらうしかないわね」

「じゃあ、俺はここに残って事後処理をするわけですね。やれやれだ」


 俺は自分が経験した『狐に化かされた事件』を少し思い出す。まさか、あれが引き金になったのだろうか。


「いえ、処理は他の子がやる。伏見くん、ついてきて。話したいことがあるの。いいわね」


 相変わらずの有無を言わせぬ口ぶりで、彼女はそう言った。

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