城田すず子さんについて、もっとも重要な点は、「マリヤの賛歌(1971年)」、「愛と肉の告白(1962年)」など、自叙伝が存在しているにもかかわらず、その記述と矛盾する「証言」が何の検証もなく喧伝されていることです。
しかも城田さん自身が、1986年TBSラジオ放送「石の叫び」において、パラオの慰安所で帳簿係や女将だったのに慰安婦をしていたものとして証言しているなど、自叙伝と矛盾する内容の証言をしているのです。
城田さんの心境の変化(記憶、認識、思想の変換?)については、身近な人間、キリスト教、彼女自身の体調などが考えられますが、定かではありません。
●身近な人~深津文雄牧師(やキリスト教女性リ-ダ-たち)
⇒ 元慰安婦城田すず子さんの証言④ 深津牧師「日本は世界一性倫理の低い国」
●キリスト教―ルカ福音書「マリアの讃歌」
・わたしの魂は主をあがめ、私の霊は救主なる神をたたえます。このいやしい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女というでしょう~」(城田さんの信仰の核といわれる)
・「主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力あるものを王座から引きおろし、いやしいものを引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます」
厳しく激しい権力批判が込められているこの節の理解から、、「噫従軍慰安婦の碑」には「再び『性』を天皇の名において戦争に利用しない決意」が込められている、という解釈もある。(「キリスト教界の「パンパン」言説とマグダラのマリア」荒井英子)
また、1984~85年ごろ、総理大臣あてに「日本の総理は慰安婦に謝罪すべきだ」と手紙を書いた(未投函)といった話もある。(山下英愛「日本人慰安婦問題が投げかけるもの―城田すずこさんとの出会いと私の原点」)
しかし城田さんが本当に、日本政府や天皇にまで批判精神を醸成していたのかは不明。
●体調
1956年 開腹手術
1958年(梅毒による)脊椎骨折のため入院。その後6年4か月もの間寝たきりに。その後松葉づえを使って歩けるほどに回復。
1984年の告白文(?)「石の叫び」を書く1年前から(慰安婦が出てくる?)悪夢にうなされていた。
城田さんは亡くなるまで、体調のすぐれない日が多かったようで、彼女に面会しても実のある話を聞けた人はほとんどいないようである。
1986年TBSラジオ放送「石の叫び」のスタッフが彼女の「証言」を引出しているが、その証言はマリヤの賛歌と矛盾するものであり、放送内容そのものが吉田清治を登場させた「従軍慰安婦強制連行」的なヤラセ番組だった。
「城田すずこ」とセットになっている「石の叫び」と呼ばれる文章は、「なんど兵隊の首を切ろうと思ったか」「女の地獄」といったことばが羅列された、非常にインパクトの強い、過剰な感情移入がされやすい文章です。
特に「台湾と南洋を渡り歩いた元慰安婦が戦後40年目にして初めて告白した」などの前置きがあればなおのことです。
しかし、この文章には、いつ、どこで、どのような体験をしたかといった点がそろった文が一つもなく、具体的な事実を記述したもではありません。また、正確な原文も不明であること、第3者によって改ざんされている可能性が高いことから、過大な意義や評価を与えるべきではないでしょう。
城田さんには、「マリヤの賛歌」に基づいて、パラオで慰安所の帳簿係やおかみの立場で、慰安所の様子を証言してもらうべきでした。
なお、城田さんの2冊の自叙伝はほとんど同じ内容ですが、「愛と肉の告白」の方が感情描写が豊かな箇所が多いそうです。
これは、最初に「マリヤの賛歌」があって、それを出版社が「少し書き換えて」、62年に「愛と肉の告白」と言うタイトルで出版したものであることが「マリヤの賛歌」の深津牧師のまえがきから判明します。
「マリヤの賛歌」が1971年と、「愛と肉の告白」より9年後の出版なのですが、「マリヤの賛歌」が城田さんの自叙伝のオリジナルと位置付けられます。
それは、梅毒のため女性の臓器を殆ど摘出する大手術を受け、さらに梅毒による骨の劣化で脊髄骨折して、寝たきりになった病床で口述筆記されたものでした。その後6年以上の間寝たきり状態となり、死の淵をさまよったこともあるそうです。
おそらく、口述筆記をしていたときも死を覚悟して語っていたことでしょう。
深津牧師はそのまえがきでこう記しています。
「かなり穢いはなし」である。「城田すずこは、世にも珍しい、ただれた経歴を持つ遊女なのである。」
「わたしは、いまここに、こういう形で、この物語の原型が公表されることを、よろこぶ。そして、読 みにくいと感ずるところも、手を加えることをしない。われわれのところには、これににた話がいくつもあるが、その代表的な一例として、ありのままを見ていただきたい。」
このようにして、激動の時代を生き抜いた一人の女性の「ありのまま」の手記が残されていることに、心から感謝したいと思います。
そして、この「ありのまま」の物語が、当の城田さんや深津牧師自らの手でゆがめられ、「従軍慰安婦」プロパガンダにもてあそばれる結果となっていることを、心底残念に思うのです。
彼女にまつわるプロパガンダについては、元慰安婦城田すず子さんの証言⑤ プロパガンダの虚実 「名乗り出た日本人元従軍慰安婦」から「朝鮮人慰安婦のやり手婆」まで でもとりあげましたが、他にもあるのでこの機会にとりあげておきます。
[このひと] 慰安婦被害 初証言 城田 をご存知ですか
2010年08月23日ハンギョレ・サランバン
彼女は自ら慰安婦だったことを証言した最初の日本人女性です。
城田は84年、村の設立者である深津文雄牧師(死亡)に自身が慰安婦として言いなりになり加えられた記憶について打ち明けた。
城田の告白は91年の最初の韓国人慰安婦証言者であるキム・ハクスン(1924~97)ハルモニより7年も前に出たのだ。
以後、韓国・中国・フィリピン・台湾・オランダなど慰安婦被害女性たちの証言があふれ出て、これは慰安婦を募集・運営する過程で93年日本政府が直間接的に介入したことを認める‘河野談話’に繋がった。
城田さんの名乗り出が、韓国人元慰安婦の名乗り出をうながし、後の河野談話に繋がったとすれば、本当に皮肉なことです。お笑いといってもいいくらいです。
河野談話では日本人慰安婦にも言及されていますが、挺対協は、河野談話に「日本人慰安婦」も含まれていることを「けしからん」と言っていたというのですから。
山下英愛(戦争と性2009/6/10日本人慰安婦問題が投げかけるもの―城田すずこさんとの出会いと私の「原点」 )によると、挺対協は、当初は朝鮮の素人の娘が日本軍(軍属)によって強制的に慰安婦にされたケ-スのみを問題にしており、日本のプロ女性はもちろん、朝鮮のプロ女性も論外としていたそうです。
河野談話が発表されたとき、挺対協の河野談話に対する声明文には「日本人慰安婦」について書いてあるのはけしからんと書いてある部分があったそうです。
日本語訳を依頼された山下英愛は、このまま訳して日本のNGOに配ることはできない、原文からも削って欲しいと主張。
結局原文からの削除はされなかったものの、日本語訳からのみ削除されたそうです。
日本のNGOはこの事実を当時どのように受けとめたのでしょうか。
チャイナ・ディリ-の記事を元にした以下のブログ記事にも、
「元日本人慰安婦の回顧録:「オンナには地獄だった」-城田すず子さんのこと2007-07-07
●城田さんの回想録(マリヤの賛歌)によれば、台湾へ行く船には、朝鮮、沖縄、日本の女性が乗船していたが、この女性たちは厳しく監視された
●台湾で、城田さんは売春宿の中に閉じ込められていた。経営者は民間人だったが、売春宿は旧日本軍専用で、女性が逃げ出さないように厳重に監視していたのも軍当局であった
などの点で虚偽があります。マリヤの賛歌にこのような記述はありません。(⇒ 城田すずこさんの年表)
また、戦後、妹さんの自殺原因についてすずこさんが売春稼業をしていることを知ったそのショックで、と記述したブログ記事を見かけますがウソです。病気を苦にしての自殺です。(⇒ 城田すずこさんの年表)
以下の記事もひどい。
慰安婦の慟哭が聞こえる◇かにた婦人の村_天羽道子さん
ちば民報 2014.4.16日本共産党千葉県委員会
~日本政府は今、韓国の元従軍慰安婦の訴えを「もう終わったこと」とつっぱねています。しかし、この問題に時効はありません。朝鮮の12~14歳の少女まで強制連行(拉致)し、慰安婦にしました。
日本人が今、北朝鮮の拉致事件の一刻も早い解決を願い、拉致家族の悲しみを共有しているとき、「同じ悲しみを韓国・朝鮮の人たち(元慰安婦の家族)も抱いているのではないか」と、私たちは想像しなければなりません。日本政府はがこの加害の歴史に真摯に向き合ってほしいと(天羽さんは)切望しているのでした。
実は、「かにた婦人の村」の入所者だった城田すず子さん(仮名)が、自分が従軍慰安婦だったことを、当時の施設長だった深津牧師に告白していたのです。そこで初めて慰安婦の存在を知った天羽さんは、「ショックを受け」ます。
この告白の記録は今日「マリヤの賛歌」(城田すず子著・かにた出版部・1500円)として、71年に出版されました。
その中で城田さんは、被害者でなければ到底説明することができない証言をおこない、「オンナには地獄だった」と慰安所における強制使役の真実を明らかにしたのです。(以下略)
http://jcp-chiba.web5.jp/minpo1208/hito/hito2013/hito140413.html
慰安婦問題と拉致問題と結びつけている典型でもあります。
「マリヤの賛歌(71年)」の中で城田さんは、「被害者でなければ到底説明することができない証言をおこない、「オンナには地獄だった」と慰安所における強制使役の真実を明らかにしたのです」、
などと嘘八百を書いています。そもそも、彼女は何の「被害者」なのでしょうか。
以下、参考のため城田すず子さんの履歴を、主としてマリヤの賛歌をもとに記しておきます。
⇒元慰安婦城田すず子さんの証言⑨ 年表と資料
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