元慰安婦城田すず子さんの証言③のつづき。
「元日本人慰安婦を「性奴隷」にした嫌らしい面々―日本軍相手の慰安婦だったことを名乗り出た数少ない日本人女性。「性奴隷」として紹介される彼女の周囲の人々の”正体”は・・・」(大高未貴氏)
大高氏は、「城田さんを”性奴隷”のようにみせかけ、マリヤの賛歌に”女の地獄”という謎の言葉を記した」深津文雄牧師について、彼の戦後のキリスト教徒としての活動などに触れ、親北・反米・反日活動家等との接点を見出し、彼もまた従軍慰安婦の基礎を固めるために、城田さんを政治目的に利用したのではないかと結論付けています。
大高氏は深津氏のイデオロギ-的な面に重点を置かれていますが、キリスト教徒としての深津氏にも少々目を向けてみたいと思います。
慰安婦問題には、日本のキリスト教団の「戦争責任問題」など、戦後の日本のキリスト教徒が抱えた矛盾や問題なども背景にあるのではないか、と思ったりもするのです。
(このあたりの事を書いた論文で、ネットで閲覧できるものとして”日本のキリスト教会と戦争責任―日本基督教団の「戦責告白」を事例に―:竹ノ下弘久氏”、という論文が参考になりました)
慰安婦問題の周辺には、キリスト教関係者が多いです。「反天皇制」も宗教的な考え方が根っこにあったからこそイデオロギ-に結びついているような印象を受けます。
城田さんのような女性のために「かにた婦人の村」をつくり、運営した深津文雄氏のとはどんな方なのでしょうか。ネットで検索するといろいろヒットしますが、以下のNHK教育テレビで放送されたインタビュ-番組での氏の発言録が一番リアルではないかと思います。
■日本は世界一性倫理の低い国
苦しみと喜びと
ペデスダ奉仕女母の家 理事長 深 津 文 雄
き き て 金 光 寿 郎
こちらのかにた村へいらっしゃる前に、東京の方で「いずみ寮」という、ここの前身のようなお仕事をなさっていらっしゃったそうですが、それは普通の教会ですと、牧師さんは信仰の指導をなさるのが、お仕事だと思うんですが、深津先生はここの前身の「いずみ寮」をどういうところからお始めになろうと思われたんですか。
深津: 「牧師のくせに(・・・)何でこんな仕事をするんだ」と。金光: 「くせに」とは申しませんが。
深津: 言う人がある。だけど、私は牧師だから(・・・)・・・。イエスを見ろ。マグダラのマリヤを救ったじゃないか」。頼みもしないのに日本に生まれ、生まれて見たら、世界一性倫理の低い国。
自分では知らないけども、「神代以来女ならでは世の明けぬ国」という。殊に豊臣秀吉以来、政府が税金を取るために許可を与えた公娼(こうしょう)というものが出来た。徳川時代にはもの凄いものだ。「国の華」なんだね。これではいけないと、明治の初年から気付いたキリスト教の婦人たちが、「矯風(きょうふう)会」というものを作って、廃娼(はいしょう)運動ー「これだけは止めましょう」ーと。
それが実って、何度も転んだけどね。「売春防止法」という笊法(ざるほう)が出来た。笊というのは水を入れても洩ってしまうということなんで、言ってみれば、捕まえても捕まえても逃げてしまう。有って無きが如きもの。
しかし、僕はこの国がよく「売春防止法」を通したと思う。それも難しかったんだ。まあ進駐軍が上から押さえていた時代の直後だから出来たんだけどね。これはやらねばならんと思った。
僕は元来汚いものが嫌いなんだ。勿論、女郎買いに行ったこともないし、そういうものを自分の考えの中に入れることさえイヤなんだ。まあ目を瞑って通り過ぎたい。だから(・・・)やったんだ。
僕の本性が汚いもの嫌いだから、本当は目を瞑って通り過ぎたいんだけれども、それではいけないと。まあ自己否定と言うか、一つの精神修養のつもりで、とうとう手を染め、足を染め。これで人生は終わっちゃうよ。
金光: でも、婦人相談所へいらっしゃった時に、そういう人達がいろんなところで「更生」と言いますか、保護されていたのに、「そういう処で持て余して人達を、私の所に寄越して下さい」とおっしゃったとか、伺ったんですが、それはまたどういうことですか。
深津: まあ見栄坊だったんだね。それから人の出来ることは俺はしない。
(これは、平成十年四月二十六日に、NHK教育テレビの 「こころの時代」で放映されたものである)
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-197.htm
なかなかに衝撃的です。日本をこの世で最も汚れた国と認識していらっしゃったようです。日本に対するすさまじい嫌悪のエネルギ-を感じてしまいます。
「神代以来女ならでは世の明けぬ国」ということばからは、「日本神話」の否定、あたかも日本という国そのものが生まれた時から「姦淫」の罪を犯しつつけていたかのごときです。
これはキリスト教徒としては当然の考えなのでしょうか?―
そして、「女郎買い」に対する忌避感は、キリスト教徒だからというよりもっと根深い、女性というか女性という性そのものに強烈な嫌悪のようなものをお持ちのように見えてしまうのです。
■牧師ではあったが教会風でなく、理想化でありながら徹底した実際家風であり、宗教家でありながら政治的
「人の砂漠」(沢木 耕太郎氏1980)にかにた婦人の村のルポルタ-ジュ「棄てられた女たちのユ-トピア」が収録されています。
かにた婦人の家が開設(1965年)されて7年後、約2週間の時間をかけて密着取材したものです。この中にも深津氏の考えを知る手掛かりがあります。大高氏の指摘するコミュニスト的なところもありますが、それ以外のところを少々引用させていただきます。
●≪ここに来るような女はゴミかクズだよ。狂暴だったり気が違っていたり、赤ん坊と同じ頭脳しかなかったり・・・(中略)ここはゴミ捨て場だよ≫
聞いているとドキッとするような喋り方をする。牧師ではあったが教会風でなく、理想家でありながら徹底した実際家風であり、宗教家でありながら政治的である―この奇妙な第一印象の彼は、僕の出会った「大人」の中でも、最も「怪物」風の人物といってよかった。
●深津を誘惑する女もいた。二人きりの部屋で突然気絶したふりをして、抱かれるようにしむける。
≪愛にはファ-ザ-の愛というものもありうるんだということ、それを教えるのは、いわば男性としての雪辱戦でもあったのです≫
●≪テレビは強制的に貴重な時間を奪う。貴重というのは、その時間に素晴らしいことができるのに、というのではない。退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。不安で退屈だから、人は考え何かを作ろうとする≫
このストイシズムがかにたの「何か」を作った原動力なのかもしれない。(中略)
しかし、ストイシズムとは禁欲を快楽とする倒錯に過ぎない、というシニカルな言い方だって可能だ。少なくとも、ストイックな生活の意味が分からない限り、その強制は暴力になり得る。
●≪(ここの女たちに)女として生きなくても人間として生きられる、それを教えたいんです≫
●(取材最後の夜、深津氏との問答の中で、≪女として生きることもなく、やがて死ぬのを待つばかりという彼女たちは、果たして幸せなのだろうか≫という沢木氏の疑問に対して)、
≪~ここにいることで彼女たちは人間として復活してきたのだ。明日をどうするかという不安から解放されて、今平安の中に入りつつある。幸福であることと、幸福だと思うことは違うのです。彼女たちがどう感じようと幸福であることには違いない。今さら家庭を持って苦労することもないし、また家庭を維持する能力はないでしょう≫
沢木氏は、深津氏の考えに対して、確かにそうだと思いつつも、彼女らには村から退去する自由がないこと、「人間として」復活すると同じように、あるいはそれ以上に彼女らは「女として」復活したかったのではないか―という疑問を払拭しきれないまま、かにた婦人の村を後にしています。
このルポには、城田さんの事は書かれていますが、残念ながらずっと体調が悪かったため全く会うことができなかったそうです。
■マグダラのマリア~「石の叫び」は宗教的告白
また、敗戦直後の日本のキリスト教界が、RAAをどのように認識していたか、さらに、キリスト教界のリ-ダ-たちがRAAやパンパンをどのように捉えていたかについて書かれた論文「キリスト教界の『パンパン』言説とマグダラのマリア(荒井英子氏)」に深津氏が取り上げられています。以下の本に収録されています。
城田すずこさんのことが書かれてあり、私はこの論文で彼女を知りました。
深津は婦人保護事業を始めるにあたって、福音書を開き、イエスと税吏、イエスと罪人、イエスと遊女、その関わり合いを熱心に読む。そして言う、「決定的に、ぼくを捉えてしまったのは、ルカ福音書に出てくる<罪の女>。その更生したすがた―マグダラのマリアである。聖書は、全て失われていても、この一片が残れば、それで 十分と思うほどに・・・」(「いと小さく貧しきものに―コロニ-への道)ここで深津氏のいう「更生」とは、「人間としての復権」であり、「弱者を強者の踏むにまかせないで、弱者には、弱者のあるがままの姿で生きられる安住の世界を作らなければならないとして、深津氏はコロニ-を構想」した。そして、城田さんと出会って増々その思いを強くしたという。
なお、この論文の著者も、「マリヤの賛歌」と「愛と肉の告白」の両方を読んでいるにもかかわらず、”戦後40年を経た84年に、初めて自らの「慰安婦」体験を深津に告白”した、その告白の書が「石の叫び」であるとして掲載しています。
ここでいう告白とはキリスト教でいう、自己の罪を神に告げ、罪の赦しを求めること―とも考えられます。であるとすれば、「石の叫び」は宗教的な脈略で理解すべきものなのかもしれません。
しかし、現実に、「石の叫び」は元「従軍慰安婦」の証言として利用されており、彼女自身TBSラジオ放送であたかも「従軍慰安婦」のごとく証言しているのです。
■「証言」と自叙伝の矛盾
慰安婦プロパガンダ活動家(大高氏)が彼女を政治的に利用し、彼女の実像を歪曲していることは事実ですが、彼女自身偽りの証言をしていることも事実なのです。
つづく 元慰安婦城田すず子さんの証言⑤ プロパガンダの虚実 「名乗り出た日本人元従軍慰安婦」から「朝鮮人慰安婦のやり手婆」まで
コメント
コメント一覧 (2)
事実だからしょうがない話だな。
お祭りでの神社の乱交パーティーや雑魚寝、夜這い、その上全国主要都市にかならず遊郭街が存在している。第一次大戦後日本は世界一の売春大国だった。
>慰安婦プロパガンダ活動家(大高氏)が彼女を政治的に利用し、彼女の実像を歪曲していることは事実ですが、彼女自身偽りの証言をしていることも事実なのです。<
何が事実で何が嘘か?自分が分かってるつもりなのが問題だな。
> >頼みもしないのに日本に生まれ、生まれて見たら、世界一性倫理の低い国。<
>
> 事実だからしょうがない話だな。
> お祭りでの神社の乱交パーティーや雑魚寝、夜這い、その上全国主要都市にかならず遊郭街が存在している。第一次大戦後日本は世界一の売春大国だった。
それは深津氏におっしゃって下さい。(もっともすでにお亡くなりですが)
>
> >慰安婦プロパガンダ活動家(大高氏)が彼女を政治的に利用し、彼女の実像を歪曲していることは事実ですが、彼女自身偽りの証言をしていることも事実なのです。<
>
> 何が事実で何が嘘か?自分が分かってるつもりなのが問題だな。
ここでいう証言とは1986年TBSラジオ放送の城田さんの話した内容。この証言と「マリヤの賛歌(1971年)」に書かれてあることには矛盾があります。
矛盾点については、どちらか、あるいは両方とも事実と異なるのどちらかです。
wamの”日本軍「慰安婦」問題全ての疑問に答えます”では城田さんについては「マリヤの賛歌(1971年)」に基づいて書かれてあり、TBSラジオ放送の内容は採用していません。「石の叫び」も「慰霊塔をたててほしいと」いう気持ちの部分しか採用していません。