元慰安婦城田すずこさんの証言① の続き。

■1986年にTBSラジオニュ-スで放送された
石の叫び~ある従軍慰安婦の記録」。

城田すず子さんが「従軍慰安婦の象徴」として語られることになったきっかけとなった番組です。

この放送については書きお越しがあり、ネットで読めます。(放送では城田さんは別名で登場)。大高氏もこの書きお越しから引用しています。

◆「石の叫び」*TBSラジオ (NPO法人)安房文化遺産フォ-ラム
http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=413
魚拓:https://web.archive.org/web/20140310070551/http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=413
(これは地域の平和教育プログラムの教材として使われたものとのことですが、その教育内容にはギョッとさせられます。このことは後日別途取り上げてみたいと思います)

”日中戦争、太平洋戦争のさなか、侵攻を続ける日本軍を追うようにして、戦場から戦場へと渡り歩く女性の一団があった。彼女たちは従軍慰安婦。兵隊相手の売春婦である。日本軍が戦場へと送り込んだ従軍慰安婦は10万人とも20万人とも言われているが、その存在は軍事機密にされ、彼女たちがどこから連れてこられ、そしてどこへ消えていったかは今もなぞに包まれている。”

といったもので、「慰安婦狩り」の「ヨシダセイジ」を登場させているあたり、今となってみればあきれ果てるような内容の番組です。

この番組での城田さんの証言も、彼女の自叙伝「マリヤの賛歌(71年)」と大きく異なっています。

詳細は大高氏の記事に譲りますが、一番の問題点は、城田さんは「マリヤの賛歌」では、パラオで紅樹園という特別料理屋兼旅館経営者の3号さんとなり、慰安所の帳簿付けや女子の世話掛をし、さらにジャングルのなかに作られた慰安所では管理人をまかされていた、と書いているのに、ラジオ放送では「慰安婦」として働いていたものとして証言していることです。

ネット検索したところ、上記TBSラジオ放送の彼女の証言(肉声)の一部を使用したニュ-ス番組の動画をみつけました。

昨年、橋下慰安婦発言に対する批判として、RBC(琉球放送)が報道したもののようです。
元慰安婦の金福童氏、林博史氏や吉見義明氏が登場するコテコテの内容です。放送で使われていた城田さんの証言は以下の部分です。
元「慰安婦」の戦中と戦後 ハルモニの胸痛む現実と歴史
吉見氏 「~『慰安婦」が自殺したと言う記録もあるし、元「慰安婦」の方の証言で、自分の仲間が自殺したという証言もあるので、(自殺は)少なくなかった」

ナレ-タ-「貴重な証言テ-プがある。南方の戦地で慰安婦として働かされた城田すずこさん(仮名敗戦当時24歳)の証言だ。
すずこ
城田すずこさん(声)
砂糖に蟻がたかるみたいに兵隊さんがむさぼりつくすとは思わなかったの。体のあく暇もないの。私びっくり仰天して毎日泣いてたのよ。
「自殺した女の子がいっぱいいるのよ。とても耐えきれないと言って。」
(戦後)出航するときに雨がざぁざぁ降ってきて、スコ-ルがね、死んで土に埋もれた人たちが泣いているんだろうと思ってね、あん時―」

「安房~」のTBS放送の書きお越しと比べると、台湾の妓楼(海軍が専用にしていた?)にいたときの話(青字の部分)と、パラオにいたときの話を切り張りしたものであることがわかります。

この番組でも、城田さんは、まさに地獄のような環境で「慰安婦として働かされた」女性として登場しています。

■彼女は自殺した慰安婦の遺体を野ざらしにした?

「マリヤの賛歌」に書いているように、彼女がパラオのジャングルの慰安所の管理人であったとすれば、1984年の告白文「石の叫び」にある、
~死ねばジャングルの穴に捨てられ、親元に知らせるすべもない有様です。それを私は見たのです。この眼で、女の地獄を」、
に直結する以下のTBSラジオの証言、

椰子の木だとかさ、アンペラだとかみんな集めてね、慰安所を作ったの、川の流れてるところに。それで、その所で死んだ人なんかいるわけ。もう、女の人は惨めだったわよぉ。ほんとに惨めだったわよ。
でね、もう、水兵さんだってね、もう、痩せっこけてね、骨と皮ばかりになってウロチョロして、やっぱり、女の人のところに来るわけよ。もう、そんな骸骨に襲われてごらんなさい、気持ち悪いわよぉ。ねぇ。それでね、自殺しちゃった女の子がいっぱいいるのよ。とっても耐え切 れないちゅって。

ジャングルに、もう、掘って捨てる所なんかないのよ。もう、ジャングルの中へポーンとほっぽり投げて、みんな野良犬だとか、なんだか知らないけど、変な見たことないような動物が来てね、夜なんか食べるんだから。
だから、骨ばっかり散らばってるのよ。そういうふうになっちゃうんだから。
 
                  「石の叫び」*TBSラジオ(安房文化遺産フォ-ラム)

この証言の、自殺した多くの女性の遺体をほっぽり投げて、野ざらしにしたのは彼女自身(か彼女が他の者に命じた)ということになります。

大高氏も指摘しているように「マリヤの賛歌」には、上記のような記述は全く出てきません。このジャングルの慰安所に何人の女性がいたのか、といった記述もありません。

このあたりは改めて、「マリヤの賛歌」とTBSラジオ番組の「証言」、そして「石の叫び」をもっと綿密に比較してみる必要がありそうです。

■活動家たちの見解
では、城田さんの事を、「日本人で(唯一)名乗りを上げた元従軍慰安婦」として規定している人々は、71年の「マリヤの賛歌」と、84年「石の叫び」以降の彼女の発言とのギャップをどのように認識しているのでしょうか。

面白のは以下のwam(女たちの戦争と平和)の記事です。
 

池田恵理子さんの話
テレビディレクターでWAM運営委員長の池田恵理子さんは、城田すず子さんの生涯を描くドキュメンタリーを作っている。その中間報告を行った。(中略)
このような「慰安婦」にされた経験について、城田さんの『マリアの賛歌』には「取り繕うことも無く」書かれており「他に日本人として「慰安婦」となった女性はたくさん居る。なぜ彼女は語ったのだろう」と池田さんは問い掛ける。
彼女は3つ理由を挙げた。「慈愛寮などで温かく迎えられた。生活上の基盤があった」環境。「編物や読書が猛烈に好きで、膨大な手紙を書いたエネルギッシュな性格」を持つ個性と、彼女のキリスト教である。

そして4つ目に、パラオで長年の経験を買われて他の「慰安婦」の世話係をしたことで、「日本人女性、それも管理者として彼女は生き延びた。死んだ彼女らを思って、日本人としての責任を感じるようになったためではないか」と指摘した。

城田さんは80年代から日本軍「慰安婦」被害者のための鎮魂祭をしたいと願い、85年に鎮魂碑を建てられた。また91年に金学順さんが名乗り出たときや、吉見義明・中央大教授が慰安所設置に日本政府が関与した資料を発表したときも大喜びしていたのだ。
城田すず子さんを語る
その後、城田鈴子さんを知る慈愛寮の柿澤路得子(かきざわ・るつこ)さん、「かにた婦人の村」の天羽道子(あまは・みちこ)、桜庭歌子(さくらば・うたこ)さんの話が続いた。(中略)
桜庭さんは「マリアの賛歌にあるようなことは、生活の中で聞いた事がない」と語る

最後にWAMの東海林路得子(しょうじ・るつこ)さんは「城田さんが十字架に女性が磔(はりつけ)られている絵を描いている」のを見て衝撃を受けたという。~http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0805/0805237690/1.php 
wamシンポジウム「慰安婦」にされた日本の女性たち~沖縄、そして城田すず子さんを語る~
(2008/05/24 )

「マリヤの賛歌」を「慰安婦」にされた経験について語ったもの―、というのはいかがなものでしょうか。
本の中に、一時期軍人専用の娼館で働いたことは書かれていますが、当然出版当時は誰もがそれを娼婦の職場の変遷のひとつ、としかとらえていませんでした。城田さん自身もそうです。

「娼婦」と「パンパン」であったことを取り繕うことも無く書いている、とすべきでしょう。

「マリヤの賛歌(1971年)」、オリジナル版の「愛と肉の告白(1962年)」は、基本的に「淪落女性」がキリスト教の教えに触れて更生した物語です。
戦前から廃娼運動を行ってきたキリスト教矯風会の女性リ-ダ-久布白おちみ氏が、城田さんの物語を「かぐわしき美談」として、映画化を企図したこともあるそうです。
彼女ら、キリスト教の女性リ-ダ-一派の「淪落女性の汚れた魂を救ったイエスの教え」という一種のプロパガンダとして世に出された本ではないかと、というのが私が「マリヤの賛歌」を読んだ感想です。

一方、
「パラオで長年の経験を買われて他の「慰安婦」の世話係をしたことで、「日本人女性、それも管理者として彼女は生き延びた。死んだ彼女らを思って、日本人としての責任を感じるようになったためではないか

という箇所は池田氏が、「マリヤの賛歌」をちゃんと読まれていることがわかる発言です。
しかし、城田さんが「管理者」として、「日本人」として責任を感じるようになったのなら、管理人の立場で「責任」を語っていたはずです。
城田さんは、「石の叫び」にせよ、TBSの放送にせよ、「女の地獄」を見たパラオでは「管理人」としてでなく、「慰安婦」だったとして「証言」しているのです。おかしいではありませんか。

また、「金学順さんが名乗り出たとき~大喜びした」とか、「十字架に女性が磔られている絵を描いている」とか、マユツバものですねぇ。

                                         つづく 

追記:マユツバかと思ったら、城田さんは、1984年ころ「十字架に女性が磔られている絵」を描いており、金学順が名乗り出たとき「よく思い切って名乗ったわ・・・その人に会いたい気がするわ」と言った内容の手紙を施設長夫妻宛に書いていました。
「慰安婦」問題 すべての疑問に答えます。
アクティブミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) (著) 2013/10/30 p27 に写真付きで掲載。