秋風は芳しさにおいて薫風よりは
出でずとも、その清涼さには遅れ
無し。
我が剣は秋風の如き涼やかな風で
ありたい。
剣は小野派。
だが、父の兄二人の代で潰えた。
私は縁あって、土佐御流儀を学ぶ。
元々は砲術の家ではあるが、剣も
また子息らは代々必修だった。
私の子さえも五歳から剣の道を学
んできた。
剣の真諦。
それは、刀法には流派の垣根無し。
刀理は万流に通じている。
喩えるならば、どの流であろうと、
真っ向は真っ向、袈裟は袈裟なりし
や、と。
そしてまた、士が帯びる剣に違い
無し。
利鈍、強靭脆弱の差はあれど、士が
腰間にあるは全て剣なり。砲や槍は
腰には帯びず。
目に見えて大きな違いが生じるのは、
それを帯びる者の質性の違いが現出
しているからだ。
全ては人による。
そして、士は己の差料を厳しく選ぶ。
士の剣は魂であるからだ。
幕末、さる剣聖は言った。
剣は心なり。
心正しからずんば、剣また正し
からず。
けだし名言である。