2022年7月22日

高校野球解説50年 あの名場面を語る

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“野球王国・愛媛”で、多くの人たちを夢中にさせてきた全国高等学校野球選手権・愛媛大会。
NHK松山放送局では球児たちの奮闘をテレビ、ラジオの中継でお伝えして来ました。
1973(昭和48)年から解説を務めている越智三弥(おち・みつや)さん、77歳。50年目を迎えるこの夏を最後に勇退されます。越智さんに半世紀にわたる解説者人生を振り返って頂きました。

(NHK松山放送局 酒井博司)

越智三弥さん

「あっという間の年月でしたね。“高校野球の魅力”を堪能してきたなって思いです」

越智さんは松山商業出身。選手としては1962(昭和37)年のセンバツでベスト4進出。準決勝では作新学院と延長16回を戦いました。早稲田大学、社会人野球の大倉工業(香川県)でプレーした後、28歳からNHKの高校野球中継の解説を始めました。

「心掛けたのは“偏らない解説”です。母校の松山商は低迷しているので、応援したい気持ちもありますが、“視聴者に不快な思いをさせたくない”というのが、私の中でありましたので、そこはしっかり心にしまって、 “両チームを平等に応援する解説”を目指しました」

越智さんが解説を務めた半世紀、夏の全国選手権で活躍する1996年優勝の松山商や、1975年準優勝の新居浜商、2004年準優勝の済美など、数多くのチームを見て来ました。1974年の金属バット解禁、1975年まで続いた、愛媛県と香川県が甲子園をかけて争った北四国大会の廃止など、愛媛の高校野球の移り変わりも見つめてきました。
そんな越智さんに愛媛大会の“忘れられない名場面”を聞きました。

1984年の越智さん

もう一つの“奇跡のバックホーム”

1990(平成2)年 愛媛大会決勝 松山商×新田

新田はこの年のセンバツで、2度のサヨナラ勝ちなど「ミラクル新田」旋風を起こし、準優勝を果たしました。この試合も持ち味の強打で、7-5と新田がリードしますが、松山商も粘りを見せ、9回表同点に。延長戦に入っても点の取り合いが続き、10回表に松山商が勝ち越しましたが、10回裏、新田は同点に追いつき、なおも1アウト一、二塁とサヨナラのチャンス。ここで新田・山本選手の打球はセンター前に飛びました。誰もが「勝負あった」と思ったこの場面、松山商のセンター・松崎選手が素晴らしいバックホームで二塁ランナーを刺し、ピンチを防ぎました。その後、延長11回表に勝ち越した松山商が甲子園への切符をつかみました。
“奇跡のバックホーム”というと、1996年の第78回大会決勝、松山商対熊本工で、延長10回裏、松山商のライト・矢野選手がランナーを刺したシーンが広く知られていますが、越智さんは1990年愛媛大会決勝のバックホームに、大きな衝撃を受けたと言います。

「松山商対熊本工のバックホームは山なりの送球だったんですが、松崎選手は低く鋭い、矢のような送球でした。ここで点を取られれば終わりですから、気持ちが一点に集中した、執念みたいなものを感じました。50年の解説の中でも「鳥肌が立つ」という感覚は、後にも先にもこの場面だけです」

解説の”奥深さ”を痛感!

1999(平成11)年 愛媛大会準々決勝 宇和島東×松山聖陵

上甲正典監督

越智さんが解説の“奥深さ”を痛感したのは、1999年(平成11年)の準々決勝、宇和島東対松山聖陵です。9回表が終わって8-5で松山聖陵がリード。
宇和島東の攻撃も、2アウトランナーなしの土壇場を迎えました。

「宇和島東の攻撃に入る時、“2アウト取れば90%勝利に近づく”と言ったんですね」

この後、ヒットと四球で2アウト満塁に。打席には、両親を亡くしていた宮本選手が入りました。
当時、宇和島東を率いていた上甲正典監督は「天国の両親に届けるつもりで打て」と、宮本選手を送り出しました。その言葉に背中を押されたのか、宮本選手は相手投手の「カーブ」をフルスイング。センター頭上を越える大飛球は、走者一掃の同点スリーベースとなりました。

「“野球は最後までわからない”という気持ちが、どこかに飛んでいたと思うんですね。
一方、その打者の時には『(勝負球に)カーブを投げたらいかん!』という話をしました。
“90%勝利に近づく”は当たりませんでしたが、“カーブはいかん!”と言ったあと、投手がカーブを投げ、走者一掃のスリーベースが出た。
解説者としては「反省」と「満足」が半々という感じの試合でしたね」

“最強チーム”は2004年の済美

越智さんが50年にわたってみて来た愛媛の高校野球。
中でも“最強”と考えているチームはどこだったのでしょうか?

「たくさん強いチームはありましたが、“最強”というと2004年の済美高校ですね。
1番から9番まで長打力があり、どこからでも点が取れる。これをしのぐチームはこれまでなかったんじゃないかなと。エースの福井投手、鵜久森選手、高橋選手と3人がプロ野球選手になるチームはなかなかありません」

2004年の済美高校は、甲子園初出場となったセンバツでは、準々決勝でダルビッシュ投手を擁した東北に逆転サヨナラ勝利、決勝は愛工大名電に接戦で勝利し、初出場初優勝。
夏の選手権は、1回戦から二桁得点を挙げるなど勝ち進み、決勝の駒大苫小牧戦では、2回までに5点を取ってリードしたものの、壮絶な点の取り合いの末、10対13で敗れ、春夏連覇をあと一歩で逃しました。

甲子園決勝の先発オーダー

夏の全国選手権では、3本のホームランを打った鵜久森選手だけでなく、甘井選手、小松選手と、大会中、チームで5本のホームランを打ちました。

「松山商は全国制覇5回の歴史がありますが、松山商の野球は守り勝つ野球なんですよね。
2004年の済美は攻めて、攻め抜くということで、愛媛に攻撃の重要性を知らしめたと思います。ほとんどバントを使わず、超攻撃的なパワーベースボールを展開していました」

解説者“ラストゲーム”にかける思いは

この夏、最後の解説を務める越智さんにマイクに向かう思いを聞きました。

「最後のゲームになるので、熱い大一番になってほしいという思いと、解説者として目指して来た理想の解説に一歩でも近づけたらと考えています。
今の高校野球は自分がやってきた当時とは異次元の世界ではありますが、“野球が好き”という選手たちの純粋な思いは変わってないと思います。“野球王国・愛媛”が復活して、“愛媛は強い”と全国に認められるようになるのが一番の願いですね」

越智三弥さんは、準決勝第二試合はラジオで、決勝はテレビでの解説を担当する予定です。

酒井の感想

的確な解説コメントのみならず、優しい人柄も魅力の一つだと思います。これまで全国10か所以上で高校野球地方大会の放送に携わってきましたが、50年間ずっと解説を続けている方は、全国を見渡してもいらっしゃらないのではないでしょうか。しかも、毎年欠かさず解説を担っていただいたことは頭が下がるばかりです。50年ともなると、越智さんが一緒に放送してきた歴代のアナウンサーは大先輩など偉大な方ばかり。その昔話を聞くのも楽しい時間でした。50年間、本当にありがとうございました。

この記事を書いた人

酒井博司

酒井博司

スポーツ実況アナウンサー。
Jリーグ「伊予決戦」や高校野球中継を担当。
大阪局時代には、春センバツ・夏選手権の開会式メイン実況を、テレビとラジオで合わせて4回経験。
100回大会では、秋田県勢103年ぶりの決勝進出となった「金足農業ー日大三」の実況を担った。