『クィア・アートの世界――自由な性で描く美術史』 (パイ・インターナショナル)が出ました。〈クィア〉(奇妙なもの)ということばは、二十世紀末から、男性と女性という二分化ではとらえられないジェンダーやセックスの多様性に関することばとして使われるようになりました。
私が興味を持ったのは、社会的には差別されているLGBTQ(レズビアン、ゲイ、トランスヴェステット、クィア)といった性的少数派の表現が、アートにおいては認められていることです。
それにもかかわらず、美術史は、これまで、美を中立に保とうとし、性との関わりを避けてきました。しかし、一九七〇年ごろからフェミニズムの運動をきっかけに、アートの性と向き合わざるを得なくなり、〈アート〉と〈クィア〉の間に回路が開かれました。〈クィア・アート〉が考えられるようになったのは、二十一世紀に入ってからです。
私は〈クィア〉という考えをアートの歴史全体の中であつかってみたいと思い、クィア・アート史を書くことにしました。〈クィア・アート〉は、まだ新しいコンセプトで、内容も領域も定まっていません。地図のない世界をさまよっているようで、しばしば迷いましたが、未知の大陸を発見していくような、わくわくする気分でもありました。
私はひさしぶりに、自分がはじめて〈アール・ヌーヴォー〉という忘れられた美術を夢中になって追っていた青春時代を思い出しました。いつも、だれにも注目されない、異端の、〈クィア〉なアートを追いかけてきました。〈クィア・アート〉史を書こうと思ったのも、そのせいだったのでしょう。
クィア・アート史などというものが成立するのかどうか、わからないのですが、ともかくそれを書いてみました。二十一世紀に入って、〈クィア〉についてずっと考えていました。そのために集めてきた資料の集積がこのようにまとめられるとは思っていなかったので、この本ができたことは大きな喜びです。
〈クィア〉について漠然と考えていたことが、一つの本として実現したのは、この困難で、奇妙なテーマに共感してくれて、まとめる機会をつくってくれた編集者のおかげです。私の文章はまだいたらないのですが、そのためにすばらしい図版を集めてくれました。さらに、この本の意図に共感してくれて、すばらしいデザインをくりひろげてくれたブック、デザイナーに恵まれました。
このような奇妙な本をだすことができたのは、奇跡のように思えます。どんなふうに読んでもらえるか不安ですが、ともかく私にとって、一つのまとめであり、ほっとした気分です。
海野弘ワールドにようこそ。長いこと、さまざまなテーマを書いてきました。自分がどこを歩いているのかわからなくなる時があるほどです。
一つの区切りとして、自分の世界を整理し、その見取り図をつくってみることにしました。そこでは、情報の三つの柱を伝えたいと思います。
一つはこれまでやってきた仕事をたどることです。単行本にまとめられたものを中心に、まだ本に入っていないものについても拾ってみたいと思います。
二つ目は今やっている仕事についてです。新聞や雑誌の連載など書く仕事だけでなく、講演やインタビュー、座談会、そして取材の旅といった仕事についても触れるつもりです。
三つ目はこれからどこに向かうかについてです。決まっているだけではなく、長いこと考えてきて、なかなか実現しない企画や、最近ふと思いついたテーマなど、私の夢についても語りたいと思います。
私の旅してきた世界は私だけのものではなく、多くの先人から贈られたものです。私もまたそれを次の世代に送っていきたいと願っています。そのためにこの小さな窓が役立てばうれしいのですが。
以前に河出書房新社から出した『江戸ふしぎ草子』のシリーズ(全六巻)が今度、平凡社ライブラリーに入ることになりました。秋には第一冊が出る予定です。
このシリーズは朗読会やラジオでの朗読などで読ませてほしいという依頼をよく受けます。私としても愛着のある作品なので、新しい形で出ることになり、楽しみにしています。