第4弾 大塚康生氏

vol.5 ビジネス戦略が一人歩きした

header_otsuka

おおすみ あと、もう一つ、僕らムーミンのスタッフは、もともとルパン三世を準備していたチームで、ルパンのテレビ化が決定するまでの期間内に、2クールだけの約束でムーミンやったんです。だからルパンが決まったら、戻らざるを得なかった。今思えばね、広告代理店にしても、何らかの理由付けが必要だったと思う。だって、製作プロダクションが一方的に降りたなんて話は前例が無いし、クライアントを始め、各方面に対してなんらかの理由付けが必要でした。トーベ・ヤンソンが怒ったって話が非常にリアルな話で伝えられているのも、それを拠り所として強調したからですよ。これまでのムーミンが間違っていたから、プロダクションを変えた、と云わざるを得なかった。

R0012267大塚 当時、高橋さんはね、プロダクションを変え、キャラクターを描きなおしたのは、もっと原作に近づけるため、と宣言してた。

おおすみ 僕らがやめたので、周囲を納得させる理由が必要になった。捨てられたというわけにいかないから、ヤンソンさんを口実に、前作を否定して、新しいムーミンを作りますと、PRせざるを得なかった。そう考えると非常によくわかりますよ。

大塚 電通の当時の担当者だった町田さんが東京ムービーにやってきていろいろ聞きましたが、高橋さんはオリジナルに戻そうとした。で、やってみたら、あ、これは売れないって思った。

おおすみ そのマーケティングの中にトーベ・ヤンソンさんのクレームも誇張して利用されたという気がしますね。放送時、視聴者にはかなり評判がよかった東京ムービー版のムーミンを、なぜ変えたかっていうことに関して、ロジックを作らざるを得なかったんですよ。実は、あれは全部ダメだと。自分たちがダメだと思うだけじゃなくて、トーベ・ヤンソンさんも認めていないと。だから改めて新しいムーミンを作る、といわざるを得なかったんです。

‐‐‐‐でもその話だけは大きく残っちゃってますね。

R0012307 おおすみ 製作中は、トーベ・ヤンソンからの苦情は原作者として当然という程度に伝えられていたけど。全面的に否定だと聞かされたのは、ずっとあとでした。
今でも、テレビ嫌い、アニメ嫌い、の文学至上主義者たちが、このクレームの出所を確かめずに、騒いでいるように思えます。おそらく、この人たちは私たちの作品を見ていないでしょう。見た上で作品として、批評してくれるなら良いのですがね。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

vol.7 ムーミンとルパン、作画へのこだわり

header_otsuka

大塚 ルパンの時もね、次元が傍受しているときに、ルパンがね、こうやって座っているポーズかいてあったのね。

おおすみ いまだに講義に使っています。とにかくリラックスしたポーズ。そういうことをかなり徹底して追及した後で、ムーミンをやったから、自分たちとしては、新しいことにチャレンジしていったわりに、あんまり苦しまなく、ルパンより楽しめたかなと。リラックスしているが、手持ちで勝負せず、新しいことをやっている、非常にいい経験でしたね。

R0012247 大塚 リラックスしてましたね。ムーミンでもおおすみさんとの打ち合わせって、言葉いっぱい使うんですよ。僕はちょちょっと直しながらね、やり取りして、その後は来たり来なかったりなんですよね。

‐‐‐‐打ち合わせの時は集中して、後の現場で描かれているときには来ない?

大塚 その前に、絵コンテの打ち合わせをしているでしょ。ものすごく集中して。『あとは、任せたよ!』っていうのはありがたい。

おおすみ 脂汗ながしたのは、脚本家との打ち合わせです。全26話中の20話のほとんどのストーリーを作りました。シナリオをそのまま使ったのは、雪室俊一さんの1本だけでした。あとは録音監督の田代さんとつるんで、アフレコ役者いじりや音作りのテストに打ち込んでいました。ま、弁解がましいですが、その割には作画現場にはよく顔を出しましたよ(笑)。

大塚 おおすみさんには、これはこうだと説明したら、わかってくれる。東映の演出家といろいろ出会いましたけど、おおすみさんは、『大塚さんこうお願い』って全シーン任せるの。ありがたかった。コンテのようなのいっぱい描いてね。いいな~変える必要ないね、とかね。

おおすみ 確かに、打ち合わせまでは真剣にやったけど、打ち合わせの後は開放されて。現場に顔出すのは、邪魔しに行くという感じでしたね。舌なめずりで乗り込んでいくというか。(笑)

大塚 おおすみさんはプロデューサに近い。 R0012251

おおすみ 演出はやってみせちゃダメなんですよ。役者相手でも新人になら、こうやってとやって見せることはあっても、ベテランの役者さんに、こうやるんだよっていうと、モチベーションが下がる。アニメでも描いてみせる演出家はいますけど。、僕はとにかく『何を』は云っても『如何に』は云わない。そのためのプロが相手ですから。

大塚 ルパンではね、もうちょっとつっぱなしてね、馬鹿みたいにやってください、みたいなポーンと離した感じでしたね。いろんなことを、理屈抜きみたいな演出をやってくれた。

‐‐‐‐『馬鹿みたいなことをやってください』と言った後は、大塚さんの自由に?

大塚 自由です。

おおすみ 何回も打ち合わせで方向性は話しているからね。大塚さんもね、弁も手も立つから、あいまいなことを云うと、見逃してくれない(笑)。何をやるかがお互い見えてたから、後は現場に遊びにいって、あれダメ?、じゃこれは?っていうぐらいですんだ。

大塚 ルパンでお互い理解しあってたのがアンニュイな世界ですね。

R0012245おおすみ アンニュイは言葉で、絵ではないですね。大塚さんじゃなかったら違う提案をしていたと思うな。長浜さんは巨人の星で、日本人独特の、耐えに耐えることでテンションを高め、バーっと爆発させるっていうのをやってたの。でも僕は、ルパンではこれと同じ方法は使えないと。止めておいてバッとアクションを起こすのは同じだとしても、執念や怨念を溜めて爆発へ持っていく、という世界ではない。むしろアクション直前までは、だらんと抜けるだけ抜いたダルな気分でいて、突然、パッとと行動に移すのが、プロフェッショナルな動きになるんじゃないか。そう思っていたら、大塚さんは本当にそういう絵を描いてきた。

大塚 実はあれ、東映で「風のフジ丸」(注:4)のとき実験していたんです。楠部さんのロボットみたいに硬直した立ち姿を一方の足重心をかけ、反対の肩を少し落として余裕のある姿勢を到るところに持ち込んだのですが、回りからはあまり理解されませんでした。今の若い人は、力抜いた絵、リラックスした絵、たとえば、3人んがテーブルを囲んで、椅子に座っていて、3人とも違う雰囲気が描けないんですよ。アンサンブルができない。新入社員みたいにコチコチになって並んでいる絵しか描けない。アンサンブルが描けないっていうのは、人間の構図が描けないってことで、全体として貧しくなっています。

おおすみ モンキーさんの絵でも、ルパンがただ立ってる絵なんだけど、片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手を柱に置いて、力抜いた形でね。そういうキザっぽさは、歌舞伎以来の日本的メリハリの緊張型ポーズとはちょっと違う。
ルパンと次元が無線で最初に会話するシーンは、その代表として今だに講義に使っています。

大塚 あれは衝撃的だったみたいですよ。若い人に。ああいうことがなぜ真似できないのか。

おおすみ それなりには引き継がれてはいますよ。

‐‐‐‐記憶に焼き付いてますものね

大塚 引き継がれているのは、銀ぎつねの時計(ルパン三世TV第1シリーズ第10話 ニセ札つくりを狙え!)の最後に長い殴り合いがある。あれ宮さん、『紅の豚』のラストで使っているよね。

おおすみ あれ、その前があったでしょう。僕はジョンフォードの『静かなる男』をモデルにして。ムーミンとスノークが殴り合いを始め、日が暮れても延々と続けていて、周りがワーッとなっているあのばかばかしさを、殴りあいながら、身構えないことで強調したんです。

R0012249_2 大塚 実はルパンも、影響をあたえているんですよ。おおすみさんはまじめな人だけど、不まじめな人への理解があるよね(笑)。宮崎さんはとことんまじめな人だからね。ああいう不まじめさを学びとっているんですよね。彼もルパンでは学んだと云ってる・・公式には言ってないけどね。
面白いんですよ、ルパンは。当時、やらざるを得ない状況でね。ペンネームでやって、バレてからもあまり語らないですね。宮崎、高畑はルパンを手伝ったってことを自分の経歴の中に入れていないね。おおすみさんが残したストーリーを終わるまで見てますから。それを組み替える作業をやっただけ。という認識があるでしょう。

おおすみ 大塚さんがやるのに断る理由はないでしよ。宮崎、高畑さんは、ただそこにいたから頼まれただけかも知れないけれど、大塚さんがやるかやらないかは、ルパンが同じ番組になるかならないかの重要ポイントですから。

大塚 あの時は僕しかいないですよ。ルパンを守れるのは。柴山も小林もほかの作品やってて戻ってこれないしね。

おおすみ しばらくは、大塚さん何で引き受けたんだろうって思っていましたよ。10年ぐらいルパンには触れたくなくて、インタビューも受け付けなかったんですよ。でも、あれから少しは大人になったようで(笑)、大変迷惑をかけたなと、今は素直に感謝してますね。高畑、宮崎さんにも。

:4  少年忍者風のフジ丸(wikipedia)

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

vol.6 大塚さんのムーミンへのこだわり

header_otsuka

大塚 またムーミンやるということはできるんですよ。でもライターとかね、演出家とかね、難しい。アニメーターも今のアニメーターでは無理ですね。コレ見るとわかると思うんですけど・・

R0012279_2

おおすみ ココだけ見ててもね、平面からはじまった絵が、くるっと向いて、立ち上がると、もう立体に見えるの、丸みが。このキャラクターの丸みが今の人には出せないでしょ。シャープだけど平面的で、切り抜きの絵のようになってしまう。

大塚 これで3枚使っているんですよ。丁寧な仕事をしているんです。芝さんも小林さんも一コマ。こういうちょっとした技術がね、たいした枚数使ってないですよ。仕上げの手間も考えてね。

おおすみ なるほど。

大塚 一コマ、一コマ丁寧に描いているでしょ。ね。

おおすみ かなり、枚数を使っているようにみえますね。

大塚 いや6000枚ぐらい。水なんかもきれいに描いてたからね。まだ、CGに頼っても、こういう雰囲気は出ないですよ。やわらかさとか。結構丁寧にやっている。

‐‐‐‐ムーミンで大塚さんが意識されたのは?

大塚 かわいく。それは動きのかわいさだったり、絵の丸みね。

R0012271 おおすみ 手が後ろに回りそうな丸みと、やわらかそうな質感が良く出ていますね。

大塚 何と言うかな、デティールとか、丁寧に描いているんですよね。基礎があるから。簡単に描いてもできるんですよ。

おおすみ 今、はやりの同人誌マンガなんかね、丸いキャラクターなのに、少しでも直線を使いたがる。あれ何なんでしょね。

大塚 何なんだろうね。僕らは直線を嫌ったからね。直線を絶対使うな。

おおすみ もともと有機体のもつやわらかさをね、不自然でも直線を入れることで、イラスト的なカッコよさを狙おうってことかな。

大塚 僕なんかね、ルパンでも柔らかくしたんだけど。

おおすみ モンキー・パンチだって、コンセプトは尖がっていても、絵は柔らかい、基本的に丸いですよ。

大塚 でも、今のルパン見ていると、ここぞとばかりに直線を使っている。モンキー・パンチは直線の世界だと思い込んでいる。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

vol.8 岸田今日子との出会い

header_otsuka

‐‐‐‐なぜ岸田今日子さんをムーミンの声優に選んだのでしょうか?

おおすみ 岸田今日子がムーミンの原作を読んだ、という小さなコラムを新聞で見たのが記憶に残っていて、企画に上ったとき、岸田さんをイメージ配役として出したんです。すると、名前を利用できると思ったのか、広告代理店が飛びついたんですよ。あとはバランスとるために、知名度より実力のある声優をと考えました。スナフキンの西本裕行さんを探したのは音響監督の田代さんで、ムーミンパパの高木均さんを探したのは僕。劇団『仲間』の友人の芝居を見に行ったら彼が出ていた。芝居終わった後、ロビーで『よかったですよ』って言ったら、初対面なのにチューインガムをくれた。それが、そこに落ちてたやつ(笑)。で、彼のワーゲンで家まで送ってもらった。その頃、彼は日活の映画で凶悪な悪人役で、素っ裸で人を撲殺するような怖い役ばかりやっていたが、私はチューインガムとワーゲンの印象で決めた(笑)。
R0012305アフレコは初体験でした。今までアフレコをやったこともないような人が、岸田さんがやるならやりましょと、岸田今日子を中心にばたばたっと決まって反対がなかった。岸田今日子に合わせるための配役ですとていうと、関係者たちもみな黙った。岸田今日子も、スナフキンも声優やるなんて思いもよらなかった。だから田代さんは苦労したらしい。高木均なんて、画面が口を動かしたところから、息を吸い始めるんですよ。だから必ず、一呼吸遅れる。で、どうしたかっていうと、とりあえずOKして、後から全部ずらして(笑)。声優としては、ノンノンのお兄さんスノークが広川太一郎だね、これはみんなの意見が一致した。彼はアドリブの名手で、前回、アドリブで言ったことを採用して、今回の脚本に全部書き込んでいった。そしたら乗っちゃって、スノークの役作りに貢献した。他の役者もいいアドリブが出ると次の脚本に書いてあって。特にアニメ系の役者たちはすごくテンションが上がった。それが製作が私たちの手から離れたらパッとなくなった。だから声優たちから反乱が起こった・・でも、これは別の話。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

vol.1 楽しかったムーミンの制作現場

header_otsuka

‐‐‐‐まず、大塚さんはどういういきさつでムーミンに出会いましたか?

大塚 僕は東京ムービーで『ルパン三世』をやるということで、説得されて東京ムービーに移って来たんです。そしたら、先に『ムーミン』って企画あるんだけどって、ルパンの準備で一緒だったおおすみさんを紹介されて。
いまムーミンブームが再燃で、原作者のトーべ・ヤンソンが一番はじめの私たちがつくったアニメのムーミンは認めないって言ってると噂されていますが、僕自身は原作のキャラクターを変えたっていうつもりはなかったんですが・・・。
今、インターネット見ると、原作と似てるか似てないかが基準になる。昔はおおらかな時代だったから今とは違うんですね。

‐‐‐‐おおすみさんは?

おおすみ 当時、僕は人形劇をやっていたので、ムーミンの原作は知っていました。山室静さんの翻訳が良くてね、特に「ロンリーマウンテン」を「おさびし山」と訳すセンスは大好きでした。でも、内容は静的すぎて劇化にはとても無理と思っていました。
それが、アニメ化の話があり、代理店に呼ばれて出席した企画会議は、おどろくべきものでした。『ムーミンにいつも空気入れを背負わせて、何かあるとムーミンはぺったんこになる。ペラペラの紙になって、空気を入れると元に戻る。いいアイディアでしょ?』とか、当時、子供たちには新幹線ブームだったんですけど『新幹線をムーミン谷に通したらどうでしょう?』とかね。もうムチャクチャ(笑)。おそらく原作も読まず、キャラクタービジネスだけが念頭にある人たちだったのでしょう。ただでさえアニメ化しにくい原作なのに。
すっかり意気消沈して、もう辞めよう決意し、会社に戻ったら大塚さんが作画監督に決まっていた。

‐‐‐‐そこで大塚さんと組むことに?

おおすみ 「いえ、劇団もルパンの準備でしばらく留守にしていたし、ルパン三世が再開するまで、しばらく休ませて欲しいと、藤岡プロデューサ(注:1)を説得し、僕が席を立って帰りかけたら、大塚さんが『おおすみさんちょっと待って、これを見て』って。紙をちぎりはじめて、何枚かに続けてさらさらと絵を描きはじめた。すると、ムーミンがぐにゃぐにゃと動いたんです。
それまで、絵を描いて説明する人はいたけど、その場で、「動き」を描いてみせるアニメーターは初めてでした。大塚さんの似顔絵がぐにゃぐにゃっとムーミンに変形いくという、ただそれだけの動きですが、それが良くてね、この人とならムーミンをやれるかも、という気になったんです。
僅か数枚の紙切れの絵が、私の人生を大きく変えてしまった(笑)大塚マジックにかかってしまったんです。

R0012225大塚 一寸誇張が入っていますが(笑)現場も楽しかったですよね。

おおすみ 楽しかったなぁ。ムーミンはアニメとして前例の無いジャンルを作る作業だったんだけど、現場にはそういった緊張感を忘れさせてくれる開放感と楽しさがあった。コンセプトと同時平行でビジュアルを作っていったというのは、あの現場だけですよ。大塚さんとの共同作業で、ムーミンのビジュアルイメージは、どんどん広がった。たとえば、『このやり方は舞台では成功したが、アニメでは無理かな?』と迷ったものも、大塚さんの手でさらさらーっと描かれると、『出来る!』と確信する。そんなキャッチボールができたんです」
大塚さんや 芝山努さん、小林治さん、そういった作画の人と非常に近い距離で一緒に仕事をしたという実感が、濃厚に残っていますね。ムーミンには。

‐‐‐‐コンテンツに関しても順調でしたか?

おおすみ 『空気入れ』や『新幹線』は、さすがに影を潜めましたが(笑)、話がストイックすぎるという代理店のクレームはありましたね。でも公開されると、予想以上に好評な反響があって、特にスポンサーのカルピスが大変気に入ってくれて、それに押されたように、強いクレームは引いていきました。

大塚 ほんと、好評だったですね。

:1  藤岡プロデューサ・・・故藤岡豊さん。東京ムービーの創設者。日本のアニメ界への功労は高く評価されている (wikipedia)

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

vol.9 世界の人を魅了した初代ムーミン

header_otsuka

大塚 実は、台湾の若い世代がムーミンにものすごく詳しいんです。今も放映しているんですよ。何回も。5年おきにムーミンを放映しているんです。

おおすみ 日本の?われわれが作った?

大塚 そうです。間違いなくあのムーミンです。

おおすみ 海外で放送できないってのは、あれ、うそなんですか。

R0012227f_2 大塚 うそうそ。やっているんですよ。去年台湾でサイン会で行ったときにね、みんなムーミン描けって言うんですよ。ムーミンは描けるけど、もう忘れているからノンノンとかスナフキンは描けないよって言ったら、ムーミンでいいから描いてくれって。

おおすみ ムーミンなら、すらすらっと描けるでしょ?(笑)

大塚 きちっと描けたかはわからないけど(笑)。とにかくね、台湾の雰囲気に似ているんですよ。

おおすみ ムーミンが?あー、コミュニティみたいなものの雰囲気が残っているってことでしょう。ムーミン谷が・・。

大塚 そうそう、残っているんですよ。台湾の人たちの心情には、あの頃のアニメがいいんですよ。台湾の業者に聞いてみたら、『最近、日本から買うものがなくなった。どうしてムーミンみたいなのを作らないの?』って。そりゃ時代の流れですよって(笑)。

おおすみ そうですか、台湾でやってるんですね。

R0012330大塚 台湾で放映しているムーミンを見たんですけど、声が柔らかいんですよ。中国語に吹替えていてね。

おおすみ 岸田今日子ほどクールじゃないんだ(笑)。

大塚 台湾で作られた違法コピーが、福建省や広東省に出回っているそうです。そこでも人気があるんだって。日本では意外に知られてないよね。

おおすみ 知らなかった。今の中国や台湾にも、合うってことでしょうね。

大塚 合うんでしょうね。テンポのおっとりしたとことかね。

おおすみ 日本で放送されていた当時も、テンポがのんびりしてたわりには、反響がホットでしたよ。

大塚 そうでしたね。

おおすみ 当時、フォーククルセーダーズの加藤和彦さんが、ムーミン谷には、われわれヒッピーが理想としている共和国がある。そこには理想郷がある。といった文章を朝日新聞に書いていたのを憶えていますが、世間の反応をみて、結構手ごたえあるなって感じてたんです。それが今、中国にある。

大塚 ええ。

おおすみ それが今の日本では、記憶からほとんど消えちゃっているんで、なんでだろう。

大塚 見ればわかりますよ。見てくれれば、われわれのやった仕事は、ヤンソンさんの思想を否定しているとも思わないし、あの当時のテレビのアニメ事情を抜きにしても、時代の流れから言えば、テレビアニメの風潮に抵抗した作品だと思いますよ。

おおすみ 僕自身の記憶として、ルパンはやたら大変だったから辛い記憶も多いけど、ムーミンは気楽にやったせいか(笑)、ルパンと同じメンバーの大塚さんや芝山さんたちと仕事したのに、現場を思い出したら、ムーミンの現場が僕にとってすごく楽しかった。これは記憶にとどめておきたい。

大塚 うんうん、そう。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

vol.3 原作者トーベヤンソンとムーミンの時代背景

header_otsuka

大塚 やっぱりね、ムーミンの原作にあったノーマネー、ノーカー、ノーファイト(注:3)のあの世界を、原作とはちょっと違うかわいらしいキャラクターにする、キャラクターを変えようっていう判断はあの時代においては確実に正しかったと思いますね。

おおすみ 僕はね、今、一番残念なのは、今さらどうしようもないんだけど、トーベ・ヤンソンと膝を交えて、話しをしとくべきだったと後悔しているんです。彼女と話をちゃんとしたらわかりあえただろうなと。

大塚 それは本当そう思いますね。

R0012256おおすみ ノーマネー、ノーカー、ノーファイトは、ムーミン見てもらうとわかるけど、まさにその思想で作っているんですよ。第6話見てもらうとわかるけど、クラシックカーがでてくると、すぐパンクする。パンクの修繕からはじまる。スノークがいろんな文明を持ち込もうとするけれど、全てが失敗している。そういうテーマで一貫している。テーマはノーマネー、ノーカー、ノーファイトなんですよ。だけど、表現のレベルでは、ビジュアルとして車はでてくる。それはくるま社会を否定するためにというドラマの初歩的な手法を使っているんで、ヤンソンさんは本当はわかってくれてるはずだなと信じてた。

大塚 キャラクターが違うとかね、筋の組み立てが違うとか、ヤンソンさんがお怒りになったことはよくわかるんだけど、僕らとしては、あのままだとあんまり静かすぎて、ドラマにならない。日本的なキャラクターと起伏のある筋立てでないと世間に出せない、ドラマに書き換えたのは、特におおすみさんの力が大きかったと思うんですよ。

おおすみ ラルス・ヤンソンという原作者の弟さんが描いたムーミンのコミックス版があります。代理店から参考までにと届けられたので目を通すと、実に自由にアレンジしている。それが一つのよりどころになった。僕らのアレンジもそのコミックス以上にははみ出していないという自信があった。だからテレビ化は絶対大丈夫だろうと。あとになって、弟さんののコミックスにも原作者は不満があったとか聞いたけど、テレビ化が決まると、そのコミックスの日本語版の出版が許可された。それは今でも流通しているわけですよ。身近にいる弟だから辞めろといえたのに、その後も長期にわたってに描かせていたということは、どういうことなんでしょうね。神経質ではあるが、意外に懐の広い人かも、と・・。

:3  ノーマネー、ノーカー、ノーファイト・・・お金、車、戦いを描かないという意味

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 vol.2 ムーミンが高畑勲さんと宮崎駿さんを踏み切らせた

header_otsuka

大塚 結局ムーミンに惹かれて、宮崎駿さんや高畑勲さんもAプロ(注:2)に移って来てくれました。

‐‐‐‐え、そうなんですか・・

大塚 ムーミンを見てこういう企画の作り方もあるんだって、僕たちもやりたいと思ったのです。

おおすみ 少し前から、藤岡プロデューサが、高畑さんや宮崎さんがAプロに来るぞ、来るぞって言ってたんだけど、ひょっとしたら来ないんじゃないかっていう雰囲気もあった。しばらく来なかったのは、彼らが当時いた東映を離れるのをなにかためらっているのでは、と思ってたんですが・・。

大塚 当時、東映では僕を含めて新鮮な企画が通らなくなっていましたから。

おおすみ ちょうどその時期、ムーミンの放送が始まった。それを東映にいたころ観てたんですね。

大塚 そう、・・ムーミンは東映で大騒ぎになったらしいです。僕は立ち回りや大きいもの、怖いものは得意だけど、可愛らしいものは苦手だと思われてたので大塚さんだって、あんな可愛らしいものが描けるじゃないかって評判になったそうです!それで宮崎、高畑、小田部さんが、3人ともムーミンを見て、Aプロに行こうと。あそこなら可能性があるって来たんですよ。

おおすみ そういう経緯があったんですか。

大塚 結果としてムーミンは手伝えなかったけど、ルパンの後半あたり手伝ったよね。

おおすみ ええ・・たしか匿名ということで。

大塚 ルパンは彼らのやりたい企画じゃなかったんでプロデューサーが自分たちの好みに合う企画を立ててくれないと手も足もでないでしょ、それでそのあと高橋さん(瑞鷹エンタープライズ)のところに行って、「ハイジ」や「母をたずねて三千里」をやったんですよ。

おおすみ 宮崎さんや高畑さんたちの出入りが、そういう経緯だったとは知らなかったけど、ムーミンという作品に惹かれたのは、なんとなくわかるな・・・あの時期、僕もね、舞台の仕事も含め、大きな壁にぶつかっていて、ムーミンを創ることで救われたことは確かなんですよ。それは何かっていうと、当時、信奉されていた、イデオロギーによる『大きい物語』、つまり、悪を階級悪と設定して、その悪を倒すのは、個人的ヒーローじゃなくて、階級的団結だと。今考えると、非常にナンセンスなんですけど、硬直したリアリズムが僕らの中にどっぷりありました。

R0012260大塚 ありましたね。そういう時代だったからね。

おおすみ 『大きい物語』が世の中の動きに機能できなくなって来たんじゃないか、という疑問を持ちはじめたちょうどその頃、ムーミンという企画がきた。これは突破口になるのでは、と直感しました。原作そのものはアニメーションにするにはすごく遠い作品です。原作の世界をアニメの世界に持ち込むためにどうするかって考えたときに、これにはまったく参考がないなと、ディズニーまで含めてね。

大塚 そうですね。

おおすみ ああいう世界はアニメに例がないと。これはどうやったら、スタッフに浸透していくだろう…と思った時に、ご本人 を目の前にしていうのは初めてだけど、大塚さんの理解力ってすごいなってと思いました。今までにないものを提示したんですから。

大塚 そうじゃなくてね、僕はAプロに、「巨人の星」の手伝いとルパンの準備っていうことで行ったら、ポンと出てきたんですよ、ムーミンが。おおすみさんと出会って、人形劇の舞台で子どもたちの反応をよく見ているおおすみさんの意見がものすごく新鮮だったんですよ。なるほど!と。演出家って大きく二種類あって、思想家であると同時に技術、絵コンテが描けたり出来るタイプ。もう一つはアニメーションの技術をマスターしてなくても映画作りの勘所を抑えられる人、そう思うと二つでしょ?どっちかひとつでいいんですよ。コンテなんてあとでもいいんですし。おおすみさんは、ものすごく言葉を使うわけ。ここがこうで、ああで、面白いぞー、楽しいぞーって。大量の言葉でコンテマンやアニメーターを説得する能力には驚きました。かって会ったことのない演出家で、話を聞いているだけで面白い映画の予感がありました。そこで精力を使い果たし『あとは任せたよ』つってね(笑)。

おおすみ 僕が面白かったのは、しゃべったことがリアルタイムで絵になっていったということですね。

大塚 (笑)それはテレビアニメーションの原点で、直ちに視覚化することで演出家とイメージを共有出来ますから。素早く描かないと意味がない。僕や宮崎さんはそういった訓練をしてきていたのです。

:2  Aプロ・・・東京ムービーの制作プロダクション

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

vol.4 アニメは原作者になにをフィードバックしたのか?

header_otsuka

大塚 ヤンソンさんも作家として、僕らのアニメが向こうでヨーロッパで流れて人気が出て見直したんですよ。アニメが押し寄せて、フィンランドも、イギリスでもパリでも大人気になったから。

おおすみ 海外で放送禁止だったんじゃないんですか? 僕らが作った東京ムービー版のムーミン?。

大塚 放送もしてましたし、海賊版ででまわって、一気に出る。今は、海賊で野放しに出て行きますから。

おおすみ ヤンソンさんがOKしたという「楽しいムーミン一家」。あれしか海外に出せなかったというのはうそですか?

大塚 うそですよ。

おおすみ えー!そうですか。
ちょっと裏話みたいになるのですが、フィンランドにあるムーミンミュージアムの中に、ムーミン谷のセットがあって、シンボル的なムーミンの像が立ってるんですよ。ヤンソンさんが、亡くなる直前まで手を入れて満足して完成させたといわれているものです。やっぱりヤンソンさんも、テレビの影響を受けていたんでしょうね。どういう経路でそうなったかわからないけれど、そのムーミンのキャラクターは明らかに大塚さんの描いたムーミンの影響が出ているんです。頬の線が、目の形を変える、頬の線がすっと入っていて、目があるというのが大塚さんの絵でしょ。トーベ・ヤンソンの挿絵はもっとイラスト的な2次元優先の、あえてペタンとした絵を描いていた。

R0012249大塚 アニメーションは、動かすことが前提ですから、微妙なニュアンスだけでできた絵は無理なんですよね。目なんか、こう丸いけど、ちょっと上を切っただけで悲しそうな顔になるし。

おおすみ 変化することが前提ですね。しかも瞬時に見分けがつくこと。特に小さな子どもに見せるために、ムーミンのお母さんにエプロンかけて、ノンノンにリボンをつけ、スナフキンにはかつらをかぶらせて、ひと目でわかる仕分け、あれはかなり試作し、検討した上での、意図的な採用でしたよね。

大塚 意図的って言えば、ヤンソンさんは、ちょっと見たところでは区別のつかない絵を狙って描いているんですよ。よく見れば、わかるみたいな。

おおすみ お互いプロとしての領域がある。その上で、お互いいい影響を与え合えれば理想ですよね。90年版の『楽しいムーミン一家』でしたっけ。日本に来てヤンソンさん自身が監修した。あれでもね、スノークがあの鬘を被ってましたよね。あれは僕らが苦肉の策で採用したものです。裁判所でスノークが一度っきり被った裁判官の鬘でした(笑)。それを彼女は採用した。

大塚 そうでしたよね。彼女ね、ずいぶんテレビの影響を受けてると思う。ムーミンの存在がテレビで世間に知られてから。テレビで人気が出て、世間に認知されれば、動かせないでしょ。モンキー・パンチさんもそうですよ。ルパン描いてて、大塚ルパンに似ちゃうっていうんですよ(笑)。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

| | コメント (0) | トラックバック (0)