麗しい

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 今年は令和の元号になって4年目になります。新しい元号に用いられている「令」は、(「朝日新聞」2019年4月20日付の記事にあった)国文学者の中西氏によると「品格のあること、尊敬を受けること。そういう意味での『よいこと』が令です。そして、令に一番近い日本語は何かといえば、『うるわしい』という言葉」だそうです。

 「うるわしい」には、気品がある、心温まるような感じという意味もあり、それは外面的に取り繕ったものではなく、そのものが持つ内面的な気品や温かさなのでしょう。だから、「うるわしい」という言葉の響きには、内から湧き出る喜びや心の高鳴りを感じさせられるのかもしれません。

 ある人が、苦しみを担うことを「うるわしい重荷」と表現しました。

 イエス様は言われます。「来なさい。重荷を負うもの。私があなたを休ませる」。(参 マタイ11・28~30)

 苦しみや悲しみを一人で担うには荷が重すぎます。だけど自分の重荷をイエス様に預けるなら、私の重荷は軽くなり、苦しみによってイエス様の愛を感じることができるのです。そして私も誰かの重荷を一緒に担ってあゆむこと、誰かの悲しみや苦しみを分かち合うことで内面的な豊かさに導かれるのかもしれません。

 世界には貧困や戦争、あるいは病気や思いがけない事故、天災や人災などで苦しみ悲しんでいる多くの人がいます。そうした人たちのことを思い起こすこと、そして祈ること。直接、支援の手を差し伸べられなくても、私たちには「うるわしい重荷」を担う機会が多く与えられています。

 他者の「うるわしい重荷」を担い合うことで、世界に平和が広がっていくことを願いたいと思います。