■世界に通用する三船敏郎
『グラン・プリ』(1966年)でジェームズ・ガーナーやイヴ・モンタン、『レッド・サン』(71年)でチャールズ・ブロンソンやアラン・ドロン、『ミッドウェイ』(76年)ではチャールトン・ヘストンやヘンリー・フォンダ……三船は世界のスターたちと肩を並べる存在だった。
映画関連の著書が多い作家・映画監督の山本俊輔氏は、こう語る。
「黒澤明監督作の主演俳優として、その名は海外に轟いていた。それにやはり、三船さんぐらいインパクトのある役者さんだと世界に通用するんです」
海外の監督たちが熱烈なラブコールを送ったのだ。
「なにしろ、ジョージ・ルーカス監督は1作目の『スター・ウォーズ』(77年)で、主人公の師匠のオビワン・ケノービ役に、三船さんを想定していたわけですから」(前出の青井氏)
また、スティーブン・スピルバーグ監督は、『1941』(79年)で敬愛する三船を起用している。
「ただ、三船さんは当時、制作会社、撮影所、芸能プロを兼ねた三船プロを経営しており、あまり日本を留守にできなかった。その事情がなければ、より多くの海外作品に出ていたはずです」(前出の映画雑誌記者)
三船同様、日本での作品が海外で高く評価されたのが、真田広之の師でもある千葉真一である。
「空手アクション映画『激突! 殺人拳』(74年)がアメリカで公開され、コアな映画ファンを中心に受けた。クエンティン・タランティーノ監督が激推しし、キアヌ・リーブスも大好きだとか。千葉さんは“サニー・千葉”として、彼らのスターになったのです」(青井氏)
こうした下地もあり、千葉はハリウッドへの夢を抱き続けた。元マネージャーの村上和義氏は、こう振り返る。
「『ザ・ヤクザ』(74年)などハリウッド映画で実績のある高倉健さんに、“千葉は世界で活躍できる俳優になれるぞ”と言われたこともありました」
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