誰もアニメの話を聞きにこなかった!?

藤田 ではもっと具体的に聞かせてください。日本橋の事務所には動画机があって、それに毎日電気を入れて、という日々を送られていたんですか?

小田部 いや、本当にただの事務机でしたね。そのころはまだコンピューターもないですし。

應矢 (スクリーンを指して)こういう彩色のお仕事もされていたんですよね?

小田部 ああそうそう。いわゆる攻略本の中の取説ですね。これは何作目でしょう? コクッパが出ているから『スーパーマリオブラザーズ3』かな。

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_04
小田部氏が手掛けた『スーパーマリオブラザーズ3』の一枚絵。

藤田 こういうものを東京で描いて、京都へ持っていって宮本さんにチェックしてもらっていたわけですね。

小田部 そうですね。これは画用紙に描いて、チョチョッと色をつけたりしています。こんなのをいくつか描いたりすることも仕事のひとつでしたね。宮本さんに直しを言われたら直しますけど、ほとんど言われませんでした。

應矢 小田部さんが描かれたマリオですが、藤田さんがこの映像を発見してくれたんです。

藤田 これは『スーパーマリオワールド』のビデオの説明のトップにある、15秒ぐらいの映像です。これは小田部さんがやられたんですよね?

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_05
人の手で卵にヒビが描かれていく。何が出てくるかとマリオが興味津々。
クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_06
ポン! と出てきたヨッシーに飛び乗って、マリオがVサイン。線画に色がのる。

小田部 ……なつかしい! こんなこともやったんですねー。これ、ヨッシーですね。

藤田 なんだか他人事ですね?(笑) ここに人の手が出てきますが、これは小田部さんの手ですか?

小田部 たぶんそうだと思います。

藤田 このビデオの巻末のスタッフロールのオープニングタイトルのところに、ちゃんと小田部さんのお名前が。

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_07
「制作に小田部さんが関わった証拠です」と、藤田氏。

小田部 あー、ちゃんと(笑)。

藤田 プレイ動画は『ポケモン』の田尻智さんで、たまたま小田部さんとお名前が並んでいて。『ポケモン』の源流がここに! みたいな感じですけど(笑)。

小田部 いまのポケモンの社長の石原さん(石原恒和氏)が作ったクリーチャーズ、いや、もっとその前身の会社かな? そこでプロモーションビデオを作るのでというので、このアニメーションを作ったんです。

藤田 こういうお仕事はほかにもやられた記憶はありますか?

小田部 『ヨッシー』関係で糸井重里さんが何か文章を作ったものに、マンガみたいな挿絵を描いたことはありますね。それも宣伝素材だったんですけども。

應矢 完全にアニメーションしているものはあまりないですか?

小田部 あんまりないです。

藤田 ちなみにこのアニメーション、ヨッシーの背中にマリオが飛び乗ったあと、Vサインするところまで一気にいくんですよ。

小田部 あーほんとだ。けっこう大胆にやってますね(笑)。

藤田 また他人事(笑)。これ、小田部さんがやったんですよ? すごい大胆ですよ?

小田部 気楽にやったんでしょうね(笑)。

藤田 任天堂に入って、絵を動かしたいという欲求はあまり感じておられなかったんですか?

小田部 そうですね。むしろ、マリオをキャラクターにしていくという仕事が主で。それも、自分勝手にやるのではなくて、必ずディレクターに見せて。意見を聞きながら進んでいきましたね。

藤田 後にニンテンドウ 64が出て、マリオがリアルに動きだしたんですが。当時はモーションキャプチャーのリアルではなくて、どちらかと言ったらアニメの動きでした。このとき任天堂のスタッフさんは、小田部さんにいろいろ指示を仰いでいたんですか?

小田部 ……。ところがね、僕は少しはアニメーションのことを知っているんだから、聞いてくれてもよさそうじゃないですか?

藤田・應矢 (笑)。

小田部 不思議な会社でね、みんな頑固なんですよ(笑)。まず、自分で1回やってみるっていう、そういう根性みたいなものがあって。僕に聞いてくれればアドバイスもできますよね? でもそういうことはなしで。聞かれなければ何も言う必要もないと思ってね(笑)。

藤田 僕はてっきり小田部さんが動きにチェックを入れていたと思っていたんですが。

小田部 いやいや(笑)。

藤田 それこそ『ゼルダの伝説』のああいうアクションも……。

小田部 『ゼルダ』が途中で変わったじゃないですか。「あれは小田部のせいだ」と言われたことがあるんですよ。(編註:『ゼルダの伝説 風のタクト』のことをおっしゃっています)

藤田 東映っぽく?(笑)

小田部 はっきり言ってしまえば、『わんぱく王子の大蛇退治』のキャラクターにそっくりなんですよ。だから、東映にいた僕が入れ知恵をしたに違いないってね(笑)。でも、じつはそんなことはぜんぜんなくて。

藤田 初代『ゼルダの伝説』のキャラクターに関しては小田部さんがクリーンアップに関わっておられるんですか?

小田部 ディスクシステムで初めての『ゼルダの伝説』、そのプロモーションビデオを作ろうというので、大阪にあるプロモーションビデオの制作会社に監修に行くというのが僕の最初の出張でしたね。僕はゲームのことはなんにも知らないので、現場の人がひとりついてきてくれて。ゲームをどうコマーシャルにしていくかということで、その人がちゃんとゲームのことを話してくれたおかげで監修できました。『リンクの冒険』では、ちょっとキャラクターの絵を描いたかな。『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』では、現場のデザイナーがちゃんとやってましたね。……先ほど話した例のアレが出てこないですね。

藤田 『風のタクト』の絵が見たくて、当時ゲームキューブを持っている友だちにビデオに録って見せてくれと言ったら、ゲームキューブごと貸されて、けっきょく全部やりました(笑)。

小田部 ああそうですか(笑)。

藤田 やっぱりあれは、かなりデザインが『わんぱく王子』なんですが、現代アートも入っていますよね? 葉っぱを顔にするとか。だから僕は、現代アートを東映風にアレンジしているのだと思っていて。小田部さんがアレンジで入っておられたのか、僕自身もずっと知りたかったところでした。

小田部 制作現場の若者たちが何か新しいものを作るときに、過去のアニメーションを見て……。(スクリーンに表示された『風のタクト』のキャラクターを見て)ほら、胴長短足じゃないですか。我々が作った『わんぱく王子』は、日本の神話でしたから、埴輪を参考にキャラクターをデザインしようということで、胴長短足になりました。でも、任天堂の若い人たちは、過去の作品にプロポーションのおもしろさを見つけたんですね。それで偶然似てしまったというか、こういうキャラクターになったという。

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_08
『ゼルダの伝説 風のタクト』のキャラクター。

藤田 これはいいキャラクターだし、いいところに目をつけたなと思って見ていたんです。これも海が舞台ですから、そこで“小田部波”を再現してたらみんな感涙したでしょうね。(編註:1部で小田部さんが手掛けた波の表現の秀逸さについて講演されていました)

小田部 いやいや(笑)。

藤田 小田部さんは、『風のタクト』に関わってはいなかったんですね。

小田部 ぜんぜん関わってないのに等しいです。ディスクシステムで記憶があるのは、絵に描いたものをディスクに取り込んで、京都にも持っていけるし、通信でも送れたことです。昔のコンピューターですから、ドット絵ですよね。僕は簡単に動物や鳥を描いては動きをつけて、京都に持っていってたりしていたんです。馬が走ったり、鷲が飛んだりとかね、そういうものの中に、カメレオンがあったんですよ。「ペロペロ、ヒュン」って、ほら……。

應矢 あ! まさか、ヨッシー……。

小田部 ね、まさかでしょ? だから、僕はいまでも僕の絵からヒントを得てくれたんだなって思い込んでいるの。僕のカメレオンを、ゲーム畑はそれをただのカメレオンにしない。ヨッシーにやらせるんだなと。そういう転換はすごいですよ。でも、デザイナーには無理に聞かず、僕本人で思い込んでる。ひょっとしたら違うのかもね(笑)。

藤田・應矢 (笑)。

應矢 小田部さんは『ポケモン』にも関わられていますね。

小田部 『ポケモン』はね、ゲームが人気なのでアニメーションにしたいという話がある会社から来たんですよ。

藤田 オー・エル・エムですね。

小田部 当時は僕しかアニメーションを知っている人がいなかったので、「会議に出てください」と言われて。池田部長がいたら「アニメーションにするのはこんなにたいへんなんだ」などとうるさいことを言ったりして、ひょっとしたらポシャったかもしれないですけど。僕はのんきでいい加減な性格ですから、その席で「強い意思があるならいいんじゃないですか」と言って、アニメ化OKになったんです。そんな立場だったものですから、僕はタイトル上、『ポケモン』アニメの監修になったんです。監修と監督は字が似ているものだから、僕が監督だと勘違いされたりしてね(笑)。あとは、ピカチュウのあのかわいさが、僕が描いた『太陽の王子 ホルスの大冒険』のリスのキャラクター(チロ)にそっくりだとか、ほっぺたの赤いやつはハイジだとか、いろいろな人から言われて……。もう、宮崎駿だって、「タベさんが描いたに違いない! チロにそっくりじゃないか!」って(笑)。そういうのにいちいち断りを入れて……。

藤田 それはすごい話ですね(笑)。

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_10
『太陽の王子 ホルスの冒険』に登場する、チロ。このかわいさは不朽。

小田部 ゲームフリークのデザイナーも、アニメーションが好きで。僕らが作ったアニメーションも気に入ってくれていてね。

藤田 小田部さんがアニメ化に際して、「ピカチュウをこうしたら?」などといったアドバイスをされたりは……。

小田部 ぜんぜんしてません。むしろ僕は、「ああ、かわいいなぁ」って見ていた(笑)。僕は、ゲームとアニメーションのつなぎ役と言うか、気楽にバカなことをお互いに言ったりしながら自由に話し合える場を作る……、そんな役をしていました。

藤田 それは京都でですか?

小田部 ポケモンが東京にあるので、東京ですよ。

藤田 じゃあ、小田部さんの21年間の任天堂活動は、東京がベースだったんですね。任天堂は太っ腹ですね(笑)。

小田部 すごいですよね(笑)。週に何日か京都へ行ったら、若い人たちと接触して。そのときはたいてい、ゲームに対して思いつくままのラクガキはするんですよ。僕はゲームの仕掛けじゃなくて、「こんなものがあったらおもしろいな」というものをラクガキしてる。それをたまに取り入れてくれたりしてね。

藤田 ブレインストーミングみたいな感じだったんですね。

小田部 いちいちかしこまった会議ではないですね。あと、いちばん大事だったのは、2Dから3Dになったときのことですね。マリオはドット絵では2頭身ぐらいしかないんですよ。それでも絵ですから、いくらでも描けるわけですよね。でも、さあ3Dとなったときに、スタッフが、「小田部さん、これじゃ動きません。困りました」と言って、マリオの等身を上げちゃったのね。それで動けるようになったけれど、2D時代やドット絵時代のマリオのイメージを残したものを作りたかったの。僕はとにかくいろいろなアングルで三面図を描いて、「ついでだから僕もコンピューターを覚えて、自分で作りましょうか」と言ったんです。これはおもしろいと思ったんでね。

應矢 おお、勉強なさったんですか?

小田部 そうしたらスタッフに、「小田部さん、いままであれこれイラストやゲームにケチをつけてきましたけど、自分でツールを触っちゃうと、作れる方向にしか考えなくなりますよ」と言われたんです。

應矢 ああ、なるほど!

小田部 「小田部さんは文句を言えなくなりますよ」ってね。「えっ!?」となって、覚えるのをやめたんです。

應矢 可能性を、できる範囲で制限してしまうんですね。

小田部 だからそれがよかったんです。たとえば『スーパーマリオ64』も、これまでのマリオのイメージを損なわないでいられた。ところがやっぱり、マリオのほかにもピーチ姫だのなんだのと出てくるわけです。マリオでさえモデルをぐるぐる動かしてもらって、「ここは削って」とか「ここにもっと丸みをつけて」と、彫刻家になった気分で指示を出してね。「ほっぺはもっと、こう」とか「唇が薄すぎるからもっとポテッと、やわらかく」とか。目パチだって、「こうただ塞いだらわざとらしいから、ちょっと下瞼を上げて」とか……。

藤田 小田部さんの動きの調整が入っているんですね! 

小田部 そんなことをして、どんどん出来上がっていったの。苦労しましたが、一旦作ってしまうと、いまでも生きてるわけですよね。

應矢 ピーチ姫は、ファミコンのパッケージのものから小田部さん流にしたときには、どういうふうに変えられたんですか?

小田部 ピーチ姫もずいぶん変わりましたよね。描いては宮本氏に「どうですか?」と見せて。何回かやりとりをしています。クッパも、パッケージにあったのはカバみたいな姿なんですよ。宮本氏に聞いてみたら、「じつは東映の『西遊記』に出てくる“牛魔王”をイメージしているんです」と言うんです。牛魔王は牛みたいな姿なんですが、宮本氏は「クッパ一族はカメです」と。「カメか……。カバじゃなくて怖いものはスッポンだな」と思って、ちょっとスッポンに似ているキャラクターにしたんです。

藤田 怖いものがスッポン……(笑)。

應矢 ファミコンのパッケージで城の中にいるのがクッパですが、いま皆さんが知っているクッパとはちょっと違いますよね。

小田部 鼻なんかふたつに分かれてますね。おもしろかったのはね、ヨッシーも、最初は恐竜だと思ってたの。名前もネッシーからきたやつで。恐竜だと思ってデザインしてたんです。

藤田 恐竜じゃないんですか?

小田部 藤田さん、これもカメ一族なんですよ……!

應矢 (笑)。

小田部 最近のヨッシーはちゃんとカメになってますよ。背中の馬の鞍みたいなところ、あれもコウラにしたりしてね。

藤田 なるほど。説明がないとなかなかわからないですね。

應矢 でも、ここにカメ“らしい”と書いてありますから……。

小田部 (笑)。

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_09
ビックリ度も星5つのヨッシーうんちく。

藤田 小田部さんが任天堂でやられていたのは、キャラクターのリライトというか。それをちゃんと動かせるようにして、絵として映えるようにすることですね。

小田部 やっぱりそうですね。僕はゲームとしてどうおもしろいかに関わることはぜんぜんできません。絵として、キャラクターとして、おもしろいものを、ということです。

藤田 任天堂時代にも、ちょこちょこアニメーション作品に参加されていますよね? たとえば宮崎作品の『風の谷のナウシカ』ですとか。

小田部 あれは、任天堂に入る前の仕事ですよ。宮さんが「小田部さん手伝ってくれる?」と言うから、「ああいいよ」と、ごく気軽に引き受けたんです。『ナウシカ』のマンガも読んでいなかったんでね。それでシャカシャカシャカーっとやっちゃったんです。

藤田 絵コンテが来て、レイアウトをきって。

小田部 絵コンテは僕の担当のところしかくれませんから、全体像はわからないし。レイアウトは一応ありましたから、王蟲の足みたいな、触手みたいな、レイアウトにあったものをそのまま原画にすると、かえってレイアウトのよさが崩れちゃうんで、「原画の位置はこれでよろしく」なんてね(笑)。そのくらい気楽に描いて、その後試写を観たら……。

藤田 「その者 蒼き衣を纏いて 金色の野に降り立つべし……」という、重要なシーンだったと。

小田部 「うわっ、こんなとこ!?」って、ね? 宮さんが、「絨毯の上を歩いているような感じで描いてくれ」って言うから「ほいほい」なんつってね。宮さんはこのシーンを大事に抱えて、「誰にやってもらおうか」と考えて、たぶん僕にくれたんだと思うの。でも、僕はそんなこと知らないから(笑)。

クッパのイメージはスッポン。任天堂のキャラクタービジュアルの礎を作った、小田部羊一氏がみずからの仕事をふり返る_11
話題に登場する、『風の谷のナウシカ』の絵コンテの一部。