男同士のバカ話で盛り上がり、ちゃっかり焼肉までご馳走になりながら、僕は学生時代に初めて友人と東京に来た時のことを微かに思い出していた。夜行バスで早朝の新宿に降り立ってすぐ、とにかく最初は渋谷だろという訳の分からない理由で訪れたハチ公像。正直、思っていたよりずっと小さかったハチ公。ただ、その第一印象が間違いだということにすぐ気が付いた。ハチ公が小さいのではなかった。そこで待ち合う人という人の熱気が、相対的に像を小さくみせていたのだ。
四面に広がるオーロラビジョン、109の交差点を行き交うおびただしい数の人という人の波に押されながら、東京には駅ごと、街ごとに異なるカルチャーが存在していることを――情報だけではなく体験することで――地方出身の僕はその時初めて「理解」した。
どんな街にも、その街を存在せしめる歴史がある。そしてその歴史は例外なく、あらゆる小説を凌駕するリアルタイムの人間ドラマから成り立っているものだ。ましてや渋谷というアジア最高峰と言っても過言ではないファッションとクリエイティブの街が舞台なら、生身の人間同士がそこで生きようとする…いや「生き延びる」ために、苛烈なまでの競争が否応なく繰り返されることになる。切磋琢磨といえば聞こえはいいが、時に仲間同士の内ゲバや凄惨な潰し合いすら避けては通れない。しかし、皮肉にもそれこそがカルチャーをつくり出す街にとっての「健全」なのだ。
誰しも街を一人で作れはしない――その現実を誰よりも知っていながら、それでもなお渋谷を愛し、この街で生き続けようとする男が今、僕の目の前にいる。
古澤健太、33歳。"渋谷のクリエイティヴ軍団" をあえて冠詞とする、ナグ クリエイティヴグループ株式会社の代表取締役である。
同社の公式HPを見て驚く人も多いかもしれない。パナソニック・ソニー・サントリー・ナイキ・アディダス・ゴディバ…堂々と名を連ねている有名企業を挙げればキリがない。これほどの取引先を持ちながら、同時にこれほど仕事の実績を表に出せない会社も珍しいのではないか。しかし、一端の社会人経験を持った人間ならば、誰だって痛いくらいに分かるはずだ。こういう会社こそが、この国のモノづくりやクリエイティブの屋台骨なのだということを。
それを証明するかのように、事業内容もSPツールを中心に各種キャンペーンの企画制作、パンフレット、POP、ポスター、カタログ、CIプランニング等という得意分野の紙媒体に留まらず、近年では空間デザイン、コスメ、ダイニング事業にも進出している。全て市場の要求に「愛を持って」応えてきた結果だという。
これだけの輝かしいキャリアを前にしては、つい天狗になってしまう人もいるかもしれない。しかし、渋谷を愛し、かつ渋谷に愛された彼は、この街によって「生かされている」ことに誰よりも自覚的だった。
「この街で凄い人の背中を見ながら、なんだかんだで結構長くやってこれたし。そろそろ社名の前に渋谷を出しちゃっても許してもらえるんじゃないかなと思って…」
見た目からは想像もできない低姿勢に一瞬唖然としてしまうが、その謙虚さから、これまで確かに唯一無二と呼べる数々のデザインが生み出されてきたという紛れもない事実。今回の特集で、その類稀なクリエイティビティの秘密に迫ってみたい。
自分以外のあらゆるヒト・モノ・コトを輝かせるべく、あえて黒子に徹してきた仕事師が、初めて本誌だけに語った独占インタビュー。その半生は同時に、渋谷という街の現代史とも言えるものだった――。(続く)
四面に広がるオーロラビジョン、109の交差点を行き交うおびただしい数の人という人の波に押されながら、東京には駅ごと、街ごとに異なるカルチャーが存在していることを――情報だけではなく体験することで――地方出身の僕はその時初めて「理解」した。
どんな街にも、その街を存在せしめる歴史がある。そしてその歴史は例外なく、あらゆる小説を凌駕するリアルタイムの人間ドラマから成り立っているものだ。ましてや渋谷というアジア最高峰と言っても過言ではないファッションとクリエイティブの街が舞台なら、生身の人間同士がそこで生きようとする…いや「生き延びる」ために、苛烈なまでの競争が否応なく繰り返されることになる。切磋琢磨といえば聞こえはいいが、時に仲間同士の内ゲバや凄惨な潰し合いすら避けては通れない。しかし、皮肉にもそれこそがカルチャーをつくり出す街にとっての「健全」なのだ。
誰しも街を一人で作れはしない――その現実を誰よりも知っていながら、それでもなお渋谷を愛し、この街で生き続けようとする男が今、僕の目の前にいる。
古澤健太、33歳。"渋谷のクリエイティヴ軍団" をあえて冠詞とする、ナグ クリエイティヴグループ株式会社の代表取締役である。
同社の公式HPを見て驚く人も多いかもしれない。パナソニック・ソニー・サントリー・ナイキ・アディダス・ゴディバ…堂々と名を連ねている有名企業を挙げればキリがない。これほどの取引先を持ちながら、同時にこれほど仕事の実績を表に出せない会社も珍しいのではないか。しかし、一端の社会人経験を持った人間ならば、誰だって痛いくらいに分かるはずだ。こういう会社こそが、この国のモノづくりやクリエイティブの屋台骨なのだということを。
それを証明するかのように、事業内容もSPツールを中心に各種キャンペーンの企画制作、パンフレット、POP、ポスター、カタログ、CIプランニング等という得意分野の紙媒体に留まらず、近年では空間デザイン、コスメ、ダイニング事業にも進出している。全て市場の要求に「愛を持って」応えてきた結果だという。
これだけの輝かしいキャリアを前にしては、つい天狗になってしまう人もいるかもしれない。しかし、渋谷を愛し、かつ渋谷に愛された彼は、この街によって「生かされている」ことに誰よりも自覚的だった。
「この街で凄い人の背中を見ながら、なんだかんだで結構長くやってこれたし。そろそろ社名の前に渋谷を出しちゃっても許してもらえるんじゃないかなと思って…」
見た目からは想像もできない低姿勢に一瞬唖然としてしまうが、その謙虚さから、これまで確かに唯一無二と呼べる数々のデザインが生み出されてきたという紛れもない事実。今回の特集で、その類稀なクリエイティビティの秘密に迫ってみたい。
自分以外のあらゆるヒト・モノ・コトを輝かせるべく、あえて黒子に徹してきた仕事師が、初めて本誌だけに語った独占インタビュー。その半生は同時に、渋谷という街の現代史とも言えるものだった――。(続く)
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