講義No.08139

講義No.08139

現代ニッポンの礎をつくった信長の「革命」

現代ニッポンの礎をつくった信長の「革命」

戦国時代は、実はグローバル化の時代

戦国時代を舞台にしたゲームが人気ですが、実際は戦国大名の誰もが全国制覇をめざしたわけではありません。自分の領地を守るのに精一杯で、財産や人命を賭けてまで幕府をつぶす余裕も必要もなかったのです。では、なぜ織田信長は天下統一をめざしたのでしょうか。そこには日本国内だけを見ていては理解できない事情がありました。当時は世界規模で、人の交流や植民地化が急速に進んだ大航海時代でした。高い軍事力を持ったスペインやポルトガルがやって来た日本も、急いで新しい国づくりをして、軍事力を強める必要があったのです。

天下統一は、「革命」だった!

そこで思想家だった信長は、これまでの幕府と朝廷が一体化した権威構造を打ち破り、合理的なシステムをめざそうとしました。その1つの策が、領地争いに明け暮れる大名たちをまとめるために、領地・領民・城郭を取り上げて公有化することです。代わりに大名の実力や働きぶりに応じて石高を預ける石高制(こくだかせい)をつくりました。これは江戸時代の官僚制社会につながっていきます。天下統一は、国内の争いの中で自然となされたものではなく、アジアや世界を見据えて一人で奮闘した信長と、それを受け継いだ豊臣秀吉によってなされた大革命だったのです。

「本能寺の変」の首謀者は誰だ?

その後、信長は本能寺で、家臣の明智光秀によって死に追い込まれます。しかし、光秀を利用して、信長討伐に導いたのは足利義昭だったのではないかと考えられます。室町幕府はそれ以前に滅びたと歴史の教科書には記載されていますが、実際には足利将軍家の権力は生き続けていたのです。 このような史実を、自分とは関係ないものと思うかもしれません。でも、現代の生活・文化・しきたりなどの多くは江戸時代に起源を持ち、その基礎ができあがったのが信長・秀吉の時代なのです。日本史を学ぶことは、過去を明らかにするだけではなく、過去を現代に照らして、社会や国の仕組みを理解することにもつながるのです。

※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。