第2話 異質への適応

 桜花町は決して都会ではないし、ドがつくほどの田舎でもない。そんな曖昧な発展度合いをどのように説明するのか——それは人によりけりだろうが、澪桜は地方都市の一角と言えばその規模や人口をわかりやすく表現できるだろうと思っていた。

 人喰い山最寄のバス停から市内を走るバスに乗り込んで桜花町南へやってきた一行は、バス停から徒歩七分のところにあるカフェに入ろうとそこへ足を向ける。


 雨がしとしとと降る午前十一時、ちょうど昼の仕込みが終わったであろう喫茶店。看板にははっきりと『一見さんお断り』の文字。

 貼り付けられているビラには七芒星ヘプタグラムの中央に瞳のマークという、不気味なものを追求した中学生が作ったようなシンボルが描かれていた。

 澪桜と月喰姫はレインコートのフードからそれらを見て、ドアを開ける。

 まだ『closed』のプレートがかかっているのにも関わらずだ。


「おい看板を——、って、お前らかよ」


 出迎えてくれたのはチンピラのような風貌の、二十代半ばほどの女だ。

 サロンで焼いたとは思えない、自然な褐色肌と金の髪、銀色の瞳。

 筋肉質なボディラインはウエイトレスの制服越しにもわかるほどで、胸筋と脂肪で膨らんだ胸が息苦しそうに張っていた。

 こういうマッシブな女性が好きな層からは熱烈に人気があるのだろうと思われる、そんな外見だ。


 月喰姫は彼女を一瞥してレインコートを脱ぎ、ハンガーラックにかける。下には雨粒の受け皿があり、その隣に澪桜もレインコートをかけた。


「狩場の情報と、アップルティーをアイスで」

「俺は抹茶オレを。アイス、生クリーム付きで」

「あいよ。ドリンクっていうかデザートだろ、澪桜のオーダーって」

「じゃあついでにチョコチップも」


 女は裏手に向かって「玉子、狩場と姫様セット、いつものだ」と言って、「玉子ではなく玉川です」という応答が聞こえてきた。

 なぜか懐かしいというか、……澪桜はどこか記憶に刺さるような気を感じつつ、席についた。

 奥まった角のテーブルは彼らの指定席で、いつも開けてある。


「狩場って言っても、いつもの場所を回るだけじゃ怪しまれるんじゃねえかな。警察、自警団紛いの連中、そして術師・・


 筋肉女——由奈ゆなと名乗っているそいつが言った。


 八洲皇国では四半世紀ほど前に収束を見ているが、一度内乱騒ぎが起きている。

 それゆえに増えた無法者から身を守るために、地方自治体は自警団組織を認可する形で運用していた。

 しかし自警団は段々と図に乗って、今では場合によっては行き過ぎた私刑すら行うとして、国民からは疑問の声が出ていたりする。

 そういった違法と合法の綱渡りをするがゆえ、緩いところもあり——そこが月喰姫を始めとする人外に住み心地の良さを与えていた。


「並の術師じゃ私は倒せないよ。大切な子もいるからね。女は可愛い子がいると強くなれるから不思議だ」

「惚気るな、月狂いの人喰いめ」

「ご先祖様と同じように顎を引き裂いてほしい?」


 月喰姫の目が由奈に向けられ、両者が睨み合う。

 そこにのっそりと長身痩躯の男が現れた。ウエイターの一人で、口以外にはパーツが——顔がない、玉子のような頭部の男である。


「アップルティーと抹茶オレ、それぞれアイスで。……喧嘩は犬も食わないといいますよ、二人とも。まして若い子がいるんです。分別くらいつけなさい」

「玉子、余計なこと言わないで。……ったく。で、狩場は?」

「玉子ではなく玉川です。えーと、西三丁目辺りが一番手薄ですね。他の妖に目をつけられていた場合、縄張り争いとなりますが」


 月喰姫はアップルティーをストローで啜り、差し出された電子ペーパーを受け取る。

 澪桜は生クリームにチョコチップが乗った、本当にドリンクじゃなくてデザートとしか思えない、おしゃれコーヒーチェーン店の一杯のようなそれをスプーンで掬った。


 電子ペーパーにはマッピングされた情報が記載され、監視カメラの死角となる路地、そこへ至るルートなどが細かく書き込まれていた。

 近隣の警備状況や人通りにはタグづけされ、活動紙面までドロップしていくとその映像が流れる。


「どうも。報酬よ」


 どこでどう稼いでいるのか不明だが、月喰姫は現生の束を入れた封筒を差し出した。厚みからして二十万葎貨りっかはあるだろう。

 玉川はそれを受け取って、重みと厚みで金額を察して「どうも、今後もご贔屓に」と頷いた。口しかない顔に笑みが浮かび、慣れているとはいえ澪桜はちょっと不気味だなと思った。


 妖怪や土着信仰の神々——そういった、世間一般には存在しないとされる異形が平然と息をして人間社会に紛れていることを知ったのは、月喰姫と出会ってからだった。

 今まではそんなものは漫画やゲームなどの絵とか活字とか、グラフィックの仮想世界にしかないと思っていたのである。その考えはなんらおかしくないし、むしろそう思っていられる方が幸せなのだろうとすら思えていた。


 けれど澪桜はお札を手に取り彼女の封印を解き、この世へ顕現させてしまった。

 結果的に寵愛を受ける身となった澪桜は、月喰姫と接していく中でそういった異質なものを知り、触れ、そしてその文化と交流を持つようになったのである。


 普通に考えれば、自分たちの方が退治される側なのだろう。

 澪桜は異質な世界に巻き込まれた被害者として扱われるにせよ、異形の殺しや捕食を幇助ほうじょした罪に問われるにせよ……正義という曖昧なものを振りかざす連中の仲間に加わるつもりはなかった。


 飲み物を空にして、二人は席を立つ。月喰姫は電子ペーパーを畳んで、身につけている質の良さげな黒いスーツの内側にそれをしまった。


 外の雨脚は弱まってきているが、霧雨という具合には雨粒が舞っている。

 きっと今日も叔父は帰ってこないし、誰かが澪桜の存在を求めることもない。

 職務上家に担任が伺いにくるのだろうが、心配などはしていないのだろう。

 もしそんなそぶりをすれば、中学校がいじめを認めなくてはならなくなるのだ。


「澪桜、食べてほしい人でもいるのかな。言ってごらんよ、私がいくらでも食べてあげるから」

「うん。……食べてほしい人は山ほどいるからな。流石にそいつらみんな食ったら、怪しまれるって」

「そうかな。案外、なんでもないように世の中は回ると思うが。良くも悪くも大半の人間が消耗品になっているのが現代だからね。替えはいくらでも利く」


 残酷に、けれどどうしようもない事実を月喰姫は淡々と告げた。

 入口のハンガーラックにかけていた黒いレインコートを着込んで、澪桜と月喰姫は店を出た。


 最悪の人喰いとの日常も、もう九ヶ月。流石に慣れてくるもので、彼女とその界隈の会話にもいちいち驚くことも無くなっていた。

 こうやって異質な世界に適応していくのだろう——澪桜は他人事のようにそう思った。

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