第6話 彼らが向かう先は
6
四ブロック先の、旧市街と荒野の境目たるそこには外骨格を残し、腐敗するまえにその肉の大半を食われたヌノサプンソがいた。腐っている肉を、八〇センチもの大きさがある
蝿がたかり、きっとウジが湧いているのだろうがロイバュースは特に気にするでもなく食事に明け暮れていた。
「お前たちは待っていてくれ。いざとなれば置いていってくれていい」
「その命令を受諾することはできませんね。助け出します」
「私もだよレン。人狼族は義理堅いんだから」
「そりゃあどうも」
限られた空間内だ。拳銃といえども四三〇ミリもの全長があるので取り回しがやや難しい。レンは胸元のホルスターから七インチほどの刃渡りがあるサバイバルナイフを抜いて、周囲を睨みつつコンビニに入る。
漂う腐敗臭に顔をしかめた。ヌノサプンソの匂いがここまで押し寄せているのか、それとも……。
ああ、とレンは思った。
そういうことなんだな、と。
察することはできていたのに頭から締め出していた考えが現実のものとなって、レンは口をぎゅっと結んだ。
信仰する神などないレンに、祈ってやることはできないが……横たわる、自ら頭を撃ち抜いたハンターの首から提げられているドッグタグを手に取った。なぜか三枚あったが、一枚はドルバ・タージンと書かれていた。戦友だろうか。
そのドルバというタグと、男のタグ——ユージーン・ロッグというそれをもぎ取った。少なくともユージーンのタグは、一枚は遺族に渡る。
それから脇に置いてあって、封筒に入れられている恐らくは遺書であろうそれも回収した。
肝心のデータを死体を弄って、手に取る。スティック状の記憶媒体だった。おそらくこれだろう。
レンはユージーン・ロッグに向き直り、右の拳を心臓に当てるハンター式の敬礼を取った。
瞑目し、その生命と魂が巡ることを願って再び目を開けた。
コンビニを出て〈ネメシス〉に乗り込んだレンの様子を察して二人は気持ちを切り替えるように、「主人様、あとは帰還するだけですね」「こんなコンクリの地面に蜘蛛野郎はいないわ」と口にした。
「街へ戻ろう。さっさと戻ってゆっくり——」
言葉を遮ったのは轟音だった。続いてセンサーが警告を告げる。
モニターの一つには、背後の荒野から顔を出して〈ネメシス〉を狙っているツチグモ。
「砲塔旋回! ロア、全速力で走れ!」
「了解!」
砲塔が後ろへ向いた。〈ネメシス〉は南東、ポリスへ向けて走り出す。ここいらのツチグモの本来の生息域は北のスパイドール山なのだが、なぜこんなところにとレンは舌を打った。
弾種、霊光炎熱爆轟弾。
「目標よし、弾種炎熱爆轟弾! 撃ぇ!」
トリガー。荒々しくも鋭い砲声を響かせて八八ミリ霊光炎熱爆轟弾が飛び出して、間をおかずにツチグモの顔面にぶち当たった。活性化した信管が霊光回路を起動させて、爆轟をもたらす。
衝撃波を伴う爆炎が溢れ出し、ツチグモの巨体が
遅れて轟音、舞い上がる砂塵がツチグモの死骸を覆い隠していく。
だが——
「なんで山からこんなに下ってきてんだ」
荒野の向こうから、さらに三体のツチグモ。
久しぶりの獲物にありつこうと八本の足を激しく動かして迫ってくる様子は、なにかに取り憑かれたかのようではっきり言って恐怖よりも気持ち悪さが優った。
レンは手元のコンソールを操作して弾種変更。
「目標よし、弾種
狙いは先頭の一体、その頭。
レンはスコープのレティクルにツチグモの八つの単眼が重なった瞬間、トリガーを押し込んだ。
重たく鋭い砲声、放たれる霊光珈琲煙幕弾。
ツチグモの鼻面に砲弾が直撃。弾頭を覆うカバー部分が爆圧で吹き飛び、圧縮されていたカフェインの煙幕がバシュッ、と溢れ出した。
辺りにコーヒー豆色の煙が噴霧され、ツチグモたちが一斉に膝を折った。
「よし!」
やつらはそれでも執念深くレンたちを捕食せんと立ち上がるも、脳の中枢神経がカフェインによって麻痺させられ、満足に歩行することもできない。
蜘蛛はコーヒーを飲むと酔っ払う。
このトリビアは誰にも相手にしてもらえず、昨日街でこの珈琲煙幕弾を売っていた男は「一発あるだけで生き延びられるぞ!」と力説していた。
レンは「目眩しにはなるだろう」という程度で買い、いざチャレンジしたのだが……まさかここまでてきめんに効果をもたらすとは思わなかった。
〈ネメシス〉の高速機動に、耐Gスーツを着ていない普通のウェアウルフであるラヴィは具合が悪そうだった。
「ロア、歩行状態にしてくれ」
「了解」
「ラヴィ、深呼吸。そこに袋があるから、吐くんならそこでしてくれ。掃除が大変だ」
「わ、わかった」
間も無くしてラヴィが青い袋に顔を突っ込み、激しく嘔吐した。
カレーの匂いがする甘酸っぱい香りの吐瀉物が入った袋を、彼女は「もったいないことした……」と言いながら縛り付けるのだった。
自然の中で勝手に分解されて消える青いエチケット袋は、休憩のために止まった丘陵地帯の土を掘って埋め、それからポリスへ戻るのだった。
×
「指定のデータだ」
ラヴィが増えたことで追加で二万リム支払うことになったが、支払いついでに検査員に物資補給の進捗を聞くとあと二、三日で終わるらしい。
回収したメモリスティックをギルドの受付に見せると、彼女はそれをデバイスに差し込んでざっとチェックした。顔からどんなデータが入っているのかは窺えないが、興味はない。
この業界は知りたがりから早死にする。
「確かに。報酬は全て現金で?」
「物資補給に使う金と、物資が揃うまでのギルドで使う飯代、部屋代を差し引いた額を現金で」
「わかった」
隣ではロアが艶やかな笑みを浮かべ、ラヴィは空気を読んで席を外していた。
「とりあえず二部屋借りる。できればローションと」
「その子、ヤれるのね。まあ戦闘用にしては無駄に肉付きがいいし。はい、部屋の鍵。もう一つは私と同族の女の子に渡しておく」
「どうも」
鍵とローションを受け取り、レンはさっさと階段を登っていった。
ロアは既にその気で、人気がなくなると遠慮なしに股間をまさぐって来る。
随分と溜め込みすぎた。マスターベーションすらしていないのだ。なんならもう、今この瞬間にでも果てそうなくらいだった。
「しばらく女の体がトラウマになるまで搾り尽くして差し上げます」
「色狂いめ」
部屋の前でゆっくりと、舌を這わせあうキスをしてから中に入った。
隣の部屋からも激しく盛り上がっている声がして、レンは雰囲気も何もなく衣類を脱ぎ捨てた。
ロアも余計な装甲パーツを切り離し、レンがパンツに手をかけているとき、不意打ちのようにベッドに押し倒す。
×
三日後——
大陸暦一六八五年 四月二十三日 火曜日
旧エルゼリア皇国イズール領 ポリス・オーロフ 駐機場
「市長からだ」
出立の前、ラヴィが〈ネメシス〉の最終チェックをしていると検査員のまとめ役だろうか、生身であろう灰緑色の肌をしたオーク族の女がパンパンに膨らんだ袋を差し出してきた。
「賄賂か」
「違う。迫るツチグモの脅威に、珈琲煙幕弾が有効だと示した功績を讃えられているのだ」
「ロア」
隣のロアが袋に視線を巡らせる。
結局この三日間、少なくとも午後五時以降、レンはロアと狂ったようにセックスに明け暮れた。最終日に至っては朝から夜の十一時までずっとだ。
おかげさまで溜め込みすぎていた劣情はすっかり収まり、心なしか随分と体が軽くなって思考もクリアだ。
「これからはこまめにエッチしたら?」とは、毎朝ゾンビのような顔で起きてくるレンに、今朝ラヴィがかけた言葉である。
そのラヴィも、最終日にはムラムラしたとかで部屋にやってきて、ゴムをしたレンの上でよがり狂い、獣のような嬌声をあげていたわけだが。
「三〇〇万リム。怪しげなタグや発信器、薬物の危険性はありません」
「随分羽振りがいいな。さては珈琲煙幕弾で一儲け、って腹か。ありがたく受け取っておく」
「……そうしてくれ。こちらとしても出したものは戻せんからな」
よく言う。レンは今にも舌打ちしそうな女を見てそう思った。
人としての美徳で、あるいは遠慮して「こんな大金受け取れません」とでもいえば、向こうは「せめて感謝の意だけでも」と体よく金を収めて己の懐に入れるのだ。
相手が悪い。
法というものよりも、ハンターとしての掟を重んじる連中にそんな情緒を期待してはならないのだ。
「だいじょーぶ、レン、いつでもいける!」
動きやすい衣類の下に耐Gスーツを着込んでいるラヴィがそういった。レンは軽く手を振って、そちらに戻った。
オークの女は握り拳を振り解いて、「これだから野蛮人は」と小さく吐き捨てた。
「さて、次の目的地は西のポリス・アキツガイだ」
「ここいらではメカニックが多く集まる街ですね。良質な鉄鉱が取れるとかなんとか」
ロアが言った通り、レンの目的はそれだった。
ラヴィが使うエンジニアツールと、あとは諸々の装備を揃えること。カーゴをただの物置ではなく、居住可能なものにして野営の際にベッドで寝られるようにもしたかった。
「レンって、絶倫だよね。びっくりしたよ」
駐機場から出て、朝日に照らされているオーロフ丘陵地帯を睨んだレンにラヴィがそう言った。
ロアも「私一人では苦労するので、ラヴィ様もお手伝いいただけて幸いですよ」などと言う。
なんというか馬鹿にされているのだろうか——レンはぽりぽり頬を掻いた。
「ほら、さっさと行くぞ。俺には行きたい場所があるんだ」
ロアが口を引き結んで、ラヴィが「どこ?」と聞いた。
レンは計器の類をチェックして、言った。
「竜の里、ドラグニア。
——歩行機動で前進開始。次の目的地はポリス・アキツガイだ」
滅葬のクロスソウル:The pilot version — 残照の墓標 — 雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き @9V009150Raika
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