第4話 オオカミ少女に抗生剤(2022/09/06 改稿)


第4話 オオカミ少女に抗生剤


4


 翌日、諸々弾薬などの仕事道具を補給したレンたちはERAを駐機場から出してポリスから北西にある旧市街に向かっていた。

 四つ足の全地形対応多脚戦車ビークル型ERA、〈ネメシス〉は操縦席に座るロアの操作で歩行し、時速四〇キロほどの速度で進んでいく。

 こういった歩行車両によって出す時速四〇キロは当然速い方で、実際には歩くというよりかなりの早足、あるいは駆け足というに近い歩行姿であるが、二〜三倍以上の瞬間速度が出る高機動による『走行』と区別するため平時の機動については歩行というのが多脚型ERAの共通項だった。


 車内にはラジオが吐き出す旧時代のポップスが流れ、インスタントコーヒーの芳醇な香りが満ちている。

 このコーヒーの素は以前の依頼で助けたキャラバンが「これ、次の街では違法なんだ」と言って格安で売ってくれたものだった。

 普通、生産地が限定的な本物のコーヒーは高級嗜好品であり、かなり高値で取引されるのだが、あれは本当に幸運だった。


「主人様、弾薬の方を諸々買い揃えていましたが」

「ああ。馬鹿の一つ覚えみたいに、ただの物理弾だけじゃ味気ないだろ。色々試したいし、余裕があるからな、今は」

「少しだけ、ですけれどね。どのような弾丸を買われたのかさておき、諸々実戦で使えるものであればいいんですが」


 モニターや計器類が吐き出す観測情報に目を走らせつつ、レンは車長兼砲手席であるそこでヘッドセットのキツさを確かめていた。


「銃の感じはどうです?」

「悪くない。手入れはなるべく欠かさないようにしてるから。実は前のオンボロから買い替えた……って言ったらどうする?」

「買い替えた……って、先ほど窺った際、銃に変化はありませんでしたよ」


 レンは「拳銃の方だよ」と答えた。


「てっきりライフルのことかと。まあ、咄嗟の遭遇戦に有利な上、護身用でもありますし、閉所でも活躍しますからね」

「そう。でも威力不足が目立ったし、元々の状態からして悪かったのを騙し騙し使ってたから。思い切って六四口径に買い替えたんだ」

「全く、主人様は私がいないとすぐに浪漫に走るんですから」


 銃弾の口径と戦車砲の口径はまた意味合いが違うが、弾丸の場合の口径は百分のnインチを示し、それが銃弾の直径を示している。

 レンが買い替えた拳銃は六四口径——つまり約一六・二六ミリ。銃弾の破壊力は弾頭重量×速度の二乗であるため、単純に同じ速度で射出するなら、弾頭が大きい場合は同じ素材なら重くなるためそれだけ威力が増すのだ。

 加えて薬莢に充填された撃発用レヴェナジーが多いわけで、重さだけでなく速さ、初速も得られている。暴れ馬な弾道を補正するためのロングバレル、強靭なフレーム確保ということで、拳銃というか掌サイズの大砲、に近いものとなっているが。


「ちゃんと試射しました?」

「木偶の的にな。今装填してあるのは幻獣用の弾だし、つっても流石にツチグモには相当うまくやらなきゃ怯ませることもできなさそうだけど」

「……いくら六四口径とはいえツチグモに拳銃で挑むのは映画の中のヒーローだけですよ。変なことを考えないでくださいね」

「そのときのための、緊急用の装備も買ったじゃないか」


 強化プラスチックのカップを傾けて、若干緩くなっていたコーヒーを煽ると、レンは「ここいらにERAを置いていこう。ツチグモを刺激したくない」と言った。

 いくら緊急用装備があるとはいえ、避けられる戦いなら避けたい。最も、このコンクリの下に神経の巣を張る土蜘蛛などいないが。


「ツチグモが出てきてもそのインスタントの素を吹っかければ、案外止まりそうですが」

「そんなもったいないことできるか。そのための新武器なんだし」


 二人はビルの脇に〈ネメシス〉を停めた。現在は本体のみであり、カーゴは引いてきていない。

 あちらにも自己防衛用の火器と、AI制御による自律防御機能が搭載されているのであまり心配はしていないが。


「静かですね。風の音以外ほとんどしません」

「生き残りがどこかに隠れているかもな。地下鉄跡とかは特に多い。襲撃に備えろ」


 レンは咄嗟の遭遇戦に強いリボルバー式の霊光拳銃を抜いた。

 装弾数は五発。六四口径の、大型獣でも楽勝に仕留められる拳銃だ。通常の獣ではない幻獣であっても、ある程度の大きさなら狙い所次第では一撃で仕留められる。


 一方でロアは上着を脱いでおり、谷間から臍まで、そして背中を露出しているハイレグのようなインナーだけになった。腕部と脚部には赤黒い装甲が取り付けられている。

 そんな彼女の右腕からブレードが——近接戦闘用の霊光刀剣レヴブレードがぞろりと顔を出す。


「生き残りのビーコンがどこで途絶えたのかは不明。こんなだだっ広い廃墟を練り歩くのも効率が悪いな」

「それについてなのですが」


 ロアが四〇メートルほど先の雑居ビルをブレードの切っ先で示す。


「かすかに熱源反応があります。もし人であるならば、なにか有力な手掛かりが得られるかもしれません。レーションの一つでも渡すか、脅すか。やり方は任せます」

「じゃあ目標はあのビルだ」


 レンは周辺に目を走らせて、悪目立ちする大通りを避けて路地を行くことにした。

 オートマタではない生身の人間が、こんな場所の廃屋に入っていくのに素顔なのはまずいだろうと、多くが思う。

 普通はエアロゾルで呼吸器をやられ窒息死だ。


 だがレンは、ある理由からその必要がない肉体を持っていた。

 便利なものだと思いつつ、身に纏う暗い青灰色をしたコートのフードを被った。コートは防塵性であり、舞い散る砂塵やらセメントダストから身を守るため、首元までボタンをはめておく。


 いつ崩れるともしれないビルに隣接して移動することがいかに危険かはわかっている。

 だが幻獣に襲われるリスク、レイダーに襲撃される危険を無視することはできない。


 たとえレンが、オカルトB級映画の超人怪異探偵だろうと、霊界から来たサメを不思議な盾で退治するヒーローでもないので普通に頭を、その脳味噌や心臓を粉々に破壊されれば死ぬ。


 廃墟を渡る渇いた風は北から吹いていた。ここからでは山に隔てられて見えないが、ここから北へ八〇キロも行かないところへ行けば海に出る。

 個人が用意できる程度の小型船舶では海棲型の幻獣に餌をくれてやるようなものだが、よしんば海を渡っても、この荒涼としている景色は特別なものではないと突きつけられるだけだろう。


 自分たちが蒔いた種とはいえ、〈大戦争〉はあまりにも多くのものを破壊し、奪っていった。

 大陸の覇を唱えた、古臭い価値観に縛られた軍事大国の同時侵攻によって起きたのが、まずは大陸内の戦争だ。

 それによって応じた物価の高騰やエネルギー価格の変動が他大陸にも波及し、惑星を、世界を巻き込む戦争へ発展した。

 前線の兵士が無惨に殺され、銃後の女たちは強姦され、子供たちは兵士として徴発された。


 多くの非道が行われ、倫理に反する行いが横行し、結果今の世界ができた。

 その犠牲となったのは力のない、名も知られていない一般人だったのは言うまでもないことだろう。

 争いの煽りを受けるのは、いつだってそれを望まなかった者だ。


 拳銃のマットな質感の黒いフレームの刻印にはゾラフ語で『ゴア・ドラグーン』とある。製造日は1683.7.2となっていた。

 反対側にはガンスミスの名前が打たれており、『ラウス・チェンバース』と書いてあった。

 今でも量産品の銃には製造番号や製造日、口径などしか刻印されていないが、こだわりがある職人が作った作品には銘と鍛治師の名前が刻まれることは決して珍しくない。


 路地を抜けて道路へ。転がっている廃車を盾に様子を伺いつつ次の遮蔽物へ飛び込むようにして移動し、目標のビルに入る。


「主人様、お待ちを」

「どうした」

「トラップが仕掛けられています」


 踏み込もうとした足をレンはピタリととめた。ロアが後ろに引っ張って姿勢を戻してくれる。

 目の前のおあつらえむきの横穴には、目を凝らせば足元——脛の辺りにワイヤーが張られていた。気づかずに通っていれば今頃爆散していたか、蜂の巣だっただろう。


「どうする」

「どこかに勝手口があるはずです」


 ヘッドセット越しに聞こえてきたロアの声に頷き、レンは一旦その入り口のような穴から離れた。

 ビルをぐるりと回ると、床下の通気口の一つの周囲には何かが這って出入りしているような跡があった。試しに通気口の蓋を押したり引いたりしたら、案外軽い力でかこん、と外れる。


「ここだな」


 リュックサックを後ろから引っ張りつつ匍匐前進で進んでいく。

 芋虫のような速度だが、今は速さは必要ではない。確実に手がかりを掴むための運と、その運を味方につける周到さが必要なのだ。

 通気口を抜けてビル内部に入るが、レンは不用意には動かなかった。

 あとから続いてきたロアが「胸やお尻が大きいのも考えものですね」と呟く。


〈大戦争〉は百二十年に渡って続いたとされ、戦時中に建てられた建築物の多くを含め、元々争いが多かったこの大陸では市民の避難経路の確保が急務であったことから、換気口や通気口の空間が広く取られていることが多い。

 戦闘時にはそこに敵を撃退する対人地雷などを設置して地下シェルター、あるいはそこへ伸びる地下道を行けばいいし、火災なんかの時は広い通気口から外に出ればいい、という具合で。


 それにしてもやはりロアには窮屈だったらしいが、仕方ない。

 肉感的な女体が好みである層へ向けたボディ設計のラブドールであるため、どう頑張っても大きな胸と尻でバランスを取らないと、基礎フレームから設計し直す羽目になる。

 それにあの大きな乳房や尻には、レヴエンジン・コアに用いる予備のレヴェナジーや、普通のオートマタに必要ではないサブシステムやそれらのオプション的に必要だが、搭載場所がないというコンポーネントが盛り込まれているのである。

 最も、乳房の質感や臀部の肉感的な感触を殺さぬように生物由来の培養生体素材を用いているのも事実だが。


「トラップに引っかからないルートを算出しました。熱源は恐らく一人分ですが、周辺には野良幻獣の反応もありますのでご注意ください。

 ……それから、やはり溜まっておられるのなら今晩中にでも処理すべきです。支障が出てきていますよ」

「悪い。……じゃあ、さっそく今日の夜にでも頼むよ」と、股間が熱くなっているのを感じながら言った。それから気を取り直して、「……それで熱源は移動してないのか?」

「ええ。眠っているのかもしれません。流石に周囲の雑音で心拍や呼吸まではわかりませんが」


 視界に表示されているARディスプレイに表示された安全ルートを進む。

 これは別に、魔法でもなんでもない。正体はレンの瞳に取り付けられているコンタクトレンズ・ディスプレイなのだ。

 これらの便利な拡張現実情報は、肌に貼り付けられたペーパーデバイスの演算結果を塩分を伝導して表示させているにすぎない。


「あんまり手荒なことにならなきゃいいんだけどな」

「最悪拷問する覚悟はすべきですよ」

「考えたくないケースだな、ほんと」


 目的の部屋にたどり着いた二人は、顔を見合わせて脇の通気口を見た。

 やはりこちらのダクトから行き来しているのは、周りに比べ少し床が綺麗なことからわかる。

 レンとロアはそこを潜って室内に入ると、突然「動くな!」と叫ばれた。


 視線を声の方に向けると、ガワを切り裂かれボロボロになって、中身のウレタンなどが飛び出しているソファに気だるげに横たわる少女がいた。その手にはオートマチックの霊光拳銃。

 顔は赤らんでおり、息が荒く、汗をかいていた。オオカミの因子を持つ人狼族で、銀色の髪の上のオオカミの耳と尻尾は力無く垂れ下がっている。

 それからややもせず震える腕から銃が落ちて、彼女は「畜生」とうめいて左腕の上腕部を押さえた。

 顔を見合わせたレンとロアは、おそらく抵抗もできないだろうと近付く。


「来るなっ!」

「怪我してるんだろう。見せてみろ。医療キットを持ってる」

「症状からしてかなり膿んでいるんじゃないんですか? 抗生物質は、外では手に入らないでしょうし」

「…………」


 図星だったのか、人狼族の少女は黙り込んだ。

 レンは彼女のジャケットを脱がせる。汗のにおいや体臭がきついが、それでもマシな方だ。ポリスでもこんなにおいなんて当たり前で、身綺麗さをアピールするにはとにかく香水やハーブエキスの類を振りかけるしかない。


「このままほっといたら切断する羽目になるぞ、お前」

「だったら、なに。助ける代わりに股を開っての?」

「ロア、注射」

「やめろっ、おかしな薬を盛るな!」

「暴れるな……このっ、おい」


 バタバタ手足を振り回す少女だったが、ロアが巧みに拘束して抗生剤が封入された圧搾注射器を押し当て、上腕部に注射する。

 彼女は小さく声を漏らしたが、即座に多幸感や快楽が押し寄せてくることがないとわかるや否や、抵抗をやめた。


「軽く、なんか食べるか? 代わりに知りたいことがあるんだけどな、こっちは」

「……五日前の戦闘のこと?」

「そう、それだ。……とりあえずカレー、食えそうか?」


 少女は訝しみつつも、尻尾をかすかに振って期待の眼差しをこちらへ向けてきた。

 顎を引く程度に頷いた彼女を見て、レンはバックパックからレーションの袋を取り出すのだった。

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