「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
50年ほど原稿を書き続けているが、「うるわしい」という形容詞を使った原稿を書いたことは一度もない。
今回、初めてうるわしいというテーマを与えられ、書くこととなった。
うるわしいという言葉を国語辞典で調べると、どの辞典も「美しい」と記している。
しかし、私は「うるわしい」という言葉を美しいとだけ記していることに合点がいかない。
私の考えは、うるわしいは、美しい以上の深い意味を持っていると思っているのである。
というのは、私はこれまで75年の人生の中で一度だけ、うるわしいと称してもまだ足りないくらいの女性に会ったことがあるからである。
しかし、それは現実ではなく、夢の中である。
今から40年くらい前、私ははっきりと夢を見た。
私は西洋の塔のような建物の最上階の窓から外を眺めていた。
すると小さい雲がくるくる舞いながら近寄って来た。
何だろうかと思って目を凝らすと、なんとその雲の上に光り輝く女性が立っていた。
「あっ、マリアさまだ」と思った瞬間、目が覚めてしまった。
あまりにもうるわしく神々しいそのお姿を私のように罪深い人間が直視してもいいのだろうかと思った瞬間、目が覚めたのである。
しかし、私は諦めきれず、家庭祭壇である香台の前に座り「もう一度だけ、マリアさまのお姿を見せてください」とお願いして、また眠りについた。
すると、再びマリアさまが現れて、透き通るようなお声で「祈りなさい 祈りなさい」とおっしゃった。
あの日の夢は私の一生の宝である。