エステルが三度セルカを送り出してから一時間ほど経った頃。
港に停泊していたアリージェントの前に現れた彼の姿を見て、歩哨たちが武器を向ける。
「止まれ!何者だ!」
彼は落ち着いて両手を上げ、合言葉を口にする。
「松明の火が消えてしまいました。火を貸していただけますか?」
だがそれを聞いた歩哨たちはさらに剣呑な空気になる。
「──おい貴様、その符牒をどこで聞いた?」
「この前来たのとは違うな。どういうことだ?」
警戒心と猜疑心に満ちた目で問いかけてくる歩哨に、彼は余裕ぶった態度で要件を述べる。
「まあまあ落ち着かれよ。符牒はエステル・フォウ・ファイアブランド殿から直接伺いました。訳あって顔は晒せませんが、私はエステル殿の使いです。この艦の艦長殿にお取り次ぎ願いたい。言伝を預かっております」
歩哨たちは納得がいかない表情をしつつも、甲板長を呼んだ。
艦長室。
レックスは目の前に座る男と彼が届けてきた手紙の内容に困惑していた。
目の前にテーブルを挟んで座る【仮面の騎士】なる男がエステルを王宮に保護した張本人であり、かつテレンスの奪還に助太刀してくれる──そんなことが手紙に書いてあったのだ。
「して、貴方方はどう動かれるおつもりかな?」
仮面の騎士が問いかけてくる。
「──即座に陸戦隊を出発させ、一隊で屋敷を包囲、もう一隊で屋敷内に突入します」
「ありきたりですな。屋敷の門番や付近に駐留する憲兵隊に話は通しておられるのですか?」
「──それでは奇襲効果が失われてしまいます。今作戦は迅速さと、何よりも隠密性が求められる。情報漏洩はあってはならんことです」
「故にしていないと?無用なトラブルを起こしていては、それこそ奇襲効果を失うかと思いますが?」
仮面の騎士の物言いに苛立ったレックスは目を細めて問いかける。
「そう言う貴公は何か代案でもお持ちなのですかな?」
すると仮面騎士はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに大袈裟な身振りで答える。
「追い込み漁の要領です。私が屋敷への闖入者を演じ、屋敷の中の人間を追い立てます。その直後に貴方方の兵で素早く裏口ほか脱出経路を抑え、逃げてきた者たちを保護を装って確保。私は憲兵隊に追われる形で離脱し、貴方方は目標を避難という体で拘束し、本艦に連行。その後私も本艦に合流する。憲兵隊には私から話を通しておきましょう。いかがでしょうか?行動には闖入者への対処という大義名分が立ち、兵の半分を突入に割かずに済む。先程の作戦よりも成功率は高いと思いますが?」
「先ほどと言っておられることが矛盾していませんか?我々は隠密性を求めているのです。気取られることなく屋敷に入り、目標を拘束して速やかに離脱。これが最善策でしょう。それに、憲兵隊に話を通しておくなどということができるのですか?そのような確証のない話を信じて作戦を遂行することはできかねます」
「信じて頂くほかありませんな。グダグダ言い合っている時間はない。一つ、私が根拠を示せるとすれば、それは私がエステル様を暗殺者の群れから助け出し、王宮に保護したと言う事実のみ。エステル様の手紙にもそう書いてありましょう。どうか、ご信頼頂きたい」
論戦はその後も十分ほど続いたが、仮面の騎士の終始毅然とした態度での説得にレックスは程なくして折れた。
赤い軍服を着た陸戦隊二個小隊が仮面の騎士と共に小型艇に乗り込んでアリージェントから出撃していった。
◇◇◇
ファイアブランド家の屋敷。
その庭の生垣に潜んでいた男の頸にナイフが突き立てられる。
ナイフの刃先は至極あっさりと皮膚を破り、肉を裂き、首の骨の隙間を的確に貫いて声一つ上げさせることなく男の命を奪った。
「これで全部、か」
ナイフを引き抜いた男──に融合合体したセルカは素早く治療魔法で殺した男の傷口を塞ぎ、遺体を抱えて運び出す。
「こいつらは全員雇い主のもとに返して差し上げないとね」
屋敷の周りを見張っていた犯罪組織の下っ端たちは今身体を
それにエステルに危害を加えようとした者には
「そうだ。せっかく空間魔法を覚えたことだし、冷凍保存しておきましょうか」
閃いたセルカは遺体を集めておいた場所に六人目の遺体を置くと、物置に向かった。
錠前をあっさりと解錠して侵入すると、空の木箱を一つ、持ち出した。
木箱に空間魔法をかけて中を広げると、六人の遺体を無造作に放り込む。
そして氷魔法を使って箱の中身を氷で満たした。
これで遺体は氷に閉じ込められたまま何年も腐らない。
テレンス救出作戦が終わったら、彼らを送り込んできた犯罪組織のボスにブービートラップを添えて送りつけてやるつもりである。
「さてと。第一段階は終わり。次は彼らをうまくホテルまで誘導しないとね」
セルカはニールから読み取った記憶伝いに幾人もの貴族や犯罪組織の人間を見つけ出してはその記憶を読み取り、現在テレンスが囚われているのは王都中心市街地にある高級ホテルであることを突き止めていた。
テレンスを救出するだけなら自分だけでもできるが、それは禁じ手である。
彼を救出するのはファイアブランド軍と仮面の騎士でなければならず、そのためには迂遠ながらも然るべき手順を踏まなければならない。
「そろそろかしらね」
セルカは頃合いだと思ってサーチすると、満足げに頷いた。
「頼んだわよ。仮面の騎士さん」
仮面の騎士は一足先に屋敷に辿り着き、別の屋敷の屋根の上からの配置を確認していた。
「ふむ──正面には門番一人。周囲に他の密偵や物見の類はいない、と。上出来だ。上出来すぎて怖いくらいだな」
そう呟いてランタンを取り出して灯し、合図を送ってから屋根を降りる。
「さてと。あまり好みではないが、お嬢さんのためだ。ひとつ、ならず者を演じるとしようか」
仮面の騎士は懐からもう一つ仮面を取り出すと、着けていた仮面と取り替えた。
そしてマントを払って腰に差した剣を露出させると、そのままずかずかと屋敷の門へと歩いていった。
門番が気付いて銃を構える。
「止まれ」
門番の命令に仮面の騎士は立ち止まり、精一杯の低い声で言った。
「この屋敷の主人に御目通り願いたい」
すると門番は目を見開き、声を荒げる。
「膝をつけ!両手を上げるんだ。ゆっくり」
それを見て、仮面の騎士はゆっくりと両手を上げながらこれ見よがしにため息を吐いて言った。
「やれやれ。そう熱くなりなさんなよ。お兄さん」
そして手が肩の高さに達した瞬間、仮面の騎士はマントを払って門番目掛けて投げつける。
マントが地面に落ちた時にはそこに仮面の騎士の姿はなかった。
直後に
果たして、そこには仮面の騎士がいたが、門番が彼に向けて発砲しようとした時にはもう彼は内懐まで飛び込んできていた。
銃身を掴まれて銃口を逸らされ、放たれた弾は明後日の方向へ飛んでいって窓ガラスを割った。
そのまま仮面の騎士は門番の腹に蹴りを入れて銃を奪い取ると、ストックでこめかみを殴りつけた。
一撃で門番は意識を失い、地面に倒れ伏す。
「ふはははは!何と軟弱な!」
倒れた門番を踏みつけて仮面の騎士は高笑いする。
直後、屋敷から悲鳴が上がった。
「曲者だ!」
「門番がやられたぞ!」
「誰か!憲兵を早く!」
騒ぎになる屋敷を見て仮面の騎士は満足げに笑い、銃をその場に放り捨てると、剣を抜いて正面玄関に向かって歩き出す。
魔法で肉体を強化しての一閃で重厚な扉を紙切れのように斬り裂き、蹴破って中に侵入すると、武器を構えた男性使用人たちが寝間着のまま走ってくるところだった。
それを仮面の騎士は怯むどころか、仮面の下で獰猛な笑みを浮かべる。
「ほう?存外早く出てきたじゃないか。だが甘い!」
踊りかかってきた使用人たちが手にしていた箒や刺股を容易く斬り払い、蹴りや肘打ち、剣の柄での殴打で一分と経たないうちに全員昏倒させる。
「この屋敷の主人はどこだ!主人を出せ!!」
屋敷中に響き渡る大声で仮面の騎士は叫ぶ。
「何なのよ!?何がどうなっているの?」
オフィーリアは金切り声を上げて問うた。
「不審な男が屋敷に侵入し、門番を倒し、貴女を出せと喚いております。どういうことなのか全く分かりませんが──とにかく逃げませんと」
側に付き添う専属使用人がオフィーリアの手を引いて急かす。
ついさっきまで大きないびきをかいて寝ていたオフィーリアは騒ぎに気付いた専属使用人に叩き起こされ、着替えもそこそこに裏口へ向かって逃げ出していた。
「使用人共は何をしているの!?」
「憲兵が来るまで相手を足止めしているはずですが──」
歯切れの悪い返事をする専属使用人は実のところ気付いていた。侵入者に向かっていった使用人たちはすぐに全員倒されたことに。
そして──すぐに危機が背後に迫ってきたことにも気付く。
「みぃーつけたぁ!!」
楽しげな声が聞こえたかと思うと、暗闇の中に不気味な仮面が浮かび上がる。
「お逃げください!こいつは私が!」
専属使用人がオフィーリアを庇う位置に立ち塞がった。
オフィーリアは一瞬逡巡したが、すぐに裏口へ向かって走り出す。
「ほう、奴隷にしては随分と忠誠心が高いものだねぇ」
「ほざけ仮面野郎!」
専属使用人は叫んで懐から短剣を取り出し、仮面の男に斬りかかる。
しかし、仮面の男は見事な体捌きで躱し、あっさりと短剣を弾き飛ばした。
専属使用人は諦め悪く、懐に飛び込もうと身を屈めて突進する。
大ぶりな斬撃を躱し、顎に拳を叩き込もうとした瞬間──
「ガハッ!」
横っ面に思い切り蹴りを喰らい、視界が激しく揺れた。
一瞬意識が遠のき、続いて口の中に鋭い痛みが走る。
(くそっ──抜かった)
直後、後頭部への衝撃と共に専属使用人は意識を失った。
「ふむ。聞きしに勝る勇敢さだな。少々意外だ」
仮面の騎士は倒れた専属使用人を一瞥して呟くと、剣を収めた。
裏口が見える窓のところまで行くと、一旦そこで止まり、様子を確認する。
すると、予定よりもやや早いながらも、陸戦隊に保護されて小型艇に乗り込むオフィーリアの姿が見えた。
「さてと──目標その二はニール殿だったな。──見当たらないな」
裏口から出ていく使用人たちの中にニールの姿は確認できない。
目標を両方とも捕らえたのであれば合図があるはずだが、それもない。
まだ屋敷の中にいるのか──それともまさかこちらの意図を読んで逃げたのか?
そんな疑問が湧いたその時、玄関の方からしゃがれた叫び声が聞こえてきた。
「は、放せ!何をする!」
直感でその声の主がニールだと思った仮面の騎士は急いで玄関へと向かう。
果たして、そこにいたのは高級な背広を着た初老の男だった。
気絶して白目を剥いているが、その容貌は聞いていたニールの特徴と一致する。
仮面の騎士はポケットから気付け薬を取り出すと、気絶した男に嗅がせた。
男が意識を取り戻すと、仮面の騎士は彼の顔を覗き込んで問いかける。
「ニール殿、で間違いないかな?」
男は仮面の騎士を見ると驚愕の表情で口を震わせる。
「き、貴様は一体──」
瞬間、仮面の騎士の手が男の顎を引っ掴んだ。
「質問に答えたまえ。君がニール殿かな?」
「な、なぜそれを──」
「答えたまえ。それとも、指の一つでもなくさないと答えられないかな?」
剣を抜いて見せると、男は「ひっ」と声を漏らして首を縦に振った。
「ふむ。君がニール殿か。では話は早い」
その言葉を最後にニールの意識は途切れた。
「よし。目標その二も確保完了、と。急いで──」
言い終わらないうちに飛行船の飛び立つ音が聞こえてきた。
外に出て庭の方を見ると、小型艇が飛び去っていくところだった。
そして通りの方からは大勢の足音が聞こえてくる。憲兵隊がお出ましになる時間が来てしまったようだ。
「やれやれ。打ち合わせ通りとはいえ、置いていかれるのは嫌な気分だねえ」
仮面の騎士はぼやいたが、すぐに気絶させたニールを担ぎ上げて移動を開始した。
「いたぞ!捕らえろ!」
門のところまで来た憲兵たちが仮面の騎士の姿を見つけて声を上げるが、仮面の騎士は肉体強化を使って走り、屋敷の塀を飛び越えてたちまち姿を消した。
◇◇◇
港。
オフィーリアと屋敷の使用人たちを乗せた小型艇がアリージェントに接舷する。
「ここならば安全です。安全が確認されるまでしばらくここに避難していただきます」
護衛の小隊長の言葉にオフィーリアは噛み付く。
「何が避難よ!兵隊まで出してたった一人の曲者ごときすぐに始末できないというの?いつまで私をこんなオンボロの中に閉じ込めておくつもりよ!」
「お静かに願います」
その場に現れたレックスが低い声で言った。
「貴女の身の安全のためです。どうかご理解頂きたく。残してきた一個小隊もしくは憲兵隊からの連絡があるまでここに留まってください」
レックスが合図すると、兵士たちが有無を言わさずオフィーリアを船室へと連行していく。
「ちょっと何するのよ!放しなさいよ!話はまだ終わっていないでしょう!」
諦め悪く騒ぐオフィーリアだったが、兵士たちの力には逆らえず、艦内へと押し込まれていった。
その姿が消えてからレックスは小隊長に問いかける。
「執事の方はどうした?」
「はっ。それが執事の姿は見当たりませんでした」
「何?」
レックスは眉間に皺を寄せた。
「──まずいな。最も重要な容疑者を逃すとは」
焦りを抱くレックスだが、直後にそれを否定する声が響く。
『心配ご無用!』
見上げるとマントをはためかせた鎧が一機、降りてくるところだった。
兵士たちが身構えるが、ハッチから姿を現した人物を見て武器を下ろす。
「お探しの執事は私が捕らえた。ご安心なされよ。気付けすればお話もできるだろう」
鎧から降りてきた仮面の騎士が、担いでいたニールをレックスたちの前に投げ出した。
「ご協力感謝します。彼を営倉へ。直ちに取調の準備にかかれ」
「はっ」
小隊長がニールを担ぎ上げて艦内へと運び、レックスと仮面の騎士も後に続く。
後に残された兵士たちはぼやいた。
「この鎧、どうすりゃいいんだ?」
営倉。
「お目覚めかな?」
目を開いたニールにレックスが声をかける。
「誰だ君は?ん?な、何だここは!ええい縄を解け!」
周囲を見回し、自分が狭く薄暗い部屋で手足を縛られた状態で椅子に座らされていると悟ったニールは、目の前に座るレックスに対して抗議の声を上げた。
次の瞬間、レックスは強い力でニールの顎を掴む。
「立場を分かっていないようだから教えてやろう。貴様は今テレンス様とエステル様をオフリーの手の者に売った裏切り者として捕縛され、これから楽しい取調に臨もうとしているところだ。速やかにこちらの知りたい情報を教えてくれれば痛い思いはせずに済む。どうだ?分かったかな?」
顎が放されると、ニールはすかさず食ってかかる。
「ふざけるな!何という言いがかりだ!私は何もしていない!」
直後に椅子が蹴り倒される。
縛られていてろくに受け身も取れず、床に身体を打ちつけてニールは悲鳴を漏らした。
「口の利き方に気を付けろ下衆。今度舐めた口を利いたらただではおかんぞ」
「ま、待て!待ってくれ!私は本当に何も知らん!無実だ!」
「ほう?ならば訊くが、念入りに偽装した馬車がなぜ街中で待ち伏せを受けたのかな?情報を敵に流した者がいなければ説明がつかないと思うのだが?」
「それは──そうかもしれんが、私じゃない!誓って本当だ!」
「そうなのか?ならば命に懸けて誓えるかね?」
「も、もちろんだ」
ニールの答えを聞いたレックスは笑みを浮かべる。
その笑みを見てニールは解放してもらえると期待するが──直後に凍り付くこととなる。
「先程オフィーリア様から興味深いお話があってね。何でも貴様がオフリー家との戦いに加担してはならないと必死に訴えたと仰るのだよ。伯爵家を敵に回したファイアブランド家に勝ち目などない、オフィーリア様やご子息の安全と将来も危うくなる、とね。さて、これについてご説明を願おうか」
「な、何だと?オフィーリア様に何をした!そんなデタラメ──」
ニールが言い終わらないうちに、腹にレックスの蹴りが直撃する。
腹を押さえて悶絶するニールを見下ろしてレックスは問いかける。
「質問は全部で三つだ。貴様が情報を渡したのはどこの誰か。何の情報をいつ渡したか。そしてどこでどのように受け渡しをしたか、だ。全部答えるまでまともに息ができると思うなよ」
レックスが合図すると、ニールの目の前に水が入った樽が運ばれてきた。
「まずは水責めだ。溺れたことがあるなら想像はつくだろうが──苦しいぞ?息ができなくて死ぬ思いだ」
「待ってくれ!本当に違うんだ!話を聞いてくれ!」
「やれ」
指示を受けた甲板長がニールの頭を掴んで水の中に叩き込む。
ろくに息も吸えないまま水の中に叩き込まれたニールは必死でもがくが、それによって僅かな空気をすぐに吐き出してしまい、反射的に水を吸い込んでしまう。
鼻の奥に走るツンとした痛みと肺が潰れるような圧迫感が続き、意識が朦朧としてきたところで思い切り頭が引き上げられる。
水を吐き出して激しく咳き込むニールにレックスが再び問いかける。
「気は変わったかね?」
空気を求める肺のために息を吸うのに必死で、ニールは答えられなかった。
「時間切れだ。やれ」
再びニールの頭が水の中に叩き込まれる。
意識を失う寸前まで水に沈め、ギリギリで引き上げるのを一時間ほど繰り返した後、レックスたちはニールを床に放り出して一服する。
息も絶え絶えで床に横たわるニールの頭に声が響いた。
『随分苦しそうね。それなのに全然口を割らないなんて──よっぽど
(──誰だ?なぜそれを──)
『貴方のようなお馬鹿さんに教える義理はないわね。素直に吐けば証人として守ってもらえるのに、意地を張って苦しむ。秘密を守ったところで助かりはしないわよ。いざとなれば貴方を殺して私が代わりに喋るから』
(──何を言っている?)
『信じられない?じゃあ試してみましょうか』
直後に右腕に激痛が走り、一瞬で感覚が失われる。
そして右腕は勝手に動き、拘束を抜けて喉元へ上がってきたかと思うと、思い切り喉仏を押した。
「ぐあっ!」
息を詰まらせてのたうち回るニールにレックスたちが気付き、取り押さえた。
「こいつ!目を離した隙に拘束を──」
甲板長がニールの手首を縛り直している間、声は嘲笑うように囁きかける。
『分かった?その気になれば身体のどのパーツも──脳すらも奪えるの。ちなみに玄関から逃げようとした貴方を殴り倒した男、あれ実は私が脳を奪って動かしていたのよ。さて、貴方には二つ選択肢をあげるわ。私の言う通りの台詞を喋って楽になるか、さっき話した男みたいに私に脳を奪われて死ぬか。どっちを選んでもいいけれど、死にたくなければ前者をお勧めするわ』
(ッ!何だ?何なんだお前は──)
『あら?そんなこと気にしている暇がおありかしら?尋問が再開されるわよ』
直後、ニールは髪を掴まれて樽の前に立たされる。
「さて、休憩は終わりだ。楽しい取調の再開といこう」
「ま、待ってくれ!分かった!分かったから!全部話す!」
「やっとその気になってくれたかね。では座りたまえ。じっくり聞かせてもらおうじゃないか」
甲板長に引っ立てられて椅子に座らされたニールは、頭に響く自分だけに聞こえるらしい声を必死で聞き取って喋った。
霞む頭を必死で回して、影のようにすぐ後ろを追いかけて──気付けば自分が知らないことまで喋っていた。
◇◇◇
前菜が片付き、食器が下げられていった直後、レッドグレイブ公爵が俺の方を見て口を開いた。
「君が持ち込んだ書類を見せてもらったよ」
俺が王妃様に預けたオフリー伯爵家の犯罪の証拠書類のことを言っているのだろう。
「実に驚きだ。あのような明確な証拠を手に入れ、あまつさえ王宮まで届けに来られた者は今までいなかった。──どうやったのか聞かせてもらえるかな?」
「はい」
王妃様とレッドグレイブ公爵の前で、俺は王妃様に話したオフリー家との戦いの経緯を再度話した。
二人は口を挟まずに俺の話を一通り聞いていたが、その表情は固い。
レッドグレイブ公爵が口を開く。
「おおよそは分かった。見事な活躍だと称賛したいところだが──いくつか疑問がある」
「──何なりと」
「ではまず、君が如何なる方法でもって当主や非戦派の家臣たちを説得したのか、詳しく聞かせてもらえないかね?」
早速痛いところを突いてきた。
だが、ここはアンジェリカの忠告に従い、潔く話すべきだろう。
「空賊との決戦の前、私は父に対してオフリー家などに借りを作ってはならない、今からでも手を切らなければならないと訴えました。しかし父はファイアブランド家の抱える問題はもはや独力で解決できるものではなく、オフリー家の助けを借りなければ生き残れないと言って譲りませんでした。そこで私は父に軍の指揮権を私に預けることを提案したのです。そうすれば、空賊もオフリー家の軍も私が片付けてみせる──と。父はそれを承諾し、軍の指揮権のみならずファイアブランド家の全権を私に移譲しました」
王妃様とレッドグレイブ公爵が目を見開く。
「君に家の全権移譲を?それを当主の方からやったというのかね?」
「はい」
「俄には信じられん話だな。家臣たちはそれを止めなかったのかね?」
「はい。反対する者もおりましたが、父は命令として押し切りました。また、艦隊指揮官をはじめとした軍人たちに私と考えを同じくする者が多く、私の支持に回ってくれました」
レッドグレイブ公爵はまだ釈然としないようだったが、それ以上の追及はしてこなかった。
「なるほど──説得したのではなく当主自身の命令と軍の支持を盾に家を掌握した──というわけかね。それでは事実上の簒奪だな」
レッドグレイブ公爵の言葉に俺は頷いた。
「はい。強引ではありましたが、差し迫った状況下で他に手は──」
「それ以上はよい。その辺りの君の考えや事情は既に聞いている」
俺の言葉を遮って、レッドグレイブ公爵は次の質問を投げかけてくる。
「君がファイアブランド家を掌握していたことは分かった。次に知りたいのは君がオフリー家との戦争を遂行し、勝利を収めるために何をしたのかということだ。具体的には武器や戦費はどうやって調達したのか、だな」
「私が冒険で得た宝を換金し、武器弾薬の購入費用並びに艦艇の整備費用に充てました。他の費用については戦時増税で賄う算段です」
するとレッドグレイブ公爵は先程よりも大きく目を見開き、僅かに前のめりになった。
「冒険で得た宝、だと?君が冒険に出たのか?」
「はい。さる筋からダンジョンの情報を手に入れ、専属使用人と二人で向かいました」
「二人だけでかね?それはまた随分と大胆なことを──」
「はい。ですが、無事飛行船にいっぱいの財宝を手に入れて戻り、それらを売って得た金で武器を揃えて、オフリー家の軍勢を打ち破ることができました」
レッドグレイブ公爵は半信半疑といった表情で俺を見てしばし絶句していたが──
「その話、詳しく聞かせてもらえないかね?」
真剣な、しかし好奇心が抑えられていない表情で言った。最初の威圧感はどこへやら、読み聞かせをせがむ子供のような雰囲気を感じる。
王国を建国した冒険者を先祖に持つ者として、冒険の話に胸が騒いだのだろうか。
俺はお望み通り冒険譚を語った。
部屋の窓から抜け出して、倉庫から武器を盗んで自分の鎧に乗って飛び立ったこと。実家の鎧部隊に追撃されて、振り切るために応戦したこと。無人島で一夜を過ごした翌日に飛行船と旅に必要な物資を買うためにアクロイド男爵領に立ち寄って、そこでリックを斬ってアクロイド軍に追われ、盛大な逃走劇の末にアーヴリルと出会ったこと。モンスター共を蹴散らして大墳墓に入り、そこでロボットたちに追い回されたこと。ロボットから逃げた先でセルカと出会ったこと。彼女の助けを借りてロボットたちを倒し、大墳墓から脱出したこと。
全てを正直に言うわけにはいかず、案内人の加護の光やライチェスとのやりとりのことは伏せたが、それ以外は全部話した。
レッドグレイブ公爵は表情を様々に変化させながら俺の冒険譚に聞き入っていた。
『この感触は良好ね』
頭の中に声が響く。
(戻ったのか。首尾はどうだ?)
『ばっちりよ。ニールとオフィーリアはアリージェントに確保済み。二人とも
(よし。親父の方は?)
『大丈夫。まだ生きているわ。貴女のお父さんの居場所はニールに念話で教えて、彼からの情報提供って形で艦長たちと仮面の騎士に伝えておいたから、今晩にでも救出作戦が決行されるでしょうね』
(でかした)
一晩で内通者二人を確保して
そして冒険の終わり──ファイアブランド領への帰還と家の実権簒奪までを話し終えた俺にレッドグレイブ公爵が質問してくる。
「君の言った【セルカ】だったか?その使い魔にした精霊はここに連れてきているのかね?」
「はい。セルカ、姿を見せていいぞ」
直後にセルカが俺の右肩あたりに姿を現した。
『お初にお目にかかります。王妃様、公爵様。私がエステル様の使い魔、セルカでございます』
自己紹介し、球体の身体を傾けてお辞儀するセルカに王妃様とレッドグレイブ公爵が目を見開く。
「人語を話す精霊など初めて見たな」
「これは──話しているというより頭の中に直接声を届けているかのような──」
『ご賢察の通りです。王妃様。私には発声機能がございません。代わりに心の声を直接相手の心に届けることで意思疎通が可能です』
「なんと!まるで言い伝えに出てくる高位精霊のようだ。封印されていたと言ったね?その前のことは覚えているのかね?」
『はい。朧げではありますが、私を封じた者のことを少し覚えています。いつか封印を解かれることがあったなら、それは貴女の力が必要とされた時。その時貴女はその人の助けになりなさい──確かにそう言っておりました。ですから私は今エステル様にお仕えしているのです』
物憂げな目をしてそう言ったセルカに俺は思わず心の中で突っ込んだ。
(そんな話初めて聞いたんだが?)
すかさずセルカが俺にだけ聞こえるように返してくる。
『当然よ。所詮彼らの警戒心を解いて同情を誘う出まかせなんだから』
(お、おう──)
『それに、私の力を売り込めれば公爵が味方になってくれる可能性が高まるでしょう?』
(──ああ、そうだな)
俺とセルカの会話が聞こえていないレッドグレイブ公爵は少しがっかりした顔をしていた。
「そうか──太古の時代の話を聞けるかとも思ったのだが、残念だ。して、その君の力とはどういうものなのだ?」
『私が認識している限りでは三つあります。一つ目は先程申し上げたように心の声で会話できること。相手の真意を見抜き、交渉時などにおいて有利に立ち回ることを可能とします。二つ目は周囲の景色に溶け込み、隠れられること。どんな斥候よりも高い隠密性をもっていかなる場所にも忍び込むことができます。三つ目は特殊な魔力照射により周囲の情報を把握できること。半径十キロ以内の全ての地形や建物の構造、範囲を半分ほどに絞れば特定の人物の所在をも瞬時に暴き出します」
「──驚異的と言うしかないな。まさに情報収集力の権化ではないか。さぞかし有用な力であっただろうになぜ封じられたのやら──いや、だからこそか?」
『真相は分かりませんが、少なくとも封じた者たちにとっては私の力は使う必要性がなかったということでしょう』
「そうだったとして、一体どんな世界だったのか興味が尽きんな。──いや、失礼。話が逸れてしまったな。それで、君がその冒険に出たというのはいつのことだ?」
「私が父からオフリー家との見合い話を持ち込まれた日です」
俺の答えに王妃様が反応する。
「すると、先日貴女が言っていた財政再建のための財源というのはその冒険で得た財宝のことだったのですね?」
「はい」
「なるほど。貴女が冒険に出たことで、当主は貴女をオフリー家に引き渡す目処が立たなくなり、返事を濁しているうちにオフリー家がしびれを切らした──といったところかしら?」
「当主としては取引の要である娘に逃げられたとあっては、面目が立たない。のみならず、オフリーからの大きなペナルティを覚悟せねばならない。その恐怖から隠蔽と先送りに走ったが、それにも限度があった。そして当主が君を探し出して連れ戻す前にオフリー家の堪忍袋の緒が切れた。直後に君が財宝と共に戻ってきた──で、合っているかな?」
「はい。仰る通りです」
王妃様とレッドグレイブ公爵は苦虫を噛み潰したような顔で考え込む。
「先に取り決めを違えたのはファイアブランド家の方だったわけか。厄介だな。これではオフリーの主張にも一定の正当性を与えてしまうことになる。実情はともかく、客観的に見れば君の行動はクーデターでもって家を掌握し、家同士の取り決めを反故にさせたものだからね」
「ええ。このことをオフリー家が知っていれば査問会でも確実に派閥による追及があるでしょう。そうなれば、相殺法に持ち込まれることは避けられません。双方の落とし所を探る必要性が生じます」
二人の言葉に反論したのはセルカだった。
『それに関しては問題はないかと。私が調べた限りではオフリー側はファイアブランド家が取り決めを違えた経緯については全く知りません。そのため、捕らえたファイアブランド家当主から聞き出そうとしていますが、当主は口を割っていません。そして現在ファイアブランド軍による当主救出作戦が進められており、今日中には奪還の目処がついています』
「何?」
「もうファイアブランド軍が動いているというのですか?」
『はい。先程申し上げた私の探索能力により、当主の所在は既に把握しております。その情報をもとに動いている次第です』
セルカの言葉に二人が息を呑む。
『ですから、この中の誰かが漏らさない限り、真相は藪の中です。よしんば救出前に当主が口を割ったとしても、その事実を知った者
「──セルカといったね。君も大概過激だな。一体何人の口封じ、口裏合わせをするつもりかね?」
『私の予想では多くとも数人ですが、必要とあらば何人でも。越えてはならぬ一線を越えたのは向こうが先。ならばこちらもフェアにやる必要などございません。彼の粗は誇張し、我が粗は隠し、正義は我らにありと知らしめる──戦の常道でございましょう」
するとレッドグレイブ公爵はクツクツと笑い出した。
「実に痛快じゃないか。与り知らぬところで勝手に取引のダシに使われ、領地の窮状を盾に生贄となることを迫られて、やったことが冒険に出ること!しかもそれで大成功を収めて、得た財宝でもって代えた武力と従えた最高の配下の力でオフリーを追いつめるとは!まるで絵物語のようじゃないか」
そしてレッドグレイブ公爵は悪どい笑みを浮かべて答える。
「絵物語は美しくなければな。その結末に至るまで」
その言葉に俺は思わず身を乗り出した。
「ッ!では──」
レッドグレイブ公爵は大きく頷いた。
「ああ。参戦させてもらうとしよう。君の始めた戦争にね」