奈良・山の辺の道をモチーフに写真を撮り始めて今年で六年目になる。小さな畑や田んぼ、果樹園、雑木林、野原、通り過ぎる集落、寄り添うように続く山並、そして広い空。古墳群と神社、仏閣を結ぶ一本の道。
この単調な景色の中を飽きることなく繰り返し繰りかえし歩き続ける理由は、夏の朝初めて訪れた日に感じた「ここがやまとの中のやまとなのだ」というときめきに似た想いが、今も一本の道のように続いているからなのだ。古代人の往来した幻の道。
桜井市と天理市の境 穴師町の一本の樹
四月中旬の奈良は大気が安定して春らしさが最もよく感じられる。「草木清明 風光明媚」道沿いに咲く山桜の白い花はいつか散り始め、惜春という言葉がいかにも心地よく響く時季。
毎年ちょうど春のこの頃、崇神天皇陵の後円部に、四角四面に花を咲かす一本の桜樹がある。濠端にひとり生えしたものだが、毎年上へうえへと立ちあがって行く姿は、過密都市のビル街に建築中のビルディングみたいでなにか可笑しい。陵墓の桜が持つべき幽玄なイメージを撮りたいと思うのだが、どうもこの桜樹を目の前にするとしっくり行かない。それにしてもこの桜樹、一体どこまで伸び上がって行くのだろう。
崇神陵の桜樹 天理市柳本町
足下に「踊子草」の群生を見つけた。どこにでも見かける野草のはずだが、山の辺の道では珍しい。この道は東海自然歩道のルートでもありハイキングコースとして良く管理されている。都会人に愛好される山野草もここらでは雑草扱い。だから定期的に刈り取られ、目に触れる機会は滅多にない。踊子草を見つけたこの場所は崇神天皇陵と櫛山古墳が山の辺の道を隔てて接する斜面下にあり、人目にも付きにくく運よく?生きながらえているようだ。いやいや運がよかったのはこちら側だ。
踊り子草 天理市柳本町
道端や線路沿いでもよく見かける「ハナダイコン」も意外に目にすることがない。これもやはり畑の雑草に変わりない。放棄された柿畑で、毎年咲いている。正式名称は「ムラサキハナナ」。草花で○○ナとつく草は菜花として食用されると聞いている。だから刈り取らずに残しているのかもしれない。
ハナダイコン 桜井市穴師
渋谷の町を抜けて山の方へ上って行く農道脇に「泥小屋」と呼ばれる農機具を入れる簡素な小屋を見つけた。明らかに今も使われている。壁土のような篩(ふるい)を通した土ではなく、小石混じりの泥の塊を日干しレンガのように固めそれを積み上げて造った壁で屋根を支えた小屋。この辺りは壁土に使う良質の土が採れると聞いたことがある。この小屋を見ると古代の建物もこんな造りだったのではないかと想像させる。何度も通った道なのに今まで気が付かなかった。他にもこの地に残っているだろうか。
泥小屋 天理市柳本町
街中で土壁むき出しの家を目にすることは滅多にないが、奈良県下の町や村々では割とよく見かけたような気がする。中山町に面白い土壁の家がある。二軒とも農具小屋だが、家まわりに置いたU字溝をプランターにしてそこに咲き揃うピンクのチューリップの花が土壁と何か不釣り合いのような、逆にマッチしているようにも見え、なにか面白くて撮った。
もう一軒は、板戸の周りの土壁面に日章旗のような、自転車の車輪の上半分みたいな模様をいくつも刻みこんだ家。サイズの小さな画像では識別できないと思うが、このデザインは何かのおまじないなのだろうか。或は単なるいたずら描きなのか。いつか確かめてみたい。
チューリップ咲く 土壁の不思議な模様 天理市中山町
山の辺の道の魅力は訪れる季節ごとに、また通り過ぎるその日その時間ごとにいつもと違う姿を見せてくれることだ。長岳寺から山の辺の道を北に向かって中山大塚古墳の石畳を上って行くと、道端に安置された数十体の小さな石仏群が道行く人を出迎えるように並んでいる。だけどすぐ横にある小さな観音堂を訪れるハイカーは少ない。このお堂の周りにも数体の石仏を見られる。供えられた水仙の花が石仏たちをずいぶん惹きたてている。思わずシャッターを切った。4月17日 午後六時二十分、この日最後の一枚。
中山観音堂の石仏 菜の花畑の夕暮 天理市中山町