案内人から地図とコンパスを貰って冒険の旅に出た翌日。
起きて朝食を食べた後にまずやったのは鎧の修理だった。
修理といっても精々突き刺さった破片を抜くくらいしかできなかったが、動かなくなっていた右腕は動くようになった。
ティナによると、聖域に行くには飛行船に乗って一週間はかかるとのことだった。
食糧と水の補給が必要だし、できれば鎧が積めるサイズの飛行船があった方が安心だと言うので、定期航路の寄港地へ向かうことにした。
野営を畳んで鎧に乗り込む直前、はたと思い出して昨夜俺たちをこの浮島に導いてくれた光る鉱石の所へ行った。
光る鉱石って綺麗だし、何となくお守りになりそうだったので、少し採掘して持って行こうと思ったのだ。
趣味で鉱石収集とかやるのも良いかもしれないな。
領民から搾り取った血税を投じて、綺麗なだけの馬鹿高い石ころを買い漁る──実に悪徳領主らしいじゃないか。
◇◇◇
定期航路の寄港地──アクロイド男爵領にやってきた俺たちは鎧を港町の郊外の林に隠し、ひとまず質屋に向かった。
屋敷を出た時にトランクに詰め込んだアクセサリーを換金して現金を用意するためだ。
さして興味もないのにネックレスやらブレスレットやらイヤリングやらを買い与えられることには辟易していたが、今になって役に立ちそうだ。
実際かなりの金額にはなった。ざっと一万五千ディアほどだ。
現金を手にした俺たちは港にあるジャンクヤードに向かった。
ジャンクヤードは【スクラッパーギルド】なる廃品処分業者の組織が運営しているリサイクルショップみたいな場所で、飛行船で旅をする者たちにとってのオアシスらしい。
墜落した飛行船から回収された部品から軍払い下げの鎧や飛行船まで格安で買えるのだそうだ。
──どう見ても粗大ゴミ処理場にしか見えないが。
とりあえずスタッフの青年を捕まえる。
「飛行船を買いたいんだが、どこに置いている?」
スタッフは一瞬訝しむような視線を向けてきたかと思うと、掌をひらひら振って俺たちを追い出そうとしてきた。
「おいおい、そのナリでしかもたった二人で飛行船を買いたいだって?冗談はやめてくれよ。ここにはちびっ子のための玩具は売ってねえんだ」
カチンときた。
確かに俺はまだ十二歳の少女で子供扱いされても仕方がないかもしれないが、接客態度がなっていないのは腹が立つ。
スタッフのシャツを掴んで体術で引き倒し、ガントレットに仕込んだ飛び出しナイフを展開して喉元に突きつけてやった。
「これでもちびっ子に見えるか?私は冒険者だよ」
凄むと、冷や汗を流すスタッフが被りを振って謝罪してきた。
「ひっ!も、申し訳ありません!直ちに案内致します!」
大の大人が少女相手にヘコヘコするのを見て少し気が晴れる。
そうか、これが暴力の快感なのか。──堪らないな。
二分と経たずに営業スタッフが来て俺たちに応対した。
脅しつけてやった青年スタッフから口利きがあったらしく、舐めた真似はせずにすぐに案内してくれた。
売り物の飛行船が置いてあるのはジャンクヤードの端っこにあるマリーナで、そこまでの道をしばらく歩かなければならないようだ。
粗雑な丸太と板で造られたペデストリアンデッキを歩いていくと、無数の飛行船が繋がれた桟橋が見えてきた。
飛行船の形は様々だ。
前世でも見たような形のものや、普通の水上船のような姿をしたもの、箱型のものまである。
「大きさは如何程をお望みでしょうか?」
揉み手をしながら媚びるような声で尋ねてくる営業スタッフ。
──良い。実に良い。媚びてくる奴は大好きだ。
「一機で良いから鎧が積めるくらいだ。いや、大きさを考えると二機分のスペースは欲しいところだな」
「さ、さいですか。ではこちらへどうぞ──」
営業スタッフは飛び出しナイフを収納したガントレットを気にしつつも桟橋の一つに俺たちを案内し、そこに繋がれていた飛行船の一隻を指差した。
「こちらはいかがでしょう?一般的な鎧なら二、三機程は余裕で積み込めます。浮き袋はバルジ式ですから空気抵抗が少なく、スピードも出ますよ」
営業スタッフが勧めてきた飛行船は前世の水族館で見たハコフグのような形をしていた。全体的な造形もそうだが、舵板や安定翼がヒレにそっくりだ。
操舵室と船室が前方にあり、その後ろは大きな貨物室。貨物室の天井全体がハッチになっていて、大きな荷物も入るようになっている。これなら俺の鎧も楽に積めそうだ。
貨物室が大きい分、船室はかなり狭いが、前世で最期を迎えたアパートくらいのスペースはあるし、今の俺はあの時の俺よりだいぶ小柄だ。
特に汚れや異臭もないし、旅の間の居住性には問題ないだろう。
見るからに再利用パーツの寄せ集めと主張しているかのような、継ぎ目だらけのオンボロな見た目は癪だが、この際選り好みはしていられない。
それに見たところ周りの飛行船もドングリの背比べでこれはと思える船はない。
「いいな。いくらだ?」
「えっと、よろしいのですか?他にも何隻かありますが?」
「それはコイツの値段を聞いてから考える。いくらだ?」
「アッはい。一万ディアでございます」
──それって安いのか?それとも高いのか?
飛行船の相場は知らないが、どうであるにせよ予算の三分の二が吹っ飛ぶのはあまり良い気分ではない。
迷っていると、ティナが値引き交渉を持ちかけてくれた。
「八千にできませんか?それなら今ここで一括払いできますが」
「お客様、八千はさすがに無理な相談でございます。せめて九千でお願いしたく──」
「──八千二百では?」
「──八千八百」
「──八千三百」
「八千七百で」
渋る営業スタッフに俺も値引き交渉に割り込んだ。
「じゃあ八千五百でどうだ?サービスとかオプションは一切なしでいい」
「──よろしいでしょう」
営業スタッフはようやく折れた。
用意された伝票にサインして八千五百ディア渡し、受領証明書にサインして取引は終わり。前世で言うなら自転車を買うレベルの手軽さで飛行船が買えるこの世界はちょっとおかしい気もするな。
早速乗り込むと、操舵室に入り、マニュアルを読みながらエンジンを始動する。
船尾のプロペラが回り始めたのが音で分かる。
気を利かせたスタッフがもやい綱を解いてくれた。
慎重に飛行船を離岸させ、少し試運転する。舵の効き具合とか、細かい操作方法とかを確かめないと事故が怖い。
だいぶ勝手が分かってくると、ジャンクヤードを離れて鎧を隠した場所に戻った。
鎧を貨物室に収容すると、補給物資を買うため、港に向かう。
◇◇◇
桟橋に飛行船を繋ぎ、役人に停泊料を納めてから商業地区に行った。
商業地区は繁華街と言っても良いほど所狭しと色々な店が並んでいた。殆どは飲食店だが、時々魔装具やら小道具を売っている店もある。
だが俺たちが探しているのは船旅用の食糧と飲料水、そして聖域探索に使う鉈とかスコップとかピッケルといった冒険道具なのだ。
通り沿いの店を物色しながら歩いていると、不意に目の前に出てきた奴に道を塞がれた。
ヘラヘラした笑みを浮かべた、見るからに軽薄そうなその男は馴れ馴れしい口調で話しかけてきた。
「よう姉ちゃん、可愛いな。ちょっとお茶していかねえか?」
回りくどい誤魔化しや飾りは抜きにして、二言で纏められた実にシンプルな提案。
──ナンパだ。俺じゃなくてティナへの。
ティナが可愛くて魅力的なのは分かるが、俺の専属使用人を口説こうとは良い度胸だ。
だが俺が何かするより先にティナは無視して俺の手を引いて歩き出す。
余計なトラブルを起こしたくはなかったのだろうが、この手のナンパ野郎は無視すると逆効果になるような気がする。
実際男はさらに距離を詰めてきて、気持ち悪い猫撫で声を出してきた。
「おいおい、無視するなんてつれねえじゃねえか。奢るぜ?そこの可愛い嬢ちゃんの分もよぉ〜」
そしてティナの腕を掴んできたのだが──
「触るな!!」
ティナは叫んで男の手を振り払った。
俺も男も呆気に取られる。
その乱暴な行動とティナの姿が繋がらなかった。
いつも緩い表情と優しい声でほんわかした雰囲気を纏っていたティナが嫌悪感を露わに相手を拒絶した──その現実を認めたくなくて意識が停滞したのだろう。
そして俺より先に我に帰ったのはナンパ男の方だった。否、我に帰ったというのは不正確だろう。
「テメェ調子乗ってんじゃねえぞ!獣人が!」
男はドスの効いた声で怒鳴ったかと思うと、ティナを突き飛ばした。
ティナは小さく悲鳴を上げて尻餅をつく。
その瞬間、猛烈な怒りが沸き起こり、俺は意識の停滞から解放された。
「舐めたマネしやがってこの──」
そう言ってティナに詰め寄る男の腹に拳を叩き込む。
魔法で強化された俺の拳は大の大人でも軽々と殴り倒せる。
「ぐはっ!」
男は泡を吹いて仰向けにぶっ倒れ、腹を抑えて痙攣する。
「──その汚い口を閉じろ」
いつの間にか野次馬が周りに集まってきていた。
「行きましょう、お嬢様」
ティナが小声でそう言い、俺の手を引いてさっさと歩き去ろうとするが、その前に立ちはだかる奴──否、奴らがいた。
「オイオイオイオイ、ちょ〜っと待ちな?」
「ダチに何してくれちゃってんの?ねぇ?」
「まさか人を殴って逃げるつもり?良くないよね〜」
ふざけたような間延びした口調で喋っているが、明らかにこちらに対して敵意を持っている男たちが三人。
リーダーと思しき長身痩躯の男と、筋肉モリモリマッチョマンの変態という言葉が似合いそうな大男と、腰巾着臭がプンプンする細目の男だ。
どうやら連中は冒険者らしく、刺々しい装飾のついた厚手の服を纏い、腕にはガントレットを装着し、腰には剣を差している。
こちらを囲むように位置取り、腰に当てた手はすぐに剣を抜ける位置にある。
ティナが叫ぼうとするが、腕で合図してやめさせる。この程度の相手に怖気付いて助けを求める理由など俺にはない。
「アイツの仲間か?ならさっさとアイツを連れて失せろ。こっちは暇じゃないんだ」
他所の領地であまり揉め事を起こしたくないが故に平和的解決を提示したのだが、彼らの低俗な頭では理解できなかったようだ。
「ああん!?」
正面にいたリーダーが額に筋を浮かべて地面を踏み鳴らした。
「人を殴っといてお詫びの一つもなしにそれはちょ〜っとないんじゃな〜い?」
「だな」
ニヤニヤしている腰巾着とマッチョはさっきより距離を詰めてくる。
だが、さっきのナンパ野郎よりは利口なのか、こちらのリーチにはギリギリ入らない絶妙な距離を保っている。
──怒りがどんどん滾ってくる。
コイツらを見ていると前世の借金取り──の中にいたチンピラを思い出すのだ。
「先に私の連れに乱暴したのはお前らのアホなお仲間の方だ。もう一度言うぞ。失せろ」
最後通告を発したが、男たちはまともに受け取らない。
「ギャハハハ!こえーこえー!」
「弱い犬ほどよく吠えるってこーゆーことだな!」
──鏡を見ろとこれほどまでに言いたくなったのは初めてだ。
リーダーが剣の柄に右手をかけてニヤニヤしながら言ってきた。
「うるさい子犬ちゃんにはお仕置きが──」
奴が言い終わらないうちに地面を蹴って飛び出し、斜め上に振り抜くように剣を抜いて奴の右手首を切断した。
奴の右手は抜刀の動作を完遂することなく、柄が握られた剣は鞘に収まったままだ。
男は呆然としていたが、急に顔を歪めて喚き出した。
「うわああああああああああ!手が!お、俺の手がぁぁぁあああ!!」
血が流れ出る右手首を押さえて泣き喚くリーダーの男。
馬鹿な奴だ。最初から俺の言った通りにアホなナンパ野郎を連れて俺の視界から消えていれば、利き手を失くさずに済んだものを。
ま、所詮弱そうな相手を集団でいたぶって粋がる頭が悪くて肝っ玉の小さい男だ。
初対面の、しかも肉体は十二歳の少女である俺の力量を見抜けというのも酷な話か。
「リック!てめぇよくもリックを!」
「やりやがったなこのォ!」
残り二人が剣を抜いて向かってきたが、この程度の相手に鏡花水月を使うなど勿体ない。
脚に魔力を込めて跳躍し、振り下ろされた剣を躱すと、マッチョの背後に降り立ち、回れ右の動作で斬りつける。
「ぐああああああああ!!」
「メルル!?」
太腿の裏側を斬られたメルルというらしいマッチョが悲鳴を上げて倒れ込む。
それを見た腰巾着が人質にしようと思ったのか、ティナに掴みかかるが、彼女に思い切り腹を蹴られてくの字に折れ曲がる。
そこにすかさず追撃の膝蹴りを顎に入れるティナ。
悲鳴一つあげることもできずに腰巾着は地面に倒れた。
実に呆気ない戦いだった。
基本の型通りの動き一つで倒せてしまうとは、やはり粋がるだけの雑魚だった。
剣に付いた血を気絶した腰巾着の服で拭って、剣を鞘に戻そうとしたが──
「あ、あれ?」
上手く入らない。
剣を握った手が手首ごと凝り固まったかのように動かず、それでいて小刻みに震えている。
そのせいで剣先がブレて、鞘口に入らない。
それを見たティナが俺の正面にやってきて膝をつく。
「──失礼します」
そして動かなくなった俺の指を一本一本丁寧に柄から離し、剣を俺の代わりに鞘に戻してくれた。
一瞬寒気を感じて身体が震える。
気付けば俺は随分と汗をかいていた。
──人を斬ったことに恐怖でもしているのか?
悪徳領主になろうとしているのに、なんと情けない。
思い切り被りを振って汗を振り払う。
そしてティナに「行くぞ」と言って大股で歩き出す。
周囲の野次馬たちは呆気に取られていたが、慌てて俺たちのために道を開ける。
◇◇◇
商業地区を出た俺たちは人がまばらな公園に入った。
池の水で剣とマントに付いた返り血を落とす俺にティナが心配そうに訊いてくる。
「お嬢様、何もわざわざ剣を抜かなくてもよろしかったのではありませんか?」
奴らを斬らなくても叫んで助けを求めていれば誰も傷付かずに済んだと、そう言いたいのだろうか。
だが、俺に前世のトラウマを思い出させた時点であいつらの判決は死刑だ。
渡る世間は鬼だらけだが、今世では俺の前に立ち塞がる鬼は全て斬り捨てる。
「あれだけ野次馬がいて逃げなかった連中だぞ?あれ以外に方法があったとは思えないな」
「でも、あれは正当防衛とは見做されませんよ。下手をすればお嬢様が逮捕されかねません」
「ティナ、忘れたのか?俺は貴族、それも子爵家令嬢だ。そしてお前はその専属使用人。賤しいならず者が貴族令嬢の使用人を口説いて、断られたら逆上して狼藉を働き、おまけに主人の令嬢共々複数人で囲んで武器を向けようとした。斬り捨てられても当然だろう?」
懐から懐中時計を出してヒラヒラ振りながら俺は言う。
懐中時計の蓋には俺の名前とファイアブランド家の家紋が彫ってある。今現在家出中の俺が身分を証明できるものだ。
それを掲げる俺にティナは言い返してこない。
無理もない。俺が言ったことは間違いではないからな。
この世界は人治国家であり、厳然たる身分制が存在している。だから命の重さにもれっきとした差がある。
チンピラ如きが貴族令嬢に喧嘩を吹っ掛けた時点でそいつの人生は終わりだ。そうとは知らなかった、などという言い訳は通用しない。
もし捕まったら俺はこの懐中時計で身分を明かすつもりだ。
ついでに男爵家の分際で子爵家令嬢に対する扱いがなっていない、とでも嫌味を言ってやるか。
ま、捕まるつもりは毛頭ないけどね。
「まあでも、俺のことを心配してくれるのは嬉しい。それと、さっきはありがとうな」
頭を撫でてやると、ティナは耳を伏せて目を細める。
「もう、お嬢様ったら──」
そう言いつつも尻尾が上を向いて微かに動いている。──狐娘なのに妙に犬っぽいな。
◇◇◇
返り血を落としたマントが乾いてから俺たちは商業地区に戻り、水と食糧と道具を無事手に入れた。
かなりの量になったので馬車で俺たちと一緒に桟橋まで届けてくれるサービスを頼み、店員とティナが荷造りしている間、店先で時間を潰していたら──派手な色の軍服を着た一個中隊ほどの兵士たちが走ってくるのが見えた。
「急げ!リック様を殺した犯人を取り逃したら領主様のお立場に関わるぞ!何としても探し出し、引っ捕らえるのだ!」
隊長と思しき男の言葉に兵士たちは応で答える。
そのまま特に俺に目を向けることもなく走り去ったが、さっきの台詞が妙にはっきりと耳に残った。
リック様という呼び名は、さっき俺が手首を切り落としてやったチンピラトリオ──いや、ナンパ野郎を入れたらカルテットか?──のリーダーの名前と一致する。
はっきりしたわけではないが──あのチンピラのリーダーは死亡し、それが殺人事件として捜査されているのではないか?
だとすれば不味い事態だ。
街中での喧嘩や強盗、刃傷沙汰などありふれているのに、軍まで動員して犯人を探すということは──あのチンピラ共はただの質の悪い冒険者ではなかったということだ。
まさか──貴族だったのか?
領地で貴族と取り巻きが何者かに斬られて、領主が面子を守るために犯人を捕まえようと躍起になっているということなら──さっきの兵士たちの言葉と辻褄が合う。
そしてあのチンピラ共が出来は悪くとも貴族だったなら──捕まった時に身分を明かすという対処法が使えない。下手をすれば俺の方が処刑されかねない。
冷や汗を流す俺に店員が声をかけてくる。
「準備できました。お乗りください」
店員が用意した馬車には幌が付いていた。
取り敢えず検問にでも引っ掛からなければ見つかる心配は無さそうだが、油断はできない。
平静を装って馬車に乗り込み、なるべく外から見えない位置に腰を下ろす。
御者が手綱を打ち付け、馬車が動き出す。
検問に引っ掛からないことを祈りながら、武器の確認をする。
元々捕まるつもりはなかったが、絶対に捕まるわけにはいかなくなった。
馬車が港に近い所まで来た時、不意に馬車が止まった。
外から太い声が聞こえてくる。
「検問だ。馬車の中を見せろ」
──恐れていた事態が起きてしまった。
幌が開けられる。
中に乗り込もうとしてきた兵士と目が合った瞬間、その顔に思い切り蹴りをお見舞いする。
「ぐあっ!」
相手が尻餅をついたのが気配で分かる。
「ティナ、後ろは頼んだ!」
「ええっ!?」
俺はティナの返事を待たずに御者席に移動し、御者の店員を車外に蹴落とした。
「わっ!な、何を?」
地面に転げ落ち、慌てる店員を無視して俺は手綱を握り、馬車を発進させた。
「あ、待て!止まれ!」
兵士たちが馬車を止めようと立ち塞がるが、構わずに突撃する。
ぶつかる直前で兵士たちは脇に飛び退いた。
そのまま検問所を突破して港へと走る。
「お嬢様、騎兵隊が追ってきています!」
ティナが叫んできた。
騎兵は面倒だな。馬車より速度が出るだろうし、振り切れない。
「代われ!」
「え?は、はい!」
ティナが御者席にきたので、手綱を渡し、荷台に移動する。
後ろを見るとなるほど、馬に乗った兵士たちが警笛を吹き鳴らしながら追ってきている。
その数六騎。
先頭を走っていた三騎がカービンを構え、発砲してきた。
飛んできた三発の弾丸は魔弾と違って視認できない実弾だったが、銃口の向きから弾道を読み、魔力で存在を認識して鏡花水月で難なく打ち返す。
「「「うわあああっ!」」」
打ち返された弾丸が当たったのは兵士ではなく馬。
馬たちはほとんど同時に横倒しに倒れ、乗っていた兵士たちは地面に投げ出される。
倒れた馬たちには気の毒だが、将を射んと欲すれば先ず馬を射よと言うし、兵士に当ててしまうとちょっと洒落にならない。
クソッ!こんな騒ぎになると分かっていたらもうちょっと穏やかに──いや、無理だな。
最初に絡んできたのはあの馬鹿共の方だし、反撃していなければ俺もティナも酷い目に遭っただろうし、リック様とかいう奴が本当に貴族なら、泣き寝入りさせられていたかもしれない。
つまり、俺の選択はあの時俺が取れた唯一の道で、今追われているのも決まっていた結末だったってわけだ。ツイてない。
さて、三騎が脱落した騎兵隊だが、さらに六騎が加わり、結果的に数が増えた。
今度は安直に撃ってくるのではなく、両脇に回り込んで馬を撃とうとしている。
だが生憎とそうはいかない。
鏡花水月で敵騎兵の進路上の空間を弄ると──
「うわっ!」
「危ない!」
「ぐはっ!」
「ぐえっ!」
騎兵たちは互いに衝突してバタバタ倒れていった。
これで追ってきていた騎兵は排除できたと思いきや、ティナが叫ぶ。
「待ち伏せです!」
直後、馬車が急に左折し、俺は危うく馬車から落ちかけた。
銃声が響いたかと思うと、新手の騎兵が三騎追いかけてくる。
角を曲がり切る直前、道を遮る大きな荷馬車がチラッと見えた。
ティナは荷馬車を避けるためにやむなく左折したようだ。
その咄嗟の判断は確かに正しい。俺を振り落としかけた罪は不問にしよう。
そして追ってくる新手の騎兵たちに鏡花水月を使おうとしたその時、不意に一騎が倒れた。残りの二騎も何かに足を取られたかのように倒れ、発動した鏡花水月は不発に終わった。
何事かと思って周囲を見渡すと、馬車と併走する馬が一頭いるのに気付いた。
その背にはローブを羽織り、フードで顔を隠した明らかに騎兵ではない人物。
「ついてきてください!」
謎の人物はそう叫んで馬車の前へと出て行く。
従うかどうか少し迷ったが、すぐにその迷いを断ち切る。
どこの馬の骨とも知れない怪しさ満点の奴──声からすると多分女──だが、おそらくさっき騎兵たちを倒したのはこいつだ。
「ティナ、あいつを追え!」
「はい!」
何かあるにしてもこの際乗ってやれと思い、謎のローブ女についていくことにした。
そのまま馬車はいくつもの角を曲がり、複雑に入り組んだ路地を走り抜け、いつの間にか港町の外れに出た。
どうやら追っ手は振り切れたようだ。
上空には俺たちを探しているらしい鎧の姿もあるが、町の中心部上空をうろうろしているばかりでこちらに来る気配はない。
ローブ女が小さな波止場に停めてあった飛行船に俺たちを手招きした。
飛行船の前で馬車を止めると、ローブ女は馬を下りてフードを脱いだ。
現れたのは──金髪に薄い水色の瞳の美女。
「ここまで来れば安全です」
彼女はそう言って馬車に近づいてくる。
そして俺が馬車から降りやすいように手を差し伸べてきた。
その手を借りて馬車から降りると、思ったより彼女は背が高かった。
「えっと──なぜ助けてくれたのですか?」
いつでも剣が抜けるように気を配りながら質問する。
すると彼女は片膝をついて俺と目線の高さを合わせて答えた。
「貴女が妹の無念を晴らしてくださったからです」
ナンパ断ったらブチ切れて怒鳴ってくる奴マジ何なの──