反対票が7割を超えた、沖縄・辺野古での米軍基地建設をめぐる県民投票。
その結果に関わらず、政府が工事を進める姿勢に変わりがない。これを受け、3月16日には那覇市で「県民大会」が開かれる。
ただ、一言に反対と言っても、そこには様々な感情がある。一時は反対運動に身を投じたが、その後距離を取るようになったという若者も、いる。
葛藤を抱えながら票を投じた彼の思いを、聞いた。
「辺野古の海って、めちゃくちゃ綺麗なんですよ。中学の頃は初日の出を見に行って、そのまま飛び込んだりして……」
そうBuzzFeed Newsの取材に語り始めたのは、沖縄県名護市に暮らす会社員・新垣康大さん(24)。
名護に生まれ、名護で育ち、いまも名護で暮らす。埋め立てが進む辺野古は、中心部から車で20分ほど。小さい頃から、たびたび訪れていたお気に入りの場所だ。
辺野古にある米軍基地「キャンプ・シュワブ」も身近な存在だった。
「でっかいピザを食べたり、海開きのときにボウリング場に行ったり、英会話を習ったり。良い面しか見てこなかったのかも」
基地問題を意識するようになったのは、高校時代に県費でドイツに留学をしてから。沖縄出身と伝えたら、「辺野古」の基地問題について聞かれ、驚いた。
「注目されているんだ、と思いましたね。地元の大学に進学し、大学の制度を利用して東京の大学に1年いたときも同じだった。でもその時は、うわべしか答えられなくて。基地ってなんだろう、沖縄ってなんだろうと考えるようになったんです」
「なぜ辺野古なのか」という疑問
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それ以降、沖縄の歴史を意識して学んだ。いろいろな点が線でつながるようになった。
たとえば、祖父母のこと。戦争の話をしようとはしなかったが、祖母は沖縄戦で学校に行くことができなかったと聞いていた。
「戦後、米軍基地でずっと働いていたから英語はできた。けれど、日本語は書けない。それが祖母だったんです。戦争でどんな被害を受けたのか。米軍基地ができて、復帰までどう歩んできたのか。過去のことがわかってくるようになった」
一方で、「なぜ辺野古なのか」という疑問は膨らむばかりだった。
知人の紹介を機に、2014年の沖縄知事選で結成された若者団体「ゆんたくるー」に入った。辺野古に反対する人たちがつくるテントの横で、賛否を問わず基地問題を考えられるような取り組みを進めた。
ある日、反対運動の男性たちが地元住民と揉める様子を目撃した。参加者の路上駐車がその原因だったが、住民に対し、声を荒げる男性の姿があった。
「この人たちは、本当に名護や辺野古のために基地建設に反対をしているのかーー」。そんな思いが心をよぎった。
「地元の人に寄り添うことができてこそ、本当の反対運動だと思うんです。それなのに……」
だんだんと、反対運動の現場から足が遠のくようになった。
奪われた友人の命
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2016年4月。うるま市で20代の女性が米軍属の男に殺害される事件が起きた。
彼女は、地元の後輩だった。バイト先も同じで、親しくしていた。「行方不明になったんだけど」と、交際相手から連絡をもらった時の気持ちを、いまも忘れることはない。
その後の反対運動では、彼女のことが盛んに触れられるようになった。新垣さんにはマスコミの取材が殺到したが、全てを断った。
「彼女の死と、基地の問題を絡めるのは違うと思う。運動でも、彼女の死を利用しないでほしかった。あの子の、何を知っているのかと……」
反対運動をする気持ちもわかる。それによって、沖縄の基地問題が認知されていることも、わかる。地元に寄り添っている人や、戦争経験をもとに声をあげている人がいることだって、知っている。
しかし、その手法に納得ができない気持ちも膨らんでいた。
「裏切り者」と言われても
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「辺野古の埋め立てを止められるなら、止めたいんですよ。でも、僕が生まれたころからずっと25年間、名護はこの話ばっかり。鳩山首相が最低でも県外と言っても、ずーっと反対を訴えてきても、変わらなかった」
「やっぱり、無理なんだと。それなら、そろそろ次に進まないといけない。もっと地元をよくするとか、そういう話をできるようにしたいと思ったんです。反対運動だけをしている場所というイメージを、もう払拭したかった」
基地だけではない、ふるさと。名護をもっともっと、素敵な街にしたいという気持ち。
そんな思いから、2018年の名護市長選では辺野古に反対する候補ではなく、経済振興などをうたった自民系候補の応援に奔走するようになった。
もともと仲良くしていた反対運動側の知人には、SNS上で「裏切り者」「あの頃の自分を忘れたのか」などと言われたこともある。
しかし思いは変わらなかった。知事選でも、応援したのは「辺野古反対」の玉城デニー知事ではなく、自民系候補だった。
示したかった、本音
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そして、今回の県民投票。1週間毎日のように、考え抜いた。辺野古の海にも足を運んだ。色々な友人知人たちと、議論もした。
反対だ、と明言する同級生もいれば、辺野古の工事に関わる同級生もいる。
辺野古で子育てをしている友人は「普天間のような基地ができるのは怖い」という。大人が喧嘩ばかりする政治には関わりたくない、という知人だっている。
地元に暮らしているからこそ、痛いほどそれぞれの揺れる思いを知っている。
「本当の賛成派なんて誰もいないんじゃないですか。喜んで地元の海を埋め立ててください、なんて人いますか? みんなあくまで、『容認』なんです。あそこの本当の綺麗さを知っているのは、僕ら名護市民ですから」
「そういうことを、本土の人には知ってもらいたいんです。反対してるから敵だとか、いつも怒っているとか、ではなくて。考えに考え抜いて、こういう結論をみんながそれぞれ出しているんだよ、ということを」
そうして新垣さんが投じたのは「反対」の票だった。
「本音では反対なんだ、という意思だけは示したかったから」
ずっと、揺れている
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県民投票後も、工事は続く。政府の態度は「高圧的」と思う。
「辺野古である理由は、いまだにわかりません。でも、もう絶対に他がないのなら、安倍さんや菅さんが地元にきて頭を下げてくれればいい。そうしたら納得できる人も、いるかもしれないじゃないですか」
県民投票をきっかけに、基地問題についてそれぞれが考えたことこそが、大切だったと思っている。
特に感じるのは、同世代の変化だ。署名を集め、県民投票の実現にこぎつけた大学院生・元山仁士郎さん(27)のハンガーストライキがひとつのきっかけだったという。
「同世代への衝撃は大きかったと思いますよ。僕の彼女も、彼のハンストをきっかけに基地問題に興味を持つようになったんです。一緒に辺野古に行ってみて、テント村の人たちに、改めて話を聞きました。賛否関わらず、考えることって大切だなって」
「声高に反対を訴えるだけじゃなくて。反対派を敵のように扱うんじゃなくて。対立とか分断、揚げ足取りじゃ、何も進まないですから。徹底的に議論したあと、笑いながらお酒を飲めばいい。僕らの世代なら、それができるはず」
大人の喧嘩はもう終わりだ。語れるようになること、対話こそがこれからの沖縄のために必要だと思っている。
「この問題に関しては、ずっと揺れている。簡単には結論がでない。僕みたいな人、多いと思いますよ。だからこそ、みんなで考えていきたいんです」
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