ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
皐月賞は、最も速いものが勝つ。
聴き飽きるほどに聴いたそんな標語を、ミホノブルボンの脳はリフレインしていた。
「酔ったのか?」
窓を見ていたからそう思われたのだろうと、ミホノブルボンは理解した。
「いえ、マスター」
「ならいい」
優美で荒々しさが微塵も感じられない――――同乗者に毛ほどの負担もかけたくないという気持ちがなんとなく察せられる――――運転で、その白い車は関係者専用の駐車場に止まった。
「マスター」
早く着き過ぎたか。
そんなことを思いつつ窓の外を見た男の耳に、これまで黙り込んでいた少女の声が届いた。
「どうした」
「マスターはあのとき、ライスシャワーさんと話すようにと仰られました。あのときとはつまり、12月20日19時24分のことです」
「ああ、確かに言った」
朝日杯FSが終わったあとの練習のあと、珍しく顔を出した客人を見て、確かに彼はそう言った。その記憶は鮮明に、彼の脳にも残っている。
「マスターは仰られました。社会性の向上もこれからのお前には必要だ、と。あれは本意でしょうか?」
「本意だ」
「では、真意ではあるでしょうか?」
「なるほど」
バタリと、逆側の扉が開いた音がした。長身を屈めてマスターが外に出て、ブルボンが少し前まで寄りかかっていた扉が開く。
「そこにベンチがある。座って話そうか」
そう言われ、指し示された先に座る。
トレセン学園に入ってからこれまで終始一貫して、彼が描き肉付けした未来に向けてミホノブルボンは歩いてきた。このちょっとした動作も、その一環である。
「ほら」
「天然水ですか」
少し間を空けて、マスターはやってきた。
差し出されたペットボトルは、とても冷たい。自分がベンチに座って待っている間、近くの自販機で買ってきたのだろうとミホノブルボンは思った。
「りんごフレーバーのな。好きだろう、君は」
「はい」
ストローでちゅーっと吸って、一息つく。
それを見計らったように、隣に座ったマスターは口を開いた。
「昨日、会ったか。そして君なりに何かを感じた」
「はい。明瞭ならざる違和感を感じました」
「まさしく。しかし、君らしからぬ不明瞭な言い方だな」
「申し訳ありません」
そうやって謝ったミホノブルボンを、マスターは手で制した。
常と変わらない、透き通り凍りついた湖面のような冷徹な横顔。
この表情の不変さは、ややさざめいているミホノブルボンの心に静けさを与えてくれていた。
「誤解を恐れずに言えば、ライスシャワーは今のところ脅威ではない。いくら芯が強かろうが、才能があろうが、実力が伴わなければ意味がない。彼女には半年間の空白がある。普通ならばその時点で、脅威の対象からは外れるのだ。まぁ、それを覆しつつあるというのがあいつらの怖さなのだろうが」
「半年間。レースに出走しなかった期間、ですか」
ライスシャワーは、高等部から新入生としてやってきたミホノブルボンとは違い、中等部からここに居た。そして中等部2年の夏休み明けから冬まで、一切レースに出なかった。
リギルの将軍、あのトレーナーと出会うまでは。
「そうだ。ライスシャワーは君より早期に才能が見出されていたし、実戦経験も豊富だろう。中距離専門として見ても、長距離専門――――ステイヤーとして見ても、才能の多寡で言えば、君は圧倒的に負けている」
ライスシャワーはサボりたいからとか辛いからとかで、サボるようには見えない。
それはミホノブルボンと彼女のマスターとの統一見解だった。練習風景をひと目見ただけで、わかるものにはわかるのである。
「はい」
「無論これは、今回の君の負けを意味しない。およそ世界史上に外敵のみによって滅んだ国家がないように、敵に圧倒されたからと言って即座に負けることはない。負けるときとはつまり、自らを信じられなくなったとき。君が彼女に圧倒され、自らの長所を捨てたときだ」
「ラップ走法を捨てる、ということでしょうか」
「そうかもしれない。ライスシャワーはスタミナに物を言わせたロングスパートで差を詰めてくる差しよりの先行型だ。君は逃げだから、ライスシャワーによる後方からのプレッシャーに当てられて、ラップ走法を捨てて駆け出す。それは考えられる敗因の1つではあるが、もう1つある」
逃げという戦法には、誤算が少ない。先頭を切って走るということはつまり、自らペースを作れるということである。
誤算というものは主に、誰かに作られたペースに載せられた上で発生する。逃げている限り、誤算というものは起こりにくい。
「……それは、なんでしょうか」
「例えば、だ。君以上の逃げウマ娘が出てきたとき、君はどうする? 二番手に甘んじるか、それとも無理して先頭を取りに行くか」
先頭を取りに行くだろうと、ミホノブルボンは思った。
ラップ走法の価値とは、正確無比に時間を刻み続けるところにある。先頭に誰かがいて、そのウマ娘に頭を抑えられる時点で正確無比に時間を刻むことは難しいのだ。
「俺は思う。つまりこの時点で、君は自分のペースを作れない、と」
先頭に立ってこそ、正確無比に時を刻める。1ハロン11秒代後半の時をひたすらに刻める。
それはなにも、体内時計が正確だからやっているのではない。スピードを一定に保つことで、スタミナの減少を抑えられるからやっているのである。
無理して先頭を取りに行けばどうなる?
そのとき、ミホノブルボンはペースを乱される。スタミナの減少はいつもより激しく、速くなる。
先頭を取りに行かなければ、どうなる?
そうすれば、自分のペースを保てなくなる。正確な時を刻めなくなる。周りに合わせて速度を増減させ、スタミナの減少が加速する。
「ですが現在、私以上の逃げウマ娘はいません」
「トータルならな」
「トータルなら、とは?」
彼女にとって逃げとはつまり、超高速のジョギングだった。一定速度を保ち、息切れすることなくゴールまで駆ける。
だからこそ、マスターがトータルと言った意味がわからなかった。
「例を出そう。君とツインターボ。初速はどちらのほうが速い?」
「ターボさんです」
「じゃあ君は、スタート時点からツインターボのスタミナが尽きるまでの間、そのレースの中では2番目の逃げウマ娘になるということだ。最終的には勝つだろうが、中盤までは負けている。そうではないのかな?」
「……それは、そうです」
「君は現状最強の逃げウマ娘だ。だが、瞬間的に最強というわけじゃない。あくまでもトータルで最強なのだ」
へたりと、耳が栗毛の髪に触れるほどに倒れる。
そんな、たいらになって随分撫でやすくなった頭の上に、大きな掌が乗った。
「ブルボン」
名前を呼ばれるのは、初めてのことだった。
スカウトのとき、ミホノブルボンとは呼ばれたことがある。あとは他には、君とかお前とか。略称で呼ばれたという記録は、ミホノブルボンのデータベースには存在しない。
「ここまで予測できていて。君という総合的に最強のウマ娘が居て。それで、俺が対策を立てられていないと、そう思うか?」
思わない。心の中で即座に、ミホノブルボンは断じた。
しかしその言葉が口をついて出る前に、彼女のマスターは言葉を続けた。
「君は言ったな。皐月賞の勝利は私とマスターであれば、可能であろうと予測されます、と」
「はい」
「あれから4ヶ月。《必然》という範囲は延び、既に菊花を射程に捉えている」
――――安心しろ。全部巧くいく
涼しげながら油断ならなそうな、底が知れないような。それでも味方だと考えれば心から信頼できる不敵な笑み。
なんの根拠もなかった。なんの実証もない言葉だった。だけど彼にはそれを信じさせるに足る信頼と、実績があった。
「だから君はいつもの通りに走って、いつもの通りに練習して――――」
手が離れ、笑みが消える。いつも通りに冷徹な、参謀と呼ばれるにふさわしい明晰な顔立ち。
――――俺の言う通りに動け
「はい、マスター」
ぴょこんと栗毛の耳が屹立し、扇風機のようにぶんぶんと尻尾が回る。
不安が飛んでいく。頭を覆っていたエラーが解決され、視界が涼やかに澄み渡る。
「勝ちます。マスター」
「当たり前だ」
それから、二人は話さなかった。話す必要が無かった。
おもむろに立ち上がり、一人は控え室に、一人は関係者用の観戦席へ。
初めてとなる勝負服を身に着け、ミホノブルボンはパドックに入った。
何も、目に入らなかった。何も、聴こえてこなかった。視界の先に、腕組んで胡座掻いて勝利を待っている人が見えたのを確認して、目を閉じる。
快晴が通り過ぎ、やや冷たい春風が吹く絶好の良バ場。
――――ひらく
そのタイミングが、直感的にわかった。
ゲートが開き切る前に、一歩を踏み出す。それはウマ娘として初めて教わると言っていいほどに、当たり前の技術。
だがミホノブルボンは、それより更に速かった。
影すらを置き去りにするほどのスタートからはじまり、他のウマ娘など当然置き去りにしてミホノブルボンはハナを進む。
ナリタタイセイも、マチカネタンホイザも、そしてライスシャワーも、付いていくことすらできなかった。喰らいつこうとしたナリタタイセイは途中で脚が尽きてバ群に呑まれ、スタミナが尽きるまでマークしようとしていたマチカネタンホイザはひっつく前に引き剥がされ、無限に近いスタミナを持つライスシャワーのロングスパートは、物理の壁に阻まれる。
差されたくないなら、こうすればいい。
逃げウマ娘ならば、その走りが理想であることがわかる。何よりも雄弁に、そう語っているのがわかる。
いっそ、暴力的なまでに明瞭な解答だった。追ってくるウマ娘が怖いなら、差されるのが怖いなら、物理的に差しきれない距離を開けてしまえばいい。
タイムは1:57:2。2位との着差はまさしく大差。自身がほぼ同条件で記録したホープフルステークスにおけるタイムを2秒縮める、圧倒的なレコードタイム。
ラップタイムは1ハロンごとに11.7。誤差は最大で0.2。200メートルを11.5から11.9の狭い間を彷徨いながら刻み続ける。ただそれだけの単調で単純な、だからこそ強い圧倒的な押し切り勝ち。
絶好調のミホノブルボンはまさに精密機械の如き走りを見せた。
「マスター。レコード、達成いたしました」
「脚を使い過ぎだ。見せてみろ」
今まで見せなかった全力疾走であるが、これは今まで見せられなかった全力疾走でもある。
最高のバ場だった。最高のコンディションだった。だからこそ、どこまでいけるのか試してみたくなった。
「ウマ娘の脚は消耗品だ。ああいう速さにかまけた、何も考えないような走りは寿命を縮めることになるぞ」
「……はい」
熱を持った脚に冷たい指が触れ、しょぼんと耳が垂れる。
芝を走ると、とにかく脚に負担がかかるのだ。あまりにも酷使すれば屈腱炎などの不治の病にかかったり、骨が折れたりする。
坂路を走るのは辛い。辛いが、脚にかかる負担は芝と比べれば然程でもない。だからこそ、狂気じみた練習メニューを組めているわけである。
「申し訳ありませんでした、マスター」
「……いや。消耗させるに足る、素晴らしいレースだった。それは確かだ」
だがトレーナーとしては、どうしても消耗の方が先に気になるのだ。
「全力で走るのはいい。だが全力を出すことと、最善を尽くすことは違う。わかるな」
全力で走り続ければ、スタミナが尽きる。脚が消耗する。全力を出すことが勝利のための最善策であるならばいいが、今日に限っては全力を出さなくとも勝てた。
ミホノブルボンの望みが全力で走ることならば、彼としては別にここまでうるさく言う気はない。しかし、彼女の夢はあくまでもクラシック三冠である。
全力を尽くすことが礼儀だ、などと言って無闇な消耗を許すわけにはいかない。
「はい」
「全力で走ることが必要になるのはわかる。だが使う場所とタイミングを弁えなければならない。そうしなければ遠くない未来に怪我をするはめになる」
怪我をさせたくない。
怪我に苦しむ姿を見たくない。
彼が心からそう思っているということは、指示されている細やか過ぎるウォームアップと入念なクールダウンを見ればわかる。
そのことは誰よりも、ミホノブルボンが知っている。スパルタスパルタと言われるが、彼は絶対に無理はさせない。無茶も無謀もするが、練習における無理の壁だけは乗り越えさせない。
無茶と無謀で、少しずつ無理の範囲を縮める。練習メニュー1つとっても、気の遠くなるほどの分析力と忍耐、綿密さで立てているのだ。
「マスター」
「もう言うな。俺ももう言わん。素晴らしいレースだったんだから、今はただ胸を張れ」
ウイニングライブの後の練習は、珍しく休みだった。ぬいぐるみ化計画の相談があるから、ということだったが、たぶんそうではないだろうと、ミホノブルボンはそう思った。
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