俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

1 / 40
第一章


 どこまでも続くような青い空と海を白い雲が彩る。

 空が青いのはレイリー散乱で雲が白いのはミー散乱。──タネは面白味のないただの物理法則だ。

 

 でも──もしその物理法則を書いたやつがいるのなら、そいつは実にセンスがいい天才だ。

 だが、そんな天才が創りたもうた美しい景色は先程から黒い煙で汚されている。

 空中で絶え間なく爆発が起こり、時々黒い煙の尾を曳いて落ちていくモノがある。

 

 そう──ここは戦場だ。

 大空にいくつもの飛行船が浮かんで大砲を撃ち合い、その周囲で【鎧】と呼ばれる人型兵器が空中戦を繰り広げている。

 己の膂力と技術の限りを尽くして命の奪り合いをする真剣勝負の場で俺は高笑いしていた。

 

「どうしたよ?田舎の小領主なんて一捻りじゃなかったのか?」

 

 鎧の中から発せられる俺の声は拡声器を通じて戦場に響き渡る。

 

 鎧──人間が乗り込んで操縦しやすいという理由で人型をしている空飛ぶ戦車のような兵器は俺には欠陥だらけに思える。

 なんで人型兵器にライフルやら槍やら剣やら爆弾やらを手に持たせて接近戦をやるんだ?戦闘機では駄目なのか?

 

 だがここはファンタジー世界。そんな合理主義などかなぐり捨てた世界観である。

 

 俺の駆る鎧は白く、流麗で、それでいて大きかった。

 現在主流の小型で機動力を優先した鎧より二回りほどは大きい。

 

 そんな大型の鎧が周囲を飛ぶ小型の鎧のひとつを巨大な手で捕まえる。

 

『助けてくれえええええ!』

 

 命乞いする敵パイロットに俺はニヤリと笑って冷たく言い放つ。

 

「死ね」

 

 そのままもう一方の手で握り拳を作り、相手の胸部──コックピットを思い切り殴りつける。

 

 一撃で相手はひしゃげて動かなくなる。中のパイロットは押し潰されたか、衝撃で死んだか──どうでもいい。

 敵を殺したことに罪悪感など微塵もなく、むしろ興奮が湧き起こる。

 他者を踏みにじり、最も大切な命を奪い取る。強者にのみ許された特権だ。

 

「はっ、弱い!弱すぎるぞ!もっと骨のあるヤツはいないのか!?」

 

 笑いながら機体を操縦し、近づいてくる敵を倒していく。

 狙いはコックピット。つまりパイロットだ。

 鎧が巨大な剣でコックピットを無慈悲に突き刺し、そのまま横なぎに振るって引き抜く。

 

「恐れる必要はないぞ弱虫共!ただ哭け!!」

 

 人を人とも思わぬ悪魔のような言葉を十代前半の子供が発している。

 前世の俺ならきっと「狂っている」と感じただろうが──俺は気付いたのだ。

 狂っていたのは自分の方だった、と。

 

 結局力なき者は何を言おうが蹂躙され、奪われるだけ。力のある悪人が()()()()()を虐げて繁栄する──それが人の世の摂理だ。

 だから俺は今世では力のある悪人になろうと決めた。

 否、極悪非道の支配者だ。

 今の俺を一言で言い表すならそれは「悪徳領主」だろう。

 

 この不思議なファンタジー世界は大地が空に浮かび上がり、貴族たちが浮島と呼ばれる空飛ぶ島を領地にしている。

 そんな世界で俺は子爵家当主の地位にいる。

 悪党の俺が弱冠十二歳で親から家の実権を簒奪し、それなりに大きな浮島とその周囲の小さな島々の支配者となり──そして重税を課し、若者を兵隊に取って戦争をし、民たちを苦しめている。

 これが安っぽい勧善懲悪ものの小説なら俺は悪党として退治される側だが、現実は違う。

 

「何だ?そのノロマな尻で誘っているのか?汚らしい姿を俺に見せるな!!」

 

 俺の暴れっぷりに恐怖した敵が逃げていくが、その背中に鎖の付いた禍々しい銛が突き刺さる。

 俺の鎧が銛を撃ち出す特製の武器で撃ったのだ。

 

 鎖が巻き取られ、敵は強制的に俺の方へ引き寄せられる。

 

『あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!やめて!やめてください!お、俺には故郷に妻と子供が──』

 

 泣き叫ぶ敵に容赦なく刃を突き刺す。

 背中の重要機構を破壊された敵はたちまち爆散する。

 

 故郷で帰りを待つ家族がいる人間を嬉々として殺した。だが正義の味方が俺を成敗しにやって来ることはない。

 

 正義など存在しない。そんな物は物語の中だけに存在する虚構であり、現実では相手を殺すときに使う言い訳でしかないのだ。

 

 そのことに気付いたのは今世になってから──否、前世の最期の時だった。

 前世の俺は支配者たちから植え付けられた虚構の価値観を無邪気に信じていた愚か者だった。

 

 そんな愚か者が辿った結末はそれはそれは悲惨なもので──そこから全てが始まった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 目の前の映像に俺は激しく胸を締め付けられ──怒りと憎悪を滾らせていた。

 俺が久しく口にしていない贅沢な食事をしながら下卑た笑みを浮かべている知らない男と、今では離婚した俺の元妻。

 

『お前も悪い女だな。元旦那に借金を背負わせて、挙句に養育費まで払わせているらしいじゃないか。あの子、元旦那の子じゃないだろ?』

『いいのよ。法律上はあいつの子で養育費の支払いは親の義務だもの』

『うわぁ──本当可哀想だな。お前の元旦那』

『女は本能的に優秀な遺伝子を残したいのよ。あの程度の男の子供なんていらないの。金だけ稼いでくれればいいのよ。むしろ私と結婚できたんだからそれくらいしてもいいわよね。その程度の価値しかない男だったんだから』

『女は怖いな』

『そんな女にしたのは貴方じゃない』

 

 二人の会話が理解できるまでしばし時間がかかった。

 

 ──素朴で優しかった元妻がずっと俺を騙していた。

 

 ──この世で自分の命よりも大切だった宝物──子供も托卵された赤の他人だった。

 

 俺は映像の中の元妻と男に目眩のするような憎しみを覚え──怒りの矛先を映像を見せた張本人にも向けた。

 

「おっと、怒らないでください。私はただ貴方に真実を知って欲しかったから今の光景を見せたのです。身に覚えはありませんか?これは幻ではありません。今現在起こっていることなのです」

 

 映像がリアルタイムの出来事だと告げて来る燕尾服の男──【案内人】と名乗る不気味な存在。

 表情は影になっていて口元しか見えず、帽子のつばの端や燕尾服の燕尾部分が炎のようにユラユラと動いている。

 人外あるいは超常の存在であるのはなんとなく分かるが、今となってはどうでもいい。

 

 その案内人が何やらペラペラと喋っていたかと思うと、旅行鞄からパンフレットを何枚か取り出した。

 

「貴方はこれまで不幸でした。そんな貴方には、次の人生で幸せになって貰いたい。どうでしょう?異世界に転生してみませんか?」

 

 案内人の差し出したパンフレットはどれも実に色鮮やかだった。

 だが──

 

「復讐──させろ。絶対に──許さない。全員に──復讐して──やる」

 

 俺はそんなものに興味は持てなかった。

 只々、俺を陥れた奴らに復讐したかった。

 

「残念ながら、貴方の命は尽きようとしています。私に出来るのは貴方に幸せな来世をプレゼントすることくらいだ。今まで不幸だった貴方には幸せな第二の人生が待っています。復讐は諦めなさい」

 

 拒否しようとしたが、声にならない。

 悔しさで頭がどうにかなりそうだった。

 

「貴方に選べるのは、次にどんな世界に行くかだけ。せめて、自分の望んだ世界に転生しなさい。さあ、次こそ貴方には幸せな人生が待っていますよ」

 

 そんなの知ったことではない。

 払い除けるつもりで手を伸ばしたが、力が入らなかった。

 伸ばした手はパンフレットの一つに指先が触れるや否や、床に垂れ落ちてしまう。

 

 案内人は俺の手が触れたパンフレットを見ると、笑みを浮かべながら売り込みをかけてきた。

 

「ほう、こちらの世界に興味がお有りですか?こちらはお勧めですよ。この世界のような汚らしいコンクリートの森はなく、風光明媚で空気も水も美味しい。人々は遮る物のない大空で冒険を夢見て暮らしています。あ、勿論魔法もありますよ」

 

 俺が触れたパンフレットは大地が空中に浮かんでいる幻想的な表紙絵をしていたが、俺が考えていたのは何もかもが馬鹿馬鹿しいということだった。

 俺はこれまで真面目に誠実に生きてきた。

 犯罪に手を出したことはないし、世間一般で言う「善良」な人間だった。

 

 なのに──その結果は何だ?

 

 誠実に向き合って一途に愛した女には捨てられ、真面目に勤めていた会社は身に覚えのない横領でクビになり、どこにも再就職できずにアルバイトの掛け持ちをする羽目になり、いつしかこれまた身に覚えのない借金ができて、借金取りに怯えながらボロアパートで貧乏暮らし。その末に身体を壊して、今この瀕死状態だ。

 騙されて、嗤われて、搾り取られて、復讐すらできずに死んでいく。

 

 こんなことなら最初から好き勝手に生きれば良かったのだ。

 他人ことなど気にせずに俺の幸福だけ追い求めていれば良かった。

 

 転生するというのが本当なら──今度はもう間違えない。

 好き勝手に生きて、ムカつくヤツは叩き潰して、今まで虐げられてきた分、今度は俺が虐げてやる。

 そうだ。俺は悪の側になってやる。

 

「この世界では貴族たちが権力を握っています。その貴族の家に生まれるようにしておきましょう。生まれながらの勝ち組ですよ」

 

 案内人の言葉に笑みが浮かぶ。

 

「さあ、行きなさい。貴方の次の人生に幸あらんことを」

 

 世界がぼやけて闇に侵食されていく。だが心は死なない。

 今日という日を俺は決して忘れない。

 貴族の家に生まれ変わったら、権力を思う存分振るって暴虐の限りを尽くしてやろう。

 

 そんなことを考えながら、俺は死んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 長い長い夢から醒めた時、目に入ったのは抜けるような青い空だった。

 

 人一人分の一生を昼寝の中で夢見たような不思議な感覚に頭がしばし混乱する。

 だが俺には分かった。俺は転生してたった今前世の記憶を思い出したのだと。

 どうやら案内人の言っていたことは本当だったらしい。

 

 身体を起こすと違和感に気付く。

 首筋から背中にかけて何か当たっている。

 触ってみると、手触りの良いサラサラした──髪の毛だった。

 

「──は?」

 

 思わず声が漏れた。なんで俺の髪がこんなに長いんだ?

 

 立ち上がってみると、すぐ近くに泉が見えた。

 

 駆け寄って水面を覗き込むと──そこにいたのは絹のような白銀の髪に透き通った宝石のような青い瞳をした()()()──否、()()だった。

 

「俺──いや、私──?え?」

 

 首を傾げると、水面に映った幼女も首を傾げる。どうやら俺は今世では女に生まれたらしい。

 それも人形みたいな整った目鼻立ちに、ちょっと生意気そうなつり目、アルビノかと思えてくるような白い肌と髪。

 

 生まれながらの勝ち組ってこういうことか?美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きられるってか?

 

 でも案内人は貴族の家に転生させると言っていたよな?

 貴族家の女性って政略結婚の道具扱いなイメージしかないんだが──この世界だと違うのか?

 だが仮に違うとしても女では領主になれない──権力を振るえないではないか。

 

 あの案内人、俺の望みを分かっていないらしいな。

 俺は権力を振るって悪逆非道の限りを尽くす暴君──悪徳領主になりたいのに、これでは精々社交界で寄って来る男共をあの手この手であしらう程度のみみっちいことしかできない。

 

 全くもって腹立たしいが、取り敢えず今の俺の状況を整理しよう。

 

 今世での俺の名は【エステル・フォウ・ファイアブランド】。年齢は五歳。

 朧げな今世の記憶によれば、俺は辺境の浮島の領主であるファイアブランド家の長女──というか、二人姉弟の姉。

 ファイアブランド家はホルファート王国と呼ばれる大国に所属する領主貴族。

 たしか、ミドルネームに意味があって、【フォウ】が領主貴族、【フィア】が宮廷貴族、【ラファ】が王族の出身であることを示す。

 前世の【フォン】とか【ド】みたいな前置詞なのだろう。

 ファイアブランド家は領主貴族の子爵。

 王国の中では大勢の貴族に過ぎないが、地元では絶対的な権力者だ。

 

 尤も、俺は女である故にその後継ぎになれない。

 だが──何か良い手立てはないだろうか。邪魔な両親と弟を排除して領主の地位を手に入れる方法──

 

 考え始めたところで無理だと気付いた。

 今の俺は幼女。あまりにも無力で、仮にどうにかして両親と弟を排除したとしても、婿を取らされるか、親族の誰かが後釜に居座るに違いない。

 

 クソ。無能な案内人め。

 もし今度会ったらたっぷり小一時間ほどは恨み言を言ってやるから覚悟していやがれ!

 

 不意に何かヒラヒラした物が俺の頭の上に落ちてきた。

 

 手に取って見てみるとそれは手紙だった。

 封を開けてみると、案内人からのメッセージのようだ。

 俺が転生したことへのお祝いと、自分が少しばかり忙しくて様子を見守れないこと、だが困らないようにサポートはする、ということが書かれていた。

 

 クシャッと手紙を握り潰す。

 俺は肩を怒らせて今世の家──屋敷に戻った。

 

 

◇◇◇

 

 

 翌日。

 

「専属使用人?」

 

 俺は聞き慣れない単語に思わずおうむ返しをした。

 

「そうよ。貴女のお世話をする専属の使用人──貴女だけの奴隷を買ってあげるわ」

 

 俺の今世での母親【マドライン・フォウ・ファイアブランド】は笑顔だった。

 どうでもいいが、マドラインは全く俺に似ていない。金髪にオレンジ色の瞳で、俺と違って優しそうなタレ目で胸が大きい。

 ちなみにマドラインの隣に立っている父親【テレンス・フォウ・ファイアブランド】も俺に似ていない。炎のような赤い髪と瞳で顔立ちはゴツい。

 

 まあそれはさておき。

 子供の世話を奴隷にさせるって親としてどうなのだ?

 両親の後ろに立つ執事【サイラス】も同じことを思ったらしく、困惑の表情を浮かべている。

 

 だが、ふと考えが一つ浮かんだ。

 案内人の手紙にあったサポートとはこれのことではないだろうか。

 自分の代役として身の回りの世話をしてくれる奴隷を側に置く──どうせなら両親と弟も排除して欲しかったが、まあいい。ありがたく受け取るとしよう。

 

「ありがとう。お母様」

 

 朧げな記憶でしていたように返事をする。

 

 

◇◇◇

 

 

 奴隷商館はホルファート王国本土の中心にある王都にあった。

 ファイアブランド領から定期便の飛行船を乗り継いで五日間の船旅は退屈だったが、ジェット機がないとこんなものだろう。

 さすが大国の首都だけあってファイアブランド領とは比較にならない大きな街だ。都市部だけで人口は百万人はいるのではないだろうか。

 馬車の車窓から見える街並みは美しく、瀟洒な建物が無数に軒を連ねている。

 

「さあ、ここよ」

 

 馬車が止まり、マドラインが馬車の扉を開けて俺を外に連れ出した。

 奴隷商館はイメージしていたのとは違って、洒落たマンションのような建物だった。

 

 中に入るとさながら前世の風俗店みたいに写真がズラリと並んでいた。

 前世では創作物の中でしか見たことがないエルフやケモ耳を持つ獣人たちの写真が壁を埋め尽くしている。

 この写真の中から気に入ったのを選んで実際に見て確かめてから購入する、という仕組みらしい。

 

 なるほど、システムとしては中々良いじゃないか。

 ただ──気に入らないことに奴隷共はどいつもこいつも()()()()である。

 確かに──確かに美形揃いではある。だが俺は身体は女でも心は男なのだ。

 いくら美形でも野郎を侍らせる趣味はない。侍らせるなら美女がいい。

 

「女──の子はいないのですか?」

 

 ビシッとしたスーツ姿の店員に聞いてみる。

 

「おや、珍しいですね。女性の方がお好みですか?でしたらこちらに」

 

 何やら慇懃無礼な感じのする店員に案内されて隅の方に行くと、女奴隷の写真がいくつか掛かっていた。

 その数はやけに少ない。

 この世界では女奴隷の需要がないのか?全く変な世界だ。

 

 一つ一つ見ていく俺はその中の一つに目が留まった。

 

 俺と同じ絹のような銀髪に外側が白く、内側が黒い三角形のケモ耳、そして先端が黒いふさふさの大きく白い尻尾──狐の獣人だ。

 幼さが残る可愛い顔立ちで、切れ長だが優しげなタレ目。瞳は神秘的な翡翠色。

 

「その娘がいいの?エステル?」

 

 後ろからマドラインが覗き込む。

 

「はい!」

 

 マドラインは微笑んで店員を呼んだ。

 

 

 現れた奴隷──【ティナ】という名前だった──は写真で見るよりもずっと可愛かった。

 年は大学生くらいだろうか。スレンダーだが出る所は出たバランスの良いプロポーションで、形の良い胸とスラリとした美脚が目を惹く。

 威圧感や刺々しさは全くなく、全体的にほんわかしたオーラを纏っている。尻尾を触っても怒りもせずに微笑みを浮かべ、触りやすいように屈んでくれる。

 

 ──気に入った!この娘にしよう。

 

 まあ、ロボットじゃない生きた人間──いや、獣人と言った方が良いだろうか?──だから裏切る心配がなくもないが、その時はその時だ。

 写真を見た瞬間にこれは、と思ったのだ。自分の直感を信じよう。

 

「この娘にします!」

 

 マドラインは頷いて店員と話し始めた。

 

 商談は一分と経たずに纏まったようで、マドラインが金貨を幾つか店員に渡す。

 店員が手を伸ばし、ティナの首に着いていた黒いチョーカーを外した。

 

 俺たちはティナを連れて店を出た。

 店の玄関まで見送りに来た店員が営業スマイルで見送りしてくる。

 

「お買い上げありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」

 

 そう言う店員の目に微かに清々したような感情が込もっているような気がした。まるで厄介者を追い出せた時のような。

 

「好みの奴隷が見つかって良かったわね。エステル」

 

 マドラインが俺を見下ろして言った。

 

「うん」

 

 俺は生返事をする。

 俺の意識はすっかり隣を歩くティナに向いていた。

 ティナの方が俺よりずっと背が高いので、見上げる格好になる。

 

 袖を掴むと察したティナが一礼して俺を抱き上げた。

 視線が一気に高くなる。

 細腕に見合わない力を持っているようで、片腕だけで軽々と俺を支えている。

 

 ティナの首に手を回すと、肌触りの良い髪が頬に当たり、思わずもたれかかってしまう。

 ティナの髪からはほっと気持ちが落ち着くような良い匂いがした。

 できればこのまま降りたくない──そう思った。

 

 

◇◇◇

 

 

 領地の屋敷に戻った俺の前でティナは改めて挨拶してきた。

 

「この度は私を選んで頂きありがとうございます。改めまして、ティナでございます。これからどうぞよろしくお願い致します」

 

 五歳児相手に一切の緩みのない見事なカーテシーを披露するティナ。

 彼女はシックなワンピースのメイド服を着ていた。

 屋敷のメイドたちが着ているよりも明らかに高級な品である。

 

 令嬢直属の使用人とはいえ、奴隷がこんな高級な服を着てるってどうなのよと思うが、この専属使用人という存在は俺が考えていたほど単純なものではないらしい。

 奴隷とは言うものの雇われの身であり、ビジネス上の関係なのだそうだ。

 

 それを知った俺は得も言われぬモヤモヤした感情を抱いた。

 だが、ティナの美しさとほんわかしたオーラの前ではその感情は鳴りを潜めた。

 何と言うのか──彼女を見ていると無意識的に信じたくなってしまうような、そんな気になってしまうのだ。

 

 こんな逸材がなぜもっと積極的に売り込まれずに隅っこに申し訳程度に展示されていたのだろうか。彼女を欲しがる男は星の数ほどいるだろうに。

 

 考えても答えは出ない。

 だが、案内人にはちょっとばかり感謝しよう。

 悪徳領主になれないのは癪だが、こんな可愛い専属使用人が手に入ったのは素直に嬉しい。

 

 手を伸ばすとティナが俺を抱き上げる。

 胸を触ってみると意外に大きく、小さな手では掴み切れない。

 

「お、お嬢様?」

 

 ティナが少しテンパっていた。可愛い声だ。

 

「理想的な柔らかさだな」

 

 柔らか過ぎず、張りも弾力もあって実に素晴らしい胸の持ち主である。

 

「あ、あの──お嬢様?あまり触られるとくすぐったいです──」

 

 見るとティナの顔が微かに紅潮していた。

 その顔を見ると猛烈な劣情が湧き起こって──思わず唇を奪ってしまった。

 

「ッ!?」

 

 ティナが息を呑む。

 突き飛ばしたり落っことしたりしたら処刑してやる所だったが、ティナはそんなことはしなかった。

 唇を離すと、ティナは先程よりも紅潮した顔で恐る恐る尋ねてきた。

 

「お、お嬢様──その──と、伽を、お望みなのですか?」

「だったらどうなんだ?」 

 

 奴隷と言うからには()()()()()()もアリかとは思うが、金で雇われている存在なのでひょっとしたら駄目かもしれない。

 ティナは驚愕に目を見開いたが、すぐに目を閉じた。

 

「お嬢様のお望みであれば──」

 

 どうやらアリなようだ。

 ティナにベッドに行くよう命じ、帳を下ろさせる。

 

「ティナ、今夜は寝かせないからな」

 

 ふざけてクッサい台詞を言ってみたが、ティナは面白いように反応する。

 前世と合わせてかれこれ数年間ご無沙汰なのだ。たっぷり堪能させてもらうとしよう。

 

 ──まあ、肝心の息子が今の俺にはないんだけどな。

 

 

 

 そんなこんなで俺の第二の人生はスタートしたわけだが──実のところ案内人は俺の望みをちゃんと理解していた。

 だが、それが判明するのはだいぶ先のことだった。




転生先として大地が空中に浮かぶ世界を引き当てたことで分岐したIFルートです。
リオンはじめモブせかの登場人物もこの先登場します。
なお、女性として転生したのはツンデレ貢ぐ系ヒロインこと案内人の仕込みです──

▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。