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noteさん

鹿西警察署にて。 Episode1

鹿西警察署にて。
20ZZ年7月25日月曜午前7時。

「山上、起床だ」
「…はい」

ボソ、という擬音は余りにもありきたりだが、こう表現するのが一番しっくりくる掠れ気味の低音で、しかし数週間前に比べればハッキリとした発音で返事をした山上は、固い床に敷かれた布団…らしき形状と素材の、身体を支え保護する性能は殆ど見当たらない代物を几帳面に畳みながら、勾留生活を振り返った。

ここへ来てから、論理的な対話というものを享受出来ている。
これがオレの求めていたものだ。
ずっと言いたかった事、それが反論や諭し、なだめ、といった事無かれ主義どもの阻害無しに公的に正式に記録され永久に残る。
こんな風にオレは受け入れられたかったのだろうな。
今までの、人を見下す人間ども、せいぜい二、三の単語を直列に連ねた程度の安易な言葉で怒鳴り付けるのを演じるしかない輩との関係や、そもそも主眼から差異があり過ぎて話し合いなど不可能な集団とは大違いだ。

「本日大阪へ移送する。朝食後準備を行え」
「はい」

精神鑑定、か。
興味深い。
オレ自身、オレの精神というものがよくわからんのだ。
客観的に診断を下されるのもひとつのサンプルとして悪くは無いし鑑定という行為自体が知的刺激に満ちたものとなるだろう。
今のオレにとっては贅沢過ぎる気晴らしかもしれんな。
一体何が出てくるのやら、オレの虚無の中から…

心の中でやや自虐的に冷笑しながら、表情にはおくびにも出さず、山上は慣れた様子で鹿西へ来てから何十回目かの、そして暫しここでは最後となる食事を鈍く光る匙で口へ運ぶ。
やや丸めた背中からは肩甲骨の形が浮かび上がり、肩や首筋からも割に逞しい身体であることが見てとれる。

収容後も毎日ルーティンワークとしていた腕立て伏せに依るものなのだろう。
静かに咀嚼し嚥下しているのが、硬く突き出た喉仏の動きからわかる。
ただ、表情は、俯き加減に食べているのと、さらりと流れ落ちた長めの髪が目元にかかり読み取れない。
供述時と同様、きっと無表情なのだろう。
この男は一貫してーー。

そう、あのたった十秒の隙(十秒もの余裕と言うべきか)をついて犯した罪、その一瞬を虎視眈々と狙う手負いの獣のような嗅覚を研ぎ澄ませている時から、体躯に燃え上がらせていたであろう怨恨の灼熱の炎を、誰一人知り得る余地すら与えない程の冷徹な無表情だった。
燃えたぎる憎悪を湛えた瞳は眼鏡を装着する事でその鋭さを曇らせ、内包し、隠すのを忘れないのだった。
イーヴンリヴァーの灰色ボタンダウンポロシャツを第二ボタンも留めずに無造作に纏い、ポケットが複数付いているカーキ色のカーゴパンツはオーバーサイズで裾を折り、足元のダークグレーのスニーカーはルコックスポルティフ。
たすきがけの黒く太いショルダーベルト。
一見華奢な、飾り気の無いこの男は、己をモブ化することに成功したかに見える。

しかし、ただ平凡に、背景に溶け込んだように見えるこの男の、漲る意志を抑えきれず唯一可視化していたのは、胸の前でガッツリと組まれた両前腕の膨張した筋肉、決起の指先に繋がる破裂しそうな神経の束、これに気付く者さえいたならば運命は別の途を辿っていたのだろうか。

その時。
男が無気配のまま動き出す。
多数の警護員が配置された防衛陣形、様々な角度からの百を越える視線と撮影レンズ、歩行者、自転車、台車、自動車、大型車両等、方向も速度も多々入り雑じる老若男女の動線と喧騒の中で、偶然開けた一筋の無人の、目的への道を静かに進み間合いをつめながら、学生が鞄から参考書でも取り出すかの如く、自然な仕草で衆目の前にさらけだしたのは黒光りする手製と思わしきガジェットーー。
それは男の体の一部であるかのように手に吸い付き馴染み、重みも感じさせず僅かなブレも無く収まっていた。

ーー隣の人に弾が当たらない距離に

これは後の供述である。
男は止まらず無言のまま数歩前進した。


ここに至るまでのすべての現象は偶然なのか、必然であったのか。
その瞬間まで貫いた無表情をついに歪ませたのは、分厚い肉体をもつ複数の警護員たちに掴みかかられ身柄を仰向けに倒された、その一瞬だけであった。
巨漢たちに組伏せられ、四肢の自由を奪われる直前、山上は役目を果たした眼鏡を投げ捨てた。
身体の拘束と引き換えに、心は解放されたのだ。


昨夜はよく眠れたようだな。

警察官の奥園は、山上の後頭部の髪が平らになっている事に気付き安堵した。移送前日のためシャワーを浴びられたのもよかったのかもしれない。何度も体勢を変えること無く深く入眠出来たのであろう。
準備を黙々と進めるこの男に対し、初めの頃は目線を険しく注いでいたが、いつの間にかそんな事を思い遣っている自分に、近頃少し慌てている。
右耳側の髪にも寝癖がついているのを眺める。無防備さと幼さを印象付ける。これがあの神懸かった行為を起こした当人かと、ギャップに思わず一驚する。

颯爽と着替える山上の、見え隠れする剥き出しの肌の滑らかさ、着衣では目立たなかった盛り上がる胸筋や上腕二頭筋、極限まで引き締まった腰や臀部、そこからスラリと伸びる脚は若々しい男鹿のようだ。
その肢体を目にする度、この肉体こそが完遂の要だったのかもしれないと、いつも想像させられる。

あの日、同時に幾つもの事件が勃発していた混乱の署内で、上司は奥園に山上の担当を命じたのだった。

何故自分に、という疑問は不問。
命令は絶対である。
山上に自分が相応しいだろうという信頼する上司の判断なのだ。
任務を果たすのみ。

しかし今は、自分が担当でよかった、とも感じ始めている。
この感情は上司の意に沿っているのか反しているのか。
いずれにせよ、もう送り出すだけなのだ。

この男の表情と姿を狙うマスコミが、署内の駐車場で何時間も前から脚立で陣取っている。
ズラリと並んだ各社のカメラが写し出すニュース映像を待ち構えているのは、それぞれ対極の正義をかざす者、敵味方、或いは無関心、それとは真逆の熱狂的関心を持つ者たち(どうやら山上に母性本能を刺激されたり性的魅力を感じている層もあるらしい)。

最後にマスクを着け終えた山上に、再び手錠がかけられる。
されるがままに手元を見た山上の前髪がふわりと目にかかってしまった。
自分ではもう直せないだろう。
ふと無意識に近づいて、目に入らないようそっと手で横に流してやる。
瞬間山上が、身体をびくんと震わせ硬直する。
突然の反応と、触れた髪が思いのほか柔らかかったことに、何やら羞恥に近い感情がもたげ、顔が熱くなった。何だこの血流の異変は。

山上を驚かせたのは不意打ちで触れたせいか。
それとも他人に優しく触れられる事に慣れていないのか。幼少期に、無条件に温かく抱き締められるという経験の無かった者の特徴か。
そのまま無表情でじっと動かない。

…なるほど母性本能、そして性的魅力か。

何も気づいていないフリをしながら、手錠の上に布カバーを、今度は荒々しく被せた。
「行くぞ」。


この扉から数週間ぶりの外界へ。
表情を変えない山上。
何を思っているのだろう。

またここへ、故郷へ戻って来るんだぞ。
真横に立ち、制帽の縁からじっと見つめる。
今までどんなに見ていても目線を合わしたことが無い、まるで自分以外に人がいないかのように振る舞っていた山上が、急にこちらへ顔を向けた。
切れ長の一重が至近距離で交錯する。
刹那、目の前の存在を素直に認めているような温かい目をしていた事が知れた。
通じたのか別の事を受け取ったか、そのまま微かに頷く。
絶対に、絶対に無事に戻って来い。
そして、扉を開いた。

一歩踏み出すやいなや、細かな雷が一斉に落ちたかのようなフラッシュが降り注ぎ、乾いたシャッター音の拍手が盛大に被疑者を迎えた。
そこは蝉の声がのどかに青空に響き渡る、幼い頃からいつも彼が親しんでいた世界だった。
緩やかな山に囲まれた緑多き盆地を、少年はかつて自由に駆け回っていたのだ。

夏休みが始まるこの時期は、どの子にも喜びが溢れている。彼もそうだった。兄妹とスイカや素麺を食べた事、従兄弟たちと海水浴で楽しんだ事、伯父が食べさせてくれた寿司の味。バスケ部で努力し続け、応援団として母校に尽くし、いつも他人に気を遣い、控えめに、真面目に、懸命になれば、作り物のような人生が好転するのではないかと、ずっと静かにもがき続けて来た。
思い出を共有し、「懐かしい」と微笑みながら語り合える家族と共に、年齢を重ねてゆく穏やかな人生、こんなささやかな願いすらも奪われ踏みにじられた。
父も、母も、最愛の兄も、もういない。

「我、一命を賭して解放者とならん」

ほんの少しの手助けがあれば死なずに済むであろう命を守るために。



広がる夏空の下を淡々と、拘束されているため少々不自由そうに歩く山上が、車両のあちら側に差し掛かったその時ーー
強い夏の日射しに照らされ、一気に艶を帯び煌めく髪。
その下の眼差しは今、何という悲しみを湛えているのだろう。
すぐに暗い車内へ従順に乗り込み、ハッと息を飲むほどの光景は余りにも儚く消え去ってしまった。

遥か昔に、大御神が天の岩戸に籠り光を失ったこの国で、古都が育んだ山上という名の光、闇を切り裂いた一弾の閃光を、巨大で堅牢なコンクリートへ閉じ込めるべく車両は発進した。


約4カ月間か。長いな。
奥園は任務完了を上司に報告し指示を受け、こう思ったのも束の間、直ぐに次の任務に集中した。

しかし、先程の…空耳だろうか。
その出来事が心に引っ掛かり仕事を妨げようとする。
「ご苦労だったな」労いの言葉に続き次の命を受けた後、あちらへ行きかけた上司がマスクの中で「……ダンチョー」と微かに独りごちたように聞こえたのだ。

断腸?団長?

気のせいか。

没頭を遮る思惑は無用である。
我々にはまだ多くの任務が残っているのだ。

◇◇◇


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