僕はガラスの床の上に住んでいる。そこには他にもたくさんの人が暮らしているのだが、そのことに気づいている人は限られている。
ときどき、コツンコツンと下から音がする。床がガラスだと知らない人々は、その音をただの自然音だと思っていて、うるさいと感じる人もいれば、風流だと思う人もいる。しかし、たいていの人はたいして気にしていない。
気づいている僕らのような人々は、それが下にいる人がノックする音だと知っている。そしてそれがモールス信号のような暗号になっていることに気づいた一部の人たちの間で、そのノック音で会話することが流行っている。そして、僕らは下に暮らす人々の苦しみを聴いて「あげる」のだ。
「このガラスを割りたいのです」というメッセージが頻繁に届く。その度に「そうだね、そうしたいね」と僕らは返す。しかし、同時にこんな会話になるのがいつものパターンだ。
「このガラスは割れることを想定していないんだ。だから、割ると破片が飛散する。すると、下にいる人たちにも大変な被害が及ぶ。だから、このガラス一面に飛散防止フィルムを貼ってから割って欲しい。しかし、この床、つまりあなたから見たら天井は、とても高い位置にある。高い脚立で登れる人は1人しかいない。その人が1人でまずフィルムを貼って、それから割る。あるいは、沢山の脚立を準備して、みんなでとりかかる。あるいは、下にいる人全員に避難してもらうか破片を避ける準備をなんらかやってもらわないといけない」
「そちらでフィルムを貼ってもらうわけにはいきませんか?」
「大半の人は床がガラスだって知らないんだ。だから協力してもらうのはなかなか難しいね。家具も動かさなきゃならないし。しかも、床がなくなるってことは下に落ちる人もいるだろう。その人たちが落っこちても受け止めてくれる保証がないと難しいな。だから、そっちで頑張ってやって欲しいんだよ。僕らが安全で、そちらも安全な方法でね。もちろん応援するよ」
だいたいいつもそんな感じだった。そして下の人は「そうですね、ありがとうございます」と丁寧に応えてくれた。
ところが昨日、こんなメッセージが届いた。
「もうそろそろ、多くの人が怪我してもかまわないから、1人で脚立に乗って、誰かハンマーであの天井を割ってくれないかなあ、なんて最近思うんです」
今のところ、床の上の住人のほとんどは気づいていないか、それが本気だとは思っていない。
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