▼デザイナー三宅一生さんのパリコレを支えたのは桐生市のテキスタイル・プランナー故新井淳一さんである。「火山から流れる溶岩みたいな布を」など抽象的な依頼に応え続けた

 ▼絵はがきをもらったり、パーティーに招待されたり。三宅さんは7歳のときに広島で被爆したが、先入観を持たれることを嫌って公表しない姿勢にも好感を持っていた

 ▼ぜひ見てもらいたい展覧会があると言われ、ニューヨークまで出かけたことも。会場には新井さんの布を使った「イッセイミヤケ」の服を着ている人が何人もいた。自分の布が世界の人々に愛されていることを実感する幸せな瞬間だった

 ▼だが蜜月は突然終わりを迎えた。新作を届けると、三宅さんは何も言わず部屋にこもってしまった。「この布ではどんな服を作っても新井淳一の服にしかならない」。後に新井さんの代表作となる「布目柄」だった

 ▼既成概念を打ち破る服を作り続けた三宅さんの訃報が先月届いた。衣服と人体との関係を「一枚の布」を通して追究し、代表作「プリーツプリーズ」は世界で支持された

 ▼三宅さんに斬新な布を提供する新井さんのことが海外で知られるようになると、有名ブランドから依頼が殺到した。新井さんは晩年、三宅さんと「コムデギャルソン」の川久保玲さんの名を挙げて回想している。「僕の作品が後世に残るとすれば2人のために作ったものだと思う」