というわけで生きています。
リリーッス!サオリリスです。
とにかくしばらく無気力といいますか、虚無感をごまかせなくて、潜っておりました。鬱と呼ぶのかもしれませんが、もともと感情の起伏が激しく、よく言えば情熱的なんで(ホント、よく言い過ぎ!)、自分では、この度はたまたまひどく落ちて考えこんでいた期間だというふうに思っています。
まーそういう時もあるじゃないですか。全く無いという人もいるかもしれませんが、あるんだろうなという程度にはわかってもらえると思います。
私は物を考えるのもそれを文章にするのも好きです。望まなくても思考の中を泳ぎます。なのに、それすらもしたくないという状態でした。
邪念というか今は欲さない情報も入れたくないので、iPhoneもPCも繋がないでいました。これは以前からうすうす感じていたんですが、私、電話もインターネットも嫌いなんです。今回、このことはハッキリと自覚しましたね。
サオリリスというカルチャーに身をおく者として、電話はまだしもインターネットは欠かせないものでした。今インターネットは手の中にあるものです。特に意識もぜす利用していました。そして、自己アピールしたり、学んだり、人と繋がったり、楽しいことや思いがけない喜びに出会うことができたわけです。
おー神よ!インターネットよ!
インターネットが一般家庭、個人レベルにまで浸透するようになってどのくらい経ったのか知りませんが、わからないことは辞書より検索エンジンに尋ねるようになり、出会いはリアル→インターネットよりインターネット→リアルになり、情報交換も場所え世代を選ばないで出来る、これは素晴らしい!そして、便利なだけでは無く、そこからアートや音楽、カルチャーも生まれました。今も生まれ続けています。インターネットは表現なんです。
インターネットカルチャー!超カッケー!
インターネットは無限の可能性がある!誰もが胸と希望をふくらませ、こぞって取り組むようになりました。そのことを随分前に予言している本『インターネット的』/糸井重里著がありまして、もうインターネットというか糸井重里も神だと思うんですが、そんな糸井重里のお陰で(?)、今や私たちの国は一億総表現者社会になったのです。
呼び方は色々とありますが、評論家批判家、写真家、アイドル、音楽家、料理研究家、活動家、ショップオーナー、好きに自分を表現できる良い社会です。と思いきや、中身のないものもたくさんあります。バカがインテリ気取ったコメントしたり、塩っぱい自撮りを晒したり、有名人が誤爆したり乗っ取られたとごまかしたり。それでも、一億(又はそれ以上)もの人が、ここで自己承認欲求を満たしたくてたまらないのです。
私は・・・私もだよ!!!!
そう、まさに、そこなんです。
インターネットはおもしろいものもたくさん生み出してきたし、今も生み出しているし、これからも生み出すと思います。インターネットへの期待はいつの間にか一億人の過信とマゼコゼになって、おもしろいものもつまらないものもなんでもありすぎてもう何がなんだかで、そこがおもしろいのだとわかりつつも私は、そんな中に身を置いていることがむず痒くなってきました。
使いこなす天才か、はたまた「ウェブはバカと暇人のもの」/中川淳一郎著の通り、バカかにしか、インターネットは向かないのかもしれません。私は、出来れば前者が良かったけど中途半端だったようです。何かを表現しているうちに、「伝わらないのでは?」とか「なんか、恥ずかしい」と思うようになり、インターネットに期待することも自分が表現者となることも、素直に出来なくなりました。
私には前者の友人や知人(tomadくんやtofubeatsやlivetuneやetc)がいます。なのでなんとなく、自分もそっち側であるような気がしていたのかもしれません。彼らにとって境界線はなく、ごくごく自然に、空気を吸うように、インターネットと付き合っています。スマートでかっこいいです。憧れちゃいます。
でも、私にとっては・・・
最近なんか息苦しいかも・・・
いつしかインターネットは私に幸せをもたらしてくれる存在ではなくて、人との繋がりを強制的に押し付けてくる(ような)、自分の評価に対する不安感と、このスピードに乗らなければという強迫観念をもたらすような存在と化していたのです。というのはハッキリ言い過ぎかもしれませんが、そのように感じることが出てきました。そして決めたのです。
インターネットを捨てよ、旅に出よう。
と。
つづく
リリーッス!サオリリスです。
とにかくしばらく無気力といいますか、虚無感をごまかせなくて、潜っておりました。鬱と呼ぶのかもしれませんが、もともと感情の起伏が激しく、よく言えば情熱的なんで(ホント、よく言い過ぎ!)、自分では、この度はたまたまひどく落ちて考えこんでいた期間だというふうに思っています。
まーそういう時もあるじゃないですか。全く無いという人もいるかもしれませんが、あるんだろうなという程度にはわかってもらえると思います。
私は物を考えるのもそれを文章にするのも好きです。望まなくても思考の中を泳ぎます。なのに、それすらもしたくないという状態でした。
邪念というか今は欲さない情報も入れたくないので、iPhoneもPCも繋がないでいました。これは以前からうすうす感じていたんですが、私、電話もインターネットも嫌いなんです。今回、このことはハッキリと自覚しましたね。
サオリリスというカルチャーに身をおく者として、電話はまだしもインターネットは欠かせないものでした。今インターネットは手の中にあるものです。特に意識もぜす利用していました。そして、自己アピールしたり、学んだり、人と繋がったり、楽しいことや思いがけない喜びに出会うことができたわけです。
おー神よ!インターネットよ!
インターネットが一般家庭、個人レベルにまで浸透するようになってどのくらい経ったのか知りませんが、わからないことは辞書より検索エンジンに尋ねるようになり、出会いはリアル→インターネットよりインターネット→リアルになり、情報交換も場所え世代を選ばないで出来る、これは素晴らしい!そして、便利なだけでは無く、そこからアートや音楽、カルチャーも生まれました。今も生まれ続けています。インターネットは表現なんです。
インターネットカルチャー!超カッケー!
インターネットは無限の可能性がある!誰もが胸と希望をふくらませ、こぞって取り組むようになりました。そのことを随分前に予言している本『インターネット的』/糸井重里著がありまして、もうインターネットというか糸井重里も神だと思うんですが、そんな糸井重里のお陰で(?)、今や私たちの国は一億総表現者社会になったのです。
呼び方は色々とありますが、評論家批判家、写真家、アイドル、音楽家、料理研究家、活動家、ショップオーナー、好きに自分を表現できる良い社会です。と思いきや、中身のないものもたくさんあります。バカがインテリ気取ったコメントしたり、塩っぱい自撮りを晒したり、有名人が誤爆したり乗っ取られたとごまかしたり。それでも、一億(又はそれ以上)もの人が、ここで自己承認欲求を満たしたくてたまらないのです。
私は・・・私もだよ!!!!
そう、まさに、そこなんです。
インターネットはおもしろいものもたくさん生み出してきたし、今も生み出しているし、これからも生み出すと思います。インターネットへの期待はいつの間にか一億人の過信とマゼコゼになって、おもしろいものもつまらないものもなんでもありすぎてもう何がなんだかで、そこがおもしろいのだとわかりつつも私は、そんな中に身を置いていることがむず痒くなってきました。
使いこなす天才か、はたまた「ウェブはバカと暇人のもの」/中川淳一郎著の通り、バカかにしか、インターネットは向かないのかもしれません。私は、出来れば前者が良かったけど中途半端だったようです。何かを表現しているうちに、「伝わらないのでは?」とか「なんか、恥ずかしい」と思うようになり、インターネットに期待することも自分が表現者となることも、素直に出来なくなりました。
私には前者の友人や知人(tomadくんやtofubeatsやlivetuneやetc)がいます。なのでなんとなく、自分もそっち側であるような気がしていたのかもしれません。彼らにとって境界線はなく、ごくごく自然に、空気を吸うように、インターネットと付き合っています。スマートでかっこいいです。憧れちゃいます。
でも、私にとっては・・・
最近なんか息苦しいかも・・・
いつしかインターネットは私に幸せをもたらしてくれる存在ではなくて、人との繋がりを強制的に押し付けてくる(ような)、自分の評価に対する不安感と、このスピードに乗らなければという強迫観念をもたらすような存在と化していたのです。というのはハッキリ言い過ぎかもしれませんが、そのように感じることが出てきました。そして決めたのです。
インターネットを捨てよ、旅に出よう。
と。
つづく